第8話 召喚士ルイは気付かされる

 肌寒さを感じた。

 まだ季節は春だというのに、だ。


「ん……」


 ふわりと意識が浮上してきたルイは、身体に痛みを覚えながら目を覚ました。


「……ここ、は……」


 目蓋を開けて確信した。

 この場所は、ジェイの家ではない。

 そして身体が痛んでいた原因は、硬く冷たい床の上に転がされていたからだと気付いた。石造りの冷たい空間には、大量の木箱や布袋が保管されている。その奥の方に、ルイは後ろ手に縛られた状態で放置されていたようだ。


 ……しかし、隣にジェイは居ない。彼の父であるジェラルドも。

 ルイはどうにか身体を壁に寄せて、ひとまず上体を起こした。

 そうして今自分が置かれている状況を、一つずつ確認していく事にした。


「……誰も、居ない……のかな。それに……窓も無い、みたい」


 前方に鉄格子の扉が見える。それ以外で視界に入るのは、やはり大量の荷物のみ。


「やっぱり……ジェイのお父さんが、僕をここに連れて来たのかな」


 ルイが意識を失う前の見たのは、ジェラルドの不気味な笑顔だった。

 ……あれはどう見ても、悪意を持った人間のそれだった。落ちこぼれの四男とはいえ、ルイはこれでも貴族の子供だ。

 そして……ジェイの家は、金銭的な問題を抱えている。ジェイの母親の病気──それを治す為には、きっと莫大な費用がかかるのだろう。


「だから、ジェイのお父さんは……」


 僕を誘拐した──




 *




 フェルは北東方面に辿り着くと、以前から目星を付けていた貧民街の建物を目指す。

 その道中、彼女の視界の端々に映る、目がうつろな人々。


「やはり、あの状態は……」


 魔薬中毒の初期症状は、至って軽微なものである。

 魔法を使おうとした際や、魔力を消費する道具を使用した後に、軽い発熱症状が出る事があるという。

 けれどもこの周辺で見掛ける人々は、その次の段階である虚脱きょだつ状態になった者ばかりだった。

 しかし、そういった症状が出た者は、街の中央部には居ない。あくまでも貧民街周辺──例の古びた建物がある近隣だけだ。


「薬の製造や密輸を貧困者に任せ、その報酬として薬を渡しているのでしょうか……」


 魔薬は高価な品だ。極上の快楽と興奮をもたらすと謳われているが、その反動は人間の身体では耐えきれない。

 何せ、元々は魔族の精力剤として使用されていた薬だ。彼らに待ち受けるのは、それ相応の結果となるだろう。

 故に、貧民の財力では魔薬を買えないし、製造も出来ない。つまり、彼らを裏でコントロールしている組織があるのは明白だった。

 フェルは周囲に警戒を続けながら、目当ての建物の裏へと到着する。


「私の友人の開発した薬を、このような形で悪用する人間が居るなど……そして、それ以上に……!」


 ルイカディーア様を……私のルイ様を巻き込むなど、言語道断です──!


 フェルの瞳に炎が宿り、身体中を巡る魔力が激しく暴れ出す。


 思い知らせてやらなければ。

 愚かな人間共に、ルイ様の偉大さを……!


 刻み付けてやらなければ。

 我らの崇拝する王は、今再びこの大地に舞い戻って来たのだということを……!




 フェルは湧き上がる殺意を隠しもせず、悪魔のような形相で目的地に到着する。


「これだけ怒りを露わにしたのは、実に千年振りですね……」


 見上げる建物は、レンガ造りの古い倉庫。

 ……間違い無い。魔力の残滓ざんしを辿った先に、ルイの魔力を感じる。


「……ルイ様を救出するまでに、この醜い自分は封印しなければなりませんね。こんな私を今のあのお方に見られてしまったら、きっと……怖がられてしまうでしょうから」


 倉庫の裏側に回ったフェル。

 事前の調査で裏口があるのは判明していたので、そこからの侵入を試みる。

 元々は魔薬の摘発をする為の調査だったが、思わぬ形で役に立つとは、全く想像もしていなかった。

 だが、裏口の扉の前には、見張りすら立っていない。


「これは、罠……?」


 魔薬組織の人間がルイを誘拐したのであれば、彼が貴族の子供というのも知っているはずだ。

 身代金を要求するのなら、屋敷の方に犯人側から連絡が行くだろう。だがフェルが知る限り、組織からのアクションはまだ何も無い。


「……私を、誘い込もうとしているのでしょうか」


 それならそれで都合が良い。

 これだけ敵の本拠地に近付いて、数日間も調べ回ってきたのだ。向こうもフェルの存在は嗅ぎ付けているだろう。

 故に、奴らはフェルをただの女だと見くびっている──

 フェルはニタリと口元を歪め……けれどもルイの顔が脳裏を過ぎり、すぐに表情を引き締めた。


「……今の私は、の私ではない。私はルイカディーア様の至高のメイド、フェルなのだから──」


 近付いて確かめてみると、裏口に施錠はされていない。

 ただの考えすぎかもしれないが、やはりこれはフェルを誘い出す為の罠なのではないだろうか?

