第14話

「貴殿は魔法を扱う相手と戦ったことはあるか?」


 昨日と同じように手合わせをしているとフローラがそう訊ねてきた。少し、考え込み僕は、


「一度だけかな。でも、あれは戦ったとは言えないかも。凄そうな火の魔法をエクスに防いでもらっただけだし……」

 

 そこまで言って自身の左腕を見下ろす。


「あのとき俺様が魔法を無効化しなければトンは今頃は丸焦げ。豚の丸焼きの完成ってな、ブハハハハハハ!」


 ぐっ、こいつはいつも一言余計なんだよ! だけど、エクスの言う通りあの時は冗談ぬきで死ぬかと思った。


「ふむ、なら問題はないか。魔法を扱う相手にどう戦うのか、防ぐ手段があるのか気になっていたのだ」

「いいや、大アリだ。俺様の魔法無効化はそんな何度も出来るようなものじゃねぇ。一戦闘に一回と使えればいいと思え」


 それを聞いて僕はえっ!?と驚く。

 コラコラコラ、初耳なんだけど! そんな大事なことは始めから言えよ。もし、魔物との戦闘中だったと考えたら怖いって。

 うーん、実は結構期待してたんだけど。くそっ、なんかすっごく損した気分。というか僕ロザリー婆さんに騙された?


「マジか……それってかなりヤバいよね」


 コクリと頷くフローラは難しい顔で言う。


「ああ、第十階層までは魔法を扱う魔物はいない。そこは安心していいが、問題は第十一階層へ通じる階段を守るボスだ。遠距離から中級魔法を使ってくる上に、スケルトンを召喚してくる。正直、今のトンは厳しいだろう」

「今の第十階層のボスは何だ?」

「リッチだな。手下にスケルトンナイトとスケルトン。ちなみにスケルトンはリッチの魔力が続く限り無限に召喚してくるぞ」

「ハッ、ムリゲー過ぎて笑いしかでねぇぜ。ドンマイ」

「少なくとも死線を二度は乗り越えなければ駄目だろうな」

「あ? 随分とトンの評価が高ぇんだな。その根拠はどこにあんだよ」

「お前の魔法無効化を加味しての評価だ。ただそれは使いどころを間違いなければの話だが」

「それでもトンには無理だろ。こいつは戦いの素人だぞ。高度な状況判断なんざ出来るはずがねぇ」

「ふむ、無理か……お前がサポートしてやればどうだ?」

「あー、いやしかし――万全に準備すればギリギリ行けるか?」


 ふたりのやり取りをぼんやりと呆けながら聞く僕。

 いや~重要なことを話し合っているのは分かってるけど、こういうときってつい、僕は関係ないですよ、みたいな感じで装っちゃうんだよね。それでよく母親に怒られてた記憶があるもん。

 そりゃあ悪いとは思うよ。でも、僕が足りない頭を使うよりはエクスとフローラが考えて答えを出した方が断然良いから絶対。ま、昔と違うところは話を全く聞いてますフリをしてることかな。


「――リッチの魔法なら私も使える。加減はしてやるから受けてみろ」

「へぁ!?」


 前触れのない突然のサンドバック宣言に僕は思わず変な声を出してしまった。加減するとはいえフローラの魔法を受けるとか下手したら死ぬんじゃないかなと、内心冷や汗でダラダラである。


「……うぅ、わ、分かったよ。こんなこと言うのは申し訳ないんだけど大丈夫? 僕、豚の丸焼きにならない?」

「むっ、心外だな。私の専門は剣と弓だが魔法もそこらの魔法使いなら負けない腕を持っていると自負している。フフフ、安心しろ。程よくこんがりと焼いてやる」


 ちょっと怒ってる? いや、たぶん面白がってるだけだなこれ。ロープで鞭みたいに殴られたときも思ったけどフローラってSの気があるよね。変なことをやらかしたらお仕置きとか言って酷いことをされそう。

 

「ミリアは離れたところで応援してるね。頑張ってお兄ちゃん!」


 巻き添えにならない位置で手を振りながら笑うミリア。僕は苦笑いでそれに答える。

 

「では、準備はいいな? 【ファイヤーストーム】」

「えっ? ちょまっ、危ない!! ブヒィィィィィィィィィィィィ!!」


 こちらの返事もお構いなしに魔法を放つフローラに、僕は一瞬死を覚悟した。六芒星の複雑な魔法陣が真下の地面に現れたとき本能がヤバいと察知してなりふり構わず横っ飛びで避けた。

