第26話 予想外

「あらあら、逃げちゃいましたね。ちょうどよかった。反対側の出口まで送ってくださいません? 導師様」

 さっきと違い、急に笑顔でこちらに向く。

 すると、両手を合わせ、少し顔を右にかしげて頬に当てると、お願いしてくる中島さん。

 


「まあ助けていただいたので、送りますが、なんでこんな物騒なところ」

「ぐるっと回ると、結構遠回りをしないといけないし。ついね」


「中島さん美人だから、気をつけないと」

 僕がそう言うと、ニコッとと言うよりは、一瞬崩れ、にへっと笑う。

「あらぁ。ありがとうございます。でも子供の頃から空手をしていたりして、結構おてんばだったので」


 そう言って、だが、腕を組んでくる。

「あら、結構細い。着痩せかと思ったのだけど、スピードファイターかしら?」

「どっちかというと、そうですね」

「ふーん。まあいいか」

 なぜかそう言って、おなかの辺りを触ってくる。

「うん。鍛えては、いると」

 なんだかふむふむと、納得している様子。


「ああ、ごめんなさいね。体育会系なので、つい筋肉とかに興味があって。触っちゃうのよね」

「照れますね」

「あらあ、美人を侍らせているのに。さっきのもその絡みかしら?」

「そうみたいですが、彼女たちには内緒でお願いしますね」

「あらまあ、優しいこと。でもどうしようかな? 彼ら覚えがあるのよね。職員としては見逃すというのもちょっとね」

 そう言って、僕の前に回り込み、見上げてくる。


「デート一回かしら?」

「何がですか?」

「見逃しの対価?」

「僕が払うのはおかしくないですか? こっちは被害者ですし」

「まあその辺りは、どうでもいいんだけどね。興味はあって鬼司さんのことを見ていたんだけど、いきなり周りに女っ気ができたから、ちょっと焦って。ねぇっ。せっかくのタイミングですし」


「それは、どういう?」

「ええ? それを聞くの? たしか、27歳なのにすれてないというか奥手?」

「ええまあ。そうですね」


「ふふっ」

 少しうつむいた、彼女の唇が笑ったのが見えた。

「むっ」

 キスをされ、おもむろに舌が入ってくる。

 

 少し、こちらからも仕返しをすると、意外とすんなり離れた。

「うくっ。はぁっっ……。あら? さっき奥手と言ったばかりなのに。彼女たちのどちらか、なのかしら? 妬けちゃう。やはり、デート一回ね。じゃないと、キスしたこと、ぽろっと彼女たちに言っちゃいそうよ」

 そう言うと、小さく手を振りながら彼女は走り始める。


「おやすみなさい」

 そう言い残して。



 うきゃあぁ。だめよ。何をしているの私。

 キスしちゃったぁ。

 勢いとは言え、私ってば…… あの台詞回しは何? 偉そうに。何をやっているのよ。

 中島理子23歳。高校卒業まで、空手に打ち込み恋愛など眼中になかった。大学で焦ったが、いい人は、彼女持ち。当然キスなど、初めての経験。


 会うとは思っていなかった相手、公園の暗さ。腕にすがりついても拒否されなかったし、この機会を逃してはだめと、私の中で何者かがささやいた。


 彼女としては、彼に対して精一杯の背伸びと強がり。できる女を頑張ってみた。

 だがキスをしたことで限界が来た。そのおかげで、自身が耐えきれなくなり、今現在、真っ赤な顔をして、少しでも早く、場を離れようとしている。気持ちばかりが先走り、少しの段差で躓き、曲がり角で早く曲がり壁にぶつかる。さっきから散々。

 きっと今晩は、少し飲んだくらいでは、眠ることができないだろう。



「あー。彼女たちにばらす? どうなんだろう。その場合、彼女が危険では? それとさっき逃げた奴の一人に見られたな」

 明日、シンに相談しよ。


 そう考えながら、その場を後にする。


 そして、覗いていた男。

 キスシーンは見たが、それどころではなかった。

 彼女が言った、導師の一言。


 それで、将がしていた、格好を思い出し、思いあたる。

 無への導師。そうだ。あの格好。


 有名人だ。とんでもない奴に、けんかを売っちまった。

 守ってやる? 何様だよおれ。

 ダンジョンに潜ったときに、無に返されたらどうしよう。

 きっと、5人なんか瞬殺だ。


 その場にいた、関係者各位。複雑な心情で帰路につく。



「おう。お帰り」

 そう言って、そのまま父さんが固まる。


「楽しそうだが、それで帰ってきたのか?」

「うん。どうしたの?」

「洗面所で、鏡を見てきた方が良い」

 そう言われて、洗面所へ向かう。

 鏡に映った俺の顔には、唇から少しずれた口紅が付いていた。


「あー。そうなんだ。受付さんて、しっかり化粧をするんだなあ」

 思わず、服の匂いを嗅ぐ。

 あー甘い匂い。コロンも匂う。


 黙って、浄化を行う。

 ああ消えた。

 精神的に、すっごく疲れた。


 ダイニングで、水を飲み。

 リビングに移動。

「そろそろ、おまえもいい歳だな。良い子がいるのなら、一度紹介してくれるかな?」

 父さんが、少し困った顔をしながら言ってきた。

「ああそうだね」


 つい机に突っ伏して、ぐでる。

「昔さ、僕が高校生の時かな? 父さんが言っていたじゃない」

「うん? なにを」

「人間。なぜかもてる時期があって、一気に告白されることもあるって」

「ああそうだな」


「チームメイトができたんだ。女の子2人」

「ほう、そうか。よかったじゃないか」

「そしたらなぜか、受付の子にキスされた」


「さっきのはそれか。その子もおまえに興味は有ったのに、言い出す勇気が無かったんだが、周りに女の子の影が見えだして焦ったかな。おまえが態度を明確にしないと…… 最悪、修羅場になるぞ」


「うあわぁ。ほんと?」

 そう聞くと、黙って父さんは頷く。


「人生そんなものだ。もてる人間は、苦しみ悩んであがけ。中途半端はだめだ」

「今まで、そんな気配もなかったのに」

 僕のその言葉を聞きながら、父さんは、静かに微笑む。

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