第2話
2037年4月1日午前8時頃、いつもの通り隣の区にある
繁華街が盛んで有名なこの街は、昼は子供を連れた主婦の買い物やカップルのデートスポッ
トとして利用され、夜になると会社帰りのサラリーマンなどの大人たちが酒飲み場として利用
するため、昼夜問わず活気が溢れている。
駅前からそのまま区内の公立高校へ向かうため、人混みを擦り抜けながら歩き出した。
(毎日騒がしいな、ここは)
少しでも雑音を避けようと学生服のポケットから音楽プレイヤーを取り出し、お気に入りの
曲を再生して片耳にイヤホンを着ける。聞き慣れた軽快なリズムが流れ思わず口ずさみそうに
なるが、周囲の目を気にして気持ちを抑えた。
交差点で信号が青になるのを待ちながら曲がサビに入り、これから盛り上がるという場面で
ガラス張りの建物に設置された駅前からでも見通せる超大型テレビに速報が入る。
大音量で聞こえてくるため、普段なら通学時間の音楽鑑賞を邪魔され少し憂鬱になりながらも聞き流そうとするが、今朝のニュースはいつものそれとは違い聞き入ってしまった。
「昨晩、SABUYA区内の廃墟ビルで男性の遺体が発見され······」
映像とともに女性アナウンサーの声が流れる。テレビの画面に目を向けると案外ここから近い場所だということ、警察は殺人事件として捜査しており犯人の特定には至っていないことがわかった。
「ええ、やだ怖い」
「大丈夫、もし何かあっても君のことは俺が守るよ」
「もう
同じテレビ画面を見ていた隣にいる大学生くらいのカップルがそんな会話をしながらいちゃ
ついている。 聞いているこっちが気恥ずかしくなる中、ちょうど信号の色が変わったので足早
に横断歩道を渡った。
(本当に大丈夫なら、あんたがいればこの街の安全は保証されたのも同然だな)
実際に殺人鬼を目の前にして冷静に動ける奴なんて居るのだろうか。日頃から対人用に訓練
をしている人でさえ、いきなりそのような状況に出会しても動ける人はごく僅かだと思う。似
たような経験を何度も積み重ねた人ならまだしも、ほとんどの人は恐怖で思うように体を動か
せない気がする。
そんなことを考えながら学校への道を歩行する。
太陽光に照らされ肩まで伸びた淡い朱色の髪は一本一本が光を反射し、清涼感が溢れる蜜柑
畑のように美しく輝きを放っている。その髪をまとめ上げ後頭部に軽く結ばれた少し大きめの
空色のリボンが、ラッピングされたクッキーの袋を結ぶような可愛らしいアクセントとなって
いた。
宝石を想起させる黄色の瞳は伏し目でもわかるくらい煌めき、肌は雪のように白く触れ
てはいけない神秘的なもののように思える。
ほっそりとした鼻や柔らかそうな唇、首筋から胸元を含めた華奢な腕やスカートとニーソックスの間から見える太ももが和ノ国の女性特有の色気を感じさせた。
一瞬本当に存在しているのか目を疑ったが、通行人が彼女に憧れの眼差しを向けたり思わず二度見をしたりするので実在しているのだと実感する。
当の本人は小型の携帯情報端末アイフォロイド(通称アイフォ)を操作しており、周囲の目など気にも留めない様子だ。
悪いとは思いつつも横目で彼女を見ながらその前を通り過ぎようとすると、不意に顔をあげその透き通るような目と視線があった。悪戯が発覚した時のような焦燥感を覚えすぐに目を逸らすが、意外にも彼女の方から声をかけてきた。
「ねえ、君」
突然の出来事に足が止まる。周囲を見渡し自分が話しかけられたことを再認識して念のため人差し指を自分の方に向けると、天使のような微笑みで軽く頷き返された。
凝視していたことを怒られるのかと思ったが、怒っている様子ではないので少し安堵しながら言葉を返す。
「えっと、何?」
ついそっけない返事をしてしまう。昔から口下手で家族以外の人と話すのが苦手だった。学校のクラスでもよく話す友達はいない。
偶に話しかけてくる物好きな連中もいたが、面白みのないやつだとわかると自然と周りから消えていった。ましてや、こんな赤の他人の美少女に話しかけられたことなどないわけで、対応に困ってしまう。
