第36話 ぐちゃまぜの感情

 見知らぬ土地に行き泊まる。

 なんというか旅行感があってワクワクしている自分がいた。 

 未来を予知していて、ルクスが来ることも想定内だったのかいつもの何倍も人が押しかけているにも関わらず食材は豊富に確保してあり、メイの腕も達人と言っても遜色がないほどに洗練されていてみんなの舌鼓を打った。

 明日出発、とだけ食後にデュークが伝えると、そこからは実質のフリータイムが始まる。


 ……とはいってもリファにできることは無く。でも、メイから与えられた部屋の中で燻っているだけじゃもったいないと思って教会内を散歩してみる。

 長い廊下を歩きながらふと考え込んでしまう。

ギルが始めたファーガルニ王国の後始末のために人集めは一応の終結を迎えて、集められて兄弟はみんな複雑な事情を孕みつつも賛同してくれた。ルクスに関してもやる気がないそぶりを見せてはいるがギルの話具合から実力は相当なものだと感じた。

 伝説と言われた大罪人の半数が目の前に集結している光景は他を圧巻した。

彼らの口振りやオーラの言っていたことを照らし合わせると使徒は一人でも一国家の軍事力と引けをとらないと言われている。つまり、たった六人でも十分に国家戦力に値する力を有している。

 さらに、ギルによってそれぞれの兄弟の強大な能力の一端が垣間見られたこともあって実力も疑う余地がない。


「きっと……」


 小さく口から出た言葉には覇気が全く感じられない。むしろ、空白で、何もない虚空に対して呼びかけているようにも見える。

 自分がしたことは酒場の前で倒れていたギルを拾ったことだ。それ以外何もしていない。いや、正確には何もできなかった。

 強大な権力を前に押しつぶされかけていたところを助けてくれたのがギルだった。

本来、私たちがお礼をしないと言えないのに、なぜかしてもらうことになり、それも、革命を起こして国を崩してしまうという途方もないけど、不可能ともいえない壮大な恩返し……。

 今、彼女の心は複雑に絡まった糸のように形容しがたい感情が支配している。

 快楽、憎悪、悲哀、歓喜、人が持つどの感情にも当てはまらない。


「はぁ……」


 少女とは思えない深いため息をつく。

 整理できない感情は飲み込むことが出来ない。胸に沸くもやもやを忘れる意味を込め、時間つぶしの一貫として廊下をひたすら進んでいく。

 今日、ルクスに会いに行く前にギルとサーシャとここに来た時にはまじまじと見ることが無かったため気付かなかったが、たった二人で管理しているとは思えないほどに行き届いた手入れがされていて階段の手すりに指を添わせてみてもホコリの一つついていない。


「あら、リファこんなところで何をしているのかしら?」


 直線に続く廊下で出会ったのは諸々の仕事が終わったばかりのメイだった。相変わらず容姿端麗で同じ女性のサーシャとは違って常に冷静にいる彼女は今この時もクールビューティーを保っている。


「あの、部屋の中は落ち着かないというか退屈で、その、時間つぶしを兼ねて教会内を散歩してて。……あ、その! うろちょろするなって言うならおとなしく部屋に戻ります! はい」


 緊張がこっちにまで伝わるほど動揺していて、綺麗なクリーム色の髪も心なしか逆立っている。そんな様子を眼前で見ていたメイは隠すようにクスクスと笑った。


「大丈夫よ。特に貴重なものがあるわけでもないし」


 そこで一旦、会話を切るとメイはリファの顔をじっと覗き込む。


「どうしてそんなに緊張しているのかしら。もしかしてさっき私とサーシャが言い争ったのを見て私が怖い人だと思ったの?」


「うッ!」


 痛いところを突かれてしまう。まだ知り合って間もない関係なのに様々な一面を見させてもらった。確かに怖いけど、せっかく協力をしてくれるんだ、とリファは自分に言い聞かせてひとまずこの場を円滑に終わらせることに注力した。