 

「ふむ、これぐらいは避けるか。なら遠慮はいらないな」

「何がっ!? いや、お願いだから待って!」

「【ウインドスラッシュ】【ウォーターカッター】【サンドウォール】【ライトニングブラスト】【フリーズランサー】」

「ピャーーーー! あっぶな! ヒィ! うわっ! ぬぅぅぅぅ! ファッ!?」


 切り裂く無数の風が、岩すら両断する水の刃が、逃げ場を塞ぐ分厚い砂の壁が、指向性の破壊の雷が、いくつもの氷の槍が僕を目掛けて降り注ぐ。


「何だ結構やるじゃないか。これなら多少は本気を出しても問題はないだろう。――天上の火、終末の炎、我は願うこの……」


 フローラが明らかにヤバそうな魔法の詠唱を始めた。無詠唱で魔法を発動したのも驚いたけど、地面を揺らし空気がビリビリするぐらいの魔力が全身から迸るのを見て、僕は全力で制止する。


「お願いです。それ以上は洒落にならないのでやめてもらえますでしょうか。僕、豚の丸焼きどころかこの世に肉片一つすらなくなりそうな気がするんですけど!?」

「ブハハハハッ! たかがオーク一匹ぶち殺すのに使う魔法じゃねぇだろ。いいぜ許す。それでトンをやれ」


 ――この野郎っ、勝手に許すんじゃねぇよっ!!


 心の中でエクスを罵倒する僕。魔法の発動を解除するフローラ。迸る魔力が霧散する。


「フフフ、冗談だ。そう慌てるな」


 絶対に面白がってわざと発動する真似をしたよね。フローラってハイエルフだからお堅いイメージがあったけど、案外お茶目なのかも。ううん、それよりも魔法だ。

 僕の魔法しかり普通は呪文を詠唱して発動するものだと思ってた。でも、フローラは無詠唱でバンバン魔法を放っていた。うーん、もしかしてこれが普通? もしそうだったら魔法使い強すぎない?


「いやいやいや、冗談じゃすまないってもう。それとその前の魔法とか呪文を唱えてなかったけどあれって……」

「ん? ああ、あれは気にするな。私はスキル【詠唱破棄】のおかげで魔法を発動するのに呪文を必要としないのだ」

「ええ……それってチートじゃん。何かズルい気がする」


 それって本来なら時間が必要な強力な魔法もノータイムで使えるってことでしょ。遠距離からの攻撃手段が無かったら相手は勝てっこないじゃんか。


「む、ズルいものか。これも実力のうちだろう。――それと覚えておくがいい。いかに実力差があろうとスキルの一つで全てを覆す可能性があることを」

「ふーん、そうなんだ。でも、あまり想像つかないけどな。さすがに僕とフローラぐらいの実力差があればひっくり返すことは不可能だと思うけど……」

「お前のスキルはショボいからな。悪食と物理耐性(小)、毒耐性(小)、麻痺耐性(小)だったか。もう少しマシなスキルでも覚えてくれたならボス戦も楽なんだが……無理か、ブハハハハッ!」


 ぐっ、いちいちうるせぇなこいつは。これで悪食が無くて他のも覚えてなかったら僕スキルの保有数ゼロだったんだよね。マジで自分の才能のなさに嘆くレベルで酷い。あー、チート系異世界転生主人公になりたかったな。


「まぁ、悪くないとは思うぞ。耐性系は進化すればこの先絶対に役に立つ。根気よく気長に待つしかないさ」


 そうかな。その前に死なないといいけど。大抵は呆気なく野垂れ死ぬんだと思うから。


「例えばスキルってどんなのがあるの?」

「そうだな……有名どころで言えば私の【詠唱破棄】やこの世にあるもの全てを切り裂く【万物切断】、目に見えないほどの神がかり的な速さを手に入れる【神速】、貴殿のスキルの完全上位互換の【状態異常無効化】などか。分かっていると思うがこれらはかなりのレアスキルだ。私は自分以外に【詠唱破棄】を持っている人間は知らないし、他のスキルも所有している人間に出会ったことがない」

「やっぱりフローラって凄いんだね。魔力の問題はあるかもしれないけど実質ほぼ無敵な気がするし、近距離の攻撃手段しかないとか同じ魔法使い相手ならまず負けないでしょ?」

