第3話

 大通りや通学路を避けてなるべく学校の関係者に見つからないような場所へ移動する。いつもとは違う帰り道を通り閑散とした小道に辿り着いた。そんなタイミングを見計らってか、彼女の方から抗議の声があがる。


「あのぉ、そろそろ腕が痛いので離してもらえますかぁ」

「あぁ、悪い。じゃなくて、元はといえばあんたが! あっ」


 反射的に手を離し謝ったものの、先ほどの行為を非難しようと怒声を浴びせる。しかし、小道とはいえ首都圏であるSABUYA区の小道なので、疎らには人が歩いていた。その何人かが何事かと思いこっちを見たため、冷静になり声を呑んだ。

 いつもの声量を意識して再度非難する。


「……どういうつもりだ」

「はい?」


 こちらに詫びる気配も無ければ、今朝の自分を再現するかのようにまぬけな声をあげた。わざとやっているのかとも思ったが、初対面の相手にあんな質問をするような奴だ。素の可能性も否定できない。あくまで冷静を保たせようと会話を続けた。


「何故、みんなが見ている前であんな誤解されるようなことをした?」

「あぁ、さっきの面白かったですよねぇ」


 会話が成り立たない。やはりわざとしているように思えた。


「そんなことはどうでもいい。あと、とりあえずその喋り方はやめろ。今朝はそんなんじゃなかっただろ」 


 話し方を指摘され少しむくれた表情に変わる。ここにきて漸くこいつの素の感情を見た気がした。


「えぇ、この喋り方変ですかぁ。結構気に入っているんですけどねぇ」

 

 つい先程あくまで冷静になんて思ったが、さすがにこう何度も煽られると表情が険しくなる。こちらの雰囲気を察したのか、一度大げさにため息を吐くと今朝の調子で話しだした。


「はぁ、仕方ないですねぇ。分かったわ。それで私にどうして欲しいの?」


 いきなりの人格変化に若干の戸惑いを覚えたが、もう二度と関わらなくても済むように怒気を強めて言ってやった。


「まず、今すぐ学校に戻ってみんなへの誤解を解いてもらう。その後、金輪際俺に近づくな。学校はもちろん、通学路にも。SABUYA区に来るなとは言わないが、もし電車や駅で出会っても赤の他人として接しろ。わかったか!」


 少し早口になり、語気を強めた言い方になったが、この手の相手にはこれくらいしないと通用しないと思った。

 短い沈黙の後、彼女は再びため息を吐くと腕組をしながらこう言い返してきた。


「悪ふざけが過ぎたのは謝ります。ごめんなさい。だけどその要求は飲めないわ」

「なっ」 


 驚きのあまり耳を疑った。


(確かに謝りはしたが、こいつは誤解を解くきも無ければ次からも俺に付き纏うつもりでいるのか?)


 普通ならここまで言われれば、面倒事を避けるため要求を受け入れるところだろう。だがこいつはそれを蹴った上で、同じ事を繰り返そうとしている。


「そもそも、あなたは誤解をしているわ」 


 言葉に詰まった俺を見て続けざまにこんなことを言い出す。


「誤解だって?」

「そうよ。私を何かの勧誘員だと思っているのでしょうけど、それは違う。あっ、いや、半分は正解だけど。そもそもさっきの事だって、あなたが今朝ちゃんと話を聞いてくれていたら起こりえなかったことよ」


 まるでこちらにすべて非があるような言い方をされた。さっきの謝罪は何だったのか。いや、正直謝罪なんてどうでもいい。こいつが今朝の話を下心なく話していようがいまいが、これ以上関われるのは御免だった。


「何が誤解だ。あんたが勧誘員じゃなかったとしても、俺に付き纏っていることには変わらないだろ。でなければ、わざわざ俺の学校にやってきてあの場で俺を孤立させるようなことはしないはずだ」

「ええ、そうね。確かに私はあなたに用があった。どうしても聞いてほしいことがあったから」


 あっさり認めたが、一歩間違えればストーカーと思われる行為だ。


「聞いて欲しいだって? だったら最初からそれ相応の態度を見せろよ。今のあんたは俺にとってははっきり言ってほぼストーカーと変わらないぞ」

「あれでも自然な流れで話そうとしたのよ。それにあなたは学校に向かう途中だったし、話を最後まで聞いてくれるのかも分からないじゃない。実際に話しの途中で逃げたし。だいたい速見はやみくんの場合、普段から碌に人と関わろうとしない根暗野郎じゃないの」

