第2話
一寸先も見えない真っ暗い闇のようなところで漂っている。
上も下も左も右のない不思議な空間に身を任せていたら、突如差し込んできた光がまぶしくて目覚めてしまった。
すっごく気持ちよく寝てたのになんだよ、そう心の中で文句を言いつつもショボショボした目を擦る。
どうやら僕は仰向けに大の字で寝ていたらしい。のそのそとした動きで起き上がり周辺を見渡したけど、全く見覚えのない場所だった。
どこかの建物の中だと思う。所有者のセンスが感じられる内装をしており、かなり良い値段がしそうな年季の入った壁紙や絨毯、額縁に入った絵などが飾られている。
「あれ? ここどこ?」
てっきり自宅のベッドの上で寝ていたと思っていたんだけどな。眠る前のことを思い出そうとして、ズキンッ、と頭が痛んだ。
「痛っ!」
痛い! 何かめちゃくちゃ痛い! 洒落にならないぐらいの痛みに非常に険しい顔を浮かべ、自分に何があったのかを思い出そうとする。
確か学校の旧校舎にある非常階段の手すりがぶっ壊れて、四階の高さから真っ逆さまに落ちてミンチになったんだっけ。
それなら何で生きてるんだって話になるんだけどさ――何で生きてるの僕?
「まぁそれは奇跡的な確率で助かったのかもしれない。でも、これは説明しようがないよね」
生きていると錯覚するぐらいリアルで迫力のある、ファンタジー世界お馴染みの竜(ドラゴン)。そのはく製が目の前にあった。
竜のはく製は僕が顔を見上げ右から左へと動かさないと全容が把握できないほど大きった。他にも七色に輝く不思議な石、常に浮遊している船の模型、ガラスケースに保存された赤と青と黄の雷(いかずち)、邪悪な気配を漂わせる不気味な本……etc。
作り物の可能性はまだ否定できない。だけど僕相手に壮大なドッキリをする意味がわけで。となると、もしかして本当に異世界へ転生しちゃったとか?
「うーん、色々あるけど関連性はあるようには見えないし、自分が気に入ったものを保存した感じかな?」
ふと視界に入った何の変哲もない銀色の腕輪が気になり手に取る。
見た目はただの腕輪。でも、眺めていると無性に僕の心をざわつかせ不思議な気持ちにさせる。
勝手に触って怒られるかな?と思いつつも手放せずにいたら、
「おや、お目覚め早々手癖の悪い豚ちゃんだこと」
と背後からしゃがれた女性の声で喋りかけられた。たまらずビクッと身体が硬直する。僕は振り向いた後に慌てて弁解をする。
「ち、違うんです! これは別に盗もうと思ったわけじゃなくてっ! 見たことのないものばかりで珍しくてついつい触ってしまったというか。あの、その、えーっと、ごめんなさい!!」
頭を地面にぶつける勢いで下げて謝罪の意を示す僕。声の主はやれやれとため息を付き「頭を上げな。それじゃ話も出来ないだろう」と言う。
恐る恐る顔を上げるとそこにはファンタジー小説、ゲーム、漫画に出てきそうな魔女がいた。
それもただの魔女じゃなくて物語の重要な要素を知ってそうな百戦錬磨の大魔女。
僕、こうして相対してるだけでめちゃくちゃ貫禄や雰囲気を感じてるもん。内心、ビクビクだよ。ははは、怖くてちびっちゃいそう。
「さてと、何から話そうか。うーむ、そうさね。意識疎通に問題はなし。身体の不具合もなさそうだ。――豚ちゃん、自分の身体に違和感とかないかい?」
違和感? 特にないけど、あと初対面なのに豚ちゃんって失礼じゃない? 確かに僕は豚のような見た目をしているけどさ。
「な、ないです。あっでも、ちょっと身体が軽いような……」
腕を振り回したり跳びはねたりして身体の調子を確かめる。うん、やっぱりいつもよりも身体が動く。
「やめなっ、オークが子供みたいにはしゃいでも醜いだけさ」
強く注意され軽く落ち込む。でも、どうしてこの老魔女は僕が学校のクラスメイトからオークと呼ばれていることを知ってるんだろう?
「ひどい! そこまで言わなくてもいいじゃん。確かに僕はオークと馬鹿にされてたけどさ」
「はぁ? 何を言ってるんだいこの豚ちゃんは。その見た目どこからどう見てもオークじゃないか」
なんかすっごい重要なすれ違いが起きてる気がする。老魔女も互いの認識がズレていることに気づき首を傾げてる。
「「ん?」」
老魔女が訝しげな顔を浮かべて僕をジロジロと観察し、「確かにオークにしては意思疎通が……」とか「てっきり特別な個体だから……」と呟きながら持っていた杖を向けてくる。
「豚ちゃん、ちょいと自分のことを語ってみな」
さっきまでとは打って変わって真剣な表情に、僕はどこか嫌な予感をしながら答える。
「う、うん。田上(たがみ)敦(あつし)、17歳、男、ネットゲームが好きで特にゴリゴリのファンタジー要素のあるRPGが好きな高校二年生です」
一拍おいてからの「どうやら嘘はついていないみたいだね」とのお言葉。すると何かを考えるような表情を見せ、老魔法使いは杖を地面に二回突き立て目を瞑る。それからしばらく誰かと会話をしており、それを僕は黙って眺めていた。
やがて老魔法使いは深いため息をついて「――ったく、あの女神は次から次へと厄介事を持ってくる」と吐き捨てた。
僕が困惑顔で黙って眺めていたら、
「いいかい? 気をしっかりと持って聞きな。――今のはお前さんは人間じゃない。オークだ」
……………………ハッ! あまりの衝撃に意識が飛んでたよ。えーっと、僕の聞き間違いかな。まだ脳内に反響してるんだけど、さすが老魔女冗談が上手い。
「ははは、はは、は、本当に? 一応、聞いておくんだけどあの魔物のオーク?」
気持ちは分かるとばかりに老魔法使いがコクリと頷く。
当たり前すぎて気づかなかった。嘘だ嘘だと否定し嘆こうがそこにある事実は変わらない。だから僕は自分の心のままに叫ぶ。
「ふ、ふざけんなっ!! なんだってよりにもよってオークに!? ばあさん、これは一体どういうことだブヒィ!」
ああ、特に意識してないのに語尾が豚言葉になっちゃった。もしかしてこれも肉体であるオークの影響!?
