第4話 逃亡

 次の日、追悼試合のしきたりとして、まずは罪人の処刑から始まった。処刑をみて興奮する観客は、そのままの興奮で剣闘士の試合にのぞむ。ましてや今日は、助命なしだ。観客には貴婦人たちもいたが、卒倒するような貴婦人はこの国にはいない。


 罪人たちは、剣闘士と違って訓練された兵士ではない。だが、それぞれに武器を持たされ、猛獣と戦わされる。万が一、猛獣を倒したところで生きて出られるわけもなく、最後は役人にとどめを刺されるのだが、処刑そのものを観客を楽しませるショーに変更した、死に至るまでの時間を長引かすだけの残酷な仕打ちだった。

 

 罪人たちの処刑が終われば、次は初めて闘技場に出る新人剣闘士たちの試合だ。もともと、新人剣闘士は初戦で命を落とす者が多い。しかも今日の試合は助命なしで、半数が命を落とすことになる。

 戦場を経験してきていて、累々とした死体の山を越えてきたゴヴァンだが、戦場の死より、闘技場の死を見届けるほうが数倍辛かった。戦場はお互いが同じ立場だ。勝者も敗者も、同じ大地の上で戦っている。だが、ここでは死は遊びであり、高い観客席から見下ろすこの豊かな国の民たちの興奮剤でしかない。ゴヴァンの心の底から、改めてこの国の享楽的な人々への憎悪が燃え上がった。


 ゴヴァンは試合を見ていたくはなかったが、今日はジャフィルから遠く離れるわけにはいかなかった。ゴヴァンもジャフィルも、すでに闘技場用の民族衣装に着替えていた。逃亡するとしても、どのみち容姿から異国の人間であることはばれてしまうのだが、それでもこの国の衣装を準備し、隠し持っていた。

 ジャフィルは壁にもたれ、腕を組みながら静かに闘技場を見ていた。静かではあるが、気を張り巡らせて「その瞬間」をうかがっていた。

 本日の興行を「助命なし」と決めた当の執政官は特等席に陣取っていた。周囲には貴婦人たちの色とりどりのドレスが色彩を添えていた。護衛の兵たちもたくさん従えていた。

 

 試合は着実に進んでいたが、ジャフィルは動かなかった。ゴヴァンは、ジャフィルは機会なしとして今日は諦めたのだろうと思っていた。闘技場の英雄であるジャフィルは最後を飾る試合だ。ゴヴァンはジャフィルより先に試合を終え、ジャフィルの試合を見守るために移動した。

 ジャフィルが観客の歓声を浴びて登場する。興行師がジャフィルの戦歴を読み上げ、観客の興奮をあおる。いつもの光景だ。興行師の声明が終われば、ジャフィル自身が観客に呼びかける。ゴヴァンはそのようなことはできなかったが、ジャフィルは観客をあおるセリフを言う能力にも長けていた。セリフはいつもジャフィル自身が考えていた。

 

 「皆さま!」


 ジャフィルはいつものように華やかに微笑んで呼び掛けた。


 「私は今日の獲物を決めています。今日、最期を迎えるのは、私の怒りをあおってやまないこの男です」


 ジャフィルは重い剣を高く掲げて指し示すと、ぐるぐると剣をまわし、空に向かって放り投げた。剣はぶんとうなりをあげながら空を飛び、もっとも見晴らしのよい席にいる執政官の一団の中で血しぶきをあげた。観客たちも、闘技場の人間も、誰も一瞬、何が起こったかわからなかった。静寂を切り裂いて、貴婦人たちの叫び声が起き、人々は我に返った。


 「我らの怒りを思い知れ!」


 ジャフィルは叫んだ。ほぼ時を同じくして、観客席に猛獣たちがなだれこんだ。観客席にライオンが、トラが、走りこんで無差別におそいかかった。観客席は完全にパニックになった。もはや誰も、闘技場のほうなど見ていなかった。ジャフィルは剣闘士たちに大声で呼びかけた。


 「自由になるぞ!

 この国を脱出する!

 馬をひけ!

 武器をとれ!」


 剣闘士たちの呼応する雄たけびが響いた。剣闘士を支配していた役人たちはもとより、門番の兵士たちなど、鍛えぬいた剣闘士の相手ではなかった。剣闘士たちは退路を確保し、馬や武具を確保した。

 皆がジャフィルをめがけて集合し、列をなした。全員が興奮しきって、目がらんらんと輝き、叫び声を上げ続けた。

 ゴヴァンはジャフィルから離れないよう、先頭集団に位置した。すばしこさにかけては誰にも負けないニールはいつのまにかゴヴァンのそばにいた。

 ジャフィルは、馬をまっすぐにサムの待つ街はずれまで走らせた。剣闘士の反乱に対し、なんの準備もしていなかったこの国の兵備は遅かった。街の人々は驚愕しながら、剣闘士たちの群れにあわてて道を譲った。


 馬に乗るサムの姿が見えてきた。サムはジャフィルたちが追いつくまで待たず、先頭に立って馬を駆けさせはじめた。ジャフィルはすぐにサムに追いついていた。ジャフィルとサムは故郷の言葉で何か怒鳴り合っていたが、それはゴヴァンにはわからなかった。

 先頭を走っていたジャフィルとゴヴァンには、何人の剣闘士がついてきているのかはわからないし、最後尾の状態などわかりようもない。後ろを振り返ることもなく、ただ、ひたすら馬を走らせた。ゴヴァンは、馬と人々の物音から、おそらく人数は六十から七十人くらいだろうと見当をつけた。