するとこっちの事情を汲み取ったのかは分からないが、微笑みを浮かべたまま話しだした。
「君は、超能力って信じる?」
「……は?」
無意識に素っ頓狂な声を上げてしまう。初対面の相手にいきなりこんなことを聞く奴を初めて見た驚きと、小学生か良くて中学生なら聞いても許されるぐらいの質問に呆れてしまったためだ。
高校生またはそれより年上の大人が相手ならその手の質問には真面目に答えるのも馬鹿らしく、質問した自分が変に思われるとは考えないのだろうか。
「えっと、悪い今なんて?」
いきなりの出来事に驚いて自分が聞き間違いをしたのかもしれないので音楽プレイヤーを止めて聞き返す。もしさっきの質問を本気でしていたのだとしたら会話の流れを一度元に戻してやり直しをさせようと気遣ったつもりだったが……。
「だから超能力よ。人によってはサイキックだとかテレポーテーションだとか魔法だとか、色々
な表現がなされているものよ」
こっちの気遣いは一瞬にして無にされた。それと同時にある結論が頭に浮ぶ。
「はぁ、悪いが宗教の勧誘なら他でやってくれ」
「えっ、ちょっと待って。違うわよ!」
背中の方から聞こえる声を無視してその場から逃げ去り、暫くして追いかけてこないことを
確認するともう一度音楽プレイヤーを再生して引き続き学校へと向かう。
そもそも最初から気づくべきだった。クラスでも目立たず家族以外の女性と日常会話もしな
い口下手な奴がいきなり得体の知れない美少女に話かけられたのだとしたら、自分が落し物を
していたとかでなければ、それは何か相手の都合のいいことに利用される時以外ありえないと。
今朝の少女のおかげでいつもより早く学校に着いた。クラス替えの発表がありホームルーム
の後始業式を終えたが、普段仲のいい奴がいない俺にとってはどうでもよかった。
1限目の授業が終わり休み時間に入る。自分の席で普段通り文庫本を読んでいると、教卓に近い席で男女のグループが雑談しているのが聞こえた。
「今朝のニュース見た?」
「あぁ、殺人事件のだろ? マジで怖いよな?」
「何ビビってるんだよ! 愉快犯ならともかく、どうせ犯人の恨みを買った奴が殺されているだけだろ?」
「でもまだ特定されてないし、この前と同じ犯人かもでしょ? もし自分が襲われたらって思うとやっぱり怖いよ」
今朝のニュースでは昨日亡くなった男性のことしか取り上げられていなかったが、ここ最近
確かに殺人事件の報道が増えているようだった。しかもすべての事件に共通して犯人についての詳しい情報はない。
すると、同じように話を聞いていた別の男子生徒が話しだした。
「俺の親父さ、警視庁で働いているんだけど、変な噂聞いたらしんだ」
「ちょっと、怖い話しならやめてよ?」
女子生徒が会話を止めようとしたが、そいつは構わずに続けた。
「いや、何ていうの? 全部の遺体が刺傷だけじゃなくて、同時に感電もしているらしい。電気が使えないところとかでもそうなっていたから妙なんだと」
「スタンガンでも持ち歩いていたとか?」
「いや遺体の焦げ跡がスタンガンのそれと違って大分激しいらしい。それに刺し殺して終わればいいものをわざわざ刺した後に感電死させているところが変なんだって」
話半分に聞いていたが、確かに妙だ。本で齧ったことだが、犯罪を犯せば犯すほど痕跡が残りやすく、通常捕まるリスクは高まる。
大型の仕掛けを用意して完全犯罪を目論んだ場合は、大抵は準備期間を長くして計画を念入りに練ることが多いらしい。しかし、この犯人は刺殺という単純な方法を用いた上で何人も短期間に殺害しているようだった。
「確実に殺したかったとかだろ?」
思考を巡らせていたが、男子生徒の声で遮断された。詳しい情報が気になり、思わず会話の続きに聞き耳を立ててしまう。
「それがその……ここだけの秘密だけどさ、警察内部で超能力者の仕業じゃないかって疑っているらしい」