「誰が根暗だ。俺はただ一人で居るのが好きなだけ……ちょっと待て。何でお前、?」


 少なくともさっきまでは名乗った覚えはない。こいつに会ったのは今朝が初めてだし、そもそも自己紹介なんて日雇いのアルバイトの面接でもなければ、地元から越してきて年に一回、クラス替えの後朝のホームルーム時に少ししたぐらいだ。


「なんでも知っているわよ。速見アルトくん。色々と調べさせてもらったから」


 フルネームも当てられる。嫌な予感がして、気づかれないようにポケットに手を忍び込ませた。


「調べていたって何のために?」

「言ったでしょう? 聞いてほしいことがあったからって」

「その聞いてほしいことのためだけに俺のことを嗅ぎ回ったのか?」

「名前だけじゃないわ。あなたの出身地や今どこに住んでいて普段何をしているのか。あなたの姿とか」


 心を見透かされたように感じた。だが動揺を悟られまいと、平静を装う。


「言っている意味がよくわからないが、どうせハッタリだろ?」

「嘘じゃないわ。当てましょうか? 速見アルト17歳。高校二年生。TASEGAYA区のアパートで現在一人暮らしをしており、週末には家賃を払うためアルバイトをして生活。15歳まではここから300キロ程離れた孤児院で生活し、東京に来られたのはその孤児院の院長さんに学費を工面してもらったから、どう? もっと詳しい情報を言ったほうがいい? さっきから私の言動を録音しているみたいだし」

「なっ」


 俺の行動は、見抜かれていた。観念してポケットからアイフォを取り出し録音の停止ボタンを押す。


「分かった上で、喋っていたのか。まぁいい。これではっきりしたぜ。あんたは、ただの不審者じゃない。異常なストーカー女だ。これ以上人のプライバシーを侵害してみろ。この録音した証拠を元に警察に通報するぞ」


 充分な証拠とは言えなかったが、ストーカー被害を訴えるくらいの材料にはなる。


「私は聞いて欲しいことがあったからあなたのことを調べる必要があった。もしその調べた過程であなたが基準に値しない人だったら対応を変えていたわ」


 つまり、俺はその基準とやらに合格したってことか。その割にはこんな仕打ちを受けなければならなかったのか。いや、それはどうでもいい。俺はもう一度、こいつに怒りを込めて言った。


「さっきも言ったが、これ以上俺に関わるな。もうあんたとの茶番に付き合わされるのは御免だ」

「だからそれは無理よ。何故ならあなたは私と一緒に来てもらうことになるから」


 どうやら食い下がる気はないらしい。それならこちらにも考えがあった。


「そうかよ。なら、警察に通報して事情を話して辞めさせるまでだ」


 ここで引き下がる訳にはいかない。相手に主導権を握られたらそれこそ丸め込まれてそれで終わりだ。

 今俺が一人で学校に戻ってもこの変人との関係を追求され誤解が解けないばかりか、汚い連中から嫌がらせを受ける可能性だってあり得る。平穏無事な日常など期待できそうにない。ましてやいかに美人といえども、こんな変梃な奴に付きまとわれるのは願い下げだった。


「辞めておきなさい。そんなことをしても無意味よ」


 ここまで言われても態度を崩さない。ある意味凄い奴だと感心したが、俺は本気だった。


「へっ、今更怖気付いたのかよ。悪いがそっちが退かないなら俺は本気でやるからな」


 多少の騒動にはなるだろう。学校にも連絡が入り、迷惑をかけるかもしれない。しかし、事情が事情だ。恐らく事態が収集すれば丸く収まる。しかもこっちは完全な被害者だ。ちゃんと話せばどちらが悪いかなんて明白だった。