「落ち着きな。それと私の名前はロザリーだ。ばあさんでもロザリーでも好きに呼びな」
そんな悠長に自己紹介されても困るんだけど!?
「ロザリーばあさん!!」
「分かってるさ。説明してほしいんだろう? なぜ人間だったお前さんがオークになったのか。それについて答えるにはまずこうなった経緯からだね」
よっこらせとロザリーばあさんは傍にあった無駄に豪華な椅子に座る。
「まずお前さんはどこまで分かってるんだい?」
その問いに僕は一瞬考えて、
「どこまでって……たぶんだけど僕は一度死んだ。それで異世界に転生した。でも、人間じゃなくてオークになっていた。違う?」
「いいや、大体合ってるよ。だが、少し説明不足してる部分があるね。正確には勇者召喚の儀式に巻き込まれたあと死んで転生しオークになったが正解さ」
はぇ? 勇者召喚の儀式? 何それ? あと何で転生したらオークになるのかが分からない。そこは人間でもいいじゃん。
「ちょっと待って。勇者召喚の儀式って何? 僕の記憶ではそんなのに巻き込まれた覚えはないけど」
「おそらくお前さんの意識が消失してから死ぬまで僅かに猶予があったんだろうね。そして、死ぬまでの間に勇者召喚の儀式に巻き込まれこの世界に転移したあと死んだ」
なるほど、僕が死ぬまでの間にそんなことが……。一体誰だろ勇者として召喚されたの気になるな。ま、いっか、僕にはもう関係はなさそうだし。
「ふーん、僕が異世界に転移したのは分かったけど。でも、どうしてオークに転生したの?」
そう僕が問いただすとロザリーは言いにくそうに口を噤(つぐ)む。どうしたんだろうと首を傾げて返事を待っていたら何故か謝られた。
「すまないね。代理で悪いけど謝らせてもらうよ」
「え、えぇ~何か怖くなってきた。まぁ、聞くけどさ」
この感じだと何か不足な事態が起こったんだと想像ができる。分かってるのはもう既に起きた出来事であり、取り返しのつかない事態であること。
「この世界の場合、通常死んだあとは必ず生命の女神の元へ魂は運ばれる。そこからの詳細は省くが問題がなければ輪廻転生への準備に移るのさ。しかし、問題は起こった」
「僕?」
「ああ、そうさ。まさか生命の女神も異世界の人間が転移して早々死ぬとは思いもよらなかったんだろうね。危うく輪廻の環に送るところだったって私に言ってきたぐらいだ」
「何で? 駄目なの?」
「それは時と場合によるさ。神同士の話し合いが済んでいるならともかく、勝手に違う世界の生命を自分の世界の輪廻に送ったら管理する神によってはヤバいだろうね」
頭が痛いとばかりに顔を顰めながらロザリーばあさんが言う。
「へぇ~、具体的にはどうヤバイの?」
僕が特に何も考えずポロっと訊ねると、ロザリーばあさんはフンっと鼻で返事をして、
「最悪は神同士の争い、最良は菓子折り持って謝罪、どちらでもなければそうだね……相手の世界に介入とかじゃないかい?」
そんな怖いことをそんな軽い感じで言わないでほしい。僕が原因で神々の黄昏(ラグナロク)になったら嫌だよ。でも、オークになったことと何の関係が?
