第5話未熟ものな魔法使い

 くしゅん、とファニはくしゃみをした。


ラミスの水の魔法のせいで、ファニの体は濡れていた。このままでは弟子に風邪をひかせてしまうと考えたラミスは、家の中からタオルを二枚持ってきた。一枚はファニに手渡し、もう一枚はファニの髪の毛を拭いてやるのに使用する。


普段であれば、ファニは自分で拭くと言っていただろう。だが、今のファニはされるがままになっていた。まるで、子供に戻ってしまったかのようだ。


「ファニは成長したね。リリースたちと一緒に行動していたからかな?君は、今までよりもずっと強くなったんだよ。それは、忘れないで」


 師匠の言葉に、ファニは唇を噛んだ。リリースたちから様々なことを学んで、強くなったつもりになっていた。だが、ラミスからしてみればまだまだであったのだ。


 ファニは成長した、と師匠は言ってくれた。ラミスが言う通り、リリースたちと旅をしたことでファニはたくさんのことを学び強くはなっただろう。見聞も広がり、彼らの特技を少しずつ教わった。魔法の技術も上がった。


 ファニは、ぎゅっと拳を握る。


 今更になって、自分を追放した勇者たちがより一層憎くなる。ファニは、確かに自分の師匠にも敵わない未熟者だ。


それでも、魔王に挑んで死ぬ覚悟はあった。死んでも魔王に噛み付き、仲間たちを助けるつもりであった。仲間たちと一緒に生還して、それを喜ぶつもりだった。


 そのために、ファニは旅をしていたというのに。


 強くなりたい、と心の底から思った。


強くなって、自分を追放したリリースたちを見返してやりたかった。


「師匠……。師匠の試験に合格できたら、俺を宮廷魔法使いに推薦してくれないか」


 ファニの言葉に、ラミスは驚いた。


宮廷魔術師は、実力者が選ばれる。若いファニでは、実力を示す前に門前払いされるだろう。だが、元筆頭魔法使いのラミスの推薦状があれば、魔法の実力ぐらいは見てもらえるはずだ。


そして、ファニは一般的な魔法使いよりも優れている。


実力さえ見てもらえれば、宮廷魔法使いになれる可能性は十分にあった。


「いいけど……。ファニは、本当に宮廷魔術師になりたいの?人間関係とかが、面倒くさいよ。御役所仕事になるから、しがらみとかもあるし」


 ラミスは、ファニに魔法使いとして出世してほしいとは思っていなかった。子供のときから大切に育てた弟子には、自分らしく生きて欲しかった。


宮廷魔法使いになるということは、王に仕える魔法使いになるということである。名誉なことではあるが、自由がなくなってしまう。ラミスは、それが嫌になって筆頭魔法使いの座を降りたのだ。


「ファニがもう少し成長すれば、特に悩むこともなく推薦できるなんだけどな……」


 ファニは、まだ少年である。子供なのだ。


そのくせに魔法使いとしては、強くなってしまっている。彼は、実力と年齢が見合っていない。ゆっくりと成長して自らの価値を自覚してほしい、というのがラミスの本音であった。


「俺は、一刻も早く筆頭魔法使いになりたいんだ!」


 ファニは、叫ぶ。その叫びには、強くなりたいという彼の願いが込められていた。


ラミスは、驚く。


ファニは、出世を目的とするような少年ではない。魔法使いの最高峰である筆頭魔法使いになりたい、と今まで言い出したことはなかった。彼の今までの目標は、一人前になりたいという可愛らしいものであった。なにか理由があるのだろう、とラミスは考える。


「偉くなってどうするの?」


 ラミスは、目を細める。彼女は、自分の過去を思い出していた。色々なものに縛られて自由がなかった筆頭魔法使い時代は、ラミスにとっては幸福なものではない。ファニには、その不幸を味わってほしくはなかった。


 ラミスの心配をよそに、ファニは宣言する。


「俺を追放したヤツラを見返して「ざまぁ」と言わせてやるんだ!」


 ラミスの目が、点になった。彼女が思ったよりも、ファニの目標の理由はずっと幼かった。下手をすれば、一人前になりたいという目標よりも幼い。ラミスは、思わず笑いだす。


「ふふふっ。復讐のために筆頭魔法使いになりたいだなんて……。私の愛弟子が、可愛すぎるわ」


 師匠に笑われたファニは、むっとする。ファニからしてみれば、決意を馬鹿にされたようなものである。しかも、子ども扱いされているような気がする。


ファニは、そっぽを向いた。師匠には諭されるものだと思っていた。ファニだって、自分の目標の理由が良いものであるとは思ってはいない。


だが、笑われるなんて考えていなかった。弟子が仲間から追放されたことなど、ラミスはなんとも思っていないらしい。


「ごめんね。……ただ、あまりにも可愛い発想で」


 ラミスは笑いながら、ファニの髪をタオルで拭う作業を再開する。もう乾いたと言いたげに、ファニは師匠の手を払った。師匠に対する態度ではないことは、ファニも分かっている。完全なる八つ当たりだ。


ラミスは、ファニの頭をなでた。


 彼女には、全てが分かっていた。


「うん、髪は乾いたね。ほら、服を着替えておいて。しまってある場所は変えてないから」


 ラミスはそう言って、ファニの薄い背中を叩く。自分の幼さを露呈させてしまったことに対して、ファニがばつが悪くなった。ラミスの顔を見ることもできず、ファニは速足で家に向かう。


 弟子の頼りない背中をみながら、ラミスは呟いた。


「まだまだ子供だね」


 ラミス手に残った感触は、骨ばったファニの背中だった。思ったより肉が付いていない背中に、ラミスは少し心配になる。


旅の間は、ちゃんとしたものを食べられなかったのかもしれない。致し方がないことだし、旅は彼にとって良い経験になった。ファニの旅の仲間を責める気にはなれない。それはそれとして今日はたっぷりとご飯を作ってあげよう、とラミスはそう思った。


「師匠、どうしたんだ?」


 ファニに声をかけられて、ラミスははっとする。


 どうやら、少しぼんやりしてしまったらしい。新しい服に着替えたファニがいつの間にか戻って来ていて、ラミスを心配そうに見つめている。


「はいはい。今、行きますよ。ご飯の準備をしないとね」


 ご馳走を作ってあげるわよ、とラミスは言った。とりあえずは、具材たっぷりのスープでも作ることにしよう。ラミスは、師匠が愛情を注げば注ぐほどに弟子は可愛くなると信じている。健康な体と健やかな精神は、自然と美しい容姿を自然と作るのだ。そのためには、まずはご飯である。


「師匠。……仮面の魔法の解除もお願いします」


 ファニは、自分の仮面を指さす。その意味が分からず、ラミスはしばらく考える。そして、自分が弟子の行動を把握するための魔法をかけていたことを思い出した。


「ん……。今になってそんなことを言い出すってことは、見られたくないことでもするの?トイレとか」


 魔法を解いたラミスだったが、ファニはしばらく口を聞いてくれなかった。


 彼女は、ファニの心理を正確に読み取ってしまったのだ。



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