第11話 召喚士ルイは自らと重ねる

 とても……とても、懐かしい夢を見た。


 自分よりも目線の高い景色から見下ろすのは、白い大理石の長テーブルを囲む臣下達の顔だ。

 美しい女の姿をした水の大精霊ウディネールが歌い、あどけなさの残る少女の姿をした火の大精霊イフリッタが、その歌声に合わせて楽しそうに手を叩く。

 一方で男性陣はというと、凛々しい青年の姿をした風の大精霊シルヴァは彼女達を微笑ましげに眺め、戦士風の格好の地の大精霊ノウムは……テーブルに突っ伏して爆睡していた。


 するとそこへ、一人のメイドが現れた。

 美しい黒髪を靡かせた、精霊王がただ一人王宮へと招いた魔族──フェルである。


「起きてください、ノウム。本日の夕食の時間です。一刻も早く目覚めないようでしたら、今晩は貴方だけ食事を抜きにしますよ?」

「……それは困る。おはようフェルたん。そして腹が減った」

「困るのなら、食堂で寝るのは金輪際やめて下さいね。次はありませんから」


 フェルとノウムのこのやり取りを見るのも、日常の光景だった。


「よーし! メシだメシだ〜! なあなあフェル、今日はアタシの好きなメニューにしてくれるって約束だったよなっ?」

「ええ、イフリッタの好物を用意しましたよ。ですが材料はこれで最後ですので、明日は食材の調達を手伝うようにして下さいね」

「おう! そんぐらい任せとけってんだ!」


 ──何だか皆楽しそうで、懐かしいなぁ……。


 夢を見ながら、ルイはただひたすらにそう感じていた。

 食事の席はいつも賑やかで、予定が合えばこうして同じテーブルを囲んでいたものだった。

 ルイ自身はそんな経験をした事は無いはずなのに、確かにその日常を知っている。



 フェルはワゴンに乗せて運んできた食事を並べ終えると、


「それでは皆様。本日の夕食も私の最高傑作ですので、どうぞ心ゆくまでご堪能下さいませ」


 と、丁寧にお辞儀をして去っていった。

 食堂の扉が閉められると、各々が食事を開始する。

 その光景を、ルイはルイカディーアの視点で見ているのだが……。


 ──あ……そっか。フェルさんはメイドだから、僕達とは一緒に食べられないんだ……。


 夢の中の自分は、その事実に胸を痛める事もなく、和やかにフェルの作った料理を楽しんでいる。


 ──フェルさんは、僕達の為に美味しい料理を作ってくれているのに……仲間はずれ、なんだ……。





 ──それは……僕は、嫌だなぁ……。




 *




「んっ……」


 ルイが目を覚ますと、見慣れた部屋の天井が見えた。

 違和感に気付いて目元に触れると、どうやら眠りながら涙を流していたらしい。そっと拭った指先に、涙の雫が残っている。


「……さっきの夢、やっぱり僕の前世の出来事……なんだよね」


 ルイはフェルとだけは出会っているが、あの夢で見た大精霊達の顔には見覚えがあった。

 それに……何故だか分からないけれど、水の大精霊──ウディネールの歌声。あの女性の声を、最近どこかで聞いたような気がしてならなかった。


「……そういえば僕、どうして屋敷に帰ってきてるんだろう」


 ベッドから身体を起こして、状況を整理する。


 確か自分は、ジェイにお昼に誘われて、外出していたはずだ。

 そこでジェイの父を紹介されて、料理を食べていたらジェイが急に倒れて……。


 そこまで記憶を呼び起こしたところで、ルイはハッと顔を上げて立ち上がる。


「そっ、そうだ! フェルさん……フェルさんが男の人達に立ち向かおうとして、それから……それからっ!」


 地下室から抜け出して、物音のする上の階へと向かい、フェルをジェイの父達から護ろうとしたところまでは覚えている。

 けれど、そこからの記憶は曖昧だった。


 あの時、身体がやけに熱かった。立ち向かう力を借りたくて、必死に「力を貸して!」と願っていたのだ。


 それから……僕は、どうなったんだっけ……?


 どうにか記憶の引き出しから引っ張り出そうとするルイ。

 そこへ、寝室のドアをノックする音がした。


「……失礼致します」


 静かにドアを開けて入室してきたのは、黒髪に紅の瞳の美人メイド──フェルである。

 ルイはフェルを見るなり、すぐさま彼女の元へと駆け寄った。


「フェルさん! 無事だったんですね……!」

「ルイ様……。貴方様こそ、ご無事で何よりでございます」


 そう言って微笑むフェルの顔に、安堵の色が見えた。

 けれども彼女の声色には、どこか覇気が無い。

 ルイはそんな彼女を心配して、フェルの顔を覗き込んだ。


「フェルさん、どこか怪我はしていないですか?」

「えっ……?」

「あの……何だか、元気が無いように見えて……」


 ルイに問われて、フェルは困惑した声を発した。

 しばらく無言のままルイの目を見詰めていたフェルだったが、少しして、覚悟を決めたように唾を飲み込み……彼女は口を開く。


「……ルイ様。貴方様は、あの倉庫での出来事をどこまで覚えていらっしゃいますか?」

「え? え、ええと……フェルさんを助けなくちゃって思って、召喚魔法を使おうとした……ところまでは」

「やはり……そうでいらっしゃいましたか」


 するとフェルは、一歩引いてルイに深々と頭を下げた。


「我が主、ルイ様。この度は私の不始末により、御身おんみを危険に晒してしまった事、心よりお詫び申し上げます。そして……私を、再びお救い下さった事に……心からの感謝を捧げます」




 *




 そう。ルイ様は……ルイカディーア様の転生体であられるこのお方は、もう一度私を救って下さった。


 一度目は、私が【悪魔】に身を堕としかけていた千年前。

 そして二度目となる今日、ルイ様は勇気をもって私を救おうとして下さったのだ。

 今のお姿では大した付き合いでもない私の事を……このお方は、やはり見捨てなかったのだ。


「再び……って」


 ぽつり、とルイが言葉を漏らした。


「やっぱり……前世の僕も、フェルさんを助けようとしていたんですか……?」


 そう言ってフェルを見上げるルイの表情には、確信めいたものが見て取れた。


「僕、あの時の事はよく覚えてなくて……。だ、だけど、何となく分かるんです! 僕の中で、何か大きな力が湧き上がってきて……。多分、それが前世の……精霊王として生きていた頃の僕の力だったんじゃないかって」

「ルイ様……!」


 完全に前世を思い出した訳ではないのだろう。

 けれど、ルイの中には精霊王の魂が眠っている。

 それはフェルが実際に、ルイの身体を借りて意識が浮上したルイカディーアの口から聞いているのだから、間違いないはずだ。

 その事をルイ自身が自覚したという事実に、フェルは激しく心が震えた。


 やはり、私は間違っていなかったのですね……!

 フェルが過ごしたこの千年は、無駄ではなかった! あの時交わした約束を、貴方様は果たして下さった……!!


 フェルは自然と溢れてくる涙を拭いながら、歓喜に声を振るわせて言う。


「ああ……貴方様は覚えておらずとも、私は全てを記憶しております……! ルイ様、貴方の中に眠る精霊王のお力は、確かに目覚めようとしているのです!」

「や、やっぱりあの時の感覚はそうだったんだ……! で、でもフェルさん、あの後ジェイのお父さん達はどうなったんですか⁉︎ 僕、どうやらジェイのお父さんにあそこへ連れ込まれたみたいで……」

「それなら問題ございません」


 いつまでも泣いていては駄目よ、フェル!

 私は完全無欠、才色兼備、いつ如何なる時も冷静沈着な敏腕メイドなのだから……!


 フェルは自分にそう言い聞かせて心を落ち着かせると、改めて言葉を続けた。


「ルイ様が大精霊ウディネールを召喚された後、子豚の父──ジェイでしたか。あの少年の父親をはじめとする者達を捕らえ、伯爵様に突き出して参りました」

「ぼ、僕が大精霊のウディネールを!?」

「はい、彼女とは千年振りの再会でございました。ですが、彼女はすぐに精霊郷に戻ってしまったので、あまり会話は出来ませんでしたが……」


 ルイの意識が沈み、ルイカディーアの魂が浮上したその後。

 フェルはジェイの父・ジェラルドら六人を拘束し、倒れたルイを抱えて屋敷に帰還した。

 今回の事件を報告されたルイの父の指示により、ルイが拐われた倉庫の調査も既に終わっている。


「……ルイ様には内緒にしておりましたが、私はルイ様を探すかたわら、魔薬の売買について追っていたのです」

「魔薬……」


 それを聞いて、ルイの顔が曇った。


「あの者達は、魔薬の密売組織の一員でした。倉庫には、これから売られる予定であった魔薬が保管されておりました。ジェイの父親は、それらを取り纏めるこの町の売人のリーダーだったようです」

「ジェイのお父さんが、魔薬の売人……」


 そんな人物に誘拐されたルイは、フェルに出会っていなければどうなっていたことか……。

 想像するだけで、背筋が凍えるようだった。

 フェルは無礼とは思いながらも、俯くルイの小さな手を取って、優しく言い聞かせる。


「ですから、私は貴方様に言ったのです。あの子豚とは、お付き合いなされないように……と。貧民街の者達の大半には、魔薬中毒の症状が見られました。いつかルイ様の身に、危険が及ぶのではないかと……」


 これからジェラルド達は、領主であるルイの父の手で罪を暴かれる。

 そうなれば、その息子であるジェイもこの町には居られなくなるだろう。もうルイがジェイに脅される心配は無くなるのだ。


「ですからもう、金輪際あの子豚とは縁を切って──」

「……ジェイは」


 フェルの言葉を遮って、ルイが声を絞り出した。

 真っ直ぐに見詰め返す少年の青い瞳に、目を見開くフェルの顔が映り込んでいる。


「ジェイは悪くありません! 悪い事をしていたのはジェイのお父さんで、ジェイは魔薬の事とは関係無いはずです!」

「お、お待ち下さいルイ様! 魔薬の件は別にしても、ルイ様はあの醜い子豚から嫌がらせをされていたではありませんか!」


 初めてルイとフェルが出会ったあの時、ルイはジェイに金銭を要求されていた。それだけには飽き足らず、ルイは母親の形見の指輪すら失ってしまっている。

 そんな事をした相手の事をどうして庇うのか、フェルには全く理解出来なかった。


「不当な金銭の要求も、魔薬の売買も悪です。あの親子は、ルイ様ご自身にも、この町にとっても悪しき存在です! それをどうして貴方様は──」

「それでも!!」

「…………っ!」

「それでもジェイは……自分のお母さんの事を、大切に思う優しさがあるんです! きっと、ジェイのお父さんだって……奥さんの病気を治そうとして、沢山お金が必要だったんだと思います」

「ルイ、様……」


 そんな……自分に害をなした相手の事を、優しいだなんて……。

 ルイのその言葉が、過去のフェルが犯してきた罪に重なった。ズクン……と、胸の奥に何かが突き刺さる。

 今度はフェルが顔を上げていられなくなって、ルイの手を握ったまま下を向く。


「……母親の病気というのも、嘘なのかもしれませんよ」

「僕は、そうは思いません」


 一切の迷いのないルイの声。

 それに対して、フェルの問いは情けなく震えていた。


「……僕、初めて見たんです。いつも自信満々で、僕をどう困らせてやろうかってニヤニヤしているいつものジェイの顔が、あんなに悲しそうになるだなんて……」

「…………」

「……僕もお母さんが大好きだったから、分かるんです。もしも僕とジェイの立場が逆だったら、僕だってジェイみたいになりふり構わずに、酷い事をしていたかもしれません」


 貴方に限って、そんな事はない! と心で叫びながら首を横に振るフェルに、ルイは言葉を続ける。


「僕とジェイの関係は、正しい友達関係じゃないと思います。だけど……上手く言えないけど、ジェイのお母さんを想う気持ちは本物なんです! だから僕は、ジェイの事を見捨てられない。確かにジェイは良くない事をしてきた子だけど……もう一度、最初からやり直す機会があっても良いはずだと思うんです!」


 言いながら、ルイはドアノブに手を掛ける。


「だから僕、これから父様に直談判してきます!」

「ルイ様……」


 そう告げて部屋を飛び出したルイの背を、フェルは少し遅れて追い掛けていった。

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