「ま、お前さんには関係ない話だね。そして、ここからが本題だ」
と一旦言葉を区切るロザリーに、ゴクリと喉を鳴らす僕。
もう随分ともったいぶるじゃん。僕苦手なんだよねこういうの。なんか緊張するというかさ。
「結論から言うとお前さんがオークになった原因は生命の女神の勘違いさ」
耳を疑うような原因に僕は思わず「はっ?」と呟いた。
「お前さんの言いたいことはよーく分かる。だが、今は冷静に聞きな」
ロザリーはジロリと釘を刺すように凝視する。その強い眼差しに僕は動揺を隠せないまま頷く。
「――あの女神は少々ドジな部分があってね。もちろん他の神や人間の居る前では生命の女神に相応しい振る舞いをしている。でも、ひとりのときだとそれが何故か出来ない。いいや、これは言葉の意味が正しくないね。正確には肝心なときにうっかりや重要なミスをしてしまうんだよ。運が悪いことにお前さんはそのミスに巻き込まれたんだ」
え、ええ~、他人に指摘されなくても分かる。僕は今すっごく微妙な顔をしてる。そんな僕を見てロザリーばあさんも困ったような表情を浮かべてる。
「まぁ誰だってミスはするものだからと言いたいけど……」
かなり質(たち)の悪い性質だよねそれ。たぶん本人に悪気がないから余計に。そして、被害は周りの人たちに向かう。察するにこれまでに何度か似たような事例があって、ロザリーばあさんはそれを解決するために奔走してる気がする。
「それで生命の女神様が犯したミスって何なの?」
「言っただろう女神の勘違いだって」
一体何を勘違いすることがあるのかと首を傾げる僕に、ロザリーは淡々と告げる。
「さっきも言った通り、お前さんの魂を輪廻の環に送るのは非常に拙い。その後の処置に大いに頭を悩ませた生命の女神は、なら新たな肉体を与えて転生させればいいじゃんと考えたのさ。それならもしまた死んだとしてもこちらの世界で処理することができる。だが、ここで女神のドジが発動した」
「は、ははは……薄っすらとだけどこの後の展開が読めてきたよ」
「へぇ、そうかい? 随分と察しが良いね。――お前さんの魂の記憶を覗き見してオークと呼ばれてることを知った生命の女神は、自らの力でオークの身体だけを作りそこに魂を定着させた。少し確認すればミスも気づけただろうにね。どうりで私のところへ慌てて駆け込んできたわけだ。気まずそうな顔をしていた理由にも納得だよ」
ひとりでうんうんと頷いているロザリーばあさん。僕はそれどころじゃなかった。まさかすぎる理由を聞いて愕然とし嘆き悲しむ。
「想像してたよりもずっとしょうもない理由だった。これなら女神様の気まぐれって言われた方がまだ納得できる」
床に両手両膝をついて肩を落とす僕。ロザリーばあさんは今気づいたとばかりに驚きの声を上げる。
「お前さん、その手に持っているのを見せてごらん」
えっ?と僕は顔を上げる。そういえば腕輪を手に取ってそのままだった、ヤバイ怒られると表情を強張らせる。
「別に怒っちゃいないからさっさとよこしな。――――おまえさんこれはどこから見つけたんだい?」
僕から受け取った腕輪をじっと見つめ、どこか懐かしむような顔を浮かべたあと、ロザリーばあさんがフッと笑う。そして、腕輪をぽいっと放り投げる。
「おっと、ちょっとこれ大事なものなんじゃないの?」
床に落ちる前に受け取ることができてホッとする。こういう高そうな物とかが傷つくのは焦るんだよね。だから人の物とかを扱うときは僕はかなり気をつかっちゃうタイプ。
「そうさね。少なくとも大国一つは買えるぐらいの金額が動くよ。それこそ至宝と呼ばれるほどで、時代の権力者たちが奪いあったとされるほどの魔道具さ」
それを聞いて僕は改めて腕輪をまじまじと凝視する。
とてもじゃないけど至宝と呼ばれるほどの物には見えなかった。パッと見ただの銀色の腕輪。露店とかにあるシルバーアクセサリーっぽい見た目をしている。
「ふ~ん、これが?」
僕が疑いの眼差しで見ると、ロザリーばあさんはすっごい悪い笑みで「利き腕じゃない方の腕に嵌めてみな」と言ってきた。
「そんな顔されて腕輪を嵌める奴はいないと思うんだけど……」
と腕輪をロザリーばあさんに突き出して言う僕。そんな僕に対してロザリーばあさんはポロっとこぼす。
「その腕輪は戦闘中一度だけ魔法を吸収し無効化してくれるんだけどね。しかも、所有者をサポートしてくれて、他にも驚くべき機能が備え……まぁ、要らないなら返してもらおうか」
「待って! いる。いるからっ。今さら返せって言ったってもう遅いからね!」
すぐに手を引っ込め、僕は左手に腕輪を嵌める。カチッと音が鳴り、複雑な幾何学模様が浮かび上がったと思ったら、外装が砕け真っ赤な深紅の宝石が出てきた。
腕輪を嵌める前と全く違う。ブランド品を扱う装飾品店の中でも最高級品と同じ、いやそれ以上の価値がありそうな、まさに至宝と呼んでもいいほどの見た目に変化したことに、内心ガッツポーズを取る。
「必死にならなくても言わないから安心しな。それよりもどうだい腕輪は?」
どうって言われても高そうな宝石が点滅してるだけだけど、と僕はロザリーばあさんに目配せをする。
「見な。そろそろ目覚めるよ」
『人類存続救済システム、機械仕掛けの神シリーズ二号機:エクス。新たな所有者(マスター)の生命反応を登録。冬眠(スリープ)モードからの回復まで5秒…3秒、2秒、1秒、ゼロ。システムの再起動を正常に行われたことを確認。――どうか叡智と幸運を貴方に』
なんかすっごい重大な事がさらっと喋ったような気がする。人類存続救済システム? 機械仕掛けの神シリーズ? って何だよとツッコミたい。
「あーよく寝たぜ。誰だ俺様を目覚めさせた運の良い奴は。最初が肝心だからなら上下関係をしっかりと刻んで見込みがありそうなら下僕として――っておいっ、ババアじゃねぇか! いや、ババアが俺様を目覚めさせたわけじゃなさそうだな。ん? なんだこのオークは? ババアの非常食かなんかか?」
目覚めて早々この口の悪さ。これだけで分かる。こいつは自分至上主義の自己中野郎だと。僕が一番苦手するタイプだよ絶対。
「馬鹿言ってんじゃないよ。何百年ぶりの目覚めで寝ぼけてるのかい? エクス、このオークはお前の所有者だ」
一秒、二秒、三秒と返事がなく、エクスと呼ばれた腕輪に付けられた紅い宝石が点滅を繰り返してる。
「はぁ!? この豚が俺様の所有者だと!! 待て、待て待て待て、まさか本当に冗談だろ。――ああ、クソッたれ! マジで豚が所有者として登録されてやがる!」
「違うっ! 僕は人間だ!」
豚と言われ聞き捨てならないと間髪入れず叫ぶ僕に、エクスは「ババア?」と訊ねる。
ロザリーばあさんはハァとため息をついてもう一度僕がオークになった経緯を説明し始めた。
全て聞いたエクスはどう反応したかと言うと、
「ブハッ! ブハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
腹の底からの大爆笑だった。しかも、つられたロザリーばあさんも笑っている。
「フェッフェッフェッ、そんなに笑うんじゃないよ。可哀そうじゃないか」
「これが笑わないでいられるかってんだ! よりにもよってオークになるとかお前一体何をしたらそんな目に遭うんだよ。ブハハハハハ!」
ぐっ、黙って聞いていれば好き勝手言いやがって。僕だって好きでオークになったわけじゃない。というかロザリーばあさんは笑っちゃ駄目な立場だろ!
