第4話修行開始な魔法使い
「懐かしい」
切り裂かれた虚空から出てきたファニは、開口一番に呟いた。
彼の目の前に広がっているのは、一年前まで師匠と共に住んでいた家である。普通の民家と変わらない木製の小さな家。森の奥深くになければ、怪しいところなど一つもない家だった。
普通なら魔法使いは、村や町といった場所で市井の人々と共に暮らす。だが、ラミスは森の奥で一人暮らをしていた。幼児期のファニを拾う前から、そんな暮らしを長年続けているらしい。
ファニは、師匠が本当は何歳なのだろうかとふと思った。
ファニが幼い頃からラミスとは一緒に暮らしているが、彼女は昔も今も同じ姿をしている。老いるということがないのだ。子供の頃からそうだったので疑問を抱いたことはなかったが、ラミスが魔法によって見た目を変えているのは明らかである。
「パーティを追放されたということは、私とまた修行するの?」
ファニに続いて、ラミスも虚空から現れる。
彼女は、ローブについた埃をぱんぱんと叩いて落としていた。その姿は、今しがた商人の全財産を燃やしたふうには見えない。
「そのつもりだ。絶対に強くなって、あいつらを見返してやるんだ」
弟子の話を聞きながら、ラミスは虚空を閉じていた。彼女が少しなでただけで、虚空は縫い目が閉じたようにぴたりとくっ付いてしまう。何度見てもどんな原理で空間を移動できているのか、ファニには分からない。過去に教えてもらったこともあったのだが、それでもさっぱり分からなかったのだ。当然、真似することもできない。
リリースたちとも旅で改めて実感したが、ラミスは魔法使いとして規格外すぎるのだ。彼女を超えるような魔法使いを見ることは、一年間でついぞなかった。
魔法使いにとって一人前になることは、師匠を超えることだ。だが、ラミスはあまりに強すぎる。ファニが一人前の魔法使いになれる日は、もしかしたら来ないかもしれない。
「そうだ。勇者との旅で、ファニもだいぶ成長したよね。だから、一人前になる条件を変更しましょうか。このままじゃ、私に勝つことも並び立つことも一生無理だって分かったと思うから」
一年間頑張った弟子にご褒美をあげる、とでも言いたげな口調だった。傲慢な口ぶりだが、師匠は正しいから何も言えない。ラミスを超えることも同等になることも、ファニには一生無理であろう。
「私と戦って勝てたら、一人前って認めてあげる」
その言葉に、ファニは茫然とする。
その条件は、ファニが思っていたよりもずっと簡単なことだった。むろん、師匠と戦って勝てたことはない。しかし、無理難題というわけでもないような気がした。ファニだって、この一年間を何もせずにいたわけではないのだ。
「無演唱と空間移動の魔法は……。師匠といえば、弟子の俺も使えるようにならないとじゃないのか」
それができなければ一人前にはなれない、とファニは思っていた。なにせ、無演唱と空間移動はラミスの代名詞のような魔法だ。他の魔法使いが使っているところを見たことがない。彼女独自の魔法でもある。
「無演唱はともかく、空間の魔法はできるとは思ってないわよ。なにせ、あれは私が筆頭魔法使いの時に会得した魔法だから」
ラミスの言葉に、ファニは目が点になった。聞捨てならない言葉が、聞こえたような気がした。驚くファニとは正反対に、ラミスは首をかしげている。弟子の反応が、予想外であったようだ。
「えっと……師匠が、元筆頭魔法使い?」
初耳だった。
筆頭魔法使いは、宮廷魔法使いをまとめ上げる魔法使いの最高峰である。魔法使いならば誰でもあこがれる存在であるが、その姿を見たものは稀という雲の上の存在なのだ。そんな筆頭魔法使いの務めをしていたなんて、ファニは初耳である。
「あれ?言ってなかったっけ」
ラミスは、口元に拳を当てて何かを考えていた。ラミス本人は、すっかり言った気でいたらしい。
ファニは顔を引きつらせながらも師匠の経歴に納得していた。道理で、ラミス以上の魔法使いを見たことがないはずである。元筆頭魔法使いを超えるような人間が、その辺に転がっているはずがないのだ。
「さすがに、元筆頭魔法使いの魔法を全部覚えるのは無理があるでしょう。だから、模擬戦闘で私を倒せたら免許皆伝としてあげる」
よろこんで、とラミスは言う。
だが、ファニの反応は急に薄くなった。弟子の様子に、ラミスは「どうしたの?」と尋ねる。彼女は、ファニが大喜びをすると思っていたのだ。なにせ、一人前になる光明が見えたのである。
