第1話
「殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
背後から聞こえる物騒な声に僕はピンク色の太い首を動かしチラリと見る。
騎士服を着た金髪の美少女が、刀身の細い剣を片手にまるで親の仇を見るような目つきで睨んでいた。
絶対に殺すという意思を感じ取り、僕はブルっと全身を震わせ、全速力でゴツゴツとした岩の地面を駆ける。
「ブヒィィィッ! 待って! お願いだから落ちついてよっ。誤解だよ僕はオークじゃない人間なんだ!」
僕は必死に走りながら上を向いて大声で叫んだ。
ピタッと怨嗟の声が止んで、現場がシーンと静かになる。
怖いぐらいの静寂にドキドキしつつも、足を止め笑顔で後ろを振り返り、すぐに逃走を再開した。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「オーク風情が調子に乗りすぎなのじゃ」
「フフフ、豚が死になさい」
「簡単に死ねると思うな。斬り刻んでやる」
「皆さん、私の話を聞いてください。そのオークは……」
えっ、何で? どうしてあんなに怒ってるの? 僕、何もしてないよね!?
「ブヒィ、ブヒィ、ブヒィ、信じられないかもしれないけど僕は人間なんだってっ!」
一縷の望みをかけて振り向き、僕は真剣な眼差しで彼女たちに向かって叫ぶ。だが、そんな願いもむなしくむしろ事態は悪化した。
「このオークめっ! フィリアは私に強化魔法をベアトリスはあいつの足を止めてくれ!」
女騎士が長耳の金髪美女と三角帽子と杖を持った黒髪美女に指示を飛ばす。
「アリス、待てっ! そいつは近頃噂されている特殊個体のオーク、何をしてくるか分からん! 油断なく皆で仕留めるべきじゃ!」
真っ黒なゴシックドレスを着た幼女が女騎士に向かって叫ぶ。
「何を言う、レナ! このまま逃がしてもいいのかっ! 所詮はオークだ恐れるに足らん。我が剣の一撃をもって仕留めてやる!」
ちょっ、ちょっと待ってくれ! ものすごく物騒なこと言ってる気がするんだけど!?
ははは、めちゃくちゃ嫌な予感がする。
具体的に言うと、僕を殺そうと力を集中させてたり、オークの弱点である火の魔法を放とうとしている気配がする。
「ほら、やっぱり」
オークとしての生存本能がここから離れろと叫んでいる。
短い豚の手足を懸命に動かして逃げようとするが、後ろを振り返ったときそれも無駄だと理解してしまった。
アリスの全身に淡い光が漂い、ベアトリスの持つ杖の先には近づくものを焼き尽くさんとばかりに炎が渦状に燃え上がっている。
「やれっ! ベアトリス!」
合図を送るアリス。ベアトリスによる魔法の詠唱が紡がれていく。
「……我が魔力を喰らい眼前の敵を灼熱の業火にて焼き尽くせ【インフェルノブレイズ】」
たかが豚一匹相手に放つとは思えない魔法に、僕は恐怖に顔を歪め泣きそうになりながら左手を前に突き出した。
「なっ!? そんな馬鹿な!」
ベアトリスの放った魔法は僕の左手にある銀色の腕輪に吸い込まれ消えてなくなってしまった。
彼女ら全員がありえないといった表情で僕を見ている。
先頭を走っていたアリスでさえその動きを止め驚いていた。
これ幸いとばかりに僕は逃走を再開し一目散に地面を駆けていく。
あまりのショックからまだ抜けていないのか追いかけてくる気配がない。
このまま逃げられるといいんだけど、たぶんそんな上手くはいかないと思う。
「ブハハハハハハハハハ! 見たかあの女どもの間抜け面を、まさかオークが魔法を防ぐとは思わなかったんだろうな。オイ、感謝の言葉はどうした豚野郎」