「うるさーい! 温厚な僕でもブチ切れるぞおい!」
「豚が顔を真っ赤にして怒ってやがるぜ。ブハハハハッハハハアハッハハ!!」
駄目だ。こいつに何を言っても笑われる。一旦冷静になってこめかみをヒクつかせながら僕はロザリーばあさんを見る。目配せを察したロザリーばあさんはゴホンと咳払いをする。
「話が進まないから笑うのはそこまでにしな」
「ブハハハハ! はぁはぁ、こんなに笑ったのは初めてかもしれねぇな。ま、気分が良いから話ぐらいは聞いてやる。俺様を装備させたってことはこのオークに何かをさせるつもりなんだろ?」
「フッ、話が早いね。その通りだよ」
会話においてかれてポカーン状態の僕。何かをしないといけないことだけが判明し「えっ?」と声を出す。
そんな僕を見てエクスが馬鹿にした口調で「大丈夫かこいつ?」ロザリーばあさんは「さぁ?」とどうでもよさそうに言う。
「さて、話の続きだ。これからお前さんはとある迷宮に挑んでもらう。悪いがこれは強制で拒否権はないよ」
「おい、ババア。その迷宮ってまさか……」
「話の途中で口を挟むんじゃないよっ。だが、エクスの想像通りさ」
それを聞いてエクスは「あー、終わったな。ドンマイ」と嘆く。僕は「やめてくれない? 話を聞く前から不安を煽るようなことを言うの」と不安と怯えた顔を浮かべる。
「お前さんに挑んでもらう迷宮の名は、【死者の迷宮】。今だ誰も踏破したことがない難攻不落の大迷宮さ。ちなみにこの迷宮は第一層から第百層まであり地下へと目指し進んでいく。出口は存在してないから攻略するまでは外に出ることは不可能だよ」
えーっと、情報が多すぎて頭が混乱してる。
死者の迷宮、難攻不落、第一層から第百層まで、出口なし攻略するまで迷宮の外に出ることは不可能。
これらの単語が脳内で繰り返し呟かれ、そしてやっと理解したときには大声を上げてロザリーばあさんに詰め寄っていた。
「ちょっと待ってくれっ!! 死者の迷宮を攻略するのは百歩譲っていいとして。いや、良くないけど、誰も攻略したことがないってそれって無理と言ってるようなものじゃん。しかも、迷宮の外に出ることが出来ないとか、はぁ!?」
「うるさいねぇ。見苦しいから落ちつきな」
「人が慌てる様を見るのは何度見ても飽きねぇし面白れぇな。ブハハハハハハハッ!」
落ち着け。ここで僕が怒っても事態は何も好転しない。
目を瞑り大きく息を吐く。左腕にある腕輪から聞こえる憎たらしい笑い声を頑張って無視する。
「ごめん、ロザリーばあさん。少し取り乱しちゃった。話の続きをお願いしていい?」
どこか感心したようにロザリーばあさんは頷き口を開く。
「いいだろう。――まず何でお前さんが死者の迷宮へ挑むのか。こちらの都合とはいえ一度死んだというのに転生することは普通はあってはならないことだ。世界の理に反するし、何より不公平だ。それは理解できるだろう?」
「う、うん、それは分かってる」
僕はハッとして頷いた。
今、こうして当たり前のように会話をしてるけど本当だったら、天国へ行くなり女神様の手で輪廻の環へ送られてるはずなんだ。
そう考えたら今さらだけど死んだことを実感した。そして、もっと真面目に話を聞こうとして自然と背筋が伸びる。
「だから死者の迷宮へと送られるのさ。お前さんのような例外を除いて新しく外から中へ入ること出来ず、迷宮の中から外へは出ることは絶対に不可能。迷宮の最下層に居るのは神々の時代から存在する真なる竜種。これを普通の人間が倒すことはすなわち死を乗り越えたと同じ。もし、奇跡のような確率で討伐したとしたらそれは神すらも認める偉業を成し遂げたってことさ。そのときお前さんは本当の意味で自由となる。それがさっき私が生命の女神に聞いた神々たちの決定だよ」
「ハッ、何が自由だよ。くそったれな神々の連中の考えそうなことだぜ。最初から達成させるつもりがねぇのが見え見えじゃねぇか。自分たちの不始末を隠匿するためにここまでやるかね普通」
「それに関しては同意見だね。さっきはああは言ったが別に地上へ転生させたって特に問題はないんだよ。一応伝えておくと生命の女神は最後まで反論し撤回を求めてたんだけどね。自分のミスでこの事態を引き起こした関係上、あまり強くは言えなくて押し切られてしまったのさ。そういうわけだからあまり恨まないでやっておくれ。あの子は優しくて繊細なんだ」