だが、ファニはラミスを信用していなかった。白けた態度のファニを見て、ラミスは焦り始める。
「どうしたの?喜ばないの」
ラミスはあたふたしていたが、ファニは大きくため息をついた。
「師匠の一人前詐欺は、もう慣れたんだよ」
かつて師匠の元で修行していたときも、何度かラミスは一人前になるための基準を緩めたことがある。だが、その基準は大抵の場合はラミスの気まぐれで変わった。今になって考えれば高すぎる一人前の壁を低くすることによって、ファニのやる気を維持させようとしたのであろう。
だが、ラミスはそれをやり過ぎたのだ。
ファニは、ラミスの一人前の試験を信用しないようになってしまった。そもそも一人前の基準をころころと変えることにも問題がある。この滅茶苦茶な師匠の元でも疑問を持たずに一緒に暮らせたのは、ファニが師匠という人種をラミスしか知らなかったからである。師匠とは、こういうものであると思い込んでいたのだ。
しかし、ファニは外の世界を知った。
リリースたちと外の世界を冒険して、沢山のものを見て聞いたのだ。ファニは、そのなかで世間一般的な師匠は一人前の基準を変えたりはしないと学んだ。
「今度は変えないわよ。ファニも大きくなったし、意地悪して私のところに引き留める理由もなくなっちゃもんね」
そう言ってから、ラミスは自分の口を慌ててふさいだ。彼女は、今までファニを合格させないようにしていたらしい。なんとなく感じていたので、ファニは何も言わなかった。たしかに、ファニは一人前になるには世間を知らな過ぎた。森で育った故に、世間知らずになってしまっていたのだ。
今日だって、商人を信用して奴隷の首輪をつけられてしまった。こんな自分が一人前の魔法使いになりたいだなんて、おこがましいのかもしれない。ファニは、そんなことを考えてしまった。
ラミスは、弟子の頭を幼子にするように優しくなでる。まるで小さな頃に戻ったようだ、とファニは思った。幼い頃は魔法の修行が上手くいかなくて落ち込んだ時期もあったが、その時もラミスはこうやってファニを慰めてくれた。
「誰だって、未熟で世間知らずな時期はあるよ。でもね、それは落ち込むことじゃないの。世間を知ったり、一人前を目指せばいい。ファニは、今がその時期」
飛び立つ準備をする時期なんだよ、とラミスは言う。
ファニは、ラミスの笑顔を見た。ちゃらんぽらんな人だと常々思っていたが、この人も師匠なのだ。弟子のファニのことをよく見てくれている。必要な言葉をくれる。
「じゃあ、さっそくやりましょうか」
ラミスは、改めてファニと対面した。もうすぐ自分から飛び立つ予定の弟子は、この一年で随分と成長した。リリースたちには、改めて礼を言わなければならない。ラミスは、そう思った。
ラミスは、ファニに向かって掌を向ける。ファニは、急いで師匠から距離を取った。ラミスは、無演唱の使い手である。どのタイミングで、なんの魔法が飛んでくるのかは分からない。
「氷の精霊、その力を見せろ」
ファニは、氷の壁を出現させる。どんな魔法が飛んできても、氷の壁で防ぐつもりだった。たとえ無演唱が使えなくとも、時間稼ぎができれば次の魔法を使うことができる。
だが、師匠は木の魔法を使用した。巨大な木の根が地面の上でうねりながら出現し、ファニの足元を崩す。その木の根は、ファニを捕まえようとする。
「炎の精霊、その力を見せろ!」
ファニは、炎の魔法を使う。
炎は木の根を焼き切って、ファニの掌にもう一度集まった。ファニは、神経を掌に集中させる。頭のなかにあるものを鮮明に思い描き、呼吸を整える。今ここで必要なのは、平常心だ。焦れば、それは失敗に繋がる。
炎はファニの掌の上で、激しく踊った。その踊りは徐々に形を成し、ついには剣となった。普通の剣よりも短く、細い剣である。戦うには、頼りない剣であった。だが、それにラミスは少し驚いていた。
「炎の剣なんて、素敵ね。しかも、演唱なしで作れたね。感心、感心。着実に無演唱に近づいているわ」
剣を握ったファニが、ラミスに向かって走る。魔法では適わないと踏んだファニは、剣を使っての直接的な戦闘に切り替えようとしたのだ。
魔法使いは、本来は剣技を得意としない。ファニも冒険をする前は、一般的な魔法使いと同じように剣など握ったこともなかった。けれどもリリースたちとの冒険の合間に、ファニは彼らから剣を少しだけ教わった。達人には到底及ばない剣術であるが、身を守るには十分な腕前にはなっていた。