癇に障る笑い声に僕は思わず顔を顰める。
聞くだけで殴りたくなるような声は僕の左腕に嵌められた腕輪から、厳密に言うと血のように真っ赤な深紅の宝石から発せられた。
「うるさい! 誰が豚野郎だ! 僕の名前は田上(たがみ)敦(あつし)だって言ってるだろっ、エクス!」
僕の左手に嵌められたこの腕輪は名前をエクスという。
自分を生命の女神の代理と名乗る怪しい老婆から貰ったものだ。
ずっとずっとすごーく昔に作られたマジックアイテムで、ものの価値としてはこれだけで至宝と称しても過言でないぐらい高いらしい。
意思のある腕輪。所有者をサポートする目的で作られ、魔法を無効化する力がある。
これを貰えると聞いたとき、僕は瞳を輝かせて欲しいと言ったわけだが、それはすぐに後悔へと変わった。
腕輪に宿る意思というのがとんでもないクソ野郎だったからだ。
口を開けば人の悪口、性格は終わってる、自分至上主義の俺様野郎、それが僕が抱いた印象。五分後にはいらないから返すと言ったら返品は受け付けていないと断られた。
「あ~ん? ブハハハ、違うだろうが。今のお前の名前は田上敦じゃない。読み方が違うだけで豚野郎で合ってるだろ。ぶ・た・や・ろ・う」
「ぐっ、ちくしょう。言い返せないのが悔しい!」
異世界に転生する前の人間だった頃の僕の名前は田上敦。
そして、現在は豚頭人(オーク)、名前はトン。そう豚だ。
このセンスのない酷い名前を付けたのは僕じゃない。
あの老婆が、ロザリー婆さんが無理やり押し付けてきたんだ。
真っ白な髪、皺だらけの顔、くの字に曲がっているもののしっかりとした足腰、全身をボロボロのローブで隠しているという怪しさ満点の恰好、見た目は完全に森の奥に住む山姥。
そして、中身もイカれてる。
なにせクソババアと文句を言っただけで、即死魔法をぶっ放して僕を殺そうとしてくるんだ。
「ブハハハハハ、ん? おい、死にたくなかったら走る速度をもっと上げるんだな」
その言葉に僕はすごく嫌な予感を抱きつつ後ろをチラリと見る。
「ブヒィ……すっごい怒ってる。女の子がしちゃいけない顔をしてるよ」
形容しがたい表情を浮かべたアリスが一人だけ先行して追いかけて来ていた。
「オークに あそこまで馬鹿にされたんだ。ま、当然だな」
彼女たちが呆けている間にかなり距離を離したはずなのに、もう追いつかれようとしている。
なんか光ってるし、たぶんあれが身体強化魔法ってやつなんだろうな。
「どういうこと? 僕は馬鹿になんかしてないよ」
「お前、自分がどんな行動をしたかもう一度思い出してみろ」
エクスからそう言われ、僕は当時の状況を思い起こす。
二人組の女の子がいたので、敵対するつもりはないという意味を込めて両手を上に近づいたらいきなり攻撃してきた。
↓
とりあえず話を聞いてもらおうと攻撃を避けつつ、すぐ傍まで接近すると片方の女の子が泣いて命乞いをする。
↓
そんなつもりはないと声をかけて、危ないので武器を没収すると地面にへたり込んでしまう。
↓
もう一人の女の子がへたり込んだ子を庇うように立ちふさがる。
↓
同じように武器を没収。しかし、何故か二人は意識を失ってしまう。
↓
それを見て焦る僕。そのタイミングでアリスたちが登場。
↓
誤解を解こうと懸命に説明するも全て無駄で襲い掛かってくる。
↓
一目見て勝てないことを悟り逃走。
「あれ? よーく考えてみたら僕って女の子を襲い危なくなったら命乞いをするヤバい奴?」
「ま、正確には違うが正解だ――っと、喋ってる暇はないみたいだな。あれを受けたらお前肉片一つ残らねぇぞ」
ファッ!? なんかとんでもない技を繰り出そうとしてる!!
