第3話 召喚士ルイは思いを馳せる

 路地裏に一人残されたフェルは、自らの唯一の主人であると確信した少年が走り去っていった方を眺めていた。


「ようやく会えた、私の愛しいお方──ルイカディーア様の転生体……ルイ様」



 かの大戦から千年もの時を経て、我らの主人は帰還を果たした。

 けれどもその姿は、フェルが最後に見た凛々しい姿ではなく……とても弱々しい、人間の少年であった。


 けれども、それが断じて嫌な訳ではない。

 フェルが感じたのは、三つ。


 人間というのは、よくも悪くも儚い生き物だ。

 精霊王であった以前とは異なり、多少の無茶で怪我をするかもしれない。まずはそこが気になった。


 次に感じたのは、ルイが抱える魔力について。

 フェルの記憶が確かなら、精霊王ルイカディーアは今のルイより遥かに膨大な魔力を保有していたはずだった。

 しかし、今のルイは人並みに過ぎないのだ。

 ……おかしい。肌で感じる魔力の質は、間違い無く精霊の王たる器だ。だというのに、ここまでフェルが近付かなければ埋もれてしまう程度の魔力しか感じられない。これでは主人探しも難航する訳である。


 そして最後は──ルイの可憐さだった。



 あああぁぁああぁぁぁぁっ!!

 何なのよ、もう何なのよ! この地上に舞い降りた天使は!?

 種族は人間で良いのよね? ルイ様は天使ではなく、人間なのよね!?


 遠目でルイ様をお見掛けした時、まさかあんなこの世全ての愛らしさと美しさと清廉さを詰め込んだ精巧な人形のような子供がルイカディーア様の転生者だとは思わなかったわ!


 だってほら、目蓋を閉じれば今でも鮮明に思い出せるルイカディーア様のご尊顔……! 美しさは今のルイ様にも引けを取らないけれど、男性らしいしっかりとした肉体と頼り甲斐のあるお背中。そして軍を率いて空気を震わせる鋭いお声……!!

 それと対極に位置するルイ様の、可憐さと謙虚さ……何より、『守ってあげたくなる感』というのかしら!?

 私が意地でもあのお方をお護りしなくてはという、千年以上も前から固めた決意が更に頑強になるレベルの愛らしさよ……!


 我が身は天使と敵対する生まれなれど、ルイ様が天使の子だというのであれば喜んで昇天する程の衝撃的転生!!

 ああ、自分でも何を考えているのかよく分からなくなってきたけれど! つまりはそう!!


 私のご主人様は、今世でも最高にございます!!!!



 ……と、フェルの思考回路が暴走する中でも、完璧メイドは走り去っていく小さな背中を捉えていた。


「……私がお側に居ないばかりに、ルイ様には辛い経験をさせてしまっていたようですね」


 今度こそ、彼を一人にはさせない。

 彼が『あんな最期』を迎えるのは、あの一度きりで良いはずだ。

 フェルは千年前の大戦を思い出しながら、空を苦々しく睨む。


「我らの王は、帰還した……。その意味を、誰もが嫌でも理解する事になる。『その時』が来る前に……私は、貴方様に託された使命を果たすのみ……!」


 その使命だけが、今のフェルとルイとを繋ぐ糸。


 例え彼が、自分フェルを忘れてしまっているのだとしても……。




 *




 悔しくない訳ではない。

 自分だって、何か一つぐらいは才能を秘めているはずだ。

 ルイはそう信じて、色々な事に挑戦していた。


 一番上の兄は、武道に長けた活発な青年。

 そんな兄の姿に憧れて剣を練習してみたが、どうにも上手くいかない。彼と同じ両親から産まれたはずなのに、剣も弓も、槍の練習をしてみても、からっきし駄目だった。


 次にルイが憧れたのは、頭脳明晰な次男だった。

 長男と違って、付き合う人は選ぶ人間だったが、それでも彼を慕う者は居る。

 王都の魔法学校では、常に首席をキープ。卒業後は魔法薬の研究の為にと、屋敷内に研究室を設けたエリートだ。

 ならば自分も、とルイは簡単な魔法薬の作り方を教わってみたものの……出来上がるのは、中途半端な効能のものばかり。何度も作り直してはみたものの、次男に「お前には才能が無い」と一蹴された。


 身体を動かすのも、魔法薬を作る才能も無い。

 そんなルイを励まそうと、三番目の兄が思い付いたのは、誕生会への参加だった。

 三男は武術も魔法も上の兄達には及ばなかったが、その分話術が巧みである。そんな兄が誘われたとある貴族の誕生会に、弟であるルイを連れて行ったのだ。

 貴族として生きるには、社交性や話術による腹の探り合いが必要不可欠。そう説明されたルイは、家の為になる人脈作りに挑戦する事になった。

 例え家を継げなかったとしても、良家の令嬢との婚姻が成れば、政治的にも有利になる。特に、母親に似て美しい顔立ちをしているルイであれば、将来女性からのウケも良い美男子となると踏んでの判断だった。


