第31話 色の影
突如、固まって歩く四人の前を歩いていた老婆が急に倒れた。
「ちょ、ちょっとおばちゃん! どうしたの」
隣にいた孫とみられる少女が駆け寄った。
「しっかりして! 誰か助けて下さい!」
悲痛な叫びは空しく虚空に響く。確かにロンドリアは自由な国として礎を築いてここまで来たが、他人に対する気遣いは薄い。
別に好きでやっているわけじゃない。下手に関わって―この場合、応急救護―をして失敗すれば何かしらの因縁を付けられるのが怖いのだ。なので、他人とかかわるときは壁一枚隔てるようになった。
他人を気遣う人間はいつか自らの身を亡ぼすことになるとこの国では教訓として言われている。哀しいと思われるかもしれないが、自分の身は自分で守ることが鉄則のため飲み込まなければならない。
「誰か! 誰か!」
叫ぶ少女。しかし、その思いを受け取ってくれる人はない。老婆の容体は不明だが、仮に心停止なら数分が命取りになる。それを過ぎれば助かっても重度の後遺症が残る可能性が高い。
「おばあちゃん、しっかりして! 誰か助けてください!」
「……」
リファはその場で固まっている。わかっているからだ、自分ではどうすることも出来ないことに、でも、見過ごすことが出来ない形容しがたいむず痒さに……。
「デュークさん……」
だから、他人に助けを求めようとする。
「私が助けるのは弟妹だけだ。それ以外の人間に興味はない」
冗談ではなく、本心で言っている。
「ボクも同じだね。誰かに殺されるんじゃなくて病魔によって死ぬこと。それは天命。抗うことは間違いじゃないのかな、まっ、理論よりも行動で動く奴はどうか知らないけどね」
「――えっ!?」
慌ててリファは倒れた老婆に目を向ける。そこには駆け寄ったギルがいた。その姿は、あの時、世界貴族にされるがままになっていたリファを助けた時と同じ目をしていた。
一瞬、デュークのほうに目配せをしたと思うと、デュークもそれに気づいて一回頷く。そして、再び前を向いて走り出す。
「ギル、君は自分のことを優しくないと言っているけど、それは違う。難癖つけながらも自分に関係のない他人を助けることは誰しもができることじゃない。ボクが知っている中でそんなことをしていたのは君を除いてパピーとマミーだけ」
感慨深そうに言うサーシャは目を細めて快晴に晴れ渡る空を見上げた。
ぶつぶつと何かを呟きていながらも助けに向かうギルの姿を見てリファは困惑した。
「どうして、ギルは助けようとしているんですか? だって、キリル王国に向かう途中で便乗していた奴隷車が盗賊に襲撃された時、私が何を言ってもギルは襲われている人を助けようとしなかったのに!」
「あ~、その話ね」
ここまでの道中、話のネタにこれまでの旅で起こったことを二人には話していた。
「本来困っている人がいたらすぐに助けようとするギルが動かなかった理由は簡単、その行動の結果、ボク等兄弟に迷惑がかかると判断した場合だ」
「どういう……意味ですか……?」
「ギルの雷は独特で見る人が見れば一発で正体が割れる。ギルが早々に動いで盗賊を一掃するのも選択肢の一つさ。でも、その結果生き残った人たちによって良くも悪くも使徒についてのうわさが流される。つまり、世界政府に気づかれればボク等に影響が出るかもしれない。ばらばらになっている以上、軽率な行動をしないことは全員で誓い合ったことなのさ」
「でも、今、……ギルは走って……」
リファは走るギルを指さす。
「バレてしまう可能性は当然あるさ。でも、まあ、デュークがいるからね。ボク等のリーダー様は尊敬度も頂点なのさ。ギル一人だと簡単に判断できないけど、デュークが一緒なら思い切って行動できるんだろう」
「私の時は正体をばらしてまで助けてくれました。その時とは何が違うんですか?」