待て、待って、待ってよ! どうしよう、とてもじゃないけど避けれる気がしない。
アリスの持つ細剣に光が集まって現在進行形で輝きを増していってる。
いくら何でもオーク一匹にオーバーキルすぎるだろう!
嘆いていても問題は解決しないどころか悪化していってるので何か案は……あった。
「エクスっ! 一応聞くんだけど! アレを使う以外でこの状況を打開する手立てはっ!?」
全力でダッシュをしながら僕はエクスに向かって叫ぶ。
「ねぇよ。自分でも分かってるなら早く使え、トン。それともここで諦めても俺様は別にいいぜ。豚野郎ここで眠る、完ってな。ブハハハハ!」
このクソ野郎、勝手に終わらすな! でも、嫌なんだよなアレを使うの。
どうなるかは使ってからじゃないと効果が分からないし、失敗すれば決まって僕が不幸な目に合うんだもん。
――ってそんなこと言ってる場合じゃない! 間に合え!!
「よくもここまで手こずらせてくれたな! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇっ! 【聖なる裁きの光(ジャッジメントレイ)】」
眼前いっぱいに広がる光の輝きを見た瞬間、僕は自分が使える唯一の魔法を唱える。
「やってみなきゃ分からない。どうなるかは貴方次第。栄光か没落か。生か死か。さぁどっち?【運命の選択(ジャッジ・オア・フェイト)】」
僕は、どうか助けてくださいお願いします、と祈りを捧げて身構える。
少し不安に駆られながらもどこか安心した気持ちだった。
というのも、この魔法は発動した者が生命の危機に陥っている場合に限り、無条件で良い方向に働くという効果があるんだ。
だから魔法が発動して、薄い膜の光が僕の周りに現れたとき、命は助かったと思った。
「そんな……まさか…こんなことがっ、キャアアアアアアアアアアアアアア!」
悲鳴とともに吹き飛ぶアリス。固い地面を一回、二回、三回とバウンドをして制止し、そのまま動かない。
僕は慌てて駆け寄り、その惨状にピタッと動きを止める。
意識のないアリスがだらんと脱力した様子で仰向けに倒れている。
「ブハハハハ! えげつねぇな。あの女の一撃を反射しやがった」
自分の戦技をまともに受けた影響で、着ていた衣服がビリビリに破れてしまっている。
アリスの形の良い豊満な胸が、傷一つ染み一つない綺麗な肌が丸見えだった。
「お、女の人の裸……ごくりっ。いやいや、そんなことより死んでないよね?」
僕がそ~っと覗き見たタイミングでちょうどアリスも目を覚ました。
「き、き……さま、一体なに……を」
呂律の廻っていない声で何とか起き上がろうとするアリス。自身の髪で隠れていた胸の先端が見えてしまい、僕は慌てて目を手で隠す。
「ちょ、ちょっと待って! 動くと見えちゃうから前を隠した方が……」
そこでようやくアリスは状況を理解したのか、顔を真っ赤に染めて自分の大事なところを隠そうとする。
しかし、ダメージの抜け切れていない身体ではそれも不可能だった。
思うように動かない両手に「くっ、殺せ」と声を漏らし顔を逸らす。
あまりの羞恥に涙目で悔しそうに唇を嚙みしめる様子を見て、僕の心が痛む。
「ごめんなさい! えーっと、そうだ! これで前を隠して……あっ」
僕は上着を脱いで渡そうとして、地面に転がる拳大サイズの石に足を取られ、躓き倒れてしまった。
「イテテテ……ん? 痛くない。むしろ柔らかいや。何だろうこれ?」
人間っていうのは怪我をしないようにするため、咄嗟に両手を前に突き出すと聞いたことがある。
今回はそれが悪い方に、考えようによっては良い方に働いた。
とっても柔らかい二つの感触に僕は二回いや三回ほど手を握り開くを繰り返す。
「や、やめっ……」
