故国を離れて

Naomippon

第1話 異国の剣闘士たち

 その国は絶えず領土を広げ、絶えず戦争を続けていた。すでに強大だった国は近隣の小国を支配下に飲み込み、果てしもなく広がっていく。

 都には富と権力、豊かさが集中し、人々は贅沢に慣れていた。都の人々には国境での敗者の嘆きや戦火の悲惨さは届かない。ただひたすら、豪奢な高慢さがはびこっていた。贅沢に飽き、刺激を欲する人々のために、商人たちは残酷な遊びを提供していた。


 戦争に敗れ、捕虜となった異国の戦士達は、闘技場に送り込まれる。見世物として人間同士で互いに戦わされるのだ。断れば処刑される。闘技場に送り込まれたとしても、観客の見たいものは人間同士の流血であり、ほとんどの戦士はいずれ命を落とす。その戦士たちは、剣闘士と呼ばれていた。

 武運と幸運に恵まれたものだけが、この残酷な遊びを生き延び、自由の身になって、後輩の剣闘士を指導する運命が与えられた。だが、その地位が魅力的かというと、さほど魅力的でもない。指導した剣闘士の大半は闘技場で死んでいく運命であり、自由の身になったといっても、もともとその国に生まれた人々のように財産や家族が持てるわけでもない。だが、闘技場で人気剣闘士となれば、女性たちにはもてたし、裕福な貴族の後援者がつけば金品のみならず屋敷や従者まで与えられることもあった。


 異国の剣闘士たちは、生まれ故郷の民族衣装を着せられた。それは、異国情緒を観客に持たせるとともに、その国が敗れた国であることを示す屈辱の証でもあった。競技場に登場する民族衣装は、滅ぼされた国の民族衣装ばかりだ。剣闘士たちは、生まれた国の民族衣装を着せられ、生まれた国が持つ武器を与えられ、生まれた国のしきたりにそって戦わされる。


 そうやって、剣闘士となったひとりにゴヴァンという名前の戦士がいた。ゴヴァンも生まれ故郷の民族衣装を着せられ、戦車と槍を与えられた。ゴヴァンの生まれ故郷では、もはや戦車や槍を使うことはなく、この国と同じように剣で戦っていたのだが、そうした事実が重視されることはなかった。ゴヴァンの黒い巻き毛や緑の目はその民族の特徴を示していたし、その民族の古い戦い方をする戦士としてふりわけられたのだ。ゴヴァンは剣の扱いは得意だったが、高身長というわけではなく槍の扱いに苦労した。槍は背が高いほうが扱いやすい。だが、自分が使いやすい武器を与えられるようなことはなかった。

 剣闘士たちは、自由のない身ではあるが食物だけは豊富に与えられた。観客たちは強い剣闘士たちの試合を見たいのであって、体は屈強で筋肉も隆々としていなくてはならない。肉も果物も酒も、つねに豊富に準備してあった。だが、一日のほとんどは剣闘士としての訓練にあてられており、太るような者はいなかった。

 剣闘士たちのほとんどは、闘技場の中で死ぬ運命を与えられている。生き延びられる確率は低かった。ましてや、敵国で捕虜になり、見世物になる身の上だ。剣闘士たちのほとんどは希望を持てず、荒んだ心を持っていたが、それでも生まれ故郷が同じ仲間と自然に集まり、一緒に過ごしていた。言葉の問題もあった。積極的にこの国の言葉を習得しようとする者もいたが、あえて理解しようとしない者もいた。ゴヴァンの民族は、もともと国内に多言語が存在したこともあり、比較的言語の得意なものが多かった。ゴヴァンも少しずつこの国の言葉を解するようになっていた。

 ゴヴァンの民族は、他民族に比べ結束力が強く互いに仲が良かった。だが仲が良いということは、仲間が死んだときに心に傷をうけてしまう。ゴヴァンの民族は、結束力が強く仲がよい反面、自殺者の多く出る民族だった。


 幸いにも、その闘技場では同じ民族同士が戦わされることは基本的になかった。同じ武器を持っているということは、武力が上のものが勝つという単純なことだ。観客はつねに、変わった試合を見たがっていた。そこでは、戦車と猛獣、剣を持つ戦士と投げ縄を持つ戦士のように、予想のつかない組み合わせが好まれていた。