「ボク等兄弟への影響を顧みないで行動したんだろ。それはかなり珍しいんだよ。話に聞く限りだから推測でしかないけど君のお母さんとボクたちの両親を重ねてしまったんだろうね。なら納得がいく。もしも独りよがりに行動していたんなら今ごろボクの時空間に閉じ込めていたところさ」
トクン、と胸が高鳴るのがよくわかる。あの時救いの手を差し出されたのは必然の事じゃなかった。幾つもの偶然が重なって起きたことだったのだ。
「私の時が特例でも奴隷車の時も助けてくれても……」
そこまで言いかけてリファの言葉は止まった。
「リファ、ボク等は英雄じゃないんだ。戦いを好まないし、今回もギルの頼みだからやっているだけ。ここにいるボクもデュークもギルも、今から会いに行くメイもアレンもルクスも等しく安寧を願っているんだ」
それはギルからも聞いたことがある言葉だった。少しばかり人体実験を繰り返すサーシャから聞くと胡散臭くなってしまうが、どことなく重みを感じられる。
「だったらどうしてそんな強大な力を持ち続けているんですか?」
「理由は簡単さ。自分以外の兄弟を守るため。ボク等にとってもっとも重要なことは兄弟が生きていることなんだ」
「――――」
納得がいかないリファは俯いて拳を強く握る。
「今は納得しなくていい。ただリファが大きくなった際に守りたいものはすべてなのか、一部なのか。それを考えればいい。私たちは全員が後者だっただけの話だ」
デュークの言葉には妙な説得力がある。何度も味わってきたけど今回も乱れるリファの心を落ち着かせるように言い聞かせる。
「……はい」
納得はしていない。でも、理屈は理解した。全力を出して消耗しきりながらもすべてを守るのか、最低限を残して斬り落として余裕をもって一部を守るのか、ただそれだけのことだ。
――あぁ、くそ、……またやっちまった。どうして俺はこうも思ったらすぐに動いちまうんだろう。ファーガルニの一件で反省したと思っていたのに、これじゃ、サーシャに何を言われても反論できないじゃないか……。
倒れた老婆を見つけ、悲しみの声を聞いた時、ギルの心は決まっていた。誰も駆けよらないと判断すると自ら走り出した。
「ちょっといいか」
寄り添って助けを呼ぶ少女を引き離すとギルは老婆の体を触り、現在の状況を確かめる。
「心室細動か」
「……?」
静かに呟いた単語は少女にとって聞き慣れていないものだった。
「あの……おばあちゃん、助かるんですか」
それは僅かに芽生えた期待と言う眼差しだ。
「さあ? 俺は医者じゃない、失敗しても文句を言うなよ」
「! ……」
医者じゃないという言動に動揺が見られたが、この状態では医療施設に運び込むまで命が持つ保証はない。
「お願いします。少しでもおばあちゃんが助かるなら」
さっきまで泣きじゃくり大きな声で叫んでいた少女とは思えないほどしっかりとした返答だった。
「ああ」
短く答えると、老婆が来ていた服を少し脱がす。右胸の上と左胸の下に指を添えて心臓を挟む。
心室細動を治すためには電気ショックがいる。今は指が皮膚に密着しているため第三者にギルの白銀の光が見られることはない。そして、電気ショックによってもたらされる結果は二種類ある。
一つ目は、通常通りの心臓の機能を取り戻してくれること。
二つ目は、心臓の活動を停止させること。
前者になってくれれば願ったり叶たりの展開だが、決して後者が間違っているわけではない。心室細動は心臓が細かく振動している状態を指す。そこでは多大なエネルギーが消耗されている。
まだ体力が残っている状態で心停止させて、その後に蘇生させることが出来る。これは時間と共に体力が失われて成功率が下がるため文字通り時間との戦いだ。
「失礼」
ビリッ! 体に電気を流した瞬間、老婆の体は宙にはねた。細心の注意を払ったおかげで、隣で心配そうに見つめる少女にはギルがただの雷魔力を使用しただけに見えたはずだ。
一回目の電気ショックが終わって再び心臓の状態を確かめると、