 海までは馬で二日だ。だが、馬は二日間を不眠不休で駆け続けることなどできない。馬は休ませなくてはならない。伝令の馬よりも早く港に到着することがジャフィルの計画だった。街から離れてすぐに、ジャフィルは馬の速度を緩めた。これ以上の距離を全速力で走らせると、馬は明日になったら走れなくなる。気持ちは焦るが、馬がつぶれてしまえば元も子もない。剣闘士の一団は、馬が走れる速度にスピードを落としながら海を目指した。

 このスピードで進むのであれば、互いに会話をすることもできる。剣闘士の一団たちは、ジャフィルの計画である海に向かうこと、それから隣の国を目指すことをようやく知った。誰も反対する者はいなかった。もはや引き返せないところに来てしまっていることは全員理解していた。どのみち遅かれ早かれ命を落とす運命であれば、自由の可能性に命を賭けたかった。


 最初の水飲み場はサムが案内した。そこには馬たちが食む草もあった。馬たちを休ませつつ、剣闘士たちの一団も少しの休憩を取った。少量の食糧はサムが持ってきていたが、到底全員分はない。ジャフィルは港に到着するまで誰にも食糧は渡さないと言った。少量の食糧は、海に出た後においておかなくてはいけない。港で食料が確保できるかどうかわからない。二日間を空腹で過ごすことに剣闘士たちは同意した。戦場であれば、二日の空腹はよくあることだ。

 ニールはゴヴァンのそばにいた。さすがのニールもほとんど口を利かなかった。ニールにはほとんど実戦経験がない。馭者として過ごし、武力も磨いていない。もしもこの国の兵士たちと行き会えば、戦闘能力のない自分は死ぬしかないことはよくわかっていた。

 ジャフィルは馬の様子を見ながら、どの程度まで馬を走らせられるかだけを考えていた。途中にある関所の兵くらいであれば問題なく倒せる。だが、正式な兵が配備されればこの人数では太刀打ちできない。伝令の馬より早く港に到着するといっても、大きな問題がある。自分たちは馬を変えられないが、伝令は用意された場所で馬を変えることができる。

 サムが調べたところ、関所は二か所。どの道をたどろうとも、地形の関係上、そこを避けて港に出ることはできない。正式な伝令がどの道を通って、どのルートで急を知らせるかはジャフィルたちには知りようがない。もしも伝令がジャフィルと同じ道をたどれば伝令を斬ることはできるが、伝令が違う道から先回りしてしまった場合は万事休すだ。


 最低限の休憩を取りながら、剣闘士の一団は次の日には第一の関所に到着した。ここには伝令は到達していなかった。剣闘士の一団は難なく関所の兵たちを倒し、ジャフィルはその関所にいる馬を引き出させた。馬は六頭いた。

 ジャフィルは剣闘士の一団に説明した。次の関所では先回りされており、兵が待ち伏せている可能性が高いこと。この人数では勝利することは難しいため、囲みを破って、破れたところから港へ向かうこと。自分、ゴヴァンをはじめ、武力が上の者から六名が馬を変え、囲みを破る先駆けの役割をすること。兵が現れた瞬間、全員がそのことを把握して各自、自分の命を守りながら囲みを抜け、港を目指すこと。道案内ができるのはサムだけであるため、サムだけは全員でかばうこと。次の関所は川であるため、もし自分ひとりだけはぐれたとしても川を下れば海にたどり着き、港を探すことができること。

 生き残りの可能性を上げるためだ、とジャフィルは説明した。故郷に帰れる人間の数をできる限り増やすために考えた案だ。

 先駆けの役割は命を落とす可能性が高い。誰もジャフィルの説明と提案に異は唱えなかった。関所の兵たちの亡骸を残し、剣闘士の一団はさらに港を目指して進んでいった。

 

 ジャフィルが予言した通り、次の関所である橋には兵が配備されていた。そしてジャフィルは予言した通りに、雄たけびを上げながら先頭で兵の真ん中へと突っ込んでいった。ゴヴァンも負けじと後に続いた。ジャフィルは鬼神のように強かった。闘技場で見せる華やかな技のかけらもなく、無駄なく一撃で兵たちを仕留めていった。ジャフィルに襲い掛かろうとした兵士たちは、ジャフィルの周囲に死骸となって積みあがった。一瞬、兵たちはおそれをなしてジャフィルの周囲に空間ができた。その隙間にはいつのまにかサムもいた。ジャフィルはまよわず先に進んでいった。剣闘士たちの一団もあとに続こうとしたが、兵たちはジャフィル以外の剣闘士にはためらわず襲い掛かってきた。

 ジャフィルとサムが向こう岸に進んでいくのが見えた。ゴヴァンも襲い掛かる兵士たちにとどめを刺しながら、なんとかジャフィルに続こうとした。剣をふるっている途中で、ニールが兵に刺されようとしているのが視界の端に入った。瞬間、ゴヴァンはニールのほうに馬を走らせてしまい、剣闘士の一団からはぐれてしまった。ニールを助けることはできたが、完全に孤立した。四方八方を兵に囲まれ、もはやニールがどうなったのかもわからない。その状態でいつまでも戦えないのは目に見えていた。ゴヴァンは生き残る可能性を考えた。橋から身を躍らせ、川へと落ちていった。 



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