「ああ、もしも遅れを取るとしたら自分よりも魔法の練度が高い奴ぐらいだろう」


 フローラよりも魔法の練度が高い人物か……ロザリー婆さんとどっちが凄いんだろ。年季の問題でさすがに婆さんかな? あっ、そういえばハイエルフだったんだっけフローラは。当然見た目通りの年齢じゃないというわけで実際はすっごい歳が上の場合があるのか。

 僕はチラリとフローラの頭から足先までを見る。うん、完璧な美女だ。喋らなくて意思がなければ精巧な人形と言われても信じちゃうぐらい。


「貴殿、今何を考えた?」

「は、ははは、何も考えてないよ」


 ジロリと睨みつけ剣の柄に手を添えるフローラに、僕は愛想笑いで誤魔化すしかなかった。


「フン、まぁいい」


 焦り挙動のおかしい僕の様子にフローラはため息を付きながら腕を組む。歩み寄って来たミリアが薄っすらと笑みを浮かべこちらを見上げる。


「ミリア、お兄ちゃんの魔法を見たいな!」

「えっ、僕の?」


 うーん、別に構わないんだけどあの魔法はな……フローラの後だと派手さがないからショボいんだよね。――あれ? 僕、魔法が使えるってミリアに言ったっけ? 


「ほう、私も興味があるな。一体どんな魔法だ?」

「えー、まぁ、うん、それは僕でも分からないっていうか、そのときじゃないとちょっと……ね」

「何だそれは自分の魔法なんだろう? 発動する効果も分からないのか?」

「それは……どう答えたらいいか」


 僕の魔法――運命の選択(ジャッジ・オブ・フェイト)は、発動するまで何が起こるのか分からない一風変わった魔法だ。特徴として発動者自身に生命の危機に陥ったとき無条件で良い方向に働くという利点があるけど、それ以外のときに使用すると……。


「何でもいいから魔法を発動してみてくれ」

「分かった! けど、後で文句を言わないでよ!」

 

 う、うぅ、あーもういいや、どうにでもなれ! 魔法を発動しろって言ったのはフローラだから。僕はもう知らない。責任は取らないからね。

  

「念のため少し離れておこう、ミリア」


 一定の距離を取り見守るフローラとミリア。緊張で手に汗が浮かんできたのを自覚しつつ、ゴクリと喉を鳴らし僕は魔法を発動するための呪文を唱える。


「フー、行くよ。――やってみなきゃ分からない。どうなるかは貴方次第。栄光か没落か。生か死か。さぁどっち?【運命の選択(ジャッジオアフェイト)】」 


 …………間違いなく僕の魔法は発動した。でも、何も起こらない。身構えていた僕もフローラも十秒ほど時間が経過した辺りで警戒を解き、お互い微妙な顔をしながら苦笑する。


「何も起こらないね。魔法は発動したはずなんだけどな」

「ああ、確かに貴殿は魔法を使い、私も魔力の消費も視認した。となると、魔法の発動条件を満たさなかった場合があるかもしれない。どうやら貴殿の魔法は通常の魔法とは別の固有魔法のようだからな」

「固有魔法?」


 初めて聞く言葉に僕は首を傾げながらフローラの方へ近づこうとする。すると、なんか妙な違和感を感じる。


「何だ?」


 見ればフローラも同じ感覚に陥っているらしく、怪訝な顔で自身の身体を見返していた。


 何かに引き寄せられている?


「「うわっ!?」「きゃっ」」


 まるで磁石のS極とN極が惹かれ合うように、目に見えない引力が僕とフローラを引き寄せ衝突した。体重差の関係からか地面に押し倒す形で僕はフローラの上に乗る。


「イテテテ、――ん? 何かすっごい柔らかいマシュマロみたいな感触が……」


 優しい花の香りがする。あと両手に最近似たような感触のものを触ったような気がするんだけど何だっけ?