そう言ってロザリーばあさんは僕の方を見た。表情はやれやれと呆れている感じだけど目がすごく優しい。例えるなら自分の大事な孫を眺めているときのような心配そうに気遣っている様子。
たぶんこれが最上の結果なんだろうと納得し、うんと頷き「わかった」と答える。
「あ~あ、くだらねぇ。本当に優しかったら無理を通すだろうが。慈悲深いで有名でも神は神だ。その本質は我儘で自分勝手。人類存続のためとか言って平気で人間を殺す。気まぐれで己の力の一部を貸したり、どうなるか分かっているはずなのに悪人に力を与えたりもする。新しい玩具を与えられた子供なんだよ。安全なところから高見の見物をして楽しんでやがるんだ」
本当なの?とロザリーばあさんの方をチラリと見る。一泊おいてからロザリーばあさんはため息をついてから静かに頷く。
「フンッ、全ての神がそうなわけじゃない。そういう神がいるっていうだけな話さ。あの子は数少ない例外だよ」
「ハッ、どうだか」
ギロっとエクスをにらみつけるロザリーばあさん。「侮辱は許さないよ」「まだ何も言ってねぇだろ」とやり取りするのを傍から見る僕。
随分仲が良いように見えるけどこの二人は一体どういう関係なんだろうか。エクスが腕輪じゃなければ昔は恋人関係だったとかもありそうだけどね。長い付き合いなのは間違いなさそうだけど。
「話を戻させてもらうよ。――お前さんにはこれから死者の迷宮に挑んでもらう。これは決定事項で覆すことはできない。これからお前さんを死者の迷宮を送るわけだが、その前に特典について話しておかないとね」
「特典?」
その言葉を聞いて心臓がドキッと跳ねる。もしかして僕にチート能力をくれるとか? 異世界転生系のファンタジーでお決まり展開に表情が自然とニヤけてしまう。
「そうさ。伝説のドラゴンを討伐し死者の迷宮を踏破した者に与えられる特典。その者の願いをなんでも一つ叶えてくれる。ま、ありきたりな話だね」
はぁ、僕のテンションは急降下。そんなの特典でも何でもないじゃん。さっき自分で誰も踏破したことのない迷宮だって言ってたんだからさ。
不満そうな顔で半目で見つめていると、ロザリーばあさんは「そんな顔をするんじゃないよ。これは古からの決まりなのさ」と告げる。
「ムダムダムダ、意味がねぇよ。豚野郎には到底不可能さ」
僕は自分の左腕にある腕輪をにらみつける。紅い宝石が喋るたびチカチカと点滅するのが妙にむかつく。そんなのやってみなきゃ分からないだろと言えないのがつらい。
「詳しいことはエクスに聞きな。大抵のことは知ってるはずさ」
ええ~、こいつに聞くの?とめちゃくちゃ嫌な表情を浮かべる僕を無視して話を続けるロザリーばあさん。
「これからお前さんを死者の迷宮に送るわけだが、私から餞別の意味を込めて名付けをしてやろうじゃないか。ありがたく思いな」
「えっ?」
何を言ってるんだろうこのばあさんは。僕には田上敦って親から貰った立派な名前があるんだけど。と、困惑していたらエクスがまさに驚愕といった様子で叫び声をあげた。
「何!? ババアが名付けだとっ!!」
いきなりどうしたと僕はエクスを見下ろす。たがが、名前を付けるくらいにそんな驚くことがある? そもそも僕には必要がないじゃん。
「うるさいよ。これから幾多の苦難が待ち受ける豚ちゃんにせめてもの餞別と生命の女神がやらかしたことに対してのお詫びさ」
「そんな善人じゃねぇだろうが、ババア。気に入らねぇ奴ならトコトン嫌って世界の果てまで追い詰めて嫌がらせするタイプのくせによ。これは明日は大災害が起きるんじゃねぇの、ブハハハハ!」
あー確かにロザリーばあさんはそんな感じする。これに関してはエクスと解釈が一致だね。この短い間に見て会話しただけで敵に回したら駄目だって分かるし。
「いや、だから僕には田上敦って名前があるんだけど」
「それは人間のときの名前だろう? オークのときの名前がまだないじゃないか。私はその名前を付けてやると言ってるんだ」
へ? 別に人間のときもオークのときも田上敦で良いと思うけど……駄目なの?
