第6話

 死者の迷宮第五階層アルメリアの街。

 冒険者ギルド一階にある酒場の隅にある円形のテーブルにて、レナ、フィリア、ベアトリス、アンジェリカはそれぞれ違った表情を浮かべていた。

 レナは強い悔恨、フィリアは憤怒、ベアトリスは疑問、アンジェリカは憂鬱。

 一貫して同じなのは誰もがここにはいない一人の仲間ことを心配しているということだ。

 

「「「「はぁ」」」」


 全員が同時にため息をついた。

 そして、互いに顔を見合わせて、それからぽっかりと空いた席に視線を向ける。

 そこは冒険者パーティー【光の戦乙女】の頼れるリーダーであるアリスがいつも座る定位置であった。

 特に誰が決めたというわけじゃなく自然とそうなっていた。

 

「アンジェリカ、アリスの様子はどうじゃ?」


 後悔を滲ませた顔を浮かべレナが問う。

 アンジェリカは首を左右に振って答える。


「オークの魅了は解呪しました。後遺症もありません。ですが、その時の記憶に苛まれて今は部屋で一人にしてほしいと……」


 その言葉にレナは「そうか」と呟き黙り込んでしまう。

 しばらく無言の時間が流れ、次に声を発したのはフィリスだった。

 フィリアは怒りを露わにして右拳を強くテーブルに叩きつける。


「許さんっ! 私の仲間に狼藉を働くなど次に邂逅したときには本気で駆除をしてやる!」


 思いのほか力が入ったのか木製のテーブルに亀裂が入る。

 普段ならアリスとレナが咎めるが今は誰も何も言わなかった。

 片方はここにはおらず、もう片方は見て見ぬふりを決め込む。激情に駆られるフィリアの気持ちがよく分かるからだ。人目がなければレナ自身も物に八つ当たりをする。

 長年苦楽を共にしてきた仲間が魔物に凌辱された。

 幸い最後の一線は超えられてはいないものの、アリスの尊厳はズタズタに貶められた。

 本来なら将来を誓い合った夫にしか見せてはいけない身体をオークに見られた上に、オークの魅了にかかり一時的とはいえ服従をするという醜態を晒してしまった。

 いや、それだけならまだどうにかなったのかもしれない。

 重要なのはそれを赤の他人に知られてしまったということだ。

 ベアトリスのマントで身体を隠したとはいえ、ボロボロの衣服を纏い感情を失った人形のように呆然としたアリスを連れて街へ戻れば、何があったのかは簡単に想像がつく。

 助けた二人組の少女たちがギルドにオークが出現したと報告したことも大きい。

 瞬く間に【光の戦乙女】のアリスがオークに返り討ちにあったという情報が街に拡散され、噂がうわさを呼び今では聞くに堪えない誤った情報が真実として知れ渡っている。

 現在、ほとんどの者が陰でヒソヒソと噂話しているだけで済んでいる。だが一部の……冒険者として活動している人間には、レナたちに聞こえるぐらい大きく会話をする奴もいた。


「おい、【光の戦乙女】。今日はアリスの姿が見えないみたいだがどうしたんだ?」


 明らかにレナたちに向けて喋りかけたのは粗暴そうな見た目をした男だった。

 ぼさぼさ頭、自分の力に自信を抱いているのかギラついた眼、口元に無精ひげ、重厚そうな全身鎧を着こんでおり、丸テーブルの脇には身の丈ぐらいの大きさをした大剣を立て掛けている。

 種族は人間で、若くなく歳は三十代前半といったところだろうか。

 ちょうど冒険者としてはベテランの域に差し迫ったところで、実際にランクはゴールドの1という。

 冒険者のランクは下からアイアン、ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンドとなっており、そのランクの中でも10~1と階級が分かれている。

 世間一般的に、ブロンズで冒険者として認識され、シルバーで下級、ゴールドの7を超えて中級、プラチナから上級の冒険者となっている。

 

「騒ぎを起こすでないぞ。あのような輩は無視しておけばよい」

  

 くだらないとばかりにレナは仲間たちに告げる。

 フィリア、ベアトリス、アンジェリカもそれに同意して頷く。


「少し気になっていることがあるわ。あの魔物はとても強そうに見えなかった。単独で戦ったとはいえとてもアリスが負けるとは思えない。何より私の魔法を防いだ腕輪……マジックアイテムだと思うのだけど一体どこから手に入れたのかしら?」


