第8話
「ねぇ、エクス。もう疲れた。一旦休憩しない?」
死んだような目で僕はエクスに提案をする。しかし、エクスは即座にそれを却下した。
「お前さっきもそう言って休憩したばっかだろうが。あと少しなんだから我慢しやがれ」
呆れた口調でエクスが言う。僕はがっくしと頭を下げ魔物を槍で突き刺し倒すという作業を続けていく。
あれだけいた大量の魔物も残り数十匹を切っていた。
回収した魔石をバリバリと食べながら、エクスの言う通りだなと気合を入れ直し最後のスパートをかける。
「よし、頑張ろう! と、言いたいけど……まだ新しい進化先は発現してないんだよね」
「俺様もオークソルジャー辺りなら進化できると思ってたんだがな……はぁ」
頼むからため息はやめて。お前にそれをやられるとマジで落ち込む。
あれだけ倒したんだから進化先の一つや二つぐらい出てもいいんじゃないかと思うんだ僕。
スライム、ゴブリン、ハウンドがそれぞれ5匹ずつ。これ全部倒したらと出てこないかな。ま、さすがにそれはないか。
「ん? 今なんか地面が揺れたような……」
僕は手を止めて感覚を研ぎ澄ます。だが、気のせいだったのか何も感じなかった。
「あ? それは本当か?」
「いや、気のせいだったみたい。何か気になることでもあるのか、エクス?」
「あー思いだせねぇ。クソッ気持ちわりぃな。かなり重要なことを忘れてるような気がするぜ」
お前がそういうと怖いんだけど、本当に大丈夫?
「おいおいおい、しっかりしてくれよ。実はこの大穴にいる魔物を倒すのは駄目だったとか言わないよな?」
「それは大丈夫だろ……たぶん」
「たぶん!?」
「うるせぇ、俺様の懸念は別のことだ」
深刻そうに考え込むエクス。ま、いいや。とりあえず残りの魔物を倒しておこうかな。
僕は一気に片付けるべく力を込めて槍を真横に薙ぎ払う。
そして、エクスの「……あ、思い出した」という声と、僕が最後の魔物を倒したのはほぼ同時だった。
「えっ、今何か言った?」
「すまん。これは完全に俺様が悪い」
エクスの突然の謝罪に僕は驚き慌てる。
まさかこいつが自分の非を認めて謝罪をするとは思わなかったからだ。
僕が一体どういうことだと問い詰めようとしたとき、はっきりと知覚できるぐらい地面がグラッと揺れた。
「エクス、お前が悪いのは分かった。怒るかどうかは別として説明してもらっていい?」
そう言っている間も揺れが激しくなっていくのが見て分かった。
まるで何かがここに向かって壁を掘り進めているような。
僕のオークとしての本能が一刻も早くここから離れろと言っている。
「こいつの存在をすっかり忘れてたぜ。まだ活動してたとは驚きだ。誰だってド忘れすることはあるわな、ブハハハハ!」
――ドカンッ!!
大きな物音の方へ振り向くと壁を壊して現れる異形の怪物の姿があった。
骸骨が剥き出しの頭部、見事に鍛え抜かれた上半身に腕が六本、馬のような下半身にはファンタジー世界に不釣り合いな機械化が施されており、背中に大剣、槍、斧、弓と矢を、両腰には剣と刀を差してある。
ただならぬ雰囲気と禍々しいオーラを纏っており、見るからにアレはヤバいと分かる。
僕は全身に冷たい汗を流しながら一歩後ろへ下がった。
「笑って誤魔化そうとするなっ! アレは何だよ! ちゃんと説明しろって!!」
濃密な死の気配が襲ってくる。
僕は相手の一挙一動を見逃さないように凝視し、銀色の槍の穂先を怪物へと向け、いつでも逃げられるよう心構えをする。
だが、ここは大穴の中。逃げようにも周囲は壁に囲まれている。
壁は僕が全力でジャンプしても届かない高さで、乗り越えるにはよじ登るしかない。それをあの怪物が見逃すとは思えなかった。
ははは、もしかして僕……詰んだ?
間違いなく僕が出会った中で最強の存在。アリスたちとは比べるまでもないほどに強い。
そんな奴が明らかに僕を狙ってやってきた。
倒す……無理。逃げる……不可能。話し合う……とてもじゃないがまともに会話ができるとは思えない。
駄目だ。この状況を打開する策が思いつかないや。もう死んだフリとかしたら見逃してくれないかな?
「あれは処刑人だ。迷宮内を徘徊する最古の怪物。神々が作りし番人。敵対者には人間や魔物など関係なく殺す虐殺者(デストロイヤー)。お前にも分かりやすく教えてやるとレベル換算で90オーバーのバケモンだぜ」
ブヒィ!? 何でそんな奴が僕を狙ってこんなところに!?
