第3話 チャンスを待つ

 そのころには、剣闘士の仲間の中では、ゴヴァンとジャフィルは親友のように思われていた。民族は違うが、どちらも優秀な剣闘士で、どちらも敗者を殺すことを望まない。そして、観客を満足させるすべも心得ていた。もっともゴヴァンはジャフィルに、もっと演技しろ、客をあおれ、としつこく言われていたが、ジャフィルのように華やかに振る舞うことはできなかった。だが、そうしたゴヴァンの淡々とした朴訥さを好ましく思う観客もいた。

 興行師たちは、お金と時間をかけた剣闘士の数が減らず、観客がどんどん集まるので気をよくしていた。したがって、ジャフィルとゴヴァンに対してはかなり自由を認めていた。本物の戦場を知らず、捕虜になったこともない興行師たちは、ふたりの秘めた闘志、心に誓った真意に気づくはずもなかった。

 

 ジャフィルはゴヴァンに、時期を慎重に待つと言った。

「この国は何年かごとに戦争している。戦争中であれば、兵力は分散される。だが、あまり長引かせても、観客たちが俺たちの芸に飽きてしまって、いまの地位の安泰はない。おそらく観客は、俺とお前のどちらかが死ぬまで戦うことを望むだろうよ。つまり、最長三年だ」

そうジャフィルは言った。

「それ以上は待てない。もうひとつのチャンスは、剣闘士たちの間で騒動が起こるときだ。闘技場の中で事件があり、剣闘士たちの中でこの国に対する不満がくすぶれば、それに乗じて蜂起することは可能かもしれない。

 だが、仲間は増やさない。

 感情にまかせて流れに乗る者と、胸に秘めた闘志がある者は区別しないといけない。いまのところ、俺やお前と同じレベルで強い望郷の念を持っているものはいない。だが、蜂起するときに、他の剣闘士たちが俺たちのあとをついてくれば自由になれるかもしれない、という夢を持てる存在でなくてはならない」

 ゴヴァンはジャフィルに同意したが、ジャフィルのようにカリスマ性を発揮することはできなかった。だが、自分の武芸を磨くことだけは怠らなかった。


 チャンスは一年と少し後にやってきた。執政官のリーダーは病で亡くなった幼い息子の追悼試合として、闘技場の全剣闘士の試合を決めた。剣闘士たちを幼い息子の殉死者とするためだ。

 そのため、この試合は助命なしだった。負ければ必ず処刑される。ゴヴァンとジャフィルのおかげで、助命されることが多くなっていた剣闘士たちは動揺した。執政官の個人の問題に巻き込まれ、命を落とす運命に憤慨した。興行師たちは、最終試合をゴヴァンとジャフィルの組み合わせにしないことだけで精一杯だった。

 ゴヴァンは、

「観客はいずれ、俺かお前のどちらかが死ぬまでの試合をやらせるさ」

 と言ったジャフィルの読みの確かさに舌を巻いた。


 ニールはあの若い娘にふられていた。おそらく、ジャフィルがお金を払うことをやめたのだろう、とゴヴァンは思ったがニールには言わなかった。ジャフィルはニールがゴヴァンたちと同行できるように気をまわしたのだ。ゴヴァンがニールを可愛がっており、したがってこの国に置き去りにすることを望まないことを理解していた。

 その国の兵士たちは、一部は西の国との戦に出かけていたが、それほど数が減っているわけではなかった。ジャフィルは、山越えの策ではなく、騒ぎに乗じて、海から逃亡する策を選び、ゴヴァンは同意した。海までの道は、馬を使って全力で駆ければ二日で到着できる。海に到着すれば、ゴヴァンは船を操れる。報奨金の金貨と宝石は体につけていく。海賊に出会えば、金貨と宝石で交渉する。無事に外国に到着した場合、宝石が役に立つだろう。

 

「ついてこられる剣闘士がいれば、ついてくればいい。体力もスピードも俺たちが一番上だろうが、仲間が増えてもかまわない。そのときは一緒に逃げるまでだ」

 と、ジャフィルは言った。

 詳しい道を知る者はサムしかいなかった。ゴヴァンとジャフィルは道を知らない。頭で描いた地図をたよりに進んで行くには限界がある。いざ港についても、船を操れるのはゴヴァンだけだ。だが、剣闘士の集団の中には、船を操れる者はいるだろう。

 サムは剣闘士ではなく、同じ場所から出発することはできない。サムは自分ひとりで馬に乗り、街のはずれで二人を待つことになった。

 「もし現れたのが俺たちでない場合は、いつもの調子でとぼけていればいい。俺たちが失敗したら、お前は知らない顔をしていればいい。試合の流れによって、蜂起する流れにならない場合もある、その場合はまた次の機会を待つしかない。どのタイミングで剣闘士たちに呼びかけるかは、俺にまかせろ。これは、俺が適任だ」

 ゴヴァンはうなづいた。


 試合の前の日の夜、いつにもまして豪勢な食事がふるまわれた。がつがつと食べている者もいたが、食欲のない者もいるようだった。ゴヴァンはジャフィルを見つけて近づいた。ジャフィルはあまり食べ物に手をつけず、酒を飲んでいた。

 いよいよ明日だな、とジャフィルが言った。ああ、とゴヴァンは返した。

「俺はさ」

ジャフィルは語りだした。

「なかなかよくできた剣闘士だと思うぜ」

ゴヴァンは笑った。その通りだ。

「剣の腕もいいし、見た目もいい。敗者に対する礼儀もあるし、観客の心をつかむ術も心得ている。正直、余計な夢なんか捨てちまって、この国で剣闘士として生きていくのも悪くない、と思ったこともある。金貨だって手に入るし、女にももてる。もう少ししたら、剣闘士を指導する役目を授かるだろう。そうしたら多少の自由も手に入るし、この国で穏やかに生きていける。

 だがな、どんなにそうやって言い聞かせても、どうしても納得がいかなかったんだ。俺の心の奥の奥にある、俺の本当の声が俺のごまかしを許さなかった。これは俺が選んだ道じゃない。俺は自分の意志ではなく、権力に捕らえられてここにきて、ここに縛り付けられている運命だ。俺の足に鎖はついていないが、鎖がついているのと同じ運命だ。こんな運命には我慢がならない。

 だから、俺は懸けてみることにしたんだ。命を懸けてるんじゃないぜ。命を懸けるのはなれっこだからな。そうじゃなくて、俺は俺の魂に懸けてみることにしたんだ。自由になりたいと望む、自分の魂の声に懸けることにしたんだ」


ジャフィルはゴヴァンの杯に酒を注いだ。

「ゴヴァンに幸福を!」

ゴヴァンも杯を返した。

「ジャフィルに幸福を!」




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