 その豊満な胸の下で腕組みをしていた手を解き、ベアトリスは意味ありげに右手を見つめる。

 確かにあのとき自分は逃げるオークを焼き尽くすつもりで魔法を撃った。

 普通なら消し炭になる。だが、そうはならなかった。

 魔法を無効化するなどかなり高位のマジックアイテムだ。ベアトリスが疑問に思うのも当然だろう。


「高位の冒険者が落とした物をあの魔物が拾ったのだろうな。それよりもわしの気がかりはアリスの状態異常の耐性を突破したことじゃ」

「ああ、私たちのパーティーで一番状態異常の耐性が高いのはアリスだ。そのアリスでさえ魅了された。となれば私たちはおろかほとんどの者が抗うことができないだろう」


 レナとフィリアが深刻そうな顔で頷く。

 テーブルに置かれた飲み物の氷が溶けてカランと音を立てる。

 

「おいっ! 無視してんじゃねぇぞ!」


 まるで自分がいない存在とばかりにシカトをする【光の戦乙女】に、粗暴そうな男は怒りを隠そうとせず声を荒げた。

 男の仲間たちは笑いながら手に持ったお酒を口にし、嘲るような口調で喋る。


「まぁまぁ落ち着けって、グラン。【光の戦乙女】の連中は今それどころじゃねぇんだからよ」

「そうだぜ。なんたってパーティーのリーダーがあのオークに返り討ちにされて腰砕けにされちまったんだ。あまり虐めてやるな」

「ぷっ、ははははは。あまり笑わせんなよ。あーあー、俺はショックだぜ。かの光と正義の女神を信仰してるであろうアリスがオークに股をひらくビッチだったなんてよ」

「くっくっくっ、おっもしかしてお前ら全員がそうなのか? だったら俺も相手してくれ」

「一晩1000ガルドぐらいなら出す。いや、全員がビッチなら500ガルドだな。安心しな俺たちならオークなんかよりも満足させてやるからよ」


 完全に喧嘩を吹っ掛けたグランたちのパーティーに、酒場と連動した冒険者ギルドという街でも一・二を争うぐらい大きな建物内部がざわついた。

 先ほどのまでの騒ぎとは打って変わってシーンと静寂が場を支配する。

 平日の昼間とはいえ冒険者ギルドの中には大勢の人がいる。

 食事をしている者、一時的な休憩をしている者、休息日と決めて酒を飲む者、ギルドの職員、依頼を受けに来た冒険者など、それら全ての人間がレナたちとグランたちの方を向いて静止していた。

 無礼な発言に怒り売られた喧嘩を買うのか、あるいは大人の対応をしてこのまま無視を決め込むのか、どっちにしろ平穏無事に事態が収まることはないだろうと誰もがそう感じとっていた。


「フィリア、ベアトリス、落ち着くのじゃ。剣と杖に手をかけるのをやめよ」


 口を開いたのはレナだった。

 内容は仲間を止めるものだったが、その声はゾッとするほど低く表情は怖いぐらいの無表情だ。

 フィリアとベアトリスは口元に笑みを浮かべており、今にもグランたちに斬りかかりそうなぐらい怒っているのが表情から見て取れた。

 揉め事の雰囲気を感じ取ったのか、アンジェリカは椅子から立ち上がり後ろへ下がる。

 普段なら率先して止めに入るのだが今回は見て見ぬふりをするつもりのようだ。

 

「一応、聞いておくが何故止める?」

 

 レナの方を振り向きフィリアが訊ねる。


「止める? 冗談はよすのじゃ。わしはギルド内で揉め事を引き起こすのはマズいから外でやろうと提案つもりだった。分かってるとは思うが殺すのだけは禁止じゃぞ」

「ええ、分かってる。でも、手足の二~三本は無くなってもよいのでしょう?」


 首を左右に振り立ち上がったレナとこの状況に不釣り合いな妖しく艶やかな顔で呟くベアトリス。

 一触即発な雰囲気にここでようやく周りの人間も事態の深刻さを察知して離れていく。


「あぁん!? オークごときに負けた奴らのパーティーが何を言ってやがる! ギルドランクが上だからって調子に乗ってんじゃねぞ! どうせ上の連中をたぶらかして得た地位だろうがっ!」