 

「フ、フフ、フフフ、貴殿……これは一体何のつもりだ?」

「へっ?」


 頭上から声が聞こえてきたのでそちらの方を見上げると、頬をヒクヒクと痙攣させ激怒しているフローラの綺麗な顔があった。


 あー、となるとこの顔面と手の平に触れている柔らかな感触というのは、フローラの豊かなおっぱい? そう理解したらあまりの幸運についニヤけてしまう。そして、今僕は重大な危機に瀕していることに気づき、慌てて離れようとして力を込めてしまった。


 ――むにゅ、むにゅ、むにゅう。


「貴様っ! 本性を現したなオーク! 最初からそのつもりで私を……」

「わーーーー! 違う違う違う! 今のはミスって――あれ? 身体が離れないっ!?」


 どれだけ頑張っても一ミリも離れることが出来なかった。それはフローラも同様のようで僕を突き放そうと必死に身体を動かしている。そんなパニック状態の僕らをエクスは「ブハハハハハッ!」と笑い声を上げて楽しんでいた。


「くっ、これはどういうことだ! 私の力を持ってしても突き飛ばせないだと!?」

「ど、ど、どうすればいいの! 言っておくけど僕はそんなつもりで魔法を使ったんじゃないからね!? あとエクスは笑うな!」 

「うるせぇ、これが笑わないでいられるかっての」

「このような恥辱を一度だけではなく二度までも――っ!」

「良かったな、トン。女の乳を揉み放題だぜ」

「それはそうだけど……ハッ、いやいやいや駄目だよこんなことは。ごめんっ、フローラ!!」

「――んっ、いいから貴殿は何もするな! 動くんじゃない!」


 状況はもう混沌(カオス)の一言だった。僕とフローラはもみくちゃになって上になったり下になったりと、傍から見れば美女がオークに襲われてると勘違いすると思う。


「あー面白れぇ。おそらくトンの魔法でお前たちの身体は磁力を帯びてるのと同じ状態になってるんだろうな。だから魔法の効力が切れるまでそのままだぜ、ブハハハハッ!」

「そのような魔法ならそうと何故言わない!」

「そんなこと言われてもどんな効果は発動するまで僕だって分かんないんだよっ!」

「お兄ちゃんとフローラ何だか二人とも楽しそうだね」


 叫びながら抱き合う僕らをミリアは笑って眺めている。


「楽しくないっ! くそっ、この離れろ! ミリア、魔法でどうにか出来ないか?」

「んーたぶん無理だと思う。これ毒とか麻痺とか呪いとかの状態異常の類じゃないから、ごめんねフローラ」

  

 そう告げられ、フローラは絶望の表情を浮かべた後、僕の方を見下ろし一言「殺してやる」とボソっと呟いたのを聞こえた。


「ブ、ブヒィ、そんな……」


 これたぶん本気で言ってる。色々な感情がごちゃ混ぜになってわけが分かんなくなってるよ絶対。まだ魔法が続いているついにどうにかして説得しないと。いや、まずは正気に戻すところからするべきかな。


「あっ……」


 と思ってたら魔法の効力が切れたのが分かった。ほぼ同じタイミングで僕はフローラに足で突き飛ばされ、無様に地面をゴロゴロと転がっていく。お腹を押さえながら立ち上がると、背筋がゾワっとする気配を感じ、そちらを振り向いたら右手を前に突き出すフローラの姿があった。


「死ね。消滅しろ。この世にひとかけらすら残さず消え失せるがいい【○○○○】」


 もはやどんな魔法なのかも分からない破滅的な力を持ったエネルギーの一撃。触れただけでも塵となって消えてしまいそうだ。というか間違いなく死ぬ。そんなのを躊躇なく放ってくるあたりフローラは冷静さを失っていると言える。


「うわーーーーーーーーーーー!」


 オークとしてかそれとも人間としての本能がそうさせたのか、僕は咄嗟に左腕を前に出した。結果だけを先に言うと僕は無事生きている。エクスが魔法を吸収し無効化してくれたおかげで傷一つない。


「お兄ちゃん大丈夫!? ――っもう、やりすぎだよフローラっ!」


 ミリアの批難する叫び声にフローラはようやく正気に戻ったのか、申し訳なさそうな顔で両目を伏せる。


「す、すまない」

「う、うん、僕も悪かったし気にしてないから、ははは……」


 微妙な空気が流れる。気まずくて互いに目を合わせられない状況が続き、ただ時間だけが経過していった。別に僕は怒ってるわけじゃない。下手をすれば死んでいたかもしれないという恐怖と世の男性が羨む天国のような体験をしたことによる喜びで、感情を上手く制御できないでいるだけだ。

 例えるなら遊園地のジェットコースターに乗った後の地面に立っているときみたいな感じ。ふわふわと身体が浮いているような気がして気持ち良いのか悪いのかどっちなんだろうか。

 