 ……けれどもルイは、その頃には自分に自信を持てなくなってしまっていた。

 何をやっても上手くいかず、何をしても褒められる事もなく。

 そんな自分に好意を抱いてくれるような相手が、本当に居るとは思えなかったのだ。

 結局ルイは、その誕生会で何の成果も得られないまま。

 それでも三男は、どうにかルイに立ち直ってもらおうとした。しかし、しょぼくれた顔の弟を見せては家の看板に泥を塗ると思い、それきり何かに誘われる事は無くなってしまった。


 それからのルイの人生は、いつも色褪せたものだった。


「ただいま、帰りました……」

「お帰りなさいませ、ルイ様」


 屋敷の扉を潜り、一応の帰宅を告げるルイ。

 メイドも迎えてくれたが、その笑みが心の底から出たものではないのは知っている。

 途中からどの道順で屋敷まで帰って来たのか、覚えていない。ただ、あの黒髪のメイドから必死に逃げてきた事だけは確かだった。

 そういえば、あのメイド。自分を魔族だと……口には出していなかったが、そうであるような反応を示していた。

 領民の安全の為にも、ここは早く父に言って対応してもらうべきだ。そう思い至ったルイは、出迎えに来たメイドに父について尋ねた。すると、


「ご主人様でしたら、先程ルカ様とご一緒にお出かけになられました」

「そ、そう……。ありがとう」


 ルカというのは、ルイの兄である長男の名前だ。

 父もルカも不在なら、この屋敷には今誰も居ない。父が外出しているなら、ここ数年問題になっている『魔力暴走事件』の対策会議に出席しているのかもしれない。

 ルカは伯爵家の跡取り候補であるのだし、会議に顔を出しても不思議ではない。

 それに、次男は王都で魔法薬の発表会がある為、今節の頭から屋敷を出ている。三男は婚約者の誕生会に出席するからと、一昨日から留守にしていたはずだ。

 まだ幼いルイには、騎士を動かす権限が与えられていない。となると、あの自称魔族──フェルの対処が出来ないという事だ。


「……僕は、夕食の時間まで書庫に居ます。時間になったら呼びに来て下さい」

「かしこまりました」


 必要最低限のやり取りだけして、書庫へと向かうルイ。


「僕には何も出来ないんだから、何をしなくても、結果は変わらないよね……」


 悔しくない訳ではない。

 あのメイドの話が、仮に真実であったとして。

 彼女が魔族であってもなくても、ルイという少年に何の価値も無いという事実だけなら、伝わったはずだ。

 故にルイは、いつもの無味無臭な日々を繰り返す。

 本の中の華やかな物語が織り成す、多彩な色に思いを馳せて。


「僕にもこんな冒険や、驚きに満ちた体験が出来れば良かったのに……」




 *




 おかしな黒髪メイドとの出会いから一夜明け、ルイは気晴らしに屋敷を出た。

 まだ父と長男ルカは外出中だった為、朝食はルカ一人で済ませている。だが、自分の非才さに後ろめたさを感じる必要が無いから、その一人の方が気楽だったのは間違い無い。

 屋敷からしばらく歩くと、人通りの多い道に出る。

 喧騒を避けて裏道の方に行くと、よく見知った顔が待ち受けていた。ルイの『オトモダチ』、ジェイである。


「ルイ……お前、昨日はよくもオレを置いていきやがったな!?」


 ジェイは昨日、突然現れたメイドのフェルに魔法で吹き飛ばされ、近くの池に真っ逆さまに落とされていた。

 ルイも後から気付いた事だったのだが、すぐにでもジェイを助けに行くべきだったと思った。そうでなければ、こうして後から酷い目に遭わされるからだ。

 それを知ってわざわざジェイの元にやって来たのも、無視をすればそれ以上の事をされると予想しての事だった。


「ご、ごめんねジェイ……。僕、あの後お姉さんに変な話をされて……それで、怖くて逃げ出しちゃって……」


 半分は事実で、半分は嘘を混ぜてそう言った。

 別に、あのメイドが怖かった訳ではない。魔族かもしれないという恐怖はある。だがそれ以上に、おかしな期待を寄せられるプレッシャーから逃げ出したかったからだ。

 しかしジェイは、それだけで納得してくれるような理解あるオトモダチではない。

 ジェイはいきなりルイの胸元を掴み寄せ、唾が掛かる勢いで怒鳴ってくる。


「オレはお前のトモダチだろ!? 誰がいつもお前を守ってやってると思ったんだ、ああ!?」

「ごっ、ごめんなさいっ……! だからその、お、お詫びの印に……」


 と、今にも振り下ろされようとしていたジェイの拳に対して、ルイはある物を押し付けた。

 それは、キラキラと輝く石がはめ込まれた指輪だった。


「これは……!」

「そ、それ……あげる、から。だから、もう許してほしいんだ……!」