「別にそんなことはない。……とは言い切れません。……いや、多分そうかもです。……そうです」


 最初は強気で言ったものの、最終的には認めてしまう。その過程の言い方は面白く、言葉を肯定していくにしたがってリファの目線は舌を向いて行き、最後にはメイの足元を見ている。


「困ったわ、あまり怖い印象を持たれると、仲良くしづらいわね」


「あ、その、大丈夫ですよ。仲良くできます!」


「ふふふ、強がらなくていいのよ。ギルもよく私がいじめ過ぎて避けられたことがあるから、結構慣れているのよ」


 サーシャにしろ、メイにしろ息を吐くようにギルをいじめているけど、不憫を通り越してたくましさすら感じる。もしもリファが同じいじめの内容を受けることになったらすぐに音を上げてしまうそうだ。

 そう考えたら打たれ強さ最強はギルかもしれない。

 私と同じくらいの体躯しかないのに潜り抜けた修羅場は桁違い、年齢の差を差し置いても埋められないと思う。


 ――そういえばサーシャさんが言いていた。メイさんは目を通じていろんなことが出来ると……。頭の中も覗けるのかな。


 その発想に至ると無意識に頭を手で覆った。これで意味があるのかと問われればきっと皆無だろうけど何かしておかないと不安が募って仕方がない。


「どうしたの頭なんか抑えて。……もしかして私が頭の中を覗けると思っているのかしら」


「なんというか保険です」


 この兄弟のポテンシャルは計り知れない。

 一飯の常識で測っていたら大やけど間違いなしだ。


「安心しさない。私が眼鏡をかけている限りは頭の中を覗けないから、何を考えていても読み取ることは出来ないの」


「……そうですか」


 言質をもらったところで頭から手を離すリファだったが今度は違う思いが脳内で錯綜する。


 ――それはつまり逆説的には眼鏡を付けていなければ頭の中を覗けるということだよね。

  

 …………。

 

 よくよく考えてみれば最近は濃密な時間を過ごしているから以前の数日が一日に凝縮している感覚で時間が過ぎている。メイとも普通に話をしているが出会ったのは今日なのである。

 彼女がどんな人なのかリファは知らない。

 つまり、二人きりでばったり出会っても会話が全く続かないのだ。

 見た目は小さくて童顔でリファに一番近い体躯であることは間違いないが、単純に年齢的にはサーシャとギルの間に位置している。

 ジェネレーションギャップを考慮すれば十五歳のステラと共通の話題はない。


「あの……」


 それでもこの沈黙は耐えられない。

 リファは早々の退却を心に決めて執行に移すときに、


「可愛いわね」


「え……」


 思い切って口を開いた矢先メイがかぶせるように言ってくる。


「ごめんなさいね。ついつい昔を思い出したのよ。サーシャも今はあんな風に性格が捻り曲がってしまったけど、子供時代は素直な子だったのよ。ええ、そう……だったかしら、あれだけは例外だった気もするわね」


 いつも真剣な瞳をしているメイだったが今だけは優しくなっている。


「は、はぁ……、あっ、それじゃあ、私はこれで」


 会話を打ち切ってしまうと回れ右して元来た道を引き返そうといたが、体が前に進んでくれない。


「あの~、メイさん」


 恐る恐る声をかける。そして、体が前に進めない原因になっている不意に伸ばして繋がれてしまった右手を見た。

 シスター服から伸びる白く綺麗な手がリファの右手を捕まえている。


「もう少し時間いいかしら。あなたのことを知りたくなったの。そうだ、今からお風呂はどうかしら?」


「……はい、いいですけど」


 突然の誘いに吃驚したこともあるが、よく考えて見れば断る理由もなかった。問題があるとすれば会話が持つかどうかと言うことのため、その点は誘ったメイに頑張ってもらおうと考える一方、リファも出会ったばかりのメイについて知りたかった。


                   ※

 

