第2話 花形剣闘士 ジャフィル

 ゴヴァンは一夜にして、闘技場の注目を集める身の上になった。すでに闘技場の花形であった優秀な剣闘士たちは、ゴヴァンを警戒していた。ゴヴァンがいつものように訓練していても、常に誰かがゴヴァンを見、ゴヴァンのことをウワサしているようだった。


 そのころ、剣闘士の中でも際立って強く、観客にもっとも人気のあった美形の剣闘士にジャフィルという男がいた。ジャフィルは南の国の生まれで、がっしりした体形だが、この国で好まれる眼光鋭い大きな黒い瞳と濃い髭を持っていた。ジャフィルの民族は、派手な兜をかぶり、重い刀と盾を持って戦う重量級の剣闘士だった。

 ジャフィルはまた、派手な技を見せて観客を熱狂させるのが上手かった。だが敗者にとどめをさすことは好まず、試合で組んだ相手がひどい負け方をした場合は、助命を自ら観客にアピールしたりもした。ジャフィルは貴婦人に助命をお願いすることがうまかった。ひとりの貴婦人がジャフィルの願いを受け入れると、それで敗者は助命される。ジャフィルは貴婦人たちにも人気だった。試合でジャフィルとあたるとほとんど生き伸びられるため、剣闘士仲間からも尊敬され、一目おかれていた。


 ジャフィルは笑みを湛えながら、友好的にゴヴァンに近づいてきた。ゴヴァンにはジャフィルが自分に近づく意図はわからなかった。だがジャフィルには剣闘士にありがちな気の荒さがなく、いつも陽気で機嫌がよく、面白い男だった。それに話してみると、優秀な戦士であったふたりには、わかりあえる点がたくさんあった。ゴヴァンは、試合した相手を無駄に死なせることはしたくないと思っていた。そういう意味でも、ジャフィルが友好的にアドバイスを与えてくれることはありがたかった。

 ニールはほとんどの時間をゴヴァンと過ごしていたため、結果的に、ニール、ゴヴァン、ジャフィルと三人で過ごすことが増えた。ニールはいつのまにかジャフィルの派手さや華やかさ、カリスマ性に心酔しているようだった。


 剣闘士は、観客の人気順に試合の順番が決まる。たいていの場合、最後を飾るのは一番人気だったジャフィルだ。初回の試合で観客の期待を一身に集めたゴヴァンは、着実に順位をあげていった。ゴヴァンは、ジャフィルの友好的で的確なアドバイスのおかげで、ジャフィルのいる「最上級」と呼ばれるクラスに驚異的なスピードであがっていった。「最上級」になると、市内を自由に歩く権利が与えられる。報奨金も出る。それまでのクラスの剣闘士は、宿舎と闘技場、練習場の往復しかできないが、最上級になると、市内を自由に闊歩できるし、自分の鍛錬をどの程度行うかも自分の自由となった。

 だが鍛錬をさぼって試合で無様な負け方をすれば、即、死を意味する。鍛錬をおこたる剣闘士などいなかった。ゴヴァンの民族では、剣闘士と馭者は一組と数えられていたため、ゴヴァンが最上級にあがると、自由に街を歩けるのはニールも同じだった。ニールは無邪気に、酒が飲みたい、美味しいものを食べたい、女の子と遊びたいと言ってゴヴァンを苦笑させていた。

 

 ゴヴァンが最上級にあがった日、ジャフィルはゴヴァンを街に誘った。この街のことを知るはずもないゴヴァンはジャフィルの誘いを受けた。ニールが美味しい酒を飲みたいと言っている、というと、ジャフィルはまかせとけ、と言ってウィンクした。

 ゴヴァンとニールとジャフィルは街に出かけた。街に出かけるときは剣闘士の民族衣装を着る必要はなかったが、異邦人の三人が剣闘士であることなど、街中の全員がわかっているようだった。ジャフィルは二人を酒と食べ物を出す店に誘い、「今日は俺のおごりだ」と言って笑った。