「はぁ、分かったわ。それであなたの気が済むなら電話すればいい。でも、あなたが想像しているようには絶対にならないわ」


 やれやれと言わんばかりの呆れた表情で本日三度目のため息を吐く。何を根拠にこんな自信が持てるのかは知らないが、常識を考えればこちらが不利になることは在り得ない。


 例え、こいつが警察の前で嘘の証言をして俺を不利にさせようとしても最初に通報するのは俺だ。

 何かやましいことがある奴がわざわざ自分から警察を呼んで不利な状況を作ることは在り得ない。その心理を警察も分かっているはずだ。それに最初に俺が証拠を提示して状況を説明すれば、こいつの証言に矛盾が出るはず。

 そう考えた俺は、アイフォを操作し緊急通報ボタンを勢い良く押した。落ち着いたオペレーターの声が聞こえ、ありのままを話すとそのまま待機するように指示を受けた。


 それから10分を過ぎた後、パトカーが到着して警察官二人が俺とこの女を別々の場所で事情聴取した。

 学生証を提示しながらオペレーターにも話したように状況を説明する。警察もすぐに納得してくれたようだった。


 俺と会話をしている刑事さんの肩越しにパトカーの近くで別の刑事とあの女が話しているのが見えた。俺の方とは違い、会話が難航しているように見える。それもそうだろう。悪いのはあいつだ。きっと怒られているに違いない。

 しかし、彼女は未だに毅然としておりポケットから手帳のようなものを取り出すと刑事に見せた。何かを説明しているように見える。すると、納得いかない様子の刑事が渋々パトカーへと戻り、無線で連絡しだした。


 俺を担当した刑事さんも事情聴取を終えて、少しここで待つように言うとパトカーへと戻る。数分後、パトカーから降りてきた刑事さんに信じられないことを言われた。


「すみません、これ以上のことは警察では対応出来ませんので後は当人同士で話し合ってください」

「えっ、ちょっと待って」


 言うが早いかパトカーへと乗り込むとそのままエンジンを掛けて走り去った。


(冗談だろ)


 警察は民事不介入とは言うが、こっちにはさっきの録音データがあった。証拠があれば、逮捕とまではいかなくてもこいつに誓約書を書かせるくらいのことはできたはずだ。


(警察内でエイプリルフールネタが流行っているのか?)


 正直な所、今朝から今までの出来事すべてが嘘であって欲しいと願うくらいだった。唖然としていると、彼女は勝ち誇ったような笑顔で話しかけてきた。


「だから言ったでしょう? あなたの想像したようにはならないって」


 頭の整理がつかなかったが、何とか声を絞り出した。


「あんた、一体何をした?」

「何の話?」


 白を切るつもりらしいが、そうはいかない。俺は間髪を容れずに語った。


「さっき見たぞ。あんたが手帳を取り出して何かを伝えた後、警察の対応が変わったのを。あんたが何者か知らないが、警察を動かせる程の権力者か何か細工をした以外に考えられない」

「へぇー、状況判断能力とある程度の推理力、観察力もあるわけね。益々気に入ったわ」


 またもやはぐらかされそうになる。出会ってからこいつのペースが掴めない。


「人を品定めするような目で見るな」

「あぁ、ごめんなさい。そんなつもりはなかったのだけどつい、いつもの癖で」


 人の観察が癖って、こいつのことが余計にわからなくなってきた。だがもう我慢の限界に達しそうだったので話を切り上げることにした。


「もういい。とにかく俺に構うな」


 そう言うと俺は背中を向けて立ち去ろうとした。警察にも頼れないと分かった以上話すことなどなかった。


 学校でもこの件で揉め、行き帰りもしくは家の前でこのストーカー女に今後も待ち伏せされそうな勢いだが、耐えるしか無い。おそらくいくら証拠を集め弁護士に相談し、裁判を起こそうが今回のように揉み消されるのが落ちだろう。

 完全に平穏な日常が失われたが、こいつが諦めるまで無視を決め込むことにした。


を私も一緒に探してあげるって言っても?」


 思いがけない言葉に足が止まり振り返る。


(こいつ、今なんて言った?)