 メイに案内されたのは教会に設置されてある浴場だった。でも、大衆浴場のように広くはなく本人曰く体を清める目的で使うことが本来の目的らしい。

 今は大人数で押し掛けたこともあってお風呂場に大変身を遂げた。

 指定された更衣室で、するすると衣擦れの軽い音を立てつつも衣服を脱いでいく。


 ――なんかデジャブ。


「どうかしたのかしら、動きが止まっているようだけど」


「終焉の森でサーシャさんに出会った時もお風呂に誘われたなって……」


「あら、そうだったの。でも、仕方がないことね。同じ人に教えてもらったのだから同じ行動をとることは自然なことよ。むしろ、サーシャが覚えて行動に移すなんて、ふふ、少し驚いたわね」


 口元を緩め微笑むメイは脱衣完了している。女同士と言うわけでタオルを体に巻くことなく素のままでいた。


 自分と同じくらいの体躯と思えない程に魅力が詰まっている。

 コルセットを付けているわけではないらしいが、シスター服はある程度胸を覆い隠しているため改めてみるとサーシャには及ばないが少なくともリファよりは大きい双丘がそこにある。

 他にもくびれは綺麗にラインを引いていて肌のきめも細かい。

 小麦色の髪も普段はくくっているため気にしていなかったがストレートに伸ばしている今は意外に長く艶やかに光っている。

 なんだろう、この敗北感。

 無論、年齢が違うため当たり前かもしれないが、ここまで同体型で差を付けられると落ち込みそうだ。


「リファって能力を使わなくても何を考えているのか一目瞭然でわかるわね。大丈夫よ。まだまだ若いんだから、これからに期待して頂戴」


「それサーシャさんにも言われました……」


「……私から見てもサーシャに言われると少し悔しいわね」


 恥じらいが原因かリファは控えめにタオルを巻くことはしなかったが局所は隠して浴場に入った。


「メイさんってお風呂でも眼鏡を付けたままなんですね」


「ええそうよ。リファが常時頭の中を覗いてもいいって言うなら外すけど」


「つけたままでお願いします」


 キランと眼鏡のレンズが怪しく光った。


「そういえば、メイさんもギルと同じ制御器を持っているんですよね。その眼鏡がそうなんですか?」


「いいえ、そうじゃないわ。私の場合、目そのものが制御器になっているの」


「目?」


 ついリファはきょとんとしてしまう。だって、制御器っていうのはこれまで見てきたのは全部何かしらの武器をしていたから。


「そう、知らないのも無理はないわ。制御器の中でも特級だけで過去数例しか報告されていないの。制御器には大きく分けて装備型と寄生型が存在するわ」


「装備と寄生」


「そうよ。ほとんどがギルやデュークみたいな武器として制御器を装備するタイプ。だけど、私の制御器は目に寄生しているわ」


「それって大丈夫なんですか?」


「そうね。どっちとも言えないわね。装備型は魔力制御を間接的に行うからどうしてもロスが生まれてしまう。寄生型は直接制御で行うからロスなく制御できるから、より強力な能力を行使することができるわ。その代わり、装備型は大きな代償がないけれど寄生型が常に制御器が発動している状態だから命を削っているといえるわ」


