第5話 召喚士ルイは言い淀む
小柄な少年と、厳しい顔付きの男が向かい合っている。
一人は貴族の息子、ルイ。そして執務机に座って話をしているのが、彼の父であるルーファス・フォン・フラーテッド伯爵だ。
「あのフェルというメイドだが、あれは随分と教育が行き届いている逸材だな。……ん? 彼女を辞めさせろだと? そんな馬鹿な事を言うな、ルイ。せっかくあれだけ仕事の出来るメイドが来たというのに、お前は何が不満だというのだ?」
「それは、その……」
ルイは父に、フェルを解雇するよう直談判をしに向かったものの……。
「何だ? まともに理由も話せんのか?」
「ご、ごめん……なさい……」
彼女は魔族かもしれない。だから、彼女をメイドとして雇うべきではない──と、そう言ってやるつもりだった。
けれども実際には、ルイが口に出来た言葉は「僕付きのメイドの事について、お話が……」と、「あの人を雇う話、無かった事には……」の二つだけ。
いざ本題に入ろうとしても、ルイは父からの威圧感に萎縮してしまったのだ。
結局それ以上は何も言えず、父に呆れた目を向けられてしまった。お休みなさい、とだけ言い残して、ルイは退室する。
どうやらフェルのメイドとしての実力は、ルイの想像を遥かに超える優秀さであったらしい。あの頑固で怖い顔をした父が、あそこまでベタ褒めしているのだから、きっと間違い無いのだろう。
自分の寝室への道を戻りながら、ルイは自分の度胸の無さを呪った。
どうして僕には、こんなにも勇気が無いんだろう?
まともに召喚魔法も操れず、家族にだって見捨てられる寸前の自分。母がまだ生きていたら、助言の一つでもくれたのだろうが……そんな望みは、抱くだけでも無意味な事だ。
「お帰りなさいませ、ルイ様」
俯いていた顔を上げれば、視界に入る黒と赤。
ティーセットを片付け終えたらしいフェルが、ルイの寝室の前で主人の帰りを待っていたようだ。
「……僕はあなたにあんな事を言ったくせに、結局何も出来ませんでした」
「私を解雇するよう、伯爵様にお願いに行かれたのですよね?」
「はい……。だけど、何も。何も……言えなかったんです。あなたの素性について、僕は何も……」
言いながら、再び顔を下に向けるルイ。
「それはつまり、私はまだこのお屋敷のメイドという事で宜しいのでしょう? でしたら思う存分、私は貴方様に尽くすまでにございます」
何が何でも、フェルはルイのメイドとして振る舞う覚悟を貫くらしい。
ずっとブレない彼女のスタンスに、ルイは思わず苦笑してしまう。
それを知ってか知らずか、フェルはルイに入室を促すように寝室のドアを開けて、こう言った。
「さあ、今日のところはゆっくりと身体をお休め下さい。またいつルイ様がお倒れになってしまうか分かりません。ですので、明日の朝食には、滋養強壮に良い食材を使用した料理をご用意させて頂きます」
「うーん……。あれは、そういう問題じゃ無いような気がするけど……」
そうして改めてベッドに横になると、フェルが落ち着いた笑みを浮かべる。
果たして彼女は、本当に魔族の女性なのか?
そして自分は、本当に精霊王の生まれ変わりなのか?
二度に渡って見たあの『記憶』は、何だったというのか?
疑問は尽きない。……それでも、ルイに美味しいお茶を淹れてくれたフェルという女性からは、何の悪意も感じない事だけは絶対だった。
ルイは、フェルの顔を見上げる。
「……あなたがもしも、悪い事をしない魔族だというのなら。僕はもう……気にしない事にします」
「私を……フェルの言葉を、信用して下さるのですか……?」
信用……とは、また少し違う気もする。
「……そんな感じ、かもしれないです」
しかし、ルイには上手い喩えが見付からなかった。
それでもフェルは、満足げに笑っていた。
*
自称魔族の美人メイドとルイの共同生活は、二日目の朝を迎えた。
昨日の晩に告げられた通り、今朝の朝食には赤身の肉や、珍しい香草を使った料理が並んでいた。それらは全てフェルが用意したらしく、調理も彼女が担当したらしい。
朝から肉料理というのは少し重い気がしたが、いざ食べてみれば、予想よりもあっさりとした味付けだった。おまけに美味しい。
それらを全て平らげると、フェルがこれまた嬉しそうに皿を下げていく。
ルイの父と兄のルカも同じメニューを出されており、二人も問題無く完食していた。
「いやはや、フェルの料理は絶品だな!」
「うちの料理長も顔負けなんじゃないか? なあルイ、お前どこでこんな凄いメイドと知り合ったんだ?」
ルカに話を振られて、ルイは視線を泳がせながら、
「ええと……街で、たまたま出会っただけです」
と説明するしかなかった。