「はい、ダウト。エイプリルフールだからってそんなくだらない話ないわ」
そういえば、そうだった。普段一人暮らしをしていて、一緒にイベントを過ごす相手もいないとこういう何かの記念日は忘れそうになる。
「いや、マジな話だって。世間に知られていないだけでそういう奴らが存在しているらしいよ」
「まぁでも超能力とか使えたら便利じゃない?」
「あー、わかる色々と試したいよね」
「でも今の話が本当なら今回みたいな犯罪が増えそう」
「
今朝のこともあってか普段はクラスの連中の雑談など気にしないが、超能力という言葉に反応してしまう。同時に今朝の少女の笑顔を思い出したが、急いで頭から振り払った。それから程無くして始業を知らせるチャイムが鳴ったので、クラスメイト全員がそれぞれの席に座った。
学校での授業も終わり、帰りのホームルームを済ませて帰宅準備を始める。今日は何故かあの少女の顔が何度もちらついて授業に集中できなかった。気持ちが晴れなかったが、今朝のことはさっさと忘れてしまおうと週末の日雇いのアルバイトのことを考え、アイフォを起動させインターネットで検索する。
下駄箱で上履きを脱ぎ、スニーカーに履き替えながら片手でアイフォを操作して校門へと向かうと、いつもはそこにないはずの人溜まりができていた。女子生徒も何人かは見られるが、ほぼ男子生徒の集まりで上級生や下級生だと思われる連中もいれば、同級生やクラスメイトの顔見知りの連中もいる。
何かと思って様子を見ながら輪の中心にいる人物を覗くと、今朝の少女が困惑した表情でそこに立っていた。
「君可愛いね。彼氏いるの?」
「よかったら俺と今から遊びに行かない?」
「あっ、抜け駆けはずるいぞ!」
「あのー、ええっと……」
普段、女子生徒から黄色い声援を送られる顔立ちのいい男や体格や頭脳に自身のある男共が次々と少女に声をかける。しかし、話しかけられた本人は苦笑いを浮かべ対応に困っているようだった。
今朝から学生服を着ていなかったことやこれだけ人気がありながら今まで噂にもなっていな
かったことを考えると、おそらくうちの生徒ではない彼女がこの学校にいることに驚きはしたが、せっかく忘れかけていた今朝の出来事を思い出してしまい、少しげんなりしてしまう。
すぐにその場から離れようとした時、あろうことかその少女がこちらの姿を見つけるやいな
や人留まりの中をすり抜けて腕をからめてきた。
「あっ、遅いじゃないですかぁ。ずっと待っていたんですよぉ」
そんな風にわざとらしく大声で喋りながら此れ見よがしに体を密着させてくる。周囲の目が一斉にこちらを向き、一瞬にして羨望の的となり殺意が空気中を漂っていくのを感じた。
「なつ、ちょっ、おまっ」
突然の出来事に戸惑いを隠せず、自分でも何を言っているのか分からなくなる。押し付けられた大き過ぎず小さくもない、ほどよい大きさの胸の感触が女の子特有の体の柔らかさを感じさせ頭の中が混乱する。
訳も分からず慌てふためいていると彼女は続けざまに言い放った。
「あれえ、ひょっとしての私こと忘れちゃいましたぁ? えぇ、ひどい! 私はずっとあなたに会いたくて待っていたのにぃ」
立て続けにこのようなことを言われ周囲の目が一層厳しくなる。一瞬にして過去にこの女を誑かし、その上捨てて逃げた最低な男が出来上がる。
「そこのお前、 この美しい女性を傷つけるとはどういうつもりだ?」
上級生とおもわれる男子生徒が声を荒げた。似たような批判が嵐のように畳み掛けられ、少女に謝罪を求める声もあがる。さすがに居た堪れなくなったため、何とか平常心を取り戻して腕を引っ張りながら彼女にだけ聞こえるように囁いた。
「ちょっとついて来い」
強引に引き寄せられ一瞬驚いたようだが、すぐに取り繕いで校門前に取り残されたざわつく生徒たちに片手を振って愛嬌を振り撒いている。
「皆さん、ごきげんよう」
去り際には悠長にもそんなことを宣わっていた。
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