頭上から聞こえる声に僕は目を開きながら上半身を起こす。
目の前には悔しそうに表情を歪ませ僕を睨みつけるアリスの顔があった。
一瞬、頭が真っ白になり、目線を下へと移すと、僕の右手と左手はアリスの巨乳をがっしりと掴んでいる。
やってしまった。もう言い逃れ出来ない。これじゃ完全にそれ目的で襲い掛かった人だ。
どれぐらい止まったままだったのだろうか、僕が動きだしたのはアリスが何かを決意し口を開いたときだった。
「このっ…汚れたオークめ! 貴様に嬲られるぐらいなら私は死を選ぶ!」
「わーーー! ちょっと待った!」
何をするかと思ったら、なんとアリスは自分で自らの舌を噛み切ろうとした。
そのため僕はバッと反射的に自分の指をアリスの口の中に突っ込み、自殺を止めさせる。
「むぐっ、んーーーーーー!」
「イテッ、お願いだから噛まないで。何もしないから大人しくしてよ」
何とか落ち着かせようとするも、そんなことはお構いなしに暴れるアリス。
ジタバタと力の入らない手足を動かしているだけなので、僕でも押さえつけることが出来ている。
時間が経つにつれて徐々に動きが鈍くなっていったアリスは、やがて全く抵抗をしなくなってしまった。
僕の話を聞いて大人しくなってくれたのかと首を傾ける。するとエクスが声を発して、
「おい、トン。手遅れにならないうちにその女の口から指を抜いてやれ」
「ブヒィ? それはどういうことだよエクス?」
この感じからしてもうアリスが自殺する心配はないと思う。僕はエクスの言う通り素直に指を引き抜く。
「その女の表情を見てみな」
「表情? うーん、なんか目が蕩けてるような……」
こう言ったらなんだけどめっちゃエロい!
アリスが僕の手をぽーっと見つめていている。ハァハァと何かを我慢するかのように荒い息を漏らしている。滴り落ちる汗が首筋から鎖骨を通って胸の谷間に落ちる。
駄目だ、駄目だ、駄目だ、見ちゃ駄目だ!
おい、田上敦! おい、トン! 紳士ならここはそっと目を逸らす場面だろ!
死んだじいちゃんが言ってただろうが、女性には優しくしろって。
ニートの叔父さんだって、そういうことは相手の合意があって成り立つものだと教えてくれたじゃないか。
だからこれは上着をかけて立ち去るべき……だけど。
僕だってオークに転生する前は平凡な男子高校生だったんだ。
人並みに性欲はあるし、そういった行為にももちろん興味がある。
今の状況を例えるなら鴨がネギを背負って鍋もコンロもついてきたみたいなそんな感じ。
ああ……僕の中の天使と悪魔が囁く。
「で、どうすんだ? この女をさらってやっちまうのかよ」
「馬鹿っ、そんなこと出来るわけないだろ!」
と言って、僕はアリスに自分の上着をかけてあげる。
ギリギリで打ち勝った内なる天使を褒めつつも、未だに熱の籠った視線で見つめてくるアリスをどうするべきか悩む。
今の状態のアリスをここに置いていくわけにはいかない。
「おい、トン。お前逃げなくてもいいのか?」
「何が?」
「は? 何がって、あいつらからだよ」
ちょうどエクスが喋ったタイミングで、遅れていたレナたちが登場する。
信じられないといった表情で僕とアリスを交互に見て、それから激情を露わにそれぞれ武器を構えた。
「貴様! 畜生の分際でよくもアリスを! 簡単に死ねるとは思わないことじゃオークよ!」
レナは一歩前に足を踏み出すが、それ以上は進もうとはしなかった。
それどころかフィリアとベアトリスが詰め寄ろうとするのを制止している。
「どうしよう! エクス何か案は!?」
「あぁん? 知らねぇよ。俺様に聞くなそれぐらい自分で考えろ」
ヤバいヤバイヤバイヤバイヤバイ! 相手はアリス一人じゃないってすっかり忘れてた!
