乖離2016

 西暦2016年、それは年始トップバッターに誕生日を迎える私が主に16歳として過ごした年である。

 そして、私の大切な記憶が抜け落ちた年でもある。

 その記憶は今でも戻っては来ていない。

「ねぇねぇ、そこのあなた。そう。そこの高校の制服でしょ? あなたは運命論を信じる? あの運命よ。全ては定められたものだっていう考え方。今まで運命を感じることはあった? きっとあるわよね。そんなあなたに紹介したい方がいらしてね、これよ。見てちょうだい。とても素敵なお写真よね。私にも運命を教えてくれるのよ、本当にすばらしい方なの」

 おばさんのマシンガントークは相手もマシンガンを持ったおばさんだからこそ撃ち合えるのであって、あいにく、私が持っているのは盾だけだった。いつまでも続く言葉を呆けて聞き流す。

 私は昔からこんな感じで怪しい勧誘に遭うことが多かった。幼いころは、「お母さまいらっしゃるかしら? あなたもおやつをたくさん食べられるようになるわよ」と勧誘が家に押し入る足がかりにされ、少し大きくなったら、「今の力に満足してる? ここに来たらもっといい成績が取れるようになるよ」と明らかに怪しい塾の勧誘を受け、今はこれだ。私からはそんなに不幸な臭いがするのだろうか。

「運命といえばジャジャジャジャーン」

 私のおばさんの話に対する感想はそれだけだった。ベートーヴェンの運命。ベートーヴェンは生きる希望であった聴力がなくなったんだったか。

 何を訴えても無反応の私に、近くのカフェに入ろうと鞄を引っ張ってくる。ただでごちそうしてもらおうかな。

「それって、おば……お姉さんのおごりでいいんですか?」

「もちろん! 高校生に出させるわけないじゃない」

 それは殊勝な心がけだ。と、怪しい宗教に嵌ってしまった哀れな女を評価する。

 私は意気揚々とおばさんについてカフェに入った。定員さんを呼び、普段は値段だけ見てそっと諦めるチョコレートパフェを頼む。お昼ごはんの前だったらお昼代も浮いたのに、と美味しそうなナポリタンを恨めしく見つめた。

 すぐにおばさんのマシンガントークは再開された。私はおばさんの鼻頭をぼんやりと見ながら水をちびちび飲んでいた。早くパフェ届かないかな。

 運命がどうとか言っていたけれど、運命があるなら、私は神様を倒さないといけないかもしれない。私から「ひま」の記憶が抜け落ちたことが運命通りだったとしたら、神様に企画書かカレンダーかわからないけれど、それを書き換えさせないといけない。

「ひま」の記憶がなくなってそろそろ半年が過ぎた。

「ひま」なんて知らないとか両親は言うし、スマホに残った「ひま」と遊んだ記録を見ても誰か全く思い出せなかった。けれど、無くしてはいけない記憶だったと断定できる理由は、「ひま」がいたと思うとそれが私の根幹に関わるものだと主張されたように安心できるからだ。

「チョコレートパフェです」

 店員さんが来た。

「ポテトお願いします。塩抜きで」

 そのついでに追加で注文して、私はチョコソースのかかったソフトクリームにスプーンを刺した。

「あなた、普段からそういうもの食べれるの?」

 ら抜き言葉が引っかかる性で、スプーンに視線が行っていたのに、目線がおばさんの顔に戻ってしまった。

「いえ」

 バチッと目が合ったのに返事しないのも忍びなくて、簡単に返す。するとマシンガントークはまた再開されたのだった。

「そう。それなら、私と一緒に来たら、毎日でもパフェが食べれるわよ。高級ステーキでも、回らないお寿司でも、ご飯だけじゃなくて、世界一周旅行や、ハワイの高級ホテル宿泊や、なんでもできるわ…………」

 ああ――そういうことか、と自身の予想が固まった。これは、信者からお金を巻き上げるタイプではなく、組織で詐欺をしているタイプの宗教団体かもしれない。たちが悪いなぁ、なんて思いながら、話を右から左に聞き流していた。

 おばさんの元に店のイチオシというコーヒーが運ばれてきた。私は苦いものは全く飲み食いできないが、おばさんは真っ黒なコーヒーに砂糖もミルクも入れないので、ただ感心した。ついでに辛いものを好んで食べる者にも思っているのだが、この人たちは自らを苦境に追い込むことが楽しいのだろうか。一緒に運ばれてきたじゃがいもの味しかしないポテトを一定のペースで食べる。ケチャップくらいはお願いしてもよかったかもしれない。

「ねぇおばねえさん」

 あぶない、口を滑らせるところだった。

「なにかしら?」

 上手く聞き逃してくれたようで、にこにこの笑顔が返ってきた。

「今、幸せ?」

 こんなことをなんにも考えずに聞くんだから、私はやっぱり不幸が滲んでいるのかもしれない。

「ええ。あなたも幸せになりましょう」

 満面の笑顔だ。他人にここまでの笑顔ができるなんて。やっていることはともかく、本当に幸せなのかもしれないな。

「あのね、おばさん」

 あぁ、本音が漏れてしまった。

「私は別に幸せとか興味ないの」

 ずっとちょっとだけ不幸な方が、いいと思ってるから。という言葉は喉まで出かけたけれど、唇で止めた。

 小指より小さいポテトを最後に口に放り込んで、席を立った。

「ということで」

 目を白黒させて魂が抜けたみたいに私の姿を追っていた。

「奢ってくれてありがとうございました。ダイエットの邪魔はもうしないでね」

 特にダイエットなんてしていないけれどね。と心の中でつぶやいた。

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