 肉などは剣闘士の宿舎でも出るが、やはり店で出すものは味に工夫があって美味しかった。二人が一心不乱に食べている様子をジャフィルは酒を飲みながら笑って眺めていた。食事が満足した頃、若くて可愛らしい娘が現れて、ジャフィルに挨拶をしたあとでニールのそばに座った。若い娘はしきりにニールにふざけかけ、ニールはすっかり鼻の下をのばしてやがて二人で席を立っていった。


 ゴヴァンはジャフィルに

「おい、女の用意までしたのか?」

 と聞いた。

 可愛らしい容姿の娘ではあるが、普通の娘ではなく商売女だと思った。ジャフィルは笑って

「奴の好きそうな女のタイプくらいわかるさ。まったく、こっちの予想を裏切らない奴だぜ。」

 と言って笑った。

「用意周到だな。」

 とゴヴァンは答えたが、なぜニールを遠ざけたのだろう、といぶかしんだ。ニールに聞かれたくない話があるのだろうか。


 ジャフィルはしばらく黙って酒を飲んでいたが、ふと顔をあげてまっすぐにゴヴァンを見た。

「俺は国に帰りたい。」

 ジャフィルはそう言った。


 ゴヴァンは一瞬息をのんだが、なにも言わなかった。剣闘士の脱走は、もちろん処刑だ。だが、国に帰りたい思いはゴヴァンも同じだ。豊かに反映し、兵力も豊富なこの国からどうやって逃げ出せばいいかわからないだけだ。そもそもゴヴァンにとっては、故郷に帰る道すらわからない。

 ジャフィルは続けた。

 「俺ひとりで逃げ出したところで、捕らえられて処刑されるのは間違いない。この国の兵備は整っていて、逃げ出すような道はどこも兵士が見張っている。お前と二人でも同じ結末さ。ひとりがふたりになったって、何も変わりやしない。だが、大勢の剣闘士が暴動を起こせば、この思いあがっている大国は、どういう方策をとればいいかわからず、しばらく隙ができるだろう。その機をとらえて、故郷に帰るんだ。幸いこの国には、国の命令なんて糞くらえと思っている山賊や海賊がいる。やつらを金品で買えば、逃げる算段ができるだろう。だが、最初の暴動には、ある程度の仲間がいる。腕がたって、口が堅くて、どうしても国に帰りたいと思っている仲間がな。俺とお前の国は遠く離れていて、一緒に逃亡することはできないが、一緒に暴動を起こすことはできる。」

 ゴヴァンは黙り込んでいたが、それは承諾の印でもあった。

「お前の戦い方を見てわかったんだ。これは、絶対に故郷に生きて帰りたい者の戦い方だってことがな。自分の不幸を嘆いているやつは、ああいう戦い方はしない。俺も同じだから、わかるんだよ。そのうち、仲間に紹介する。少しずつ紹介しないと目立つ動きはできないからな。お前の国への帰り方も考えてやるよ。」

 それきり、ジャフィルは話題を変えて、いつものように陽気でにぎやかな男になった。ジャフィルは店にいる楽団を呼び、その国の音楽を披露させ、ゴヴァンを楽しませた。

 宿舎への帰り道、ニールは一緒にいた娘のことを話しながら完全に浮かれており、またすぐにさっきの店に会いに出かけるのだと繰り返し言った。ゴヴァンは、その娘はジャフィルからだいぶお金をもらったなと思ったが、何も言わなかった。ゴヴァンはニールの背中を叩き、

「その娘のためにも、次の試合も生きて帰らないとな。よろしく頼むよ。」

と言った。


 ジャフィルはしばらくして、ゴヴァンを別の店に連れて行った。ニールは最近、自由時間ができれば例の娘のところへ行ってしまい、ゴヴァンやジャフィルと一緒に行動しなかった。

