第3話 お母さんからの励まし

 気がついたら、朝の6時だった。




 目が覚めたら、ではない。

 どうやら寝るのも忘れて、心ここにあらずの状態がずっと続いていたみたい。

 あの後……昨日の放課後、魁くんが嘘告にOKの返事をしたところから、ほとんど記憶がない。


 うちはお父さんが去年から単身赴任中で、今はお母さんと2人で暮らしてる。昨日はお母さんが残業で、私が1人で夕食を食べる日だったけど……


 自分の部屋の机にお母さんから渡されたお金が転がっているということは、つまりそういうことだろう。


『お腹、すいたな……』


 大切なかけがえのないものを失ったかのような喪失感とともに、食欲やら生きるのに必要な欲求も色々と失われてしまったけど、まずはまともな思考をするためにもエネルギーが必要。


 私は重い足取りで階段を下り、一階のリビングへと向かう。




「あら、おはよう紅羽。……まあ!どうしたのその顔!」


 朝ご飯を作っていたお母さんに開口一番にそう言われた。よほど酷い顔をしているのだろう。


 ―――昨日は一睡もできなかったのだから、それも当然だよね……


「昨日は母さん帰りが遅くなっちゃって、紅羽は部屋から出てこなかったからもう寝ちゃったのかと思って声かけなかったけど……大丈夫?もしかして……魁くんと喧嘩でもした?」



 ズキリ



 お母さんの優しい気遣いの言葉が、私の心に深く刺さって痛い。



 喧嘩なんてしてないよ、お母さん。


 私……私ね……


 魁くんと、喧嘩さえも出来ないの。


 嫌われたくなくて、だから……



 私はまた、自分の気持ちに蓋をする。

 素直な気持ちを人に見せるのが苦手で、甘えるのが苦手で。


「早く仲直りしなさいよ。じゃないと……ほら、魁くん最近かっこ良くなったし、ねえ?」


 お母さんは出来上がったご飯を食卓に運びながら、私にちょっぴり小悪魔っぽく笑いかけた。


「あんまりうかうかしてると、魁くん取られちゃうわよ」






 ―――返す言葉がなかった。

 お母さんの言う通りだ。


 自分のじれったさに、決断力のなさに、そして勇気のなさに、呆れて嫌気が差す。



 ずっと夢だった。

 初恋の幼馴染と、初めての恋人になって、初めてのデートをして、初めてのキスをして……


 大好きな魁くんの側で、唯一の女の子として笑っていたかった。



 だけど、そんな小さい頃からの願いは、昨日の放課後、一瞬にして粉々になった。

 だから、もう遅いの、お母さん……



 でも、そんな臆病な私の胸の内は、大切な家族にさえ見せることができない。


「お母さん何でも知ってるんだから。紅羽、本当は魁くんのことを男の子として好き、なんでしょ?だから、まずはちゃんと仲直りして、ね?」


 ゆっくりと朝食を口に運ぶ私に、励ましの言葉をくれるお母さん。しかしそのせいで私は反射的に喉が狭まり、ご飯が通らなくなる。


 お母さん、私の気持ち、知ってたんだ……


 いつもなら照れ隠しとともに慌ててしまうかもだけど、そんな気力も湧かなくて、たとえお母さんが私の気持ちを知っていても、今更取り返しのつかないことはどうしようもない、と否定的な感情ばかりが浮かんで、それが顔に出てしまったのか、ますますお母さんは心配そうな表情を見せる。

 そしてその表情に気づいた私はといえば……



「……うん。大丈夫だよ、お母さん」



 あー……何が、大丈夫なんだろ……


 また私は、本当のことを悟られないように隠して、気がついたら作り笑いを浮かべていた。


「じゃ、お母さん今日は朝一で確認しなきゃいけないメールがあるから、もう行くね」


「うん。いってらっしゃい」









 誰もいなくなったリビングに一人取り残されると、どうしようもなく寂しさが襲いかかってくる。


 私の本当を理解してくれるのは……


 小さい頃から仕事で忙しかった両親よりも、誰よりも一緒に長い時間を過ごした魁くんで……




 でも、彼の隣にいるのは、彼のことを何とも思っていなくて、むしろ内心バカにして笑ってるだろう魔耶さんで―――



「……うっ、うっ、ぁぁあああ……」



 一人になって急に緊張が解けたのか、一気に感情が押し寄せてきて、溢れる涙で視界がぼやけたまま、帰ってきたお母さんに心配をかけないように、朝食を残さずに無理矢理全部食べた。


 当然、学校は遅刻だった。


 目標だった皆勤賞を逃してしまったけど、そんなことはもうどうでも良かった。

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