 無論、警察を欺く程の奴だ。出生記録などから、俺の故郷や住所を特定することなど、容易だろうし、個人情報が知られているのはまだわかる。だが、俺が人を探していることは誰にも言っていないし、俺が探している人物は孤児院の院長以外知らないはずだ。

 院長自身も他人に身内のことを軽々しく話す無責任な人ではないし、もとよりこのストーカーが同じ孤児院にいた記憶はない。


「なんでそのことを知って……」


 そう言いかけた瞬間だった。


「きゃー!」


 突然の悲鳴が響き渡り、思わず後ろを振り返る。振り向きざまに見えたのは、体格から男だと思われる黒いヘルメットを被り大型バイクに跨がっている奴が、初老の女性から鞄を引っ手繰る瞬間だった。

 バイクがエンジンを吹かし、猛スピードで走り去る。鞄を引っ手繰られた女性は突き飛ばされて横に倒れ込んだ。


「大丈夫ですか!」


 俺と話していた彼女が横を擦り抜け、その女性に駆け寄った。


「待って、お願いそれを返して!」


 倒れた女性は上体を起こし、声を発するが時すでに遅くバイクは遠方に去った後だった。

 女性に怪我が無いのを確認すると、彼女はこちらを向いて真剣な目で訴えた。


「何をしているの? 追いかけて、早く!」

「追いかけるってバイクのことか? いや、無理だろ」


 遠く見える引っ手繰り犯の姿がだんだんと小さくなる。普通なら追いかけるのも憚るくらいの距離だ。


「残念だが、これはもう諦めて警察に連絡するしか無いな」


 取られた荷物が帰ってくる保証は無いが、俺にできることは犯人が一刻も早く捕まることを祈るくらいだ。先ほど通報したばかりだが、もう一度アイフォを取り出し緊急通報ボタンを押そうとした。

 しかし、彼女はその行為を打ち消すかのように言った。


「隠していても無駄よ。知っているのよ。あなたにはあれを追いかけるだけの能力ちからがあるって」


 彼女の突然の言葉に、指が止まる。刹那、子供の頃の記憶が甦った。その結果、今朝からの彼女の不審な行動に合点がいく。


(まさか、あの能力の事を調べて俺に近づいたのか?)


 動揺を隠せなかったが、これ以上彼女に関わるつもりのなかった俺はしらばくれる事にした。


「何の話か知らないが、これ以上俺たちにできることはない。その人には悪いが荷物は諦めて、後は警察に任せるべきだ」

「ダメなんです!」


 彼女に反対されたのかと思ったが、意外にも発言したのは荷物を取られた初老の女性の方だった。


「えぇと、何がダメなのですか?」


 彼女の方も呆気にとられたようで、女性に落ち着くように促すとその人は涙混じりに話しだした。


「あの鞄の中には、主人の……亡くなった主人がくれた形見である髪飾りが入っていたんです」

「そんな大事なものが入っていたのに何で不用心な真似をしたんですか?」


 空気が重くなりそうだったがそう告げた。

 俺が一瞬見た限りでは、走っていたバイクに後ろから突然引っ手繰られたという感じではなく、バイクに跨った犯人がすぐそばにいたこの女性を無理やり突き飛ばし荷物を奪ったような感じだった。わざわざそいつに近づかなければ防げたはずだ。


「地図か何か持っていたら道を教えて欲しいって言われたんです。私、アイフォの中に地図アプリがあったのを思い出して、見せてあげようと近づいたら突然無理やり突き飛ばされて…」

「それで鞄を取られたのですね?」


 彼女が横から口を挟む。女性は小さく頷き返した。


「私、昔から癖毛があって主人によくからかわれていました。付き合った当初は嫌な思いをしていたんですけど、私の誕生日にその髪飾りをプレゼントしてくれて、凄く嬉しかった…。だけど勿体無くて使えなくて、お守りにしたいって言ったら笑って許してくれました」


 女性は懐かしむように儚げな笑顔を浮かべ語っている。確かに今は癖毛を隠すためかその思い出の品とは別のものと思われる髪留めをしていた。


「主人が事故で亡くなった後、いつまでも落ち込んでいたら主人にまた笑われてしまうと思って、思い出の品を整理しました。けど、それだけは捨てられなくて……ごめんなさい、私……」


