生徒第一

掃除時間のことを思い出していると、くるりと万年筆を回したクロ先生が暗い青の視線を窓の外に向けた。


その視線を追いかけて、小さく目を見開く。


渡り廊下を駆けていく三人の少年の影。一瞬だったけれど、三人とも本を抱えていて、一人だけちょっと遅れ気味だっただろうか。でも、完全に置いてけぼりなわけではないようで。先を行っていた二つの影が手を引っ張っていた。


「あれが、私が教師をしている一番の理由かな」


そう呟いたクロ先生の横顔は楽し気だ。


「…クロ先生がナルアの悩みに気付いていながら声をかけないのは、何か理由があるんだろうと考えたんです。」


唐突に自分の考えを口にするボクに驚いた様子もなく、穏やかな視線で先を促すクロ先生。


「その理由がなんなのか考えたときに、ナルアの性格とクロ先生の『指導方針』を踏まえれば、ナルア自ら相談しに来るのが目的なんじゃないかな、と。ならボクにできるのは、先輩としてのその後押しだけだと思ったんです。あの子は確かに自己主張が上手ではありませんが、だからって弱いわけじゃないので。きっかけや後押しさえあれば、十分前を向いて歩ける子です。」

「そうだね。ナルアに自信を持ってもらいたい私としては、そのきっかけとしてあの子に勇気を持ってもらいたかったんだ。今回で言えば、他人を頼って相談する勇気だね」

「ナルアがクロ先生に相談できない場合もありますよね?」

「私には無理でも、友人や先輩には頼るんじゃないかなと思ってね。事実ナルアは君に相談をしにきている。これだけでも私は満足かな。先輩に声を掛ける勇気が持てたんだから」


ボクに声をかける勇気。そんなちっぽけな勇気だったとしても、ミカにとっては大きい成長だ。


「わたしには相談できたのはリンのおかげだと本人も言っていたよ」

「……あれ、ミカもう来たんですか?」


いくらなんでも早すぎない?あの後すぐ、掃除の時間に行ったのかな。


配布物の書類を両腕に抱えたままきょとんとするボクに、クロ先生が笑った。


「はは、名字じゃなくて愛称で呼んじゃってるよリン」

「あ、」


先生の前だから名字呼びにしてたのに。


ぱっと手で口を塞いだボクに、クロ先生がカラカラと笑う。


「リンも、レンやリネルに習って少し自由にしてもいいんじゃないかい?生徒の呼び方に不適切なでもないのに注意をしたりはしないよ?」

「…サヤもカイもはしゃぎすぎなのでボクはこれくらいでちょうどいいんです。」

「ふふ、確かにそうかもしれないね」


開き直って若干むくれながら愛称呼びをするボクにクロ先生は笑って返した。やっぱりクロ先生には敵わない。生きてきた時間とその間に積み上げてきた経験の圧倒的な差は、ボクの年相応でない魔法の技量や知能でももっても当然だけどひっくり返せないよねぇ。


「今の自分は魔法が下手で、好きじゃなくて、みんなの足を引っ張ってるしかできないから。みんなに追いつけるように、授業外でも教えてほしいって言いに来てくれたよ」

「そうなんですね。……ミカは、魔法、上手くなりそうですか?」

「ステラが見てもわかるだろう?あの子は魔法に苦手意識があるだけさ。克服すれば、いつかは君にだって手が届くかもね?」


茶目っ気混じりに片目を瞑るクロ先生にボクも笑いながら胸を張る。


「違いないですね。後輩に越される訳にはいかないので、ボクも頑張らないと。」


魔力感知に三人の馴染み深い魔力が引っかかる。カイたちが掃除を終えて教室に帰っている最中のようだった。かなり長居をしてしまったかもしれない。


「どう?ほとんどリンの予想と同じだったと思うけど。答え合わせにはなったかい?」

「はい。ありがとうございました。……ボクの予想と同じだっていうのなら、クロ先生はミカのために敢えて何もしなかったんですよね。」

「そうだね」


ボクの言いたいことに気付いたのか、クロ先生が清々しい笑みを浮かべた。呆れと驚きの視線を向ける。


「ミカの成長のために、あの子の苦悩も利用したんですか…」


クロ先生が万年筆をくるりと回した。


「『生徒を第一に行動すること』。それが私の教育方針だからね」


そのためならどんなことであろうと利用する。生徒の苦悩も仲違いも自分自身でさえも。


そう断言してみせるクロ先生に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

——これだからクロ先生は凄くて恐ろしいんだ。


頭を下げて、職員室を出ようと出入口に足をかけた。ドアを閉めよう振り向いて、がらんどうの職員室が視界を埋め尽くす。……そういえば。


「どうして月夜学院は教員がクロ先生だけなんでしょうか?いくら他院よりも人数が少ないとはいえ、二学年の生徒がいますし、事情が他とは違いますし。せめてあと一人はいた方がいいんじゃ?」


退室際のボクの疑問が聞こえたらしく、窓の外を眺めていたクロ先生がボクを見た。けれど、その顔は逆光になっていてよく見えない。


「他の魔法士育成機関とは毛色が違う事情持ちだからこそ、そう簡単には人員を増やせないんだ」


言葉が区切られ、クロ先生と視線がぶつかる感触。


「それは、君が一番よく理解しているだろう?」


一瞬だけ、職員室が静寂で満ちる。


「——…確かにそうですね。」


小さく頭を下げてから、今度こそ扉を閉めた。廊下をブーツの踵で叩きながら頭を切り替える。昔のことを今考えてもしょうがない。


長話しちゃったし、早く戻って書類配らないとな。……そういやなんの書類なんだろ。


ぺら、と歩きながら紙をめくって、……何も見なかったことにした。


廊下の窓から外を見上げれば、日が落ちるのが早くなってきていて早くも空が茜さしている。秋もまっただなかの季節だ。


——つまり、全月夜学院生が毛嫌いするあれの開催時期である。

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