 グランが大剣を手に持ち勢いよく立ち上がる。

 それに続いて仲間たちも各々の武器を持ってレナたちの方に向けて構える。

 近い将来プラチナの到達が噂されているパーティーと、女性だけで初めてダイヤモンドへ到達したパーティー。

 ギルドの受付嬢は止めるべきか否か右往左往と狼狽え、奥にいる偉い人は制止するつもりはないのか我関せずと事務作業を継続していた。


 ――カラン、カラン。


 緊迫した空間にギルドの来訪を知らせるベルが鳴り響く。

 入り口の扉を開けた人物の姿を見た誰かがポツリと「アリスだ」と呟いた。

 コツコツと足音を立てながら歩くアリス。

 レナたちはアリスの変化に驚愕の表情を浮かべた。

 腰の辺りまで届いてた長い髪が肩のところでバッサリと切られており、服も貴族が着るような装いなのは変わりないが、全身真っ黒で統一されている。

 先ほどまでとは違った緊張感に、レナたちもグランたちも周囲の人間たち全員が喋らず、アリスの一挙一動を見守っている。

 ちょうどレナたちとグランたちの中間の位置で立ち止まったアリスは、


「レナ、フィリア、ベアトリス、アンジェリカ、みんな心配をかけてごめんなさい」


 と仲間たちの方を向いて薄く笑みを浮かべる。


「お、おお、それは構わないのじゃが……」


 レナが全てを言い切る前にアリスがチラリとグランたちを見てすぐに顔を逸らす。

 プライドの高いグランはその動作に我慢が出来ず声を荒げる。


「おいっ!」


 しかし、アリスはグランを無視し仲間たちとの会話を続ける。


「今日から復帰するわ。アンジェリカの魔法のおかげで身体はどこも異常はないから大丈夫」


 事件前の普段通りのアリスに、ギルド内にいる者の誰もが拍子抜けし、首を傾げる。

 てっきりもっと絶望した顔で現れるのだろうと思っていたからだ。

 しかし、13歳でギルドに登録したときからこれまで一緒に活動をしてきたレナたちだけは、自分たちの目の前にいるアリスはどこか違うと感じ取っていた。

 そのおかげで先ほどまでの怒りが収まったレナとフィリアとベアトリスは武器を下ろし、アリスの傍へ駆け寄ろうとする。

 

「フン、よくギルドに顔を出せたもんだな、アリス。オークごときに負けた冒険者の面汚しがよ」


 その言葉にレナ、フィリア、ベアトリスは殺気をみなぎらせながら睨みつける。

 ギルド内にいる誰もがグランに注目しており、ただ一人だけアンジェリカのみがアリスの変化に気づいた。

 ほんの一瞬だけ浮かべたマグマのごとき激しい表情と何も映さない虚無の瞳に。

 アンジェリカは短い悲鳴を上げ口元を手で押さえる。


「ア、アリス。その……落ち着いてください。いくら何でも殺しては駄目です」


 おずおずと怯えつつもグランたちではなく、仲間であるアリスの身を心配し声をかけるアンジェリカ。フッ、と笑みを浮かべるアリスにホッと安堵する。

 

「ガハハハハハハハッ! っで、どうだったんだオークのアレはよ! 魅了されて娼婦のように腰を振って気持ちよくなったんだろ? オークのアレが忘れられなくて、今まで宿屋で引きこもってたって聞いているぜっ!!」


 グランの侮辱に続いて他の者も。


「くっくっく、あんまり虐めてやるなよグラン」

「冒険者を引退して娼館にでも働いたらどうだアリス!」

「おっ、そういえばアリスはアリステラ教の敬虔な信徒だったよな。アリステラ教の教えに生涯の伴侶は一人だけで、自身の裸も伴侶にしか見せないって聞くぞ。おいおいおい、じゃあアリスはオークと結婚するしかないのか」

「プッ、ハハハハハハハッ! そりゃいい! ご祝儀は弾んでやるからなっ!!」


 耐えきれないとばかりに大笑いをするグランたちに、ギルド内に居る者たちの反応は様々だった。

 ギルド職員や受付嬢、女性の冒険者、心が善良な者たちは嫌悪の表情を、そうでない者たちは軽薄な笑みを浮かべてアリスを凝視している。

 わずかに我関せずとお酒や食事の続きをしている変人や、両者の実力差を正確に見破りこの先の結末を予見している猛者は、巻き込まれてはたまらないと席の移動をしていた。

 アリスは何の反応を示さずに自然な動作でグランたちへ歩み寄る。


「これでダイヤモンドの冒険者なんだから驚きだぜ。やっぱりあの噂は本当だったか。【光の戦乙女】は上の連中に股を開いて不正にギルドランクを上げたってよ。ま、オークごとき負けた雑魚はとっとと引退して娼婦になるか実家に引きこもってな」