「その表情はイマイチ理解できていない顔だね。……そうだね。お前さんの世界では言葉には力が宿るって聞いたことはないかい? いわゆる言霊ってやつさ」
「うーん、聞いたことがあるような、ないような」
「まぁいいさ。私が言いたいのは、名前は特に重要でそれがあるのとないのとでは天と地ほどの差がある。ってことだよ。よーく覚えておきな」
なるほど、つまり僕には人間の名前はあるけどオークの名前はない。それは一緒じゃなくて別々。現在の僕はオークだから名前はない。それだとかなりマズいからロザリーばあさんが名前を付けてくれるってことか。
「ハッ、良かったじゃねぇか豚野郎。ババアから名付けは滅多にねぇぜ。大国の王や権力者たちが願って断られてきた。力のある魔法使いからの名付けにはそれだけで意味がある。絶大な力を持つババアなら運命すら捻じ曲げられるかもしれねぇぞ」
へぇーあまりピンっとこないけど。運命を捻じ曲げるとかはさすがにそれは言い過ぎじゃない? それよりも気がかりなのはロザリーばあさんのネーミングセンス。大丈夫かな。ものすっごい不安だ。
「いや、まぁそりゃあありがたいけどさ……ロザリーばあさんのセンスって良いと思う?」
うんうんと悩んでいるロザリーばあさんに気づかれないようこそっとエクスに訊ねる僕。「俺様が知るか」と素っ気ない返事をするエクス。せめてまともな名前をと祈りながら見守っていたら、
「よし!! 決めたよ! 豚ちゃん。今からお前さんの名前はトンだよ!!」
ははは、どうやら女神様は僕を見捨てたらしい。というか絶対に豚だからトンにしただろロザリーばあさん。所詮はオーク。豚から離れられないってことか。
「ブハハハハッ! 良かったじゃねぇか。なぁおい!」
ぐっ、こいつ分かってて煽ってやがるな。何が良いものか。これから僕はずっとお前は豚だと言われ続けるんだぞ。ふざけんなよちくしょうっ!
「あの~別のが良いって言ったら……いえ、何でもないです。その名前で構いません」
表面上は笑顔だけど目が笑ってなかった。一つでも不満を漏らしたらあの目は僕を丸焼きにするつもりだったに違いない。
「そんな涙を流すほど喜ぶとは思わなかったよ。こっちも名付けたかいがあったさ」
「ブハハハハ! 豚が泣いてるぜ。おっと間違った。トンが泣いてるだったか。訂正するわ。俺様反省」
このふたり実は仲が良いだろ。僕は涙を腕で拭って意識を切り替える。ロザリーばあさんの顔が真剣なものに変わる。
「さてと、ここまで聞いた話の中で分からなかったことや質問したいことはないかい? 特別サービスだ。一つぐらいなら答えてやってもいい」
意味深にニヤリと笑うロザリーばあさんに、僕はムムムと眉間に皺を寄せて悩む。
「そんなこと言われても……」
チラリと左腕にあるエクスを見る。それから自分の身体を眺める。改めて見て不思議な感じに心が妙にざわつく。心は人間、身体はオーク。なのに違和感が全くない。思い通りに腕を振り回し足が動く。手の指とか若干違うところもあるけど不便さは感じなかった。あまりにも出来すぎてる感じがしてちょっと怖いや。
「そうだ。なら、本当にもうこれ以上は問題ないんだよね?」
「ほう――それは一体どういう意味だい?」
僕の問いが予想外だったのか口元に笑みを浮かべながら聞き返してきたロザリーばあさん。こちらを睨む目が変な質問だったら許さないよと言っている。
「そのままの意味だよ。生命の女神様の勘違いで僕はオークの身体に転生をした。今のところは特に問題なく動けてる。でも、後々ヤバイ不具合が見つかるかもしれない。一度あることは二度ある。でしょ?」
「女神の御業にそんなことはあり得ない。とは言えないね。既に一度やらかしてる。それでトンは何が言いたいんだい?」
そう言うロザリーばあさんから物凄い圧が襲ってきた。何もされていないのに見えない何かに押され、おそらく僕のオークとしての本能が超ヤバイと警報を鳴らしている。自然とゴクリと喉を鳴らし、口の中がカラッカラに乾燥して手汗がびっしょりだなと関係ないことが脳裏に過った。
「もし、これから先に何か問題が発覚したらロザリーばあさんが責任をもって対処してほしいんだ。ロザリーばあさんは生命の女神様の代理だから……駄目?」
さすがに無茶を言ったかと僕は恐る恐る様子を窺う。しかし、どうやらそれは杞憂だったみたい。
「フフッ、確かにトンの言う通りさね。いいだろう。こちら側の不手際でそのオークの身体に問題が起きたら責任を持って私が対処してやろうじゃないか」
「お前、よくバアア相手に交渉とかしたな。命知らずにも程があるぞ」
え? そんなに? もしかしてロザリーばあさんの機嫌を損ねてたら死んでた可能性があったりして……。
「まさか、そんな嫌な気分になったからって殺したりしないでしょ。だよねロザリーばあさん?」
「答えるのは一つだけと言っただろう。トン、これからお前さんを死者の迷宮の第一階層へと送る。――準備はいいかい?」
