第3話師匠な魔法使い
商人は、後ろを振り向いた。
そこには、女がいた。ゆったりとした黒いローブを着た女である。
歳は、三十歳ぐらいだろうか。
黒髪に青い瞳をした女は、おっとりとした雰囲気をまとい優しい笑顔を浮かべている。年頃といい見た目といい、油の乗った良い女である。少なくとも商人は、そう思うところだった。彼女が引き裂かれた虚空から、出てきてなければ。
「ファニ、魔力をためて指でなぞってみて。魔力は出来るだけ、たくさん溜めるのよ」
ファニは言われたとおりに、震える指先に魔力をためる。痛みで集中力を削がれていたが、なんとか魔力を溜めることができた。
そして、その指先で首輪を撫でた。
首輪は、カチと音を立てて外れる。地面に落ちた首輪を見て、ファニは呆気にとられた。魔力の過剰供給だけで、首輪は簡単に外れるものだったのだ。
「こんなに……簡単に」
痛みから解放されたファニは、ほっとしていた。外し方を知ったのならば、首輪は恐れることはない。それでも、あの痛みは二度と味わいたくない。痛みを思い出したファニは、ぶるりと体を震わせた。
「こっちに来なさい」
呼ばれたファニは、急ぎ足で女の元へ走った。女は優しく微笑みながら、ファニを迎え入れる。その眼差しは、母のそれであった。
「お前は、誰だ?」
商人は、女に尋ねた。
長いこと商売にかかわって、普通の人間よりは様々なものを見た。だが、そんな商人でも虚空から突然現れる人間など見たことがなかった。まるで化け物。否、勇者に倒されたという魔王のように得体の知れない相手だ。
「師匠……」
ファニは、女をそう呼んだ。
商人は、それで彼女も魔法使いだと知った。しかも、ファニの師匠であると。
経験豊富な商人の目からみても、ファニは半人前とは思えないほどの魔法使いであった。その師匠であるのならば、確実にファニより強い魔法使いである。だが、それ以上に不可解なことがあった。
「どうやって、現れた!」
商人は、叫んだ。
彼は、恐怖を抱いていた。得体の知れない魔法使いの女は、未熟なファニのようにはいかない相手だ。魔法使いを奴隷化する首輪をはめることなど、まず不可能であろう。
「師匠は空間を切り裂いて、好きなところに出現できるんだ」
商人の疑問に答えたのは、ファニだった。そんな魔法は聞いたことがなかったが、魔法以外に説明ができない。商人が想像するより、女は強い魔法使いだということだ。弟子の言葉を聞きながら、女は静かに微笑んでいた。
その笑みが不気味で、商人は女から離れるために後ずさりをした。藪を突いて蛇がでるとは言うが、今がまさにそれだった。未熟な魔法使いの一人旅と思って手を出したが、厄介な相手まで釣れてしまったらしい。
「私は、ラミス。ファニの師匠よ」
そう自己紹介したラミスは、丁寧な礼を取る。田舎者らしくない、洗礼された作法であった。その姿に目を奪われていた一瞬で、ラミスは商人との距離を詰めた。商人からすれば、瞬きの間の出来事に思えた。ラミスは、商人の腹に優しく触れる。
「私の愛弟子を虐めた罰よ」
それだけの言葉。
それは、魔法の発動の際に必要とする演唱ではなかった。ごくごく普通の言葉である。だが、ラミスの魔法は発動した。風の魔法は商人を吹き飛ばし、彼を木の幹に叩きつけた。あまりの衝撃に、商人は嘔吐する。
「……む……無演唱だと」
商人は、目を疑った。普通の魔法使いは、ファニのように演唱を行う。それが、魔法使いの大きな弱点である。攻撃に前に、使う魔法の種類を明かすことになるからだ。同時に、隙もできてしまう。
ラミスには、その弱点がない。
魔法使いとしては、最強と言える存在なのだ。立っている土俵が違う。並みの魔法使いを隷属させる首輪程度では、彼女に敵うわけもない。商人は、後悔した。自分の運が悪すぎた。
「さぁ、もう一発いこうかしら。見た限り、今回が初犯じゃなさそうだし」
ラミスは、もう一度商人に掌を向けた。白い掌から飛び出たのは、炎の魔法だった。炎は蛇のように商人の体を這って、服を全て燃やしてしまった。
商人は地面に転がって体にまとわりついた火を消し、悲鳴を上げて一目散に逃げだした。商人が置いていった馬車には彼の財産が乗せられていたが、気にする余裕はなかったのだろう。命のほうが、大事だったのだ。
「あら、やりすぎたかしら」
そう言いながらも、ラミスはご機嫌だった。
ファニはというと、力を失って地面に座り込んでいた。首を何度もなでているので、まだ痛みの記憶が色濃いのだろう。可哀そうに、とラミスは思う。痛みで魔法使いを隷属させる首輪は、やはり唾棄すべきものである。
そんなものを可愛い弟子に着けた商人が許せない、とラミスは思う。命まではとらずに脅す程度に相手をしてやったが、もっと痛めつけるべきだっただろうか。
なにはともあれ、今は愛弟子である。
彼女は、ファニに手を伸ばす。