 グランがそう言い、一番近くにいたその仲間がアリスの肩をポンっと触った瞬間。


「私に触れるな」


 とアリスが呟き、自分の肩に触れた男の手首を掴み……握り潰した。


「へ?」


 まさかの出来事に誰も手首を握り潰された当事者ですら理解できていなかった。

 あのアリスの突然の蛮行。まるで時が止まったかのような静寂がギルド内に流れる。

 すぐに悲鳴が響き渡り、そこでようやくレナたちとグランたちが動き出す。


「お、お、俺の腕がぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」

「アリス、やめよっ!」

「おい! テメェっ、俺様の仲間に何しやがる!!」


 アリスは無言のままレナに手を出すなと左手で合図を送る。

 信じられないといった顔を浮かべるフィリアとベアトリスとアンジェリカ。

 男がどうにか引き剥がそうと抵抗を試みるがアリスの右手はピクリとも動かない。

 それを見たグランたちが自身の武器を引き抜きアリスへと殺到する。が、それよりも早くアリスは右手を上に振り上げ下へ振り下ろした。

 重さなどないとばかりに男がふわっと浮き、姿がかすむぐらいの速さで床に叩きつけられる。


「ペラペラとよく喋る口だな。私だから何もしないとでも思ったか?」


 衝撃で動けない男の口元の辺りをアリスは右足でおもいっきり踏みつけた。

 バキッ、と硬い何かが砕けた音と床板を踏み砕いた音が鳴る。

 顎はおろか歯や頬骨などを粉々にされた男は、血をまき散らしながら意味不明な言語で泣き叫ぶ。


「skじゃgふぁhjふぁlgじゃljふぁjふぁl!!」


 それを見下ろすアリスの瞳は恐ろしく冷たく、以前のアリスならあり得ないことだった。

 ゴミを見るような目で男を眺め、邪魔だと乱雑に投げ飛ばす。

 もの凄い勢いで吹き飛んだ男は、周囲の人間の隙間を通り抜けて、ギルドの壁にぶつかり静止する。

 

「ふ、ふざけやがってっ! オークごときに負けた女が調子に乗ってんじゃねぇ!」


 残りのグランを含めた四人がアリスに襲い掛かる。

 それぞれが武器を持っているのに対し、アリスは腰に差した愛剣を抜かず素手だ。

 四対一、武器持ちVS素手、という圧倒的不利な状況。にもかからわずアリスは悠然と前へ歩いていく。

 

「遅い」



 一人目、手加減など考えていない斧による振り下ろしの一撃を躱し、驚く相手の左側面の顔に裏拳を入れる。

 二人目、時間差で地面を這うように襲ってきた二刀の短剣を持った奴の下顎を蹴り上げる。

 三人目、詠唱中だった魔法使いの眼前へ現れ、帽子越しに髪の毛を掴んで床へ叩きつける。

 


 瞬く間に行われた惨劇にギルド内にいる誰かが「つ、つえぇ」と呟いた。

 

「この程度の実力で私に喧嘩を吹っ掛けてきたのか? 確かお前はゴールドランクの冒険者だったな。弱すぎてシルバー……いや、ブロンズランクの冒険者だと思ったぞ」


 フッ、と鼻で笑うアリス。

 明白な挑発。本心からの声だと分かり、ブチ切れたグランは大剣を天高く構えて、【大地の怒り】を発動する。


「言ってくれるじゃねぇか……アリス。後悔しても遅いぜ。仲間たちに手を出して俺様を侮辱した。テメェは確実に殺す」


 赤いオーラのようなものが全身から吹き出すグラン。

 アリスはそれを一瞥し、ただ一言「我が身に高潔たる光の女神の加護を、《光あれ》」と告げる。

 パッと見てアリスに変化はない。だが、確実に何かが変わった。

 それを感じ取ったグランの表情がこれまでとは違う真剣なものとなる。


「馬鹿がっ! 剣を抜かねぇことを死んで後悔しやがれ! 《怒剛烈波(どごうれっぱ)》」


 【戦技】を使用したグランの大剣がアリスの頭へと差し迫る。

 動かないアリスに勝利を確信し笑みを浮かべるグラン。だが、それもすぐに驚愕の顔へと変化することになった。


「どうした? そんな間抜け面を晒して。まさか防がれるとは思わなかったといった顔だな」


 アリスはグランの大剣を左手一本で防いでいた。

 大剣の刃を素手で掴み、そのあまりの膂力にピシピシとひびが入っているのが見て分かった。

 