 剣闘士たちは、訓練期間はほとんど鉄の武器は使わない。本物の武器を与えられるときは、実戦に出るときだ。ゴヴァンのように歴戦の戦火を潜り抜けた戦士は、本物の武器に動揺するようなことはない。だが、戦火をくぐりぬけることなく捕虜となった者は、本物の武器に動揺し、初戦で命を落とすことが多かった。

 実戦は剣闘士のどちらかが絶命するまで続けられるわけではない。だが、負けた剣闘士が処刑されるか助命されるかは観客の選択にまかされていた。観客の女性がたったひとりでも助命を嘆願すれば助けられる、そんな掟があったのだが、貴婦人とはいえ、剣闘士の試合を見るような女性たちが、敗者の助命を選ぶことはあまりなかった。みっともない負け方をすると、もちろん処刑されてしまう。


 ゴヴァンたちが乗せられている戦車は、闘技場の狭い敷地では小回りが利かず、分が悪かった。投げ縄や銛を持っている戦士には簡単に足をはらわれてしまう。猛獣たちは戦車に飛び乗ってくる。一番難しかったのは、足元がつねに揺れ動き、不安定になることだ。うっかり戦車から落ちると、その瞬間が命取りになる。戦車自体に轢かれることもあるし、轢かれなくても、体制を立て直す前に隙ができてしまう。戦車で相手戦士を轢くという戦法は認められていたが、戦車を放り出すことは認められておらず、戦車から降りて戦うことはできなかった。

 ただし、戦車の構造上、剣闘士だけではなく馭者が一緒だった。戦車を操りながら戦うことができないためだ。馭者を選ぶのは剣闘士にまかされた。気が合うもの同士でないと戦うことができないためだ。剣闘士にはなったが戦うことには向かない者は馭者になることを望んだ。

 ゴヴァンはすぐに、この戦車では自ら攻撃をしかけることは難しいことを読み取った。攻撃が難しいとすれば、防戦を考えるしかない。相手が猛獣であれ、人間であれ、この戦車の揺れ動く土台では、こちらから相手の先回りをすることはできない。とすれば、相手がこちらの戦車に近づいてくる瞬間を狙うしかない。動く戦車に近づく瞬間は、戦車の動きに気をとられている。

 だが、より難しいのは投げ縄を使う戦士と、矢を使う戦士だ。投げ縄を使う戦士であれば、槍を繰り出しても投げ縄に絡められるし、相手は戦車に近づくより、投げ縄でこちらを転ばせる戦法を使う。矢を使う戦士も、戦車に近づくようなことはしない。ゴヴァンは、投げ縄も矢も、一投目から二投目までに隙間ができることに注目した。一投目を避けて、二投目までの間にとどめを刺す。相手の剣闘士が熟練者でなければ、一投目から確実に急所を狙う冷徹さはもっていないだろう。


 剣闘士の試合の興行日では、まず前座として猛獣と人間の戦いがあり、次に実戦が初めて同志の試合があり、それから夕方にかけて数々の戦いを勝ち抜いてきた戦士たちの試合がある。ゴヴァンが最初の実戦で与えられた相手はライオンだった。ゴヴァンは、投げ縄の戦士や矢を使う戦士でないことに安堵した。ライオンであれば、おそらくこちらの誘導に従って、簡単に戦車に近づくだろう。その瞬間を狙えばいいと思った。

 ゴヴァンは馭者として、普段から気があっていたニールという名前の若者を選んだ。ニールは身が軽く、器用ではあったが、明らかに剣闘士には向いていなかった。体は華奢すぎたし、性格が優しすぎ、実戦経験すらなかった。馭者として選ばれることがなければ、いずれは剣闘士の落ちこぼれとして、前座で猛獣に殺される役目になるのは目に見えていた。だが、馭者として選ばれれば、組んだ剣闘士の能力次第で自分も生き延びることができる。そのうえニールは、馬の扱いがうまかった。小さい頃から動物は得意だったのだという。


 ゴヴァンは誰にも打ち明けていなかったが、生まれ故郷に恋人がいた。恋人が今どうしているのか知る由もなかったが、生まれ故郷に帰る夢を心の中で抱いていた。ゴヴァンは戦士として戦争に駆り出され、捕虜になってはいたが、遠く離れた生まれ故郷はまだこの国に占領されてはいなかった。そのことだけがゴヴァンの心の支えだった。いつか故郷に帰りたい。生きてさえいえばチャンスはある。いつか必ずこの豊かで残酷な国にも、滅びるときはやって来る。それはすぐかもしれないし、ずっと先かもしれない。でもあきらめたら、そこで終わりだ。