 ゴヴァンが連れていかれた店は怪しいショーを見せながら、食事や酒も出す店だったが、その店の一番人気の演しモノは、ゴヴァンたちと同じ奴隷が繰り出す妖術だった。妖術師は、自分では魔術師であると名乗ったが、本当のところ魔術師なのか奇術師なのかはわからない。だが、客がいろいろと無茶な注文をつけてもほとんどその注文に答えてみせた。その男の手から現れる火や水や、鳥や小動物が、どのような仕組みになってそこに登場するのかはわからない。男が自分で言うように魔術師なのかもしれないし、奇術師かもしれない。でもどちらにしても、観客の度肝を抜くトリックであるのは間違いなかった。女たちのエロティックなショーもあったが、客の第一のお目当ては女ではなくその魔術師であるのは確かだった。


 その魔術師は黒い瞳と黒い髪をしており、ジャフィルと同じ民族であるのは見て取れた。魔術がひと段落して、客たちも落ち着いてきたころ、その魔術師はジャフィルとゴヴァンの席に近づいてきた。ジャフィルとその魔術師は、ゴヴァンの知らない言葉でしばらく話し、そのあとジャフィルは魔術師をゴヴァンに紹介した。

 「仲間だ、ゴヴァン。」

 魔術師はゴヴァンに右手を差し出した。ひやっとする冷たい手だった。ジャフィルと同じ民族だが、ジャフィルのような温かさはない。ゴヴァンは、例の計画の仲間であることを悟った。


 戦争捕虜となり、奴隷になっても、剣闘士しか道がないわけではない。別の才能があるものは、その才能にそって自分を売り込むことも可能だった。魔術師、もとい、サムと名乗ったその男は、自分の魔術を披露することにより、剣闘士ではなく店でショーを披露して生きていた。そして、いつも街で過ごしているからこそ、ほとんどの時間を闘技場で過ごすジャフィルやゴヴァンでは知りえない情報をいくつも集めていた。情報なくては、最初の計画は立てられない。サムは重要な役割だった。


 サムはゴヴァンに言った。

「地図が見たいだろう?」

 ゴヴァンがうなづくと、サムは来な、と言って自分の部屋に案内した。ジャフィルはついてこなかった。三人一緒に行動するのを避けたのかもしれない。

 サムの部屋で、ゴヴァンははじめてこの国と自分の国の位置を示す地図を見た。覚悟はしていたが、あまりにも祖国が遠いことにゴヴァンは絶望的な気分になった。ゴヴァンの祖国に比べれば、ジャフィルたちの国はずいぶん近く、この国からみれば隣国でしかない。ジャフィルは国に帰れるかもしれない。だが・・・。心に絶望が忍び込みそうになったが、ゴヴァンは自分の考えを打ち消した。

 希望を持つと決めたのではないか、決してあきらめない、と。自分ひとりなら到底無理だが、いまは仲間がいる。そう思い直した。


 サムは地図を指し示しながら言った。

「俺たちは、この山を越えて祖国へ帰るルートを使うつもりだ」

 ゴヴァンに対しては、山を迂回して国を目指す道を提案された。山越えの手前までは、サムやジャフィルと、ゴヴァンたちは同じ道を取る。そこから左右に分かれて、それぞれの祖国を目指す。

「この土地まで来たら、兵は手薄になっているはずだ」

とサムはそう言った。その土地は、肥沃で平和な農業土地でありながら、ずいぶん昔からこの豊かな国の一員であり、反乱の心配もなく、敵国が踏み込むにはあまりにも遠すぎる国の中央にある田園地帯なのだ。

 「だが、反乱が早く収まりすぎ、時間があまりない場合は」

とサムは話をつづけた。全員が一番近くの港を目指す。その港へ出てしまうと、実際にはサム達にとっては祖国と反対側になってしまうが、まずはこの国から逃亡することを優先させる。

「あんたは船が漕げるか?」

とサムは聞いた。ゴヴァンがうなづくと、

「そりゃよかった、あんたの国は海のそばだからな。俺たちの国にも海はあるが、俺もジャフィルも内陸の出なんだ」

 と言った。

 また折に触れて地図は見せるよ、店に戻ろうと言って、サムはゴヴァンを連れて店に戻っていった。ゴヴァンは自分のできる限りの能力を使って、その地図を頭に叩き込んだ。とにもかくにも、祖国へ帰る方角だけでもわかっただけでもたいしたことだ、とゴヴァンは考えた。

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