エクスはやる気がないし、僕の魔法は一回使ったら時間が経たないと駄目だ。
あれ? これって詰んでる? もしかして僕ここで死ぬ?
せっかく女神様から二度目の人生を貰ったのに、そんなの嫌だ!
やり残したことだってたくさんある。
発売前から話題になっていた新作のゲーム、長年追い続けていたライトノベルシリーズの最終巻、もう3年は休載してる大人気漫画の続き、大好きなアニメの劇場版三部作の三作目、あとは……童貞を捨てるとか。
それもここで死んだら全てが終わりだ。
僕はレナがアリスをチラチラ見ていることに気づき、断腸の思いで行動に移す。
「う、動くなーーー! この女がどうなってもいいのかっ!」
地面にへたり込むアリスを引き寄せ盾にして僕はレナたちに向かって叫んだ。
「アリスっ!」
近づこうとしたため僕は思いっきり悪そうな笑みを浮かべて言う。
「それ以上近づいたらこの女の命はないぞ。分かったなら下がって!」
僕はアリスの首を持つ仕草をする。間違っても傷つけないように痕が残らないように優しくだ。
しかし、それは目の前にいるレナたちには分からない。
「待て! 分かった…分かったからアリスに危害を加えるな」
悔しそうな表情でレナはジリジリと後ろへ離れていく。
フィリアとベアトリスが険しい顔で僕を睨みつけている。
「ベアトリス、魔法であのオークの気を引けないか? その隙に私がアリスを取り返す」
「ええ、合図を頂戴」
武器を構えるフィリアとベアトリスにレナが強く叱る。
「馬鹿者っ! その気になればあのオークは力を込めるだけでアリスを殺せるのじゃぞ! 刺激するではない!」
「しかし、それではアリスはあのオークに!」
「せめてアリスに意識があれば……」
アリスは変わらず蕩けた表情を浮かべ身体を僕に預けている。
意識は無いに等しくここから抵抗をするのは不可能だと思う。
「あ、あのっ、オークさんどうかアリスさんを放してください!」
修道服に身を包んだシスターが語り掛けてくる。
不思議なことにその表情に怒りなどの感情はなく、迷える子羊を救う慈愛の眼差しでこっちを見ている。
僕は怪訝な顔をしつつも、少しでも距離を取ろうと後ずさりをする。
「アンジェリカ!? 一体何をするつもりじゃ。危険だから下がっておれ!」
レナに注意を受けてもなおアンジェリカの歩みは止まらず、さらに近づいて来る。
どんな意図があるのか僕は警戒心を高めて一挙一動見逃さないつもりで凝視する。
「私も貴方の人質になります。一緒に連れていってください」
僕はアンジェリカの目をじっと見つめる。
それから全身を眺める。
武器は槍だけ。見た目からしてたぶんパーティーの回復役なんだと思う。
こんなことを言うのは失礼かもしれないけど、一人だけ弱そうだ。
「分かった。一緒に来て」
そう告げてジェスチャーをするとアンジェリカはレナたちが止める間もなく、僕のすぐ傍までやって来た。
「なっ!?」
信じられない者を見るような目で、レナ・フィリア・ベアトリスはアンジェリカを凝視する。
僕もまさか人質が増えるとは思わず若干戸惑っていた。
え? いいの? っていう気持ちでアンジェリカに目線を送る。
「ええ、構いません。レナさんたちが迷っている間に行きましょう。でなければ貴方の命が危ないです」
ボソッと僕に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量でアンジェリカが言う。
「ブヒィ? うっ、た、確かに……」
チラリと視線をレナたちの方に戻すと、ものすごい眼差しで僕を見ていた。
あの様子じゃ一か八かの賭けにでてもおかしくない。
僕はアンジェリカの持つ槍を掴み無理やり奪う。そして、穂先を人質へ向ける。
そこでようやくレナたちは奪還を諦めたようだ。
「オークよ、もしもアリスとアンジェリカを傷一つつけてみよ。貴様を地獄の果てまで追いかけてでも殺してやろうぞ」
