同一0
もし神が存在していたら。
この全てが科学で合理的に説明がつく矛盾のない世界に感謝をする。
しかし、人間という科学を知る生物を生み出す仕組みを創り、混沌を生み出してしまったことについては謝罪を要求したい。
もし神がいなければ。
私は全てに納得するだろう。
人間は自然を制し進化するにつれありのままの自然に適応できなくなった。自然もやり返すように人間に熾烈な気候変動をもたらしたけれども、人間はそれすら抑え込んだ。
命が消えていった花も、全て再生させられた。私の眼の前に咲いている向日葵も、人工的に生産しなおした物である。それでも、花は花だ。
「お花畑」が私のために作られた。茉莉花、桜、かすみ草、百合、菫。ふつうでは同じ時、同じ場所に咲くわけがない花々が、さも当然のように共存している。互いの場所を食い合うこともなく。ただし、互いに助け合うこともなく。ここにはミツバチがいない。ハエもいない。けれど種は生き続ける。人間の手によって。生かされ続ける。
向日葵は一本だけだけれど。誰かがそう望んだみたいに、一段高い丘の上に咲いている。
「スズちゃん! さっき誰かと話していたみたいだけど、誰かな?」
後ろから呼びかけられて、ちょっとびっくりした。声の方を向くと、華奢だけど背の高い女の人が駆け寄ってきていた。
「……なんだ、アンさんですか。ナリくんです。初めて男の子の友達ができました」
「そうなの! とてもいいね。もっと仲良くなったらまた教えてね」
「はい! ナリくんは、いつでも冷静沈着で、でもその裏には情熱があって、とってもかっこよくて――」
アンさんは私の六人目の主治医だ。
私の友達の話を、たくさんの相槌を打ちながら聞いてくれる。
「それで、スズちゃんは何を思い出した?」
「そうですねぇ――昔、ほんとに昔、一五〇〇年前くらいにあった戦国時代に、石田三成っていう武将がいたんですよ。アンさんは知っていますか?」
「ごめんね、歴史には疎いんだ。昔の武将ってことは、藤原道長とか、織田信長とか、伊藤博文とかと同じ人たちのこと?」
「いえ、その中での正解は織田信長だけです。豊臣秀吉とか言ったらわかりますか?」
「あーうん、わからないこともない。偉い人ってのは知ってるよ」
「端的に言うと、その人の部下です」
「そうなの。それは優秀ね」
「そうなんです」
「そっかぁ石田三成について調べないとなぁ」
「アンさんも興味あるんですか?」
「んふふ、次の研究テーマにでもしようかなーなんてね」
「アンさんは相変わらず研究熱心ですね」
「まーね。私だし」
そう言うと、よし、と気合を入れて、立ち上がった。
「じゃあまた」
「はい!」
灰色の革手袋に覆われた手を降って、アンさんは颯爽と去っていった。
「アンさんもナリくんに興味があるんだってさ」
「アンさん『も』?」
「……アンさん『は』」
「あはは、ごまかさなくてもいいよ」
アンさんと別れた瞬間に戻ってきたナリくんと、お話しする。ナリくんはとてもかっこいい。知的で、私にはない魅力がある。
「どうしたの?」
いけない、ぼーっとしていた。
「いや、なんでもないの」
眼の前にはヒマワリがあった。
太陽の方ばかり向いて私とは目を合わせもしない向日葵がそこにはあった。
「――ひまわりを見ると何かもやもやするんだけどなんでだと思う?」
ナリくんは少し黙って、でもすぐに答えた。
「何か、忘れたことがあるんじゃない?」
僕にはわからないけどね、と付け加えて。
私も黙った。
いつのまにかなっていた次の日、アンさんがまたやってきた。
「やぁ」
「……どうも」
「いつもみたいに今から寝てくれない?」
「もうすぐナリくんと待ち合わせなんですが」
「間に合わせるよ。何分後かな」
「二時間後です」
「もうすぐの感覚がズレていることはわかった。十分に間に合うよ。ほんの数分で終わるからね」
アンさんはお花畑の中で横になる私を見下ろして、「おやすみ」とだけ言った。私は何の病気なのかはわからない。けれど、治療のときにはこうやってお花畑の中で眠る。このときのアンさんは、前の主治医も、その前も、その前も前も前も――だけど、いつもより、冷たくて怖いんだ。
次に起きたとき、ナリくんとは違う男の子の声が聞こえた。アンさんもナリくんもいなかった。
「あなたは誰?」
「――ヒデ。スズ、これからよろしく」
アンさんがおばあちゃんになって、主治医が交代したときに、ヒデは私に別れを告げた。
「スズも薄々は気づいていたかな? 俺がもうすぐいなくなるって」
私は頷いた。
「でもたぶん、何の根拠もないんだけど、きっとまた会えると思うんだ」
「じゃあ、もうとっくに忘れたかもしれないことを残していくよ。あれ、夏の大三角」
上を見上げると、星が光っていた。
もうヒデの声は聞こえない。ああそっか、私は昔石田三成が好きで、学校で歴女を語っていた黒歴史があるなぁ、と懐かしいことを思い出した。
「……ひま」
いつまでも枯れないヒマワリがそこにはあった。
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