「「…………」」


 次に口を開いたのは僕でもフローラでもなく、呆れた口調のエクスと暖かく見守るような眼差しで微笑むミリアだった。

 

「恐ろしい女だぜ。よりにもよって無属性の中でも一番ヤバい魔法を放つとはな。俺様じゃなかったら文字通りトンは消滅していたところだぞ」

「よかった、お兄ちゃんが無事で。ミリア、ちょっとドキドキしてたんだ」


 まさに九死に一生を得ていたみたい僕。でも、フローラを怒れないな。おもいっきり顔を胸に埋めて揉んでいたわけだし、無事だったわけだから役得だと考えられるもん。ただ、問題があるとしたら気まずいことかな。どんな顔をしてフローラを見たらいいか分かんないよ。


「――ゴホン。その、何だ……これで戦い方の手ほどきは終わりだ。私たちはもう帰る。貴殿が第十階層のボスを倒しこの迷宮を進んでいけばまた会えるだろう。武運を祈ってるぞ。さらばだ」


 涙目で頬を赤く染めながら凄い早口で喋るフローラは、腰のポーチに入れていた何かを手に取り空中へ投げる。そして、「老婆よ、私たちは元居た場所へ戻してほしい!」と叫ぶ。すると、ロザリー婆さん帰ったときのと同じ白い渦のようなものが出現した。

 あまりに突然だけど僕たちの別れとしてはこの方がいいのかもしれない。フローラの言葉通りなら迷宮を進んでいけばまた会えるんだろうからね。


「お兄ちゃんと一緒に遊べて楽しかった! 次会うときはミリアの宝物を見せてあげるから!」


 満面の笑みで見上げるミリアに僕は凄く嬉しい気持ちになる。ある日突然オークに転生して魔物たちと戦いながら難攻不落の迷宮を攻略しなければならない、って言われて少し鬱屈した感情を抱いていたんだ。でも、それが楽になった。おろしたての新品の下着を履いたときのように気分が良いや。。


「うん、僕も楽しみにしてる」


 若干の寂しさを覚えつつも二人に手を振る。白い渦の前でフローラとミリアがこちらを振り返り、「生きろよ、死んだらミリアが悲しむ」「お兄ちゃんなら大丈夫」と言ってくれた。これでお別れかと思っていたら何かを思い出したのか、ミリアが僕の傍まで戻って来て、不思議な色をした石が付いたネックレス差し出してきた。


「ミリア、これは?」

「最初に治療したときお兄ちゃんの手から零れ落ちたものだよ。起きたら渡そうと思ってたけど今まで忘れちゃってた、テヘ」

 

 あっ、可愛い。僕、ミリアのことなら何でも許しちゃう自信がある。


「あれ? でも、これ僕のじゃないよ」


 いつ手に入れたんだろう? 少なくともあの処刑人にやられる前までは持っていなかったはず。となると、考えられる可能性としてはロザリー婆さんの持ち物? 

 ヤバイ! ヤバいヤバイヤバイヤバイよ。僕、ロザリー婆さんの持ち物を盗んじゃったってことだよね。こ、殺される! 少なくても死ぬ。豚の丸焼きエンドで僕の人生が完結しちゃう。でも、意識は無かったことだし謝ったら許してくれるよ……たぶん。


「ううん、これはお兄ちゃんのだから大事に持っていてね。失くしちゃ駄目だよ」

「えっ? う、うん、分かった」


 僕はネックレスを首にかけて衣服の内側に入れる。ミリアが僕のだと言ってたんだから大丈夫でしょ。うん問題なし。


「じゃあね、お兄ちゃん」

 

 身を翻して走っていくミリアは、フローラの手を握って最後にもう一度だけ僕の方を見て笑みを浮かべてくれた。そして、二人は白い渦の中へ入って行き、そこには何も無かったかのように全部消えてしまった。


「行っちゃったね、エクス。またお前と二人きりかよ」

「だな。俺様が可哀そうだぜ。こんなうんこくせぇオークと一緒とか死にたくなる」 


 こら誰がうんこ臭いだ馬鹿野郎。僕は昔からエチケットとかそういうのには気をつかってるんだぞ。


「さてと、これからどうしようか」


 残された僕はしばらくフローラとミリアが居た辺りを眺めていた。そして、息を吸い大きく吐いてから脂肪の詰まった両頬を叩き気合をいれ、「さぁ、がんばろう」と呟き背を向けた。

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