「ち、ちょっ、ちょっと待って! あんな怪物に狙われる覚えなんてないけど! どういうことだよエクス!?」
僕は鬼の形相でエクスを見る。
心無しか腕輪の宝石が気まずそうに点滅しているような気がする。
こいつは絶対に原因が何か知っている。なんなら自分で悪いって言ってたし。
「あいつはここがまだ試練の迷宮と呼ばれた時代から生きている生物だ。元々は試練の一部として挑戦者から行き先を阻む門番のような存在だったんだが、ある時から迷宮内を徘徊するようになった」
「つまり迷宮内を徘徊していたらここに偶然来たと?」
「いや、あいつは門番以外にも別の一面があってな。それは迷宮内での決まり事を破った相手を処刑する役割だ。お前はその決まり事を破った。だからお前を処刑するためにやって来たというわけだな、ブハハハハ!」
「ふざけんなっ! 笑いごとじゃないからな!? その決まり事って何だよこらっ!」
「そりゃお前、ここにいる大量の魔物を倒しただろうが、それだよ」
は? 意味が分からない。何で魔物を倒したら迷宮の決まり事を破ったことになるんだ?
これまでたくさん魔物を倒してきたじゃないか。
それなのに何で今回でだけ駄目なんだよ。
一気に倒し過ぎたから? いやいやいや、確かに1000から数えるのを止めたぐらい多かったけども、さすがにそれはないと思う。
途中、エクスがこの先これ以上の数の魔物が襲ってくるのなんて普通にあるからな、って脅してきたし。
じゃあ何故今回だけ? あーもうっ訳が分からないよ。
「エクス、何でここにいた魔物を倒しただけで決まり事を破ったことになるんだよっ」
「ただ倒したからじゃねぇ。他者の魔法と超文明の機器によって動けなくした魔物を狩り、不当に存在値を得ていたからだろうな。これは元々は試練を受けに来ていた人間が一定期間以上同じ場所で魔物を倒し続けて経験値を稼ぐ奴が続出したことに神々が怒って与えた罰(ペナルティ)だったはず。お前は人間じゃなく魔物だが、あの処刑人は同じだと判別したみたいだな。ま、ドンマイ」
ドンマイじゃねーよっ!! そんな重要なことを忘れんな! マジでこいつポンコツじゃね? 本当に至宝と呼ばれるほどすごいマジックアイテムなのか? くそっ、今はそんなことよりもここからどうやって逃げ出すかだ。
僕じゃ何も思いつかない。癪だけどエクスに聞くしかないのか。
「言いたいことは山ほどあるけど今はこの状況をどう切り抜けるかだ。エクス、僕はどうすればいい?」
こちらをじっと眺めたまま動かない異形の怪物。
頭が骸骨のため表情が読めず何を考えているか全く分からなかった。
どうして動かないのだろうか? その気になれば僕なんて一撃で殺せるはずなのに。
まぁだからこうして呑気に訊ねることができているんだけど。
「チッ、仕方ねぇ協力してやる。ああそれと、まずこれだけは言っておく。絶対にこちらから攻撃をするな。反撃もなしだ。したらその時点で死ぬと思え」
「分かった。ちなみに理由は?」
「攻撃モードに移行するからだ。そうなったら最後今のお前じゃ攻撃の軌道すら見えずに一撃で死ぬ。奴が探索・徘徊モードであるうちに逃げる。それが唯一の生き残る道筋だ」
「ははは、それって言葉にすれば簡単そうに思えるけど実際はすっごい難易度だよね」
「ブハハハハハ! 分かってるじゃねぇか、トン。――っ今すぐ真横に跳べ! 死ぬぞっ!!」
返事をする前に僕は本能のまま身体を右へ横っ飛びした。
背後で何かが物凄い速さで通り過ぎたのを感じる。
ゴロゴロと地面を転がり体勢を整え振り向くと、異形の怪物が拳を突き出す形で止まっていた。
エクスの言う攻撃モードじゃないのにこの速さ……ゴクリっ。
「あ、危なかった。エクスが教えてくれなければ僕死んでたよ」
「これで分かったな? 少しでも気を抜けば死ぬ。こちらから攻撃しても死ぬ。分かったら死ぬ気で避けろ」
「ブヒィ~、そんなこと言って――も!?」
全身に衝撃が走り、そこで僕が吹っ飛ばされたのだと気づいた。
地面を数回バウンドし槍をブレーキ代わりにしてようやく止まった。
はっ、はっ、はっ、と荒い息が漏れる。
異形の怪物の攻撃を防げたのは運が良かっただけだ。
たまたまそこに槍の柄があったから僕は死ななかった。
「ここからは無駄口を叩くな」
「う、うん」
怪物が緩慢な動作で動き出した。そして、膝を曲げ腰を落とし身を屈める。
――ヤバイ、来るっ!