 ルイよりも指輪に興味を惹かれたジェイ。

 胸ぐらを掴んでいた手を離して、ルイの手から指輪を奪い取るように受け取った。


「なあ! これ、本物の宝石だよな?」

「うん、そうだよ。うちにあった、誰も使ってない指輪、だから……」

「やりゃあ出来るじゃねえか、ルイ! さっすがオレのトモダチだな!」

「う、うん。ジェイはトモダチ……だからね」


 すっかり上機嫌になったジェイは、指輪をギュッと握り締めて、ルイに笑顔を向ける。


「昨日の事は、お前の誠意を見せてもらったから許してやるよ!」

「ありがとう、ジェイ」

「じゃあ、今日のところはひとまず解散だな。また明日な、ルイ!」

「うん、また明日……」


 控え目に手を振って、ジェイを見送ったルイ。

 青い宝石が使われた指輪は、ルイの窮地を救ってくれた。恐らくはもう二度と戻って来る事の無い、今はもう誰もはめない指輪。


「……母様の指輪だったけど、もう今節はこれ以上お小遣いは貰えないし……仕方ない、よね」


 ルイが渡したあの指輪は、今は亡きルイ達四兄弟の母の宝石箱からくすねてきた品だった。

 今の屋敷には、父も兄達も居ない。メイド達の目を盗んで部屋に忍び込み、ここまで来るのはあまりにも容易であったのだ。

 ジェイの怒りを鎮めるには、金品を渡すしかない。だが、今節だけで二度も小遣いを貰っていたルイは、あまり下手な真似が出来なかった。

 平民の少年と、金銭のやり取りをしていた。そのうえルイは、ジェイに逆らえない弱い立場でもある。そんな事が父に知られれば、家族の縁まで切られてもおかしくないだろう。


 僕は何も出来ない。何の才能も無い。だから、家にしがみ付く事でしか生きられない──


 故にルイは、ジェイとの歪な友人関係を断ち切る事も出来ず、ずるずると引きずっていくしかないのだ。


「良かったのですか? あの指輪は、あの子豚には不釣り合いな品でしょうに」

「……っ、あなたは……!」


 気が付けば、ルイの背後にあの黒髪メイドが立っているではないか。

 フェルは真紅の瞳で、無表情にルイを見下ろしている。


「ど、どうしてフェルさんがここに……!? もう僕には関わらないでって言ったじゃないですか!」

「私がここに来たのは偶然です。この街で、少々調べ物があったものですから」


 そうは言っても、相手は正体不明の謎メイドだ。

 彼女が人間かどうかも定かではないし、本当に魔族だとすれば、これ以上無い程に危険な存在。そんなフェルの話を、どこまで信用して良いものか……。

 けれども同時に、彼女と初めて会話したあの時の感覚が、どうにも頭から離れなかった。

 何故だかこのメイドには、昔どこかで会った事があるような──遠い昔に、常に自分の側に居たような、そんな感覚が呼び起こされるのだ。

 ……そんなの、単なる気のせいだ。だって僕は、精霊王の生まれ変わりなんかじゃないんだから。


「……あの子豚の事ですが」


 フェルの言葉に、ルイの思考が引き戻される。

 フェルはジェイが走り去っていった方を眺めながら、言葉を続けた。


「あまり関わり合いにならない方が宜しいかと。お付き合いなさる相手は、もう少し慎重にお選びになるべきではないでしょうか?」


 付き合う相手を選べ?

 そんなの、言われなくたって分かってる。

 でも、もう遅いんだ……!

 ルイはそう言い返してやりたかったが、その言葉が口から出る事は無く。


「……フェルさん。あなたの方こそ、この街に長居しない方が良いですよ。父様が帰って来たら、あなたはきっと……殺されます」

「私の身を案じて下さるのですね」


 フェルは小さく笑みを浮かべ、ルイに視線を戻した。

 その笑顔に、またルイの脳裏に何かが過ぎる。


 今よりもずっと高い視点から、フェルを見下ろす自分。

 彼女はメイド服を着ていて、幸せそうにこちらに微笑んでいる。


「……今、のは……また、あの時と同じ……?」


 白昼夢でも見ているのか、妙にリアルな記憶のようなものが見えた。

 ルイの視点から見えたあの光景は、実際に過去にあったものなのだろうか?

 もしかしたらあれが、僕の前世の記憶……?


「……ルイ様? 顔色が優れないようですが、ご気分は如何ですか?」

「え……いや、その……」


 心配そうにルイの顔を覗き込む、紅い瞳。

 何故だろう。僕はこの瞳を、ずっと前から知っている……?


「僕は……ぼく、は──」




 僕は、誰なんだ……?




 ルイの意識は、そこでぷつりと途切れた。

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