 そう語った後、女性はまた泣き崩れてしまった。本当に幸せだったと感じるくらい思いが伝わってくる。

 隣にいた彼女はその女性を宥めながらもう一度俺に向かって言った。


「ここまでの思いを知った上で、それでも動かないつもり?」


 攻めるような目で見られたが、俺は意見を変えるつもりはなかった。


「言ったはずだ。これ以上は警察の仕事だろ。それにそんなに大事なものなら自分で取り返すべきだ」

「この人にはあなたと違ってそれができる能力がないのは分かっているでしょう?」


 そんなことは分かっていた。だが俺はあの能力を使うつもりはない。


「所詮、世の中なんてこんなものだろ。例え殺人事件が起こってもそれを聞いた大勢の人が考えるのは、犯人への嫌悪感か自分も巻き込まれまいとする保身だけだ。被害者への追悼の辞を述べる奴もいるが、所詮は他人事。身内の人にとっては上面な言葉にしか聞こえない。それが現実だ」


 俺は今朝のカップルやクラスの生徒、普段目にするネットの書き込みなどを思い出して言った。誰一人として、今世間を騒がせている連続殺人犯を見つけ出し、捕まえるといったようなコメントは見たり聞いたりしたことがない。

 面倒なことは警察が、他人が何とかしてくれるとしか思わない。自分で何とかしようとするのは無謀だと分かった上で批判するのが世の中の常だ。


「だからあなたもその他大勢と同じように、何もしないで見捨てるって言うの? それはただの卑怯者よ。特に速見君のように能力のある人はそれを世の為、人の為に活かすべきだわ。それが社会で生きるってことじゃないの?」


 彼女の言っていることは正しい。正論だろう。だがそれを実行に移せる人が世間にどれだけいるというのか。俺はそれを否定するかのように叫んだ。


「例え自分が誰かのためを思ってした事でも世間には当たり前の事としか思われない。それどころか自分のしたことのせいで周りから白い目で見られることだってあるんだよ!」


 彼女に対してではなく、自分に言い聞かせるように大声で言い放つ。俺は無意識にうつむきながら子供の頃を回想していた。


 数メートル先には出店に突っ込んで横たわっている柄が悪い男がいた。俺は息を整えると側にいる尻餅をついた同じ孤児院で暮らしている少女に手を差し出す。

 しかし、その手は振り払われ、その子は急いで立ち上がると俺の目の前から走り去った。唖然としていると、周囲の異様な光景に気づく。

 一緒に買い出しに来ていた他の孤児院の子どもたちや周りの大人達の視線が一斉にこちらに向けられていた。その目は冷たく蔑むような視線か、もしくは得体の知れない化け物にでも遭遇し恐怖しているかのような視線だった。


 俺は子供ながらに感じ取った。自分のしてしまったことの愚かさを。

 この能力は決して誰かを救うためのものじゃない。誰かを傷つけそして誰かに恐怖を植えつけてしまう異端のものなのだと。


 ふと頬に暖かくも滑らかな手が添えられ現実に引き戻される。今朝見た時と同じ柔らかな微笑みを浮かべた少女の顔が目の前にあった。


 突然の出来事に目を見開いてしまう。すると彼女は優しい声色で話した。


「大丈夫、誰もあなたを拒絶したりなんかしない。少なくとも私はそう。お願い、あなたの力が必要なの。手を貸してあげて」


 彼女の透き通るような目から真剣な思いが伝わってくる。その思いに気が引けそうになるが、俺は目を逸らして言った。


「無理だ。あの能力は俺には使えない」


 もう一度子供の頃の周囲の人々の目が思い出される。恐怖とは違う何か悲痛なものが心を抉っている気がした。


「そう……それならいいわ。後は、私が何とかするから」


 そう言うと彼女はアイフォを取り出し何処かへと電話をかけ始める。


「何とかするってどうするつもりだ?」


 さっきまで見えていたバイクの姿はもういない。普通に考えれば、警察に頼る以外方法は無いはずだ。


「本部に連絡を取るわ。そこで数分前の近辺にある防犯カメラの映像を調べて、現在の犯人の居場所を特定する」

「特定するって、そんなことできるのか? そもそも本部って何だよ?」


 防犯カメラは基本的に個人が映像を撮り、個別に監視されているものが多いはずだ。セキュリティ会社がまとめて管理しているものもあるが、そういうものの方が稀だろう。こいつがセキュリティ会社に勤めていたとしても、すべての映像を見て判断するのというは難しいはずだ。


「速見君には、もう関係ないわ。悪かったわね。朝から付き合わせて。でもあなたの望み通りもう会うこともないと思うから安心して」


 それだけ伝えると足早に立ち去ろうとする。


(何だよ、それ……いや、そうかよ。それならそれでいい)


