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「ちょっとしたアンケートをとりたいんだけど、協力してくれないかな?」


 学校の帰り道、途中にある公園で遊んでいた僕らに1人の男が話しかけて来た。


「おじさん、誰? アンケートって?」

「すぐ済むからさ……お礼の品も用意してあるよ、ホラ」

「……図書券だ!」

「え、マジ? 俺丁度欲しいマンガあったんだよね」

「ちょっと待ってよ! 先生に言われなかったっけ? 知らない人にあれこれ聞かれても答えちゃいけないって……」


 鹿島さんが異を唱えると、その男は明るく笑って答える。


「ははは、大丈夫! 君たちの住所とか電話番号みたいな個人情報に関わる事は聞かないよ。もちろん、アンケートの内容も全然関係ない物だ」

「でも……」

「おじさんは教育関係の仕事に就いていてね。全国の小学生相手にとったアンケートを集めて、教材を作る際の参考にしているんだよ」

「そんな話、聞いたことありません」

「始まったばかりだしね。それに、抜き打ちでやりたいから学校への連絡はしていないんだ」

「どうして抜き打ちでやりたいんですか?」

「予めアンケートの事を聞いていたら、君たちは前もって色々と考えちゃうだろ? 出来るだけの状態で答えて欲しくてね」

「大丈夫だって、鹿島! おじさん、今ここで答えていいんでしょ!?」

「もちろん。アンケートに答えてもらって、君たちにお礼を渡して、それでさよならだ。簡単だろう?」

「じゃあ……」


 鹿島さんが折れたのを確認すると、男はコートの内ポケットから手帳とボールペンを取り出して「じゃあ早速」と話を進めた。


「君たちに答えてもらいたい質問は1つだけだ。難しく考えずに、ぱっと頭に思い浮かんだものを答えてくれればいい」

「1つだけ? それで図書券1枚を貰えるなんてラッキー!」

「ほんとほんと。おじさん、早く質問を出して! 本屋が閉まっちゃうよ」

「よし、じゃあいくぞ。君たち、『ぐちゃぐちゃ』という言葉を聞いてどんな物を思い浮かべる?」

「「…………は?」」


 全く予想外の質問に、橋本君と山本君は顔を見合わせ素っ頓狂な声をあげた。


「な、なにそれ? ぐちゃぐちゃ……?」

「そんな質問が教材に関係するの?」

「難しく考えなくていいよ、心理テストみたいなものさ。こういうの道徳の授業でやらなかったかい?」

「あー、そう言われるとそんな気が」

「じゃあさ……あれとかでいいの?」


 そう言いつつ橋本君が指を差した先には砂場があった。ここの公園は大分昔からあるらしく、砂場の水はけが悪くなっているので昼頃に振った雨のせいで『ぐちゃぐちゃ』になっていた。


「そう、そういうのでいいんだよ! えっと、雨でぐちゃぐちゃになった砂場、と」

「心理テストなんでしょ? 俺の答えってどういう結果になるの?」

「すまないね、おじさんは今答えを持っていないんだ。そのうち結果が発表されるから、楽しみに待っててね」

「そっかぁ」

「あ、じゃあ次は僕いいですか?」


 そう言って山本君は挙手をする。


「カズフミの答えを聞いて思いついたんだけどさ、『雨の日に濡れた靴』って『ぐちゃぐちゃ』だと思うんだ」

「どういうこと?」

「えっとさ、シャツとかは濡れても割とすぐに乾くけど、靴の場合はドライヤーを使ったり、ストーブの前でしっかり水気を飛ばさないと中が全然乾かないじゃん?」

「ああー確かに」

「登校中に靴が濡れるパターンが一番最悪だね。下駄箱に入れたまんまじゃ全然乾かないからさ、帰る時に靴を履いた瞬間のあの「ぐちゃ……」って感覚が!」

「なるほど……いや、いいねぇ! 二人ともいい答えだよ! 残りの二人はどうかな? 何か思いついた?」

「えっと、じゃあ私。カレーライスについてなんだけど」

「カレー?」

「うん。普通はご飯とルーをバランスよく食べるでしょ。でもたまに『ぐちゃぐちゃ』に混ぜて食べる人もいるじゃない?」

「ああ、いるな。鹿島はそのタイプなんか?」

「私じゃなくて、お父さんがそうなの! カレーの日はいつも憂鬱よ……」

「なるほどなるほど! じゃあ、最後は君だね」

「ん? イツキ、どうした? 顔色悪いぞ」

「ほんとだ。白森君、具合悪いの?」

「い、いや……」

「おや、本当だね。大丈夫かい?」



 その男はそう言うと、を近づけ、僕の顔を覗き込んで来た。そんな気持ち悪い光景が目の前まで迫ってきて、僕は思わず吐きそうになる。きっと、平気な顔をしている他の3人には普通の人間に見えているのだろう。この男の本当の姿に気づいていないのが心底羨ましかった。



 僕は所謂霊感体質というやつで、物心ついた時からこういう怪異を見ることが出来た。小さい頃は面白がってよく怪異を観察していたのだが、そのうち怪異は危険な存在なのだと知り、出来るだけ関わらないようにしていた。


 家族や先生にこのことを知られると、きっと治したり無くそうとするだろう。この見える力を持っていると漫画の主人公のような『特別な人間』になれるような気がしていたので、失いたくないと思って周りには秘密にしていた。それに、漫画に出て来るような怪異みたいに襲い掛かって来ることは一度も無かったので、大丈夫なのだと思い込んでいた。


 しかし、今僕の目の前にいるコイツは今までの怪異とは明らかに別物なのだと感じた。人によって見える姿を変える力を持っているようだし、こちらに対して明らかにをしようとしている。僕はどうすればいいのかわからず、青い顔で震える事しかできなかった。他の3人にも見えていたし、帽子を深くかぶっていて遠目からだと普通の人間に見えたので、怪異だと気が付くのに遅れてしまったのが悔やまれる。



 そんな時。その怪異のおじさんは異様なまでに口角を吊り上げ、不気味な笑顔を浮かべて僕の事をまじまじと眺め始めた。ああ、まずい。きっと本当の姿が見えているのがバレたんだ。僕はとっさにそう思った。


「どうしたんだい? 悩むことは無い、ぱっと頭に思い浮かんだことを教えてくれればそれでいいんだよ」


 そう言って怪異はかぶっていたボロボロのチューリップハットをとった。そこから覗かせた頭はぱっくりと大きく割れており、『ぐちゃぐちゃ』のが丸見えなっている。そんな凄惨な光景と、コートから放たれる悪臭で僕の我慢はいよいよ限界に達しようとしてる。それでも、僕は恐怖で動くことが出来なかった。逃げ出したいのに足が動かないし、見たくないのに視線を逸らすことができない。


 この怪異はそんなものを見せつけて何がしたいのだろう? 『ぐちゃぐちゃ』なのはあなたの頭です、と答えればいいのだろうか? 理由はわからないけど、そう答えてはいけないような気がした。しかし、別の答えを言ったとしても解放されるとは思えない。意を決してこの怪異からの問いかけに答えようとしたその時である。背後から「キミたち!」と、声を掛けられる。

 


 振り向くとそこには、真っ黒いワンピースを着た、もじゃもじゃとしたくせっ毛の女の子が立っていた。手には図鑑程の大きさの真っ黒い本を持っており、腕には「八角橋小学校」と書かれた腕章を付けている。


「何をしている? 遊ぶのならまず帰宅して、家の人に行き先を告げてからって先生に言われているだろう?」


 うちの小学校では週に1度、6年生と先生達が各方面の通学路を放課後にパトロールするという取り組みを行っていた。あの腕章を付けているということは、彼女もその1人なのだろう。



「ヤバ、6年生だよ」

「1回帰って鞄を置いて来ようぜ。おじさん、すぐに戻ってくるから待っててよ!」


 そう言い放ち、3人はあっという間にいなくなってしまった。


「キミは? 何をしている?」

「あ、いや、えっと……」


 金縛りにあったかのように動けずにいた僕の手を取ると、その子はぐいっと力強く引っ張った。そうしてもらう事でようやく僕は足を動かすことが出来た。 


「家はどっち?」

「えっと、あっちだけど」

「そう、じゃあ行こうか」


 その子は僕を連れて、指を差した方へ向かってずんずんと歩き出す。その途中怪異がいた方へ振り向いてみる。あの怪異が、くしゃくしゃに顔を歪ませてこちらを睨みつけていた。




 ※※※




「ここまでくれば大丈夫だろう」


 公園が見えなくなるまで移動すると、その子はそう言って僕の手を離した。


「あ、ありがとうございました」

「キミ、あいつに何かされたかい?」

「えっ? もしかして、あの怪異の姿が見えて……」

「いいから。何か危害を加えられたのかって聞いてるんだけど」


 前髪で目が隠れているのでどんな表情をしているのかイマイチわからなかったのだが、声の様子から少しイラついているように感じた。僕が何をしたって言うんだ。


「えっと、特に何も。アンケートを取りたいとか言って僕らに質問をしてきて」

「質問? どんな?」

「『ぐちゃぐちゃ』という言葉を聞いて、どんな物を思い浮かべるかって。それで、ぐちゃぐちゃになった頭を見せつけてきて……」

「ふぅん」

「あの、あいつは一体……」

「好きな食べ物は?」

「は?」

「好物だよ。食べ物で何が好きなんだい?」

「え、えっと……なんだろ、トンカツとか……しょうが焼きかな」

「豚が好きなんだな」


 とっさに思いついたのがその2品だっただけなのだが、面倒なのでそう言うことにしておいた。しかし、どうしていきなり好物を聞いてきたのだろう? 彼女なりに場を和ませようとしているのだろうか?


「ボクはね、ハンバーグが大好きなんだ」

「はぁ」

「うちの親はレストランを経営していているんだけど、その店ではハンバーグが一番人気のメニューでね。家でもほぼ毎日作って貰っているんだ、羨ましいだろ?」

「毎日!? 飽きないの?」

「全然。いろんなバリエーションがあるからね。デミグラスソース、和風、四川風、ブラックペッパー、チーズイン、トマトソース煮込み……キミは自分でハンバーグを作ったことあるかい?」

「家庭科の授業で一度だけ」

「今度家で作ってみるといい、結構楽しいよ。ボクはタネ作りが特に好きなんだよね。あの肉を『ぐちゃぐちゃ』とこねる作業が──」


 そのハンバーグ談義は僕の家に着くまで続いたので、その子と別れる頃には頭の中はハンバーグの事でいっぱいになってしまった。今日の夜は絶対ハンバーグにしてもらおう。そう思ってお母さんに晩御飯の献立を聞いてみると、「使ってしまいたいひき肉があるから、今日はハンバーグにするつもり」という答えが返ってきた。




※※※




 次の日の朝。


 僕は自分の席で昨日の事を考えていると、橋本君と山本君が教室に入ってきた。二人は浮かない顔しており、橋本君にいたっては服が泥だらけだった。


「おはよう。どうしたの? それ」

「おうイツキ、聞いてくれよ。俺の弟は今『生き物係』を担当しているらしいんだけどさ。今朝、ウサギ小屋の鍵を失くしたって大騒ぎしだしたんだよ。で、心当たりないか聞いてみると昨日公園の砂場で遊んだ時が一番怪しいって言うんで、学校に来る途中一緒に探してたんだ。そんで、夜に雨が降ってたみたいで砂場がぐっちゃぐちゃでさぁ……」

「鍵は見つかったの?」

「それがさ! 散々探しまわった挙句、実は弟の勘違いだってことが判明したんだよ。探している途中に弟と一緒に生き物係をやっている子が通りかかってさ、『鍵なら僕が持っているよ』って。勘弁してほしいよまったく!」

「それは災難だったね……で、山本君も浮かない顔しているけど、何かあったの?」

「カズフミに比べると大したことじゃないんだけどさ。来る途中車に水たまりの水を掛けられて……左足をやられちゃったよ。靴の中までぐちゃぐちゃでさぁ……」


 二人の言葉を聞いて、僕はギクリとした。

 彼らの身に起こった今朝の出来事は、あの怪異への答えと一致している。これはただの偶然なんだろうか? そんな事を考えていると、タイミングよく鹿島さんが教室に入ってきた。彼女もまた、暗い表情をしている。


「どうしたの? 何か浮かない顔をしているけど」

「あ、おはよう。大した事じゃ無いの。今日の朝ごはん、昨晩のカレーの残りだったんだけどさ……」




 鹿島さんの答えは僕の予想していた通りだった。

 あの怪異は『ぐちゃぐちゃ』という言葉を聞いて何を思い浮かべる? という質問を投げかけて来た。そして、その時思い浮かべた事が実際に橋本君たちの身の周りで起きている……


 あの時僕は頭に何を思い浮かべた? あの怪異の、『ぐちゃぐちゃの頭』を思い浮かべなかったか?


 いいや、違う。僕が思い浮かべた事は、ハンバーグだ。

 あの女の子のハンバーグ談義のおかげで、僕の頭の中はハンバーグで一杯になっていたんだ。だから、それが現実となって昨日の晩御飯はハンバーグだったんだ。つまり、ハンバーグの事を考えていなければ僕の頭はあの怪異の様にぐちゃぐちゃになっていた可能性があるということ。



 あの子は、僕の事を助けてくれたのか?

 そう思った瞬間、僕は6年生の教室へと走り出した。教室に着き、僕は中にいた兄のダイキに声をかける。


「──そんな子うちのクラスにいないぞ」

「え、嘘。じゃあ隣の6-2……」

「隣にもいないって。そんな奴、知らねぇよ」

「でも確かに昨日、うちの学校の腕章をつけてパトロールをしていたんだけど」

「昨日はクラブ活動の日だからパトロールは無かった筈だぞ。どうせ別の学校の腕章を見間違えたんだろ?」



 その後。先生からこの地区でパトロール活動をしているのはうちの学校だけで、他の学校ではしていない筈だ、という話を聞いた。他の学年の子がパトロールを手伝っていたという可能性を考え、全てのクラスの担任の先生に話を聞いてみたのだけど、あの子の事を知っている人間を見つけることは出来なかった。

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