恐ろしいほどの殺気とゾッとするほど低い声で警告され、僕は恐怖で身体の芯から震えた。
「も、もちろん。そっちが追いかけてこなければ無事に返す」
ふぅ、何とか逃げられそうかな。
ははは、でもどうしてこんなことになっただろう。
僕はただ誰かと話したかっただけなのに、これじゃ完全に悪逆非道のオークだ。
それにかなり恨みも買ったと思う。
これは予知でも予言でもないただの予想だけど、僕は絶対にアリスたちにつけ狙われる。
唯一アンジェリカだけは僕を悪い目で見ていないことだけが不思議だ。
心当たりはないんだけどな……ま、いっか。
今は逃げよう。正気に戻ったアリスが、そう簡単には追いかけてこないぐらい遠くへ。
「レナさん、フィリアさん、ベアトリスさん、しばらく経ったら迎えに来てください」
僕たちとレナたちはお互いが向かい合いながら後退していく。
それは道を曲がり姿が見えなくなるのを確認し、僕はアリスをお姫様抱っこの形で持ち上げ、アンジェリカについて来るように言う。
「ごめんね。次の階層へ行く階段の手前で解放するからそこまで一緒に来て」
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約束通り次の階層へ進む階段を見つけた僕は、アリスをそっと地面に下ろしアンジェリカにお礼を言う。
「ありがとう。君のおかげで僕は何とか無事だったよ」
アンジェリカは何かを確かめるように僕の瞳を見つめてから、呪文を唱えず無詠唱で魔法を発動する。
「【聖領域結界(ホーリーフィールド)】」
僕はとっさに後ろへ跳ぶ。おそらく魔物としての本能がオークの肉体が勝手に反応したんだと思う。
アンジェリカを中心として地面に魔法陣が展開され、それから聖なる力を纏った光の膜が完成する。
「光の結界?」
ジリジリと肌を刺すような痛みにゴクリと喉を鳴らす。
近くにいるだけでこれだ。たぶん触ったらヤバいことになるんだろうなと眺めていると、
「貴方は悪い心の持ち主ではない……と思います。ですが、アリスさんのこの現状を考慮して結界を張らせていただきました」
うーん、なんか疑われている? というよりはどう判断したらいいか分からず迷っている、といった表情かな。
僕の魔法でアリスは自爆をしたんだと説明しても信じてもらえなさそうだし。
面倒くさいからもう逃げちゃおうかな。
今、この場面をレナたちに見られたら今度こそ殺されちゃうだろうしね。
というわけで、僕が二人に背を向けようとしたら。
「待ってください! どうして貴方は生命の女神の恩寵を受けているのですか? 本来なら魔物には恩寵はおろか加護ですら与えられないはず」
アンジェリカが結界越しに問いかけてきた。
それを聞いて僕はえっ、そうなの?と驚いていた。
どうやら知らぬ間に女神様の恩寵を得ていたらしい。
たぶんこのオークボディが関係しているんだと思う。
それを説明するのは簡単だけど今となっては理由を話しても信じてもらえるのか怪しい。
「もう何度も言ったけど、僕は人間だよ。信じてもらえないかもしれないけどね」
それだけを言い残すと今度こそ僕は二人に背を向ける。
アンジェリカの視線をビシバシ感じつつ、次の階層に通じる長い階段を下っていく。
死者の迷宮第六階層へ辿り着く直前に僕はとあることに気がついた。
「あっ、この槍どうしよう。返すの忘れちゃった」
右手で握る業物の槍を軽く振り回しながら、今の自分の身体を見る。
醜い豚の顔、全身ピンク色の肌、でっぷりとお腹が出つつも筋肉質な身体、脂肪ついてるが人間と変わらない手と足。
正真正銘まごうことなきオークだ。どこからどう見ても人間じゃない。
僕は深いため息をついてどうしてこうなったのか、そしてこの世界に来たばかりのことについて思い出していた。
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