ラミスは、ファニが感動すると思っていた。
リリースたちと旅立って、もう一年が経過している。古巣が寂しくなる頃合いであろうし、予想外のタイミングでの師匠との再開だ。感動してしかるべきだ、とラミスは考えていた。。
「師匠。どうして、俺が危険だって分かったんだ?」
だが、ファニの口から出てきたのは想像とは違う言葉だった。
ファニは、師匠に対して疑いの目を向けている。弟子の賢さに冷や汗を流しつつ、ラミスはそっぽを向いた。
「やっぱり、どこかに魔道具を仕掛けているんだな。俺の持ち物のどこに付けたんだ!」
師匠は間違いなく、自分の居場所と声を聞くための魔道具を仕掛けている。そうでなければ、ファニの危機にラミスが助けに来られるわけがない。
ファニは、自分の服に怪しいものが付いていないかを調べる。だが、怪しいものは何もない。しかし、師匠の反応を見る限り、どこかに仕掛けているのは間違いないようだ。
ラミスは強大な力を持つ魔法使いだが、嘘が上手い方ではない。特に愛弟子のファニに対しては、簡単な嘘すらつけなくなる。
だがら、ラミスは自分に都合の悪いことは最初から言わないことにしていた。それでも不自然なことが多々あるから、ファニはラミスの隠し事と嘘が分かるのだ。
ファニは、はっとして仮面に触れる。
この仮面は、リリースたちと出発する際にラミスに渡されたものである。それまでも仮面を被っていたが、旅をするなら丈夫な方が良いと言われて取り換えてもらったのだ。
「……この仮面に、なにか魔法をかけているんだろ?」
ファニの言葉に、ラミスはわざとらしく口笛を吹く。ファニは、じっとラミスを見つめた。ファニには確信があったし、ラミスは眼を合わせようともしない。
「師匠、逃げきれないからな」
誤魔化しきれない、とラミスは思った。
彼女は、できるだけ笑顔を作った。全ては愛する弟子の安全と成長を見守るための行為であったのだ、と証明するために。
「大正解!さすがは、私の愛弟子ちゃん。実は映像も見られるようにしていたよ」
ラミスの言葉が、ファニにはしばらく理解できないようだった。しかし、その意味に気がついて彼は悲鳴を上げる。やはりこうなったか、とラミスは遠い目をした。
愛弟子のファニがリリースたちと旅をすると言い出した時に、ラミスは悩みに悩んで許可を出した。冒険は、ファニを大きく成長させると思ったのだ。だが、可愛い弟子の旅をラミスは心配していた。
ファニは若く、まだ半人前である。一般的な魔法使いよりも腕は良いとラミスも思っていたが、それでも彼女は心配だった。だから、お節介だと分かっていても彼を監視できるようにしたのだ。
ファニの仮面に、ちょっとだけ魔法をかけたのである。その魔法は、彼が見たものや聞いたものを共有できるものだった。それによって、今回の危機が分かったのだ。同時に大きな問題も付随したので、ファニに魔法のことは明らかにできなくなっていたが。
「まさか……水浴びとかトイレとかも」
ラミスは、長いことファニの師匠をやっている。実の親以上にファニの側にいた。そのため、仮面を被っていても彼の表情は分かる。
ファニの顔は、真っ赤に染まっているだろう。だが、仕方がない。ラミスの仮面にかけた魔法は、いらない情報といる情報を精査することができない。
「ほら。師匠ならば弟子の全てを知るのは、当たり前のことでしょう?それに、昔は一緒に水浴びもしたじゃない」
ラミスの言い分に、ファニは「そんなことがあるかっ!!」と叫んだ。
ラミスも思春期の少年の生活を覗くことには、罪悪感を覚えたのだ。だからこそ、秘密にしていた。弟子の日常生活を覗くことは、とても楽しかったが。
「怒らないでよ。そのおかげで、あなたを助けることが出来たんだから」
正論を言われてしまったファニは、悔しそうに唸っていた。未熟な自分が悪いと思っているのだろう。こういうところが可愛い、と弟子馬鹿なラミスは思う。
ラミスは、ファニに手を差し出す。
すっかり拗ねてしまったファニだが、師匠の手は素直に取った。その様子からは、師と弟子の強い絆が伺える。少しの間は離れていたとしても、彼らの関係は変わることはないのだ。
ファニの手を取って、ラミスは再び虚空を指先で切った。切り裂かれた虚空に足を踏み入れる間に、彼女は突如として振り返る。
「いけない。忘れていたわ」
ラミスは、商人が捨てていった荷台を魔法で燃やした。馬はすでに逃げており、木製の馬車だけが火柱を上げて燃え上がる。彼女は、馬車が商人の財産であることを知っている。だからこそ、燃やしたのである。
もしも商人が帰ってきたら、絶望するように。
商人の全財産を燃やして、ようやくラミスの溜飲は下がった。これに懲りて、魔法使いを奴隷として売るなんて悪事は辞めて欲しいものである。
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