 散々振り回され、その上での急な冷めた対応に怒りをぶつけたい衝動に駆られたが、もう関わるつもりのなかった俺は誤解を解くため学校まで踵を返そうとした。

 しかし、視界に泣き崩れた先程の女性が映る。それと同時に先程の記憶よりも更に前、俺が探し求めている人と過ごした日々の記憶を思い出した。


 その人は、腰まで伸びた艶やかな黒髪がとても印象的だった。雑誌モデルのように整った体型をしており、その後ろ髪は一つにまとめられ、ポニーテールにしている事が多く、一緒に過ごす中でたくさんのことや俺の持っている能力のことについて教えてくれた。


 子供だった俺はその人を見上げるが、その顔をあまり良く覚えてはいない。だがその落ち着いた雰囲気に包まれ、優しい声を聞きながら頭を撫でられるのが好きだった。


 続いてその人が俺の前からいなくなる前日、言われたことを思い出す。


「アルト、よく聞いて? あなたのその能力が必要になる時がいつか必ず来る。でもただ能力を使うだけでは、暴力と変わらない。だからあなたにとっての大切なものを守るために使いなさい」

「大切なものって?」

「うーん、そうねぇ。人によってそれは異なるから断言するのは難しいかな。でも例え大切なもののために能力を使う時でも、人に誇れる行動を取りなさい」


 当時の俺には、いや現在も正直大切なものなんて分からなかった。自分にとって何が価値のあるものなのか、未だに見つけられていない。

 その後、あんな出来事があって余計に分からなくなると、俺は極力この能力を使うことを避けて忘れるようにしていた。


(けど、それでも俺は……)


 あの人の言葉を胸に刻み、追憶に耽るのをやめて振り返ると、去り際の彼女の背中に向けて声をかけた。


「待てよ。俺がやる」


 短くそう告げると、彼女は振り返り、小さく微笑みながら言った。


「あの能力は使わないって言わなかった?」

「気が変わった。もう少しあんたに付き合うのも悪くない」


 そう答えると、彼女はもう一度軽く微笑んだ後、すぐに真剣な顔をして話した。


「なら作戦があるの。聞いてもらえる?」


 そう言いながら彼女はポケットから何かを取り出すと俺に手渡した。

 イヤホン一体型の音楽プレイヤーに似ていたが、彼女曰く最新式の無線機だそうだ。その小型の無線機を片耳に着け、周波数を指定されたものに合わせると明瞭な発音でありながら、明るい性格を感じさせる女性の声が聞こえてきた。


「初めまして、速見さん。オペレーターの初音はつね絵美えみと申します。お気軽にエミって呼んで下さい」

「あぁ、よろしく」


 初めて話す姿が見えない相手との距離感に若干戸惑いつつ、挨拶を交わすと目の前にいる彼女の声が無線からも聞こえた。どうやら彼女も同じ無線機をいつの間にか取り付けたようだ。


「挨拶は、そこまでにして。作戦を伝えるわ。初音さんは犯人の居場所を特定しながら速見君をその位置まで誘導して」

「了解しました!」


 エミと名乗るオペレーターの活発な返事が無線を通して聞こえた。その返事を聞いた後、目の前にいる彼女が話し続ける。


「私は後から追いかけるけど、先に要件を済ましてからにするわ」

「要件って何だよ?」

「事後処理って奴よ。もし速見くんの能力をたくさんの人に見られてもパニックにならないようにね」


 そうは言われたが、今朝からのこいつの態度と過去の記憶を遡ると不安でしかなかった。


「本当に大丈夫なのか?」

「当然でしょう? 速見君は犯人を捕まえることだけを考えて」


 そう言われては信じるしか無いので一度深呼吸をすると、オペレーターのエミに話しかける。


「初音さんって言ったか? 案内を頼む」

「はい、お任せ下さい! あっ、だからエミでいいですよ?」


 念を押すように言われ、そう呼ばなければ失礼な気がしたので、名前で呼ぶことにした。


「わかった。俺もアルトでいい。それじゃ始めるぞ」


 俺は目の前にいる彼女に背を向けると、意識を集中させて子供の頃と同じ感覚を思い出し小道を一気に駆け抜けた。

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