違うと答えないところが怖いって。というか僕に聞く意味ないじゃん。どうせ準備がまだと言っても送るくせに。
「うん、いいよ」
僕は一応返事をして身構える。始まり、最初の一歩。今、ドキドキとワクワクで頭の中がいっぱいだ。たぶんこれからロザリーばあさんの魔法で死者の迷宮へと通じる扉(ゲート)が現れるんだろう。ゲームや漫画、小説の中でしかあり得なかった光景が待ってるんだ。
「じゃあ行ってきな! そんなすぐに死ぬんじゃないよっ!!」
突如襲う謎の浮遊感に思わず声が漏れる。
「へぇ?」
真下に顔を動かせば底が見えない丸い穴がぽっかりと空いていた。今さら抗おうとしても無駄。手足をバタバタと動かしても空を切るだけで意味がなかった。
目線をロザリーばあさんに戻すと、してやったりとニタリ顔で笑っている。その瞬間、最初からそのつもりだったなと悟って腹の底からの叫び声を上げ、僕は奈落の底へと落ちていった。
「ふざけんなっ! クソババアアアアアアアアアアアアアア!!」
下へ下へと降り遠ざかっていく僕。中指を立てて見下すロザリーばあさん。「ブヒブヒうるせぇぞ豚野郎!」とマイペースなエクス。
豆粒ほどの大きさになったロザリーばあさんを眺めながら僕はボソッと呟く。「あれ? これって地面にぶつかったときブチっとミンチにならない?」きっと大丈夫だと思いチラッと真下を見る。
未だ底の見えない真っ黒な穴にタラリと汗が一筋頬を伝う。信じてるからね? 絶対に絶対に大丈夫だよね!? と心の中で絶叫しつつ、怖くなって目をギュッと瞑り、僕は一刻も早く死者の迷宮に着くことを祈った。
「あだっ!」
おもいっきりお尻を地面に打ち付けて悶える僕。手で押さえようとして届かなかった。悲しいかなオークの身体だから手足が短い。いや、手足が短いのは人間のころからか。
「イテテテ、絶対に後で仕返ししてやる」「ババアに仕返しとか自殺行為だからやめとけ」
立ち上がって周囲を見渡す僕。オークに転生して初めて降り立った異世界の土地に感動というか、こう心にジーンとくるものがある。
「残念なのは地味で周りに岩山しかなくて景色が茶色ってことだね。見た感じ洞窟の中だと思うけど……なんか明るい?」
さすがに外と同じぐらい明るくはないけどね。何でだろうと光ってる場所を凝視するとその原因が分かった。天井や壁に埋まってる鉱石のようなものが常に発光してるのが見える。
「ねぇ、あの光ってる石って何?」
「ああ? 魔光石だな。光る以外なんの意味のねぇただの石だ」
うーん、石が光るなんてファンタジーだね。見上げるぐらい高い天井に、でこぼことそこらじゅうに生えてる岩山。見たことのない形と不可思議な色が混じった茸。地球にいたときよりもずっと空気がうまくて、こころなしか目に映る景色も鮮明に見える。ロザリーばあさんの言うことが正しいのならここは死者の迷宮の第一階層。全体の百分の一と考えたらかなり広い。僕のイメージだと洞窟の中は狭くてジメジメしてて息苦しい場所だったんだけど、それは違ったみたいだ。
「これからどうしようかエクス」
「俺様が知るか。勝手に進んで、勝手に死ね。そうしたら俺様は再び眠りにつくだけだからな」
あれ? 僕の迷宮攻略を助けるためのサポートアイテムだよなこいつ。不良品(ポンコツ)をつかまされた消費者の気持ちってこんな感じか。最悪だ。
「お前、起動するとき僕を新たな所有者として登録したとか言ってたぞ。ロザリーばあさんも僕をサポートしてくれるって……」
「うぜぇ。ババアが何を言ったか知らねぇよ。それに一つ言っておく。俺様はお前を認めていねぇ。認めていねぇ奴を何で俺様がサポートしなくちゃならねぇんだ。そうだな、お前が人間に戻れたら考えてやってもいいぜ」
「――ああ、何で僕はオークになった上に呪いのアイテムまで装備しなくちゃいけないんだ。神は…いや、女神様は僕にさらなる試練を与えようとしているとか、酷すぎる」
僕が人間に戻っているということは、第百階層にいる伝説のドラゴンを倒し死者の迷宮を攻略したのと同義ってことだ。そのときにはサポートアイテムのエクスは用済み。つまりこいつは僕をサポートする気はこれっぽっちもないって言って馬鹿にしてる。
「ブハハハハ! それについては俺様も同情してやるよ。オークに転生とかすぐに首を吊って死ぬな俺様なら」
反論しようとして、オークの良いところを一つでもあげようと考えて、思い浮かばないことに絶望した。
「お前に同情されても嬉しくなんてないよもうっ! サポートするつもりがないなら黙っててくれ」
なおもブハハハハ!と笑い続けるエクスは放っておく。正直、これから何をすればいいのか全く分からない。分かっているのはここが死者の迷宮の第一階層なだけ。地図もないから前か後ろか右か左かどちらを進めばいいのか。そもそもまさか着の身着のまま放り出されるとは思ってなかった。せめて当面の水と食料、魔物が出るんなら武器ぐらいは与えてくれても良かったんじゃないの!?