 しかし、ただの人間如きに遅れを取るフェルではない。未だ胸の奥で燃え滾る憤怒の炎を抑えつけながら、静かにドアを開けた。


 薄く開いたドアの隙間から中を覗く。

 ……ざっと確認した範囲に、人影は無い。倉庫の中は二階建ての構造になっていて、左奥の方に階段があるのが見えた。

 それ以外は、大量の木箱や袋が積み上げられているのが分かる。あの中身が魔薬の材料や、これから売られる完成品であるのだろう。


 ……となると、ルイ様が捕らえられているのは二階でしょうか?


 少しひんやりとした空気を感じながら、フェルはそっと内部へと忍び込んだ。

 コツ、コツ……と小さな足音を立てながら、階段をのぼっていく。

 二階に上がったフェルは、ルイの姿を探して動き回る。山のように積まれた袋の裏側。木箱と木箱の隙間。

 そうして奥へ、更に奥へと探していったものの……ルイはどこにも見当たらない。


「何故……? ルイ様の魔力は、確かにこの場所から感じたはずだというのに……」

「残念だったなぁ、メイドさん」

「…………っ!」


 背後から飛んで来た声に振り向くフェル。

 その声の主は、先程フェルがのぼってきた階段をゆっくりと上がりながら、着実に距離を詰めていた。


「ここ最近オレらの事を嗅ぎ回ってたのは、アンタだろ? フラーテッド家のメイドさんよぉ」

「……貴様が、我が主を誘拐した犯人か?」


 射殺すような眼光で、男を睨み付けるフェル。

 けれども目の前の男はヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべ、何も悪びれた様子も無くこう告げた。


「ああ、その通りさ! 何年、何十年とオレらの商売にはノータッチだったボンクラお貴族様のクセして、今更になってメイド風情にコソコソ嗅ぎ回らせてきやがってよぉ……」

「メイド風情……だと……?」


 フェルの整った細い眉が、ピクリと動く。

 男はそれに気付きながらも、あえて挑発的な態度を崩さない。


「せっかくこれからもっと面白くなるところだってのに、アンタみたいなヒョロっちい女一人に止められるはずもねえってのにな! 『お前ら』もそう思うだろ!?」


 その言葉を合図に、男が背にした階段から、更に多くの男達が姿を現した。最初の男を含め、総勢六人。

 男達はその誰もがニヤニヤと口元を歪め、一人はフェルを見て舌舐めずりをしている。あそこまで露骨なリアクションを見せたのはその男だけだったが、考えている事は皆同じ。

 彼らの脳内では、男達の手によってメイド服を破かれたフェルが、好き勝手にされている光景が繰り広げられていることだろう。

 ……それが思いきり男達の顔に出ている事が、フェルには不快でたまらなかった。思わず鳥肌が立つほどに。


「安心しなよ、メイドさん。オレらで一通り味見をした後は、アンタの大事なおぼっちゃんと一緒に、奴隷市場に売り飛ばしてやるからよぉ!」

「あんまり具合が良すぎるようなら、俺達専用の性奴隷にしちまっても構わねえか? 俺、こういうツンツンした巨乳がタイプなんだよな〜!」

「使い過ぎて壊れねえようにしねえと、商品価値が下がっちまうからな。ギャハハハハ!」


 男達の下品な笑い声が響く中、フェルは静かに思い出す。


「犯した罪は、生きて償え……生きて苦しめ……」


 彼女のその呟きは、男達の声に掻き消されていた。

 それでもなお、フェルはその言葉を胸に刻んで顔を上げる。

 彼女はそっとスカートの中──太腿に巻かれたレースのガーターリングに手を忍ばせ、そこに仕込んでいた投げナイフを取り出した。


「ルイ様……。貴方様はきっと、あのようなどうしようもない男達であっても、私が手を下せば悲しまれるのでしょう。ならば私は──彼らを殺さずに、無力化するまでです……!」


 そうしてメイドは、勢い良く床を蹴り出した。

 全ては、千年恋い焦がれた王の為に──

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