「それって……」


「私は大丈夫よ。サーシャお手製の眼鏡を付けている間は完全に制御器を停止させることができるの」


「そうなんですね」


 とりあえず話がひと段落したので浴室へ入る。

もわもわとした湯気が向かい入れてくれた。


「背中流してあげるわね」


「ありがとうございます」


 こうしてみていると同い年の子とお風呂に入っている感覚だ。リファは施設以外で同年代の友達がいないためとても新鮮な経験だった。

 もにゅ。


「ひっ! きゃぁぁぁぁぁあ!!」


 一瞬にして深く息を吸い込んでただでさえ反響する浴場内で放った悲鳴は当分消えることが無かった。


「ちょっと、メイさん!」


 背中を洗われている最中に背後から胸をもまれたリファは逃れる術無く、強引に前方に倒れるようにして脱出した。


「ん~、発育途上ね、でも、ソフィアと似た感触だったから将来の期待は大きいわよ」


「サーシャさんの行動とことごとくデジャブってんですけど」


「これが姉妹というものよ」


 ――絶対に違う。

 ものすごく言いたかったがこれ以上セクハラを受けまいと必死に喉の奥にしまい込んで、飲み込む。

 それからは交代して、リファもメイの背中を流すと二人して湯船につかる。

 洗っている最中に反撃をしようと脳裏に浮かんだが、それ以上の報復を恐れて手を出すことは憚れた。 


「ふぅ……気持ちいいわね」


「そうですね」


 温泉と言うわけではなくお風呂のためお湯が濁っているわけではなく透き通っていて水面上からでも水中の体がよく見えるし、角度によっては光が反射して天井の景色が映り込んでいる。

 角度を調整して自分の顔が映るようにすると、そこには引きつった顔をしている自分が映っている。


「あの、本当によかったんですか、協力して。メイさんとアレンさんってここの聖職者なんですよね。革命って無血でやり遂げるのって難しいですよね。でも、殺生するのは立場的に厳しいんじゃないですか?」


「構わないわよ。アレンが神父、私がシスターをやっているのは表面上と言うか体裁上みたいなものだから」


「どういう意味ですか?」


「私とアレンがロンドリアに残った理由はさっき話したわよね」


「はい、自分たちが起こした革命後のロンドリアを見守るためって」


「そう、ロンドリアにいると決めた以上、体裁的にも何かをやっている必要があったの。そこで革命前から真似事でやっていた聖職者の立場を得ることにしたのよ。まあ、アレンに関しては小さいころからあんな感じだけどね」


 言われて脳裏に浮かぶアレンの姿。

 メイの言い分が全部正しいとすればあくまでも仮の姿であって神に仕えているわけじゃないから問題ないということ。


「私はそうだけど、アレンは違うわよ。アレンだけが心酔する神に祈りを毎日ささげているわよ」


「アレンさんだけ……」


 メイが言った通りステラの脳内は読み取りやすいのか考えていることを静かに言い

当てた。


「そうよ。全く違うわけじゃないけど私が心酔しているのは神ではないわね、もっと近いものよ。リファは深く考えなくていいわよ。私は愚弟の尻拭いのために動くだけだから」


 不意かけられた言葉に慌てる。


「で、でも、サーシャさんにも言われましたけど、やっぱり私が原因みたいですから、全部見て見ぬふりをするのは……だって、メイさんも参加してくれるのなら、……その人を殺すことだってあるかもしれないのに」


「そんなこと些細な問題ね。ロンドリアの革命時に数えきれない人を私もアレンも殺めてきた。言い訳をするつもりもなければ正当化すつもりもないわ。私の手はもう血で汚れきっているの、今更、血が付いたってこれ以上は染まらないのよ」


 水面からゆっくりと白く細く綺麗な手が現われる。大きさはリファと大して変わらない。もちろん、メイが言ったのはあくまで例えであって実際のメイの手は美しい。

 掌には僅かな量のお湯が乗せられており、それ以外の肌に接するお湯はことごとくきめ細かい肌に弾かれて濡れていたことすら忘れさせる。


「考え方を変えなさい、リファ。自分のせいで故郷にたくさんの血が流れたんじゃなくて、自分のお陰で革命が起きて、これ以上国の犠牲になる人を増やさずに済んだってね」


 それも一つの考え方だった。

 サーシャが言い、メイも言ってくれた。

 この人たちは正直だと思う。巷で有名な英雄は誰の命も救って見せると虚勢を張って、実際にはたくさんの犠牲を出す。でも、これは必要な犠牲だったと後から訂正をしてくる。

 それは詐欺だ。

 なら、最初から死人が出ると言われていた方が両方にとって対処のしようがある。


「そうですね、私は悪くありません。私こそが英雄です」


 小さな胸を張って宣言をするリファ。迷いは吹っ切れたのか。


「ふふふ、それでいいのよ」


 再び見せたメイの笑顔。

 湯船から立ち上がってドヤ顔をしているリファも笑っている。

 広くない浴場に二人の笑い声が木霊し続けた。

 