「ば、ばかな。俺様の本気だぞ!! ワイバーンすら両断する必殺の一撃だ。それを素手で防ぐだと!?」


 信じられないものを見るような目でアリスを見下ろすグラン。

 その表情には今更ながらに恐怖が入り交じっている。

 

「後悔しても遅い、テメエは確実に殺す……だったか?」


 冷たく凍えるような低い声でアリスが訊ねる。

 ビクッと全身を震わすグラン。大剣を引き戻そうとして全く動かないことに気づいた。

 どんなに力を込めても意味をなさず、それどころか大剣のひびが徐々に広がっていく。

 

「嘘だ。あり得ねぇ。こんなの認めてたまるか! この俺様が、こんな……オークに負けた女なんかにやられるはずが……」


 オーク、という単語が聞こえた瞬間、アリスは掴んでいた左手を握りしめる。

 結果、グランの大剣は真ん中の辺りで二つに折れてしまった。

 グランは軽くなった己の武器を見下ろし呆然とする。

 そして、武器を放り捨て後ずさりながら命乞いをし始めた。


「ま、待て。侮辱したことは謝る。どうやら酒を飲んで気分が大きくなってたみたいだ。冒険者ならそんなときもあるだろ、な?」


 静まり返ったギルド内にアリスの歩く足音が響き渡る。

 グランのすぐ目の前で立ち止まったアリスは、まるで自分に言い聞かせるみたいに喋り出した。


「確かに私はオークに負けた。耐え難い恥辱を受けたことを認める」


 そこまで大きな声ではないはずなのに、アリスの声は不思議とギルド内の隅々まで聞こえ、そこに居るギルド職員や冒険者たちが耳を傾ける。

 

「ここに宣言する。あのオークは私が必ず殺す。この身に受けた屈辱を何倍にして返すことを誓おう」


 アリスの迫力に気圧されて冒険者の一人がゴクリと喉を鳴らす。

 

「そ、そうか。応援するぜ。いや、なんだったら協力してやる。迷宮内にオーク一匹を見つけるのは大変だろ。こう見えて俺様は顔が広い。知り合いに声を掛ければすぐに見つかるさ」


 引きつった顔でアリスを見下ろしながらグランは必死に考える。

 無事この場を切り抜ける方法を。

 自身の仲間たちのような目に合わないために。

 いや、あそこまで馬鹿にした自分はそれ以上な悲惨な目に合うかもしれない。

 そんなのはごめんだとばかりに説得を試みる。だが、アリスはそれを一笑し、殺意の籠った眼差しでグランを睨みつける。


「あいにくだが私は侮辱を受けて許すほど寛容ではないのだ。残念だったな」


 そう言いアリスは目にも止まらぬ速さでグランの腹を殴る。


「グエッ!!」


 間髪入れずに無防備な左頬を殴る。顎を殴る。左頬を殴る。右腕を殴る。左腕を殴る。腹を殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。



「ふぅ、少しやりすぎてしまった」


 そこに居たのはグランだった何か。

 もはや原型をとどめていない見るも無残な顔、立派な全身鎧はへこんでいるところはないんじゃないかと思うぐらいボコボコになっていた。

 かろうじて息はしている。だが、それも早急に治療をしなければ死んでしまうだろう。

 アリスの右と左の拳からはグランの血が滴り落ちている。

 あまりにも凄惨な光景に誰もが喋れずに状況を見守っている。

 

「アンジェリカ、すまないがコイツを治してやってくれないか」


 くるりと振り返ったアリスはすまなそうにお願いし、それをアンジェリカは「え、ええ、分かりました」と了承する。

 そして、懐から取り出した高級そうなハンカチで血を拭きとったアリスは、ギルド内を見渡してから職員のいるカウンターの方を見た。


「すまない。ついカッとなってやってしまった。甘んじて罰を受けよう。だが、仲間たちは関係ないため罰は私だけでお願いする」


 そう言ってアリスは頭を下げた。

 成り行きを見守る者たちの視線が受付嬢のいるカウンターの奥へと集まる。

 受付嬢も狼狽えながらこの場の最高責任者がいる方へと振り向く。

 奥で黙々と作業をしていたおそらく初老を迎えただろう男性。

 冒険者ギルドアルメリア支部の副ギルドマスターであり、自分にも他人にも厳しい性格と規律を重んじることから【白鬼(はくき)】と呼ばれている。

 そのため、アリスにどんな厳しい罰が与えられるのか。プラチナランクに降格、莫大な制裁金、それだけならまだしもギルドから除名なんかもあるんじゃないかと誰もがドキドキをしていた。