 ゴヴァンは心に秘めた熱い望郷と、恋人への愛の想いに支えられて、誰よりも冷静だった。初戦にライオンとの闘いをひきあてた同郷の先人たちのほとんどが初戦で命を落としていたが、勝機はあると踏んでいた。心に強い目標を掲げている人間の想いの念は強かった。

 ライオンが登場すると、馬が恐慌状態に陥り、戦車が制御不能となる。まずはそこを避けなければならない。ゴヴァンは馬に目隠しをすることを思いついた。ニールに目隠しについて打ち明けてみると、意外にもあっさり納得してくれた。そもそも、馬の気を散らさないための目隠しは行われているのだという。ニールは早速、目隠しした馬と訓練を始めてくれた。馬はニールにまかせ、自分は自分に集中するのみだ。


 ゴヴァンは熱い闘志と冷静な精神をもって、剣闘士としての初戦にのぞんだ。大勢の観客の視線にも歓声にも、古い民族衣装と古い武具で飾られる屈辱にも心は揺れなかった。

 舞台を盛り上げるために、剣闘士の名前と来歴が披露され、剣闘士が登場する。剣闘士は両手をあげて、武具を誇示し、観客の歓声に応えねばならなかった。観客を盛り上げた興行師は安全な鉄格子の中へと避難し、次に何日もの絶食の挙句、小さな銛を打ち込まれた怒り狂った雄ライオンが別の鉄格子の通路から走り出てくる。

 ライオンが剣闘士ではなく、戦車の馬を最初に襲うこともあったが、すぐに剣闘士が殺されてしまうより観客の楽しみは長引いた。

 ニールは上手に目隠しの馬を操っていた。目隠しをしたところで、ライオンの唸り声と匂いはする。それによって馬が暴れてしまえば、ゴヴァンの計画は崩れるため、この戦法は一種の賭けだった。

 ゴヴァンはライオンが登場するより前に、全速力で戦車を駆けさせた。馬は、目隠しでの全力疾走に集中しており、ライオンに気を散らすことはなかった。ゴヴァンの思い通りだった。ゴヴァン自身がライオンに向かって野獣のように咆哮すると、雄ライオンも野獣の本性として、戦うべき相手に全力で突進してきた。

 ゴヴァンは身を低くして、ライオンの前足の長さと頭の大きさを見極め、槍を構えた。ライオンが獲物の喉元を噛みちぎるように、大きな口を開いてとびかかってくる。ゴヴァンは正確にライオンの開いた口の中を槍で突き刺した。だがライオンは重量がありすぎ、ゴヴァンも槍もライオンも、すべてが戦車の外へと放り出された。


 観客には、一瞬何が起こったかわからなかった。目隠しされた馬は剣闘士のいない戦車を狂ったように走らせ続けている。ニールの役割は、地面に横たわるライオンとゴヴァンを轢き殺さないことだ。地面に放り出されたライオンはそのまま断末魔の震えのあとで絶命し、ライオンに殴り倒されたようにしか見えなかったゴヴァンはよろめきながらも立ち上がった。

 やがて闘技場には熱狂する観客の歓呼の声が鳴り響いた。新しく闘技場の英雄が誕生した瞬間だ。

 機を見るに敏な興行師がかけつけてくる。興行師はゴヴァンの武勇をたたえ、ゴヴァンの名前を連呼し、さらに観客の興奮をあおった。ゴヴァンは冷静だった。勝者の役割である、観客へひざまずく作法は忘れなかったが、早く宿舎に戻って体に浴びたライオンの血を洗いたいと思っていた。それにニールや馬たちも早く休ませてやらないといけない。

 ゴヴァンがようやく興行師と観客から解放され、闘技場を出るとニールが走り寄ってきてゴヴァンに飛びついた。

 ニールは誰よりも興奮しており、すごい、ゴヴァンはすごいよ、と連呼した。ゴヴァンは苦笑して、早く宿舎に帰って休めと言ったが、ニールの興奮はやみそうになかった。

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