近所の子供にカツアゲ紛いの事をされていたところを、偶然通りかかったフェルに助けられた……とは、貴族の子として口が裂けても言えないからだ。
「ふぅん……そうなのか。それにしたって、お前専属のメイドとして志願するだなんて、珍しい奴も居るもんだなぁ」
「『そうでなければ雇われるつもりは無い。雇ってくれるのなら、空いた時間に他の雑務もこなす』と言われてしまえば、貴重な人材をみすみす手放す訳にもいかなかったのだよ」
フェルが皿洗いに向かっている間に、父と兄とで繰り広げられる会話。
そんな話題を聞いているのが苦しくなって、ルイは逃げるように食堂を後にした。
それからしばらくして、書庫で本を読んでいたルイの元にフェルがやって来た。
「ルイ様、本日のご予定は如何なされますか?」
「……今日は、このまま本を読んで過ごそうかと。フェルさんはどうするんですか?」
「そうですね……。ルイ様が外出なさらないようでしたら、私は例の調べ物の続きとすると致しましょうか」
そういえば彼女は、昨日も調べ物がどうこうと言っていた。ジェイに母の指輪を渡した後、そんな話をしていたはずだ。
ルイは少しそれが気になって、読んでいた本に栞を挟んで閉じる。
「その調べ物って、ここにある本なら役に立つんじゃないですか?」
けれどもルイの提案に、フェルは無表情に首を横に振った。
「いえ、本で調べられる内容ではないのです。ですが、ルイ様のそのお気持ちだけでもありがたいです」
「そう……ですか」
「昼には屋敷に戻りますので、しばらくお暇を頂きます」
そう告げて、フェルは丁寧にお辞儀をして書庫を出て行った。
少しして、窓の外に黒髪メイドの姿が見えた。
本では分からない調べ物……。フェルはいったい、何について調べようとしているのだろう。ルイには見当もつかなかった。
フェルがどこかへ出掛けてから、ルイは黙々と本を読み進めていた。
今ルイが読んでいるのは、神話を題材にした物語だ。それも、精霊王が登場する内容である。
彼女にあんな話をされてからというもの、どうにも気持ちがふわふわとして落ち着かない。
ルイは、精霊王ルイカディーアの転生者──
何度聞いても信じ難い内容だが、もしもそれが事実だとすれば。
精霊王や邪神について書かれた本を読んでいけば、自分の前世について、何かきっかけが掴めるかもしれない。そう思い至ったが故に、今日は書庫に閉じこもる日に決めたのだった。
……とは言っても、そんな事が起きるのかは半信半疑なのだけれど。
*
ルイが書庫で本を読み漁っている頃、街のとある民家で父と子が話し合っていた。
その子供とは、ルイの『オトモダチ』のジェイである。
ジェイの母は身体が弱く、高価な薬が無ければいつまで命を繋げられるか分からないような、難しい病に
そんな母の為に、父は必死に金を工面している。そしてジェイも、そんな父の苦労をよく知っていた。
「なあなあ、父ちゃん! これ、母ちゃんの薬を買うのに使ってくれよ!」
ジェイがズボンのポケットから取り出したのは、指輪だった。昨日ルイからかっぱらうように受け取った、あの形見の指輪だ。
それを差し出されたジェイの父は、大きく目を見開く。
「おいおい、ジェイ……! こんな高価な物、どこで盗んできたんだ!?」
「人聞き悪いこと言うなよ、父ちゃん! これは盗んだんじゃなくて、貰ったもんだよ!」
「貰ったって……そんな物、誰がくれるって言うんだよ?」
「トモダチがくれたんだ。ほら、いつも遊んでやってるルイだよ!」
「ルイ……フラーテッド家の子供か」
息子の口から出たその名前を聞いて、父の目に仄暗い影が差した。
けれどもそれは、ほんの一瞬の事。
すぐに優しい父の顔に戻って、男はジェイにこんな提案をする。
「なあ、ジェイ。そのルイ君にお礼をしたいから、家に招待させてくれないか?」
「ルイをうちに?」
首を傾げるジェイ。
「その子がいらない指輪をくれたお陰で、母さんの薬代に充てられるだろ? お貴族様の口には合わないかもしれないが、ジェイの大切な友達に、何かご馳走させてもらいたいと思ってな」
それに母さんなら二階で寝てるから、多少うるさくしても大丈夫さ──
父にそう説明されれば、ジェイもすんなりと納得して、大きく頷いた。
「それもそうだな! 分かったよ、父ちゃん!」
「今日にでも都合がつけられないか、ルイ君に予定を聞きに行ってきてくれるか?」
「ああ、すぐ行ってくる!」
「気を付けて行って来るんだぞ、ジェイ!」
そう言って元気に家を飛び出して行った息子を、父は笑って送り出した。
けれどもその笑顔の裏に、息子にも妻にも見せられない一面を隠したまま……。
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