                 ※


「それじゃあ、付き合ってくれて感謝するわ」


 風呂から上がった二人は更衣室で着替えた後、廊下に出ていた。


「あの、……私の話もいろいろと聞いてくれてありがとうございます」


「私で良かったらこれからも相談に乗るわ。何かあったら話して頂戴ね」


「はい!」


 元気良く返事をすると深くお辞儀をして廊下の角に消えていく。

 メイはその姿を消えるまで動かずに見守っていた。


「まったく世話が焼けるわね」


 肩をおとして吐息と共に言った。


「ところでいつまで隠れているつもりかしら」


 油断しきっていた顔は一瞬で引き締まって、眼鏡の奥に隠れる瞳も警戒の色を強めた。


「おや、バレていたのか、気配は消していたつもりだったが……」


 リファが走っていった廊下とは反対側、照らす光もない闇の中から現れたのは魔女だった。魔女は手を叩き自分を見つけたメイへ送る。


「さすがメイだね。ボクの手に負えないことをしてくれて感謝するよ」


「何のこと?」


「そうやってツンツンするもの可愛いけど、無駄なことをしたがらない君がリファと一緒にお風呂に入るなんてこと偶然でもありえないよね」


「あなた、まさか覗いていたの!?」


 これまで背中越しで行われていた会話だったが、ついサーシャの言葉の真意を確かめるため無意識に振り返ってしまう。慌てた様子のメイが珍しかったのかサーシャは手で口元を覆って微笑む。


「性格が悪いと言われているボクでも、そんな無粋なことはしないさ。ただこの廊下で恋い焦がれる少女のみたいに緊張した面持ちで立っていた迷える羊を見つけただけ」


「その時点で十分性格が悪いわね。わけありだと判断したのなら即刻離れていくものでしょう」


「冗談はやめてほしいな。ボクは面白いことに興味があるんだ。メイのあんな顔を見たら引き下がるわけにはいかないさ」


 悪びれる様子もなくサーシャはメイとの距離を詰めていく。基本、服装に無頓着な魔女は派出の多い格好をしていた。


「申し訳ないね、この手の役を引き受けてもらって。本来はギルの役目だろうけど、あの朴念仁に女の――ましてや少女の感情を理解しろとは酷な話さ。デュークは兄弟以外に興味がないゴーイングマイウェイな性格。アレンは狂っているしルクスは怠惰を貪りつくしている。ボクは人の構造については理解しているつもりだけど、感情については点で駄目のようだ。消去法でメイしかいなかったからね」


「構わないわ、集まった面子で私に回ってくる役目だと自負していたから」


「それでも感謝をするよ。メイ」


「あなたが私にお礼を言うなんて明日は槍でも振ってくるんじゃないのかしら」


「それは興味深い、じゃなくて人の行為は素直に受け取っておくものだよ。いつもツンツンしてばかりでデレデレしない可愛い妹への忠告だよ」


「……そうね」


 話の渦中にいる人物は紛れもなくリファだった。


「今回のファーガルニ制圧及び世界貴族の打倒はおそらく容易く終わる。でも、故郷を壊した罪の意識がリファを押しつぶす可能性が十分にあった。時折、それを思い悩んでいたようだったしね。ボクが何度か声をかけてみても少女の心の動かし方なんて興味がないから知らないからできるはずがない」