「まずは水と食料の確保かな。異世界に転生したのに死亡原因が餓死は避けたいもん」
ようやく笑うのを止めたエクス。途端に静まり返る洞窟内に僕の身体は自然とぶるりと震える。見知らぬ土地にひとりポツンと佇むオークが一匹。エクス? 喋る腕輪は居ても意味ないのでカウントはしません。
「ハッ、そんな悠長なことを言ってる時点でお前は駄目なんだよ」
「いきなり何? サポートはしないんじゃなかったのか」
「ああ、するつもりはねぇ。が、こんなのはサポートの内には入らねぇだろ。もう少し周囲を警戒した方がいいぜ。――ほらっ、お出ましだ」
えっ? もしかしてと懸念事項が脳裏に浮かび僕は周りを見渡す。ザッザッザッ、と何者かが近づいてくる足音が聞こえ振り返る。とは言ってもまだ距離もあり魔光石のない場所からでもあったため姿が見えない。よーく目を凝らしてやっと全体像がうっすらと判明した。
暗い闇の中から現れたのは、全身が緑色の醜悪な面をした小人。ファンタジーでお馴染みの【ゴブリン】だった。
初めての魔物との遭遇だとか、これなら素手の僕でも勝てそうだなとホッと胸をなでおろしたのもつかの間、続々と仲間たちが現れ横に展開していく。
総勢十五体ほどのゴブリンがこん棒や錆びた剣、ボロボロの槍、石の斧を持って僕を威嚇している。
一応、身体はオークで魔物だから仲間ルートに入ってるんじゃないかと期待していた。しかし、そんな上手い話などはなく明確な敵として認識されている。
「こんな唐突にエンカウントするものなの、エクス。僕、まだ心の準備ができていないよ」
「何をそんな焦ってやがる。お前はオークだろうが。フンッ、お手並み拝見って奴だな」
いやいやいや、相手の人数を見てよ! エクスのやつ僕が勝てる前提で言ってるけど無理でしょこれ。武器持ってるし!
「き、来た! どどどどうすれば!? と、とりあえず何の武器も持ってないやつ先に倒そう!」
一斉に襲い掛かって来たゴブリンたちに対し、僕は唯一武器なしのゴブリンへ向かって走りだす。
平和な日本に生まれ一般的な高校生だった僕は当然ながら喧嘩をしたことがなく、つまり人を殴ったことがない。だから頭の中ではこの後どうしようと他人事のように考えている。そのせいか僕は進行方向にあった小石というには少々大きすぎる石に気づくことができなかった。
「あっ」
地面に置かれた石に足を取られた間抜けなオークの声が洞窟内に響き渡る。
ズサザザーーン! 盛大に転んだ僕はその勢いのままゴブリンの目の前まで移動し、そして目が合った。
世界が止まった気がする。お互いに困惑した顔を浮かべ身体を硬直させている。
「ブ、ブヒィ?」
やぁ元気? と挨拶したつもりで右手を上げる。武器なしゴブリンもつられて右手を上げる。茶番はここまでだった。気づけば僕は他のゴブリンたちにぐるりと輪の中に囲まれていた。
「ゴブブーーーーーー!!」
一体のゴブリンの雄叫びとともに袋叩きにされる僕。「ブヒィィィ! やめてくれブヒィ!!」と情けない悲鳴を上げ頭を抱えて身体を丸める。
「まっ、待ってくれ。暴力はいけない。は、話し合おうじゃないか。平和的解決をっ!」
「馬鹿かお前はっ! いいからとっとと逃げろ!!」
エクスの声にハッとして僕は勢いよく両腕を左右に広げて立ち上がる。そして、吹き飛ばされ地面に転がるゴブリンたちに目も向けずに一目散に逃走を開始する。
「ゴ、ゴブブ!?」
背後からゴブリンたちの戸惑う声が聞こえる。
そうだよね。まさかオークが尻尾撒いて逃げるとは思わないよね。ごめんね。僕は逃げる。
当然、ゴブリンたちも豚頭人(オーク)を逃がさないと追いかけてきた。
「な、情けねぇ。情けなさすぎる。仮にも俺様の所有者がこんな雑魚魔物(ゴブリン)を相手に逃げるやつとは……はぁ、怒りを通り越して呆れるぜ」
僕はドスドスドスと足音を鳴らし、見た目からは想像がつかないほどの速さで走る。最後に本気で走ったのはいつだっただろうか。まだ僕がギリギリ痩せていた時代だから小学六年生のときの運動会だったっけ。久しぶりなのに意外と走れるんだなと思いつつ、後ろをチラッと見る。
文字通り鬼の形相で追いかけて来るゴブリンに、そんな本気(マジ)にならなくてもいいじゃんと心の中で文句を言う。
「はぁ、はぁ、はぁ、いいか……げん、しつこいぞ!」
ゴブリンたちは僕に追いつくことはできないみたいだ。このままいけば逃げられると思う。ある程度まで距離が離れたら諦めてほしいけどそんな上手い話はないよね。
「くそっ、僕を地の果てまで追いかけてやるって顔つきをしてるよ!」
「だろうな。餌だと分かったオークを逃がす意味が分からねぇ。ま、頑張れ。俺様は寝る」
そ、そんなぁ! 僕の方が速いとはいえそこまで差はないからゴブリンたちが僕を見失う可能性は捨てた方がいい。ははは、こうなったらどちらかが諦めるまでの地獄の耐久マラソンだっ!!
「う、うぅ、異世界に来て早々全力で逃走とか情けなさすぎるっ!!」
この後、およそ1時間以上に渡る追いかけっこの末に、僕は何とかゴブリンたちから逃げ切ることが出来ましたとさ。
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