第2話 召喚士ルイは披露する
「今、のは……」
ルイの中の何かが、フェルという不思議な美人メイドの言葉で揺り動かされる。
星の輝きを引き立たせる夜闇のような、滑らかな黒髪。見るものを惹き付けて止まない、真紅の瞳。そして、穏やかな笑顔。
彼女の事など、何も知らない。
そのはずなのに、どうしてなのだろう。鼻の奥がツンとして、涙が滲んできてしまうのは……。
「……あ、あの」
「はい。何でございましょう?」
それをごまかすように、ルイは話を切り出した。
こてん、と首を傾げたフェルのポニーテールが揺れる。
「お姉さんがさっき言っていたルイカディーアって、神話に出て来る精霊王の名前……ですよね? でも僕、確かに名前には『ルイ』って入ってますけど、流石にそれとこれとは関係が無いと──」
「あります」
ルイの否定の言葉が、フェルからの更なる否定で返された。
「それから、私の事はどうぞフェルとお呼び下さい。その……『お姉さん』、という甘美な響きも悪くはない趣向だと思うのですが、それでは私が危険な扉を開いてしまいかねませんので……どうかフェルと」
「い、いや……それはちょっ──」
「どうか! 私の事はフェル、と。お願い致します」
「は、はひっ……!」
フェルからの強引な要求に、ルイはそれを飲む以外の術が無かった。
少し頬を赤らめているフェルは、コホンと咳払いをしてから話を続ける。
「話を戻しますが、ルイカディーア様……今はルイ様、とお呼びするべきでしょうