第9話 召喚士ルイは駆け上がる

 人間にとっては、遥か遠い過去の時代。

 けれどもその時間は『彼女』にとって、つい先日の事のように感じられた。


「お前がちまたを騒がせているという悪魔か?」


 男の問い掛けに、女は背中を預けていた樹の幹から飛び退いた。

 女のその様は、まるで警戒する野良猫のようで。

 そして事実、その女は住む場所も無いはぐれ魔族であった。


「……そういう貴様は、精霊の類か」


 言葉を返した女の髪は、闇の色を宿した黒。

 鋭く睨み付ける瞳は血を連想させ、彼女自身の肌や衣服にも、それと同じ色が散っている。髪は伸び放題で、無造作に放置されている。

 対して男の方はというと、髪色は女と同じ黒髪をしているが、瞳は海を思わせる青色。衣服は清潔で、身長が高い。

 精霊の男は、改めて魔族の女に問うた。


「私は、人里を荒らす悪魔をしずめねばならない」

「……つまり、この私を殺しに来たのだな」


 魔族の女は、これまでに何度も村や町を襲っていた。時にはそこを滅ぼしてしまう程に。

 故に彼女は人々から『悪魔』として恐れられ、こうして精霊が彼女を鎮める為にやって来たのだろう。


 精霊は、人々と寄り添って生きる。

 特にこの時代の人類にとって、精霊は生活から切り離せない存在であったのだ。

 人類は、精霊に感謝を捧げる。

 その返礼に、精霊は人類に火や大地の祝福を与えた。


 けれども魔族は、精霊が居なくとも魔法が扱える。精霊の祝福が無くとも、問題無く生きていける強さがあった。

 それだけの力があるが故に、彼女のようにその力を持て余してしまう魔族が居るのだ。


 自分では制御出来ない破壊衝動。殺戮衝動。彼女にとって人里への襲撃は、砂漠で一滴の水を求めて彷徨うかの如く、どうしようもない乾きを満たす為の行動だった。

 だがそんな魔族であっても、万全の状態で現れた高位精霊が相手では、まともに太刀打ち出来ない。

 女は獣のような唸り声を発しながらも、心の内では諦観ていかんしていた。


 ここで自分の生は、幕を閉じるのか──


 だがしかし、


「いいや。私は、お前を救おうと思っている」


 真顔でそんな言葉を言い放った男に、女は思わず目を見開いた。


「救う……だと……? この私を……人を殺し、そのむくろから魔力を吸い出す『悪魔』を……貴様は、救うと言ったのか……?」

「ああ。私はお前を救いたい。何故ならお前は、まだ『悪魔』ではなく『魔族』でいるからだ。それに、悪事を働いたからといつまて斬り捨ててしまうのは、私の理念に反するからな。だが……」


 と、男は更に続けて言う。


「罪の無い人々を殺めたお前の行動は……理由こそあれ、簡単に許されて良いものではない。だから私は──人々に寄り添う精霊達の王として、お前にこの祝福のろいを授けようと思う」



 犯した罪は、生きて償え。


 生きて苦しめ。


 そして──




 *




 縄で拘束されたままのルイは、どうにかしてその場を脱出しようと、必死にもがいていた。

 腕は背中に回された状態で縛られている為、手をついて立ち上がるのは難しい。けれど、壁に背中を預けるようにして立ち上がる事までは出来た。


「ここから、あの階段を上がっていければ……外に出られるかな……?」


 荷物が積み上がった箇所を通り抜けていくと、上階へと続くであろう階段を発見した。

 この辺りには見張りも居ない。ルイを誘拐した犯人……ジェイの父がどこかに行っているのなら、今の内にここから脱出する事が出来るかもしれない。

 ……しかし、いつ人がやって来るかも分からない。ルイはなるべく足音を立てないよう、細心の注意を払いながら階段へと近付いていく。


 その時、ルイの頭上──正確にはこの建物の上の階から、爆発的に跳ね上がる魔力を感じた。


「この魔力っ……この気配、もしかして……!」


 懐かしいような、恐ろしいような……強く鋭い、濃密な闇の魔力。

 それを感じたと思った次の瞬間、上階から複数の男達の叫び声が聞こえて来たのだ。


「フェルさん……フェルさんが、ここに居る……!」


 黒髪紅目の専属メイド、フェル。

 彼女は、自分を魔族だと言っていた。それが事実であるのなら、異変を察知してルイの魔力を辿って来る事も可能なのかもしれない。

 けれどもそれは、彼女に危険な戦いをさせてしまう事に繋がってしまう。

 先程聞こえた男達の声から察するに、フェルは今、ルイを救う為に一対複数の戦いを強いられているのだ。


「僕のせいで……フェルさんに、迷惑をかけて……」


 彼女と初めて会った日もそうだった。

 ルイがジェイに執拗に迫られて、フェルに助けられていた。


「僕が……僕が弱いせいで、またフェルさんに護られるばっかりで……!」


 グッと歯を食いしばるルイの青い瞳に、涙が滲む。


「どうして、なんだろ……。どうして僕は、フェルさんみたいに強くないんだろう……」


 彼女は……フェルは、ルイの為に戦ってくれている。ルイだけの為に、立ち向かってくれている。

 家族よりも、家のメイド達よりも……他の誰よりも、フェルはルイの為に、今も手を尽くそうとしてくれているというのに……。


「それなのに、僕は……まだフェルさんに、何も恩を返せてない……!」


 ……もしも、フェルの身に何かがあったら。

 それを思うと、居ても立っても居られなくなった。

 ルイは一歩一歩階段を上りながら、フェルが居るであろう上階を目指していく。


「……僕が、もしも本当に、精霊王の生まれ変わりなんだとしたら」


 自分がただの『弱いルイ』じゃなくて、邪神に打ち勝った『強い精霊王』であったなら──


「……僕は、フェルさんを救いたい。あの人の力になりたい。だから……誰か、力を貸してっ! 大切な人を護れる力を、僕に貸して下さい!!」




 その瞬間、ルイの真摯な叫びに『何者か』が呼応する。


 全身を、熱い魔力が駆け巡る。

 まるで血が沸き立つような……。ルイの爪先から頭のてっぺんまで、余す事なく電流が走っているかのような激しい感覚を思わせた。


「な……なに……!? この、変な感じ……!」


 急に活性化した魔力に戸惑うルイ。

 しかし、何故だかこう思ってしまうのだ。


「……でも、今なら……この感覚が掴めれば……強力な魔法が使えそうな気がする……!」


 何の根拠も無い。

 だが、フェルを助けるチャンスは今しかないのだと、ルイの魂が叫んでいた。


 ルイは一秒でも早くフェルの元へ向かおうと、可能な限りの速度で階段を駆け上がっていく。

 腕を縛られているから、転びそうになる。だが、必死に踏み止まって上を目指した。

 一つフロアを上がったが、まだフェルの姿は見えない。激しい戦闘音は、もう一つ上の階から響いている。


「フェル、さんっ……!」


 激しい魔力の流れは、まだルイの身体中を駆け巡っている。

 ルイは全力を振り絞って階段を上がった。

 そうして遂に、ルイは視界にメイド服を来た女性の姿を捉えた。

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