「ふう~」
つい安堵の息が漏れた。
「どうなんですか!」
「安心しろ。なんとか正常な動きに戻った。でも、一刻も早く医療施設に連れて行っ
た方がいい」
緊張の糸がほぐれたのか、その場に座り込む。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
何度も頭を下げてお礼お言っていると、騒ぎを聞きつけて誰かが連絡をしたのだろう。担架を抱えた医療施設の人間が入り込んでくる。
「ありがとうございます。また、お会い出来たら必ずお礼をさせてください」
「気にしなくていい。早くついて行ってやれ」
テキパキとした動きで担架に老婆を乗せると、少女が付き添いの形で運ばれていく。
「お疲れ、ギル」
背後から労いの言葉が降ってくる。
「ああ、でも、余計なことだったが、デューク」
サーシャの横にいたデュークの目を見て言う。
「軽率な行動だったな。だが、お前の甘さはよくわかっている。誰よりも優しさを持ち合わせているお前のことだ、肉親が倒れて泣くじゃくる少女を見て我慢できなかったんだろう。今回は見逃すが、何度も言うようにもっと理論的に動けるようになれ」
「記憶に刻んでおくよ」
「思わぬ、予定が舞い込んだが、メイたちの場所まであと少しだ。早く行くぞ」
座り込んだままのギルを残してサーシャとデュークは歩き出す。
「私はね、誰かのために戦うギルのことかっこよかったと思ったよ。やっぱりギルは優しんだね」
一人残ったリファが耳元で呟いてくる。それから恥ずかしくなったのかギルの返答も聞かずに立ち去る。
「優しいね。まったくそんなわけないだろ。兄弟を引き裂く存在があればどんな手段を使っても排除するし、親だろうと殺す」
三人が立ち去った後、ギルは手を無造作に開閉させている。違和感、と呼べる感触が残っていた。
「何だったんだ。……? あの老婆は……?」
それは助かったことが意外だったわけじゃない。むしろ、助かることが前提だった気がしてならない。あの瞬間、わずかだがギルが電気ショックを送るよりも早く体が飛び跳ねた気がする。
「ソフィアから教えてもらっていた心室細動ってこんなんだったのか……」
それは、あまりにも出来過ぎていたことによる疑念だ。助けられたことはよかった、でも、心室細動が一発で治ったこと。その場に居合わせた医療知識をほとんど持ち合わせていないギルでも対処できたこと。ギルが手を出さざるを得ない状況だったこと。
そのすべてが出来過ぎている。あの少女、多分、孫だろうが、彼女も変な感じがした。少し、演技が混じっていたような、棒読みになっていたような……。
脳裏を渦巻く違和感は次第にギルの体を覆い尽くしていくが、今考えたところで何も始まらない、ことから片隅に追いやって三人の後を追いかけた。
※
ロンドリア共和国郊外の路地裏、そこには悍ましいものを見たかのように恐怖が刻まれた表情で倒れ、事切れている救急隊員がいた。
「My Lord. なぜ、このようなことしたのですか。」
「気まぐれ、それだけ」
「そこまで気にされる理由が見つかりません」
「いいのよ。女っていうのは気まぐれな猫みたいな生き物みたいなんだから」
先ほどの少女はいない。
幼年残るかわいらしい顔は粘土のようにぐにゃりと曲がり再構成される。
青が混じる黒髪を腰の位置まで伸ばして凛々しい瞳は正面にいる主しか映さない。服装も変えてスーツの様なかっちりとしたものを着ている。これまでと違って感情を一切感じさせない、氷漬けにされているかのような無機質な声が響く。
対する老婆は重度の病を発症したとは思えないほど元気だった。
「My Lord. 申し訳ありません。そのお姿だとどうしても私が動揺してしまいます。元のお姿に戻っていただけませんか?」