 そこで白羽の矢が立ったのはメイだ。


「ロンドリアの時の経験があったからやったに過ぎないわ。後でグチグチいうよりも今はっきりとさせておいた方が清々しいだけよ」


「でも、結果リファはぐちゃまぜの感情を上手にまとめられたと思うよ。さすが、兄弟の中で数少ない常識持ちだね」


「その微妙に嬉しくない表現はやめてくれないかしら。やれる人間はやれることをする当然のことよ。それに……」


「――それに、ソフィアが重なって見えたからだろ」


 メイの言葉を遮ってサーシャが言いきった。ギロッとメイからは蛙を睨むヘビが如く強烈な視線をもらったが気にすることは無く。不敵な笑みを浮かべ続けている。


「あの子は頭では理解していても心の整理はついていなかった。当時は私たちも目まぐるしく変わる環境に四苦八苦していたから当たり前、といったらそうかもしれないけど、前に進むしかなかったから」


「そうだね」


 記憶の欠片が再び脳内で結晶化する。悲しみに打ちひしがれていたあの日、変わる決意をしたただに人から大罪人へ。


「とにかく、ボクが言いたいことはリファの絡んだ心の糸を解いたことに感謝するということだ。ギルに変わって礼を言っておくよ」


「言っているでしょ。別に私が気になって話を聞いていただけよ。勘違いしないでほ

しいわね」


 言いつつも頬が赤く染まる時をサーシャは見逃さなかった。


「頑固だね。まったく、そろそろデレてくれないとヒロインフラグが折れてしまうよ。それでもいいのかい?」


「何を言っているの? 私は思ったことを言っているだけよ」


 照れ隠しであることは明白であるにも関わらず強情に認めようとしない姿勢はいつまでたっても変わらない。


「それでいいならいっか、それじゃボクは行くよ」


「明日、ファーガルニに飛ぶのだから、魔力はしっかりと回復させておいてよね」


「大丈夫さ、ボクを誰だと思っているんだい。魔力の取り扱いで負けることなんかあるはずないだろう」


「傲慢ね。いつか足元をすくわれるわよ」


「なら、メイが助けておくれよ。これまでのように、これからもね」


「私が断れないと知って、調子のいいことを……」


「ふっ、それじゃ今度こそ行かせてもらうよ。おやすみ、メイ」


「ええ、おやすみ、サーシャ」


 方向を百八十度展開させて眼前に広がる闇の中に姿を消していった。

 再びこの場で一人になったメイはため息をつく。


「まったくお節介が過ぎるわね」


 実の話、リファを最初に見た時から彼女の心が揺らいで、二つの感情が複雑に絡み合っていることを見抜いていた。

 伝説の大罪と接触出来て王国を倒す約束ができた喜びと自分に振りかかってくる王国転覆の責任感の狭間で感情が車裂き状態になっていた。

 話を聞く限り、ギルの一方通行で王国を倒すことを決めたらしいし、アフターケアなんてできるはずもない。それで、最終的にはメイが仲介人になってリファを諫めに行くのは目に見えてわかっていた。


「まあ、及第点にしてほしいわね」


 変わり者が多い兄弟の中で比較的まともな思考を持つメイは前々からこの手の案件を回されてきた。


「本当に私がいないとダメなんだから」


 役目を終えたメイも静かにその場から姿を消した。


                   ※


 メイから言われて足を運んだ部屋は質素な作りだった。逆にここで豪華絢爛なシャンデリアでもぶら下がっていたらそっちの方が目を疑うことになる。

 この部屋の中にはまともな家具は寝具程度しか見当たらなく色合いもモノクロに設定されているくらいに殺風景な光景が広がっていた。

 大きさも広いとはお世辞にも言えず、寝るための空間だった。


「ふぅ……」


 数少ない設置されたベッドにリファは倒れ込むように寝そべった。口から漏れる吐息は未知の魅惑を秘め、聞くだけで数多くの男性を虜にできる。


「いい人だったな、メイさん」


 ごろっと寝返りをうって仰向けにあると、さっきの出来事の余韻が反芻する。

 リファがここまで抱えてきた荷物。それは心であって感情でもあった。

 思い返せばギルが進めてきた。その気持ちは嬉しかったし、これまで沢山の人が王国のやり方で酷い仕打ちを受ける姿を目撃したこともあった。時にはリファと同じ年の子が王国騎士に連れていかれて帰ってこなかったという事例も直接ではないが街角で耳にしたこともある。