ファニの剣は、ラミスに届こうとしていた。だが、ラミスは逃げようとしない。それどころか、彼女の顔に浮かんでいたのは余裕の微笑みであった。
なにかが来る、とファニは感じた。
逃げるべきか攻めるべきかを迷う間に、二人の間に水の壁が出現する。
ファニは、その壁から離れた。
ラミスが、魔法で作った壁である。彼女の性格からして、ただの壁ではないはずだ。こういう時の師匠は、ひどく意地悪なのだ。
「さすがは、愛弟子ちゃん。私の性格が分かっているね」
ラミアは、パチンと指を鳴らした。水の壁は細い縄のように姿を変えて、ファニの体に巻き付こうとした。ファニは魔法で作った炎の剣を使って、水の縄を切り裂こうとする。
炎魔法と水魔法では、水魔法に分がある。
しかし、ファニは新たな魔法を使えない。無演唱を使えない彼では、新たな魔法を使うのは時間がかかるのだ。ラミス相手では、そんな隙は見せられない。
ファニは、剣を振り下ろす。炎の剣は縄を切り裂き、ファニは走った。行く手を阻むために、水の縄はファニの前に再び現れる。その縄さえも、ファニは切り捨てた。
軽やかな剣技に、思わずラミスは口笛を吹く。
剣を使うとは魔法使いらしくはない戦術ではあるが、意外な行動はラミス好みである。しかも、付け焼刃にしては筋がいい。水の縄を死角から差し向けてみたが、それにすらファニは反応して剣を振るった。
魔法使いの他にも剣士の才能もあったのではないか、とラミスは思う。もっとも魔法に魅入られたファニは、これ以上の剣術の修行はしないであろうが。
「すごいよ、ファニ。上達している!」
師匠として、負けてはいられない。そう思ったラミスは、水の縄の数を増やした。一本から三本になった、水の縄。
ファニは、冷静に一本一本を倒していくことのしたようだ。一度に三本を相手できない、と判断したようである。いくらラミスであっても三本の水の縄を操ることは難しい、と踏んだのかもしれない。今までよりも動きは粗雑になるとファニは考えたのだ。
今まで通り、ファニは自分に向かってくる水の縄を切り捨てる。その動きは、最初と変わらず滑らかなものである。
けれども、ファニは自分が甘かったことを悟った。師匠の実力は、ファニの予想以上だ。
三本の縄のうちの一本が、ファニの利き手に縄が巻きつく。水の縄は、ファニの手をきつく締め付けた。ファニは、痛みに顔を歪める。
縄の締め付けが、思った以上に強い。だが、これぐらいは耐えることができる。ファニは、水の縄を無理やり引き剥がそうとした。その前に、もう一本の縄がファニの腕に絡みつく。動き回るような戦術はもう使えないと判断し、ファニは炎の剣を消す。
「雷の精霊、その力を……」
ファニが呪文を演唱する前に、ラミスが操る水が彼の口のなかに入ってきた。ファニは、咄嗟に口を閉じようとした。だが、口を閉じることはできなかった。
口内いっぱいに水が入ってきて、水圧で顎が動かないのだ。水は口の中に留まり、吐き出すこともできない。ファニは息ができなくなり、空中を爪で引っかくようにもがき苦しむ。
死という文字が、ファニの頭を過った。
ファニが窒息する前に、口の中からさらさらと水が流れていく。咳き込みながら、ファニは地面に膝をついた。荒い呼吸を繰り返しながら、吐き出した水が服に染み込むさまを見た。服が吸わなかった残りの水は、縄の形を再び作る。
いいや、違う。
それは、縄ではない。水が形作ったのは、見上げるほどの大蛇の姿であった。その大蛇は、四つん這いになっているファニを食らおうと口を開ける。誰が見ても、もうすでに勝負はついている。だが、ラミスは攻撃の手を緩めることはしないだろう。
これは、試験なのだ。
自分の限界を知ることも試験の一つである。
「ま……まいりました」
ファニは咳き込みながら、師匠にそう告げる。大蛇は水に戻って、ファニの頭に降り注いだ。まるで大雨が降った後のように、ファニは水浸しになった。
ファニは、地面にへたり込む。仮面の下のファニの顔は誰も見ることできなかったが、彼は呆然としていた。ここまで師匠と実力の差があるとは、思っていなかったのだ。
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