今度は何とか怪物の動きを目で追うことができた。だが、身体が反応できるかは別問題。ほぼ一瞬で目の前まで移動してきた怪物を僕の意識だけが捉え続ける。
動け動け動け動け動け、何やってるんだ僕の身体はっ! 動かないと死ぬぞ!
「――っあぶな!」
上から前足を地面に叩きつける一撃に対し、僕は後ろにジャンプすることで避ける。
その際に石の破片が頬をかすり真っ赤な血が流れた。
陥没した地面を見下ろし、直撃したら潰れたハンバーグみたいになるんだろうか、そういえば物理耐性ってどれぐらいの一撃まで有効なのかなと思いながら、僕は頬を伝う血をペロリと舐める。
「トン、よく聞け。このままだと遠くない未来にお前は死ぬ。いつまでも処刑人の攻撃を避けられるとは思えねぇからな」
「分かってるよ。さっきのもギリギリだった」
「そこでだ。次の攻撃を避けたら処刑人がやって来たとき空けた穴に向かって全力で走れ。ぶっちゃけ現状で打てる手はそれぐらいしかねぇ」
チラリと目だけを動かして見る。
穴の位置は僕のいるところからちょうど十時の方向。
距離は七メートルから十メートルぐらいかな。
「あれか……ちょっと遠いけどやるしかないか」
大きく深呼吸をして息を整える。
槍をギュッと強く握りしめる。
手汗が湧き出て、膝がガクガクと震え、上の歯と下の歯がカチカチと嚙み合わない。
絶望が、恐怖が、死が、近くまでやってきているように感じる。
……怖い。
本当に成功するのだろうか。
仮に成功したとしても逃げられるとは限らない。
たぶん追いつかれたら僕は死ぬ。だから声が震えているのを自覚しつつ、エクスに提案する。
「ちょっとやってみたいことがあるんだ。失敗したくないからあいつが僕を攻撃するタイミングを教えてくれ」
「ああ? ……何をするつもりかはしらねぇが、いいぜ教えてやる」
僕を見据え悠然と歩く怪物。その姿に、ははは、と渇いた笑いが漏れる。
地球で学生をしていた頃じゃ考えられない状況だからだ。
覚悟を決めて集中をする。
まばたき一つせず、ただ相手の攻撃を避けることだけを考えて、レベル90オーバーの怪物と対峙する。
口の中がカラカラと渇いていく。喉をゴクリと鳴らす。
「来るぞっ!」
エクスの言葉のおかげで態勢を崩さずに対応できた。
まるで瞬間移動のように近づいてきて右ストレートを放つ怪物の攻撃を、僕は身を屈めることで避ける。
そして、大きく一歩二歩三歩と踏み出し、怪物の左脇を通り過ぎた。
「――ブヒィ、やっぱりそう来るよね!」
予め決めてたどおり僕は怪物の方へ振り向く。
追い打ちをかけるように左腕の一本が差し迫っていた。
ボクシングのフックのような横殴りの一撃。
僕はそれを待っていた。
全身の力を抜いて、地面から両足をほんの少しだけ離すようにジャンプし、槍の柄の中心でガードをする。
「ぐっ!!」
瞬間、物凄い衝撃が僕を襲う。
これで二度目、でも今度は備えていたため、次の行動へと移ることができる。
大穴までの距離をわざと怪物に突き飛ばされることで短縮に成功した。
身体を捻り着地しそのまま走る。
「よし! ――これで!!」
絶望から一転して希望が見えてきたことで僕の顔に笑みがこぼれる。
背後に怪物の気配はなく、大穴までの距離はもう一メートルもなかった。
首だけを動かして後ろをチラ見すると、まだそこに怪物はいて、緩慢な動作で殴った手を凝視している。
やったっ、助かったんだ僕!! と心の中でガッツポーズをして前方に視線を戻すと、
「ばかやろうっ! 油断してんじゃねぇ!!」
目の前に拳を振り下ろそうとしている怪物がいた。
「えっ」
さっきまで後ろにいたのにどうして、という言葉が頭をよぎる。
僕は呆然と立ち尽くし、全てを諦めたように目を瞑った。
「くそったれ! 間に合うかっ!!」
焦燥に駆られるエクスの叫び声が聞こえる。
世界が止まったかのような圧縮された時の中で、僕のこれまでの人生が脳内に再生される。
ああ、これが走馬灯ってやつか。死が差し迫る中で最後に思い浮かんだのは、地球での暮らしでもオークとしての僅かな時間でもなく、今まさに人間の冒険者に殺されそうになっている誰かの記憶だった。
そして、全身がぐしゃぐしゃになったんじゃないかと錯覚するぐらいの強烈な痛みを最後に、僕は意識をそっと手放した。
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