 自分も怖かった。いつか周りの子みたいに連れて行かれるんじゃないかって考えだすと夜も眠れない日があり、そんな時は必ずオーラの元へ行って心を落ち着かせていた。

 リファは十五歳でありながらも待ち受ける運命を受け入れていた。

 きっと自分はこのまま生きていくんだって、大きく権力の前には個人の力は全く通用しないことを知っている。だから、波風を立てずに穏やかにつつましく暮らしていく。それでよかった。

 しかし、運命はそんな彼女を嘲笑し、いくつもの壁をぶつけてくる。

 理不尽な要求、無理な要求、挙げて行けばきりがない。外側からじわじわと寝たった個人を攻撃していき、最終的には身売りをしないといけなくするのが王国騎士の常套手段だった。


 王国騎士とは何だ、騎士とは民を守るための存在ではないのか。そんな絵空事は忘却されてしまっていた。

 ファーガルニ王国は旧ロンドリア王国が共和国になった際に国土を分割し放棄したことに伴って世界最大規模になり、軍事力をとってもどの国にも引けをとらない大国になる。

 そんな大国に戦闘を仕掛ける国は存在せずに、騎士の存在も希薄になりつつあった。

 騎士にとって訓練、修行は日常の一部となっているため苦と感じるはずもなく、同時に楽しくもなく退屈な日々が続いていた。だから、騎士によって国民が玩具と化して弄ばれてしまった、ただの暇潰しとして。

 いつかこの日が来ると知っていたけど、ずっと目を逸らし続けていた。

 あの時騎士に腕を掴まれて連れて行かれそうになった時、運命を嫌った。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 でも、抵抗しても騎士の鋼の体躯を振りほどくことは出来ない。


 ――諦める。


 その言葉が脳裏に浮かんだ時に助けてくれたのがギルだった。

 そもそもギルを助けた理由は何一つない。ただ、そこにいたから。

 偶然か必然か、嫌ったはずの運命によってリファは助けられた。でも、それこそが後に始まる運命の悪戯だったのかもしれない。


「でも、こうなるのは予想外だったな」


 ついつい言葉に出てしまう。

 無理もないことだ、お礼をしたいと言った一人の青年が革命を起こすと誰が予想できたのだろうか。例え、伝説の大罪人と呼ばれていていることを知っていてもあの時の行動だけは想定外だ。


「それで、ここまで来ちゃった」


 ギルに願って同行させてもらい紆余曲折あってここまでたどり着くことが出来た。

 明日は一か月ぶりになる故郷のファーガルニ王国に帰国する予定になっている。今いるロンドリアとはかなりの距離があるはずだが、なんかもうサーシャの手にかかれば何でもありの気がしてならない。


「すー、すー」


 ベッドの上で横になるだけのはずだったがいつ間にか眠ってしまった。

 さっきのメイとのやり取りで心の奥に刺さっていた棘が抜け、胸が軽くなったことが原因か。

 少女が抱え込むには大きすぎた責任。

 猪突猛進のギルがそんな薄いガラスの様な乙女心に気付くはずもなくここまで来てしまった。

 裸で語り合って責任と言う重圧から完璧とは言い難いが大半は解放されて堂々とファーガルニに帰国することが出来る。


 今回、協力してくれる兄弟はいずれも各々の思惑があり、交差している状態だ。その交点にファーガルニ制圧が存在しているだけ。

 夜の帳が下りて行きずいぶん時間が経過した。

 錯綜するそれぞれの想いを抱えてまた朝日は昇ってくる。

 これからどのくらい時間を要するのか不明だが、確実なことは歴史に刻む貴重な瞬間が訪れることだ。

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