「ふ~ん、おかしなことを言うんだ。別に光系魔力による光の反射を使って姿を変えているわけじゃなくて、体細胞から置き換ええているから、この姿だって私は私なんだよ。それはあなたがよく知っていることでしょう」
老婆は口を尖がらせて不満をアピールする。
「いえ、そのようなことではなく、私は今までのあなたの方が好きなので……」
「ふふふ、正直ね、私も好きよ、あなたのそんなところが」
言い終わると同時に老婆の体に変化が起こった。皺くちゃな皮膚は瑞々しく針がある肌に、色素が抜けて縮毛となっていた髪の毛は再び金色に輝きだしてハリ艶を取り戻し足まで届く長髪になった。目は美しいまでの碧眼。
その顔も幼く十五、六歳の年齢に見える。
「彼があれだけ熱意をもって動いているから、どんな人たちかと思ったら甘々な感じ。すごーく残念。ただの甘えたガキね」
頬を膨らませて眉を吊り上げる。
「にしてもあなたの制御器は便利ね。いろんな姿に慣れて楽しいわ。かれこれ数百年、一緒にいるけど飽きないわね。」
「しかし、わざわざ心臓病を再現することもないでしょう。御身はこ世の誰よりも尊く保護されなければならないのです。その身の護衛を任されている私が至らなければ御身に害を加えられてしまうのです」
「そうね。それはわかっているんだけど、悠久の時を過ごしてくると、たまには面白いことしてみたいでしょう。それに、ファーガルニでの遊びは私参加できなさそうだし、味見はしてみたかったからね」
「御身の体調はいかがですか。未熟とはいえ特級遺物の制御器の力を受けたのです」
「全然これっぽっちも問題ないよ。ちょこっと痒かったくらいだよ。あれくらいじゃ私は濡れないよ。もっと激しく強烈な刺激じゃないとね」
金髪少女は服の下に手を入れて確認をする。
「それはよかったです。世界に十一人しかいない創始者。どうか無理しないように」
「大丈夫よ。あなたがいるもの。ファーストエージェントとして私を守ってくれるんでしょ。……それで、今の状況はどうなの?」
「Yes. 特に他の十人は大きく動くことはないそうです。ただ、一人だけこれからのファーガルニを憂う方がいてご自身のエージェントを派遣する可能性があります」
「あのハゲジジイね。ファーガルニと懇意にしていたから潰されるとまずいんでしょうね」
妖艶な笑みは消え去り、急に心を射抜くような冷徹の眼差しが届く。
「そうだ。ちなみに子供の私と、おばあちゃんの私、どっちがいいのかしら」
「No, Answer. どちらも主人であり敬愛する主様です。選ぶことなどできるはずもありません」
「あなたたちは真面目ね。もっと友達感覚で話してもいいのに。特に私とあなたは数百年付き合いがあるのよ」
「No. できるはずがありません」
「ほんと、真面目」
「………」
憂いな表情をする金髪少女に従者の少女は答えが見つからず俯く。
「責めているわけじゃないの、ただ、数百年、付き合ってくれてそろそろ飽きてきたんじゃないのかなって」
「No! 例え数百年、数千年の時を経ようとも、この命は、忠誠は主様だけ物です」
冷酷な、又は無表情とも捉えられる彼女の感情が乱れた。
「ありがとう。私もあなたとずっと一緒にいたいと思うわ」
感情を自由に操る彼女はここまで乱れるのは珍しいことだ。金髪少女は思わず微笑みがこぼれてしまった。
「Yes」
「さあ、帰りましょう。あんまり留守にすると彼に叱られちゃうわ。ね、リーン」
「Yes, My Lord」
主従と言いながら、まるで、友達のように少女から差し出された手を取ったリーンは向けられる笑顔に照れながら力強く握り返す。
「まったくもう。面倒くさいわね。この世界の秩序を維持する者として、世界の創始者として異物はどんどん除去していかないとね」
嘆息つきながらもその手を離さずにリーンを連れてロンドリアの人ごみに消えていった。
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