 副ギルドマスターは手を止め椅子から立ち上がる。

 

「この件について、副ギルドマスターの権限により独断で決めさせていただく。アリス・R・マーガレットには、罰として特殊個体のオークの捜索を命じる。なお捕獲か討伐かはアリス本人に任せるとする」

 

 ギルド内にいる者たちのほとんどが、えっ? といった表情を浮かべていた。

 加害者であるアリスも僅かに目を見開き驚いている。


「処罰が軽すぎるのではと思う者もいるだろう。理由は二つある。一つ目は、そのオークが将来脅威となる可能性があるとギルドは判断したこと。二つ目は、冒険者パーティー【戦士の栄光】は以前から問題のある行動が多く、依頼人や同業者から匿名でクレームが届いていた。調査によりそれは事実だと判明し、近々、降格と制裁金の罰を与えるはずだった」


 そこで言葉を区切り、それから副ギルドマスターは真剣な顔で強く厳しい口調で告げる。


「同じギルドの仲間に対し聞くに堪えない暴言を垂れ流しあまつさえ武器を抜くなど言語道断。よって今回の件は正当防衛とする。そして、ギルドは冒険者パーティー【戦士の栄光】を永久に追放する。もし、何か不満があるのなら今ここで聞く」


 たっぷり一秒、二秒、三秒ほど待ってから副ギルドマスターは、


「ないのならこの件はこれで解決したとする。職員は自分の仕事に戻るように」


 と言って席に座り作業に戻った。

 しばらく時が止まったかのように静まり返るギルド内。

 最初に動き出したのは経験豊富な職員や受付嬢、ベテランの冒険者。

 善良な冒険者たちによってグランとその仲間はギルドの外へ運ばれていく。

 それから徐々にポツリポツリと会話が聞こえ始める。

 少しばつの悪そうな顔でレナたちの方へ振り返るアリス。


「その……すまない」


 先ほどの殺気だった表情とは一転していつものアリスに戻ったことにホッとする四人。

 聞き分けのない子供を見るような目でレナが、スカっとした気分の良さげな表情を浮かべるフィリア、新たな一面を見て興味津々な顔で眺めているベアトリス、アリスの身を案じ心配そうな表情でアンジェリカが声をかける。


「アリス、大丈夫ですか?」


 アリスは申し訳なさそうな感じで頷く。 

 

「ああ、みんなには心配をかけた。休んでいた分はしっかり働かせてもらう。それでだが……」


 言いづらそうにするアリスに、レナは手の平を向けて制止する。


「みなまで言うな。一緒に付いて行くに決まっておるじゃろうが」


 腕組みをして頷きながらフィリアも、


「当然だ。私たちはパーティーなのだから」


 そんなフィリアを見てフフッと笑うベアトリス。


「アリスが心配で夜も眠れずにいた子は誰かしらね」

「おい! それは言わない約束だろうっ!」


 真っ赤な顔で怒鳴るフィリア。それを見てやれやれとため息を付くレナ。


「ありがとう。――改めて言う。私に力を貸してくれ。あの憎きオークを討伐するために!」


 アリスの言葉に対し頷き返すレナ、フィリア、ベアトリス。だが、アンジェリカだけは何かを考えるかのように難しい顔を浮かべていた。

 それに気づいたアリスが「どうした?」と訊ねる。


「えっ? いいえ、何でもありません」

 

 特殊個体のオーク。何故か魔物なのに自身が信仰している女神の恩寵を持っているイレギュラー。

 アンジェリカはそのことを話すかどうか悩み、誰にも話さず黙っていることに決めた。

 アリスたちならともかく他の人間たちが信じるとは到底思えないからだ。

 それだけならまだしも、もし魔物であるオークが生命の女神の恩寵を持っていると知られた場合の影響を考えたら、とても話すことが出来なかった。

 

「そうか、ならいいんだ。悩み事があるならいつでも話してくれ」


 長年の付き合いからアンジェリカが何に疑念を抱いているのかアリスは気づいていた。

 だが、問いただすことはせずに自分から言ってくるのを待つことにした。

 彼女には借りがある。

 治療してもらったこともそうだが、自らの未熟が原因なのに八つ当たりで酷い言葉を投げかけたにもかかわらず、何も言わずに傍にいてくれた。

 それがどんなに救われたことか、自分が立ち直れた理由の半分はアンジェリカのおかげだった。

 そして、もう半分はあのオークへの憎悪だ。

 あのときを思い出すたびに羞恥と憤怒が湧き上がってくる。

 将来を誓い合った夫以外の男に、あろうことか魔物であるオークに、裸を見られ娼婦のように誘ってしまうとは。

 この屈辱と汚名を晴らすには自分が取れる行動は一つのみ。

 かならず殺す。あのオークを見つけしかるべき報いを受けさせる。

 それだけを望む復讐者として今は行動をしよう。


「それで、これからどうするのじゃアリス。わしらはおぬしに従おう」


 パーティーの年長者としての顔ではなく、一人の凄腕冒険者としての表情を浮かべたレナが問う。

 アリスも今は復讐者の顔を収めて、ダイヤモンドランクの冒険者パーティーのリーダーとして仲間に指示を出す。


「当然、オークを追う。ただ闇雲に探しても時間を浪費するだけだ。だからギルドに依頼を出して情報を集める。私とアンジェリカはアルメリアの街で待機。レナ、フィリア、ベアトリスはすまないが他の街へ行き魅了対策として人数分のマジックアイテムを購入してきてくれ」


 さすがは一流の冒険者。それぞれ頷くとレナ、フィリア、ベアトリスはギルドの外へ出て行った。アリスとアンジェリカはカウンターの方へ歩いていき、僅かに緊張の色が見える受付嬢の前に立つ。


「忙しいところすまない。【光の戦乙女】からではなく、私個人から依頼を出す。内容は特殊個体のオークの捜索および情報だ。報酬は目撃情報で十万ガルド、その個体についての有益な情報は五十万ガルド」


 その内容に亜麻色の髪をした受付嬢はつい大声で叫んでしまった。


「ご、五十万ガルドですか!?」

「ああ、可能な限り接敵は避けて目撃情報を持ち帰ってほしい。もし、交戦してしまった場合には交戦せず情報の収集に努めること。討伐してしまったときは報酬は支払われない」


 破格の報酬にざわつくギルド内。そこにいた冒険者のほとんどがカウンターの方へ振り向く。


「か、かしこまりました。ですが、他の個体のオークとの判別が難しいのではありませんか?」

「それについては問題はない。特殊個体のオークはアンジェリカから奪った生命と死の槍と左腕に腕輪を装備している。マジックアイテムで分かっている限りでは魔法を無効化してくるので気を付けろと依頼書には明記しておいてくれ」

「はい。他に何か追記する点はございますでしょうか?」

「そうだな……もしかすると進化している可能性があるかもしれない。そのことを考慮して依頼を受けてほしいと」

 

 受付嬢は頷き、アリスから聞いた依頼の内容を手元の紙に記入する。

 そして、書きあがった依頼書をアリスに差し出す。


「この依頼内容で間違いはありませんか?」

「……ああ、すまないが今は手持ちがないんだ。依頼金はギルドに預けている私の預金から出してくれ」


 そう言って、アリスは受付嬢に依頼書を返却する。

 たかがオーク一匹の目撃情報に十万ガルド、有益な情報に五十万ガルドを出すなど正気の沙汰ではない。と普通なら答えるだろう。

 しかし、ダイヤモンドランクの冒険者としての勘が言っている。

 あのオークは今のうちに殺しておかなければ厄介な存在になると。

 自身を凌辱したオークの姿を思い浮かべ、アリスは眉間に皺をよせ唇を噛みしめる。

 だが、すぐにハッとして元の冒険者としての表情に戻す。

 幸いなことに受付嬢は手元の依頼書に判を押していたようで気づいてはいなかったようだ。


「――アリス様の依頼を受理しました」


 と、受付嬢が声を出した瞬間、ギルド内にいた何人かの冒険者が席を立ち外へ。

 気の早い者たちが我先にとオークを探しに出て行ったようだった。

 そして、出て行かなかった者たちも仲間同士で会話をし始める。

 アルメリアの街にいる冒険者は、アイアンからゴールド・プラチナ・ダイヤモンドと幅広い。

 といっても、ここで活動しているのはアイアンとブロンズだけで、他のランク帯の者たちは何かしらの用事で立ち寄っただけである。

 ギルドのルールで明記してあるわけではないが、暗黙の了解でシルバーに上がったばかりの者たち以外は、この街で依頼は受けないことになっているためだ。

 理由は新人冒険者たちの活躍の場を奪ってはいけないから。

 無視すればギルドの仲間たちからとギルドからの心象が悪くなるので、誰も依頼を受けない。

 そもそもアイアン・ブロンズランクの冒険者が受ける依頼なので報酬も微々たるもの。いや、活動経費のことを考えればマイナスと言っていいだろう。そのためわざわざ引き受ける物好きもいなかった。

 しかし、今回は違った。

 オークの目撃情報を持ち帰るだけで十万ガルド、有益な情報なら五十万ガルドも貰える。

 アイアン・ブロンズは言わずもがな、シルバーにとっても大金であり、ゴールドの場合でも依頼を引き受けるメリットは大きかった。

 

「アリス、その……大丈夫ですか?」


 心配そうな顔を浮かべたアンジェリカがアリスの体調を気遣う。

 

「ん? ああ、心配はいらない」


 一体どうしたのだろうかとアリスは首を傾げる。

 アンジェリカは綺麗に折りたたまれた絹の布を差し出す。


「まだ本調子ではないのでしょう。もうしばらく休んだらどうです?」


 そこでようやくアリスは自分が酷く緊張をしていたことに気づいた。

 何もしていないのに息が荒く額に汗を浮かべている。

 ふぅ、と小さく息を吐き差し出された絹の布を受け取ると、微笑みながらお礼を告げた。


「すまない。ありがとう。お言葉に甘えて少し休む。宿にいるから何かあったら連絡しに来てくれ」


 そう言うとアリスはギルドを後にする。

 現在の時刻は正午を少し過ぎた頃、冒険者ギルドはアルメリアの街の中心地にあり、必然とその前の道は人通りが激しい。

 アリスは自分がすれ違う通行人たちから見られていることに気づいていた。

 そして、それがダイヤモンドランクの冒険者を眺める羨望の眼差しではなく、オークの凌辱された女を見る哀れみあるいは侮蔑の視線であることも。

 半ば衝動的に剣を抜き斬ってしまうのを必死に抑えながら歩いていた。


「……おい…あれってもしかして…」「【光の戦乙女】のアリスじゃね?」「オークに返り討ちにあったらしいぜ」

「マジ? じゃあもう……」「かわいそうに……」


 アルメリアの街にはこれまで何度も足を運んできた。

 仲良くなった友人や顔を合わせれば挨拶をするぐらいの知り合いもいる。 

 視線が合うと逸らされるか哀れみの目で見つめられる。それがこんなにもつらいことなのかと、アリスは初めて知った。

 グランたちのように明確な悪意を持っているわけではないと分かっている。

 だが、分かっているが頭で理解していても身体が心がそう感じ取ってしまう。


(しばらくはこれが続くのだろうな)


 短いため息をついてアリスは首を左右に振る。

 弱気になった自身を叱咤すると、あの憎きオークにしかるべき報いを受けさせるのだと決意し、意識を切り替える。

 すれ違えば思わず振り返ってしまうほどの美女が、天使のような表情で酷薄な笑みを浮かべている。

 ほんの少しだけ漏れ出た殺意は、見えない力となりアリスの周りにいる者たちを遠ざけるのに十分な威力を発揮した。

 

「フッ、フフフ、待っていろオーク。貴様は必ず私の手で殺してやる」

 

 光と正義の女神を信仰するアリステラ教の敬虔な信徒であるアリス。

 理不尽な暴力から守り、困っている人間に対しては状況に応じて助け寄り添い見守る。

 その姿に人々はアリスを光と正義の女神のようだと吹聴していた。

 しかし、それはもう昔のこと。

 今のアリスは復讐に取りつかれた一人の女。

 目標に向かって突き進むだけの復讐者(アヴェンジャー)となった。

 それによりアリスは二つのスキルを習得する。


 一つは『復讐の女神』

 ・戦闘時に全ステータスを向上させる。

 ・生命の危機に陥ったとき、力・敏捷・耐久の値を超向上させる。 

 ・復讐相手が自身の近くに存在するときそれを感じ取ることができる。

 ・もし復讐相手が死んだ場合このスキルは消滅する。

 もう一つは『●●の●』

 ○○の〇〇を○内に○○し○とき、○○で○了○○に○る。


 これらがこの先どんな作用を与えるかは誰も分からない。

 復讐が成功し闇に堕ちるか、それとも失敗し命を落とすのか、もしそのどちらでもない選択肢があるとしたらその時は……。

 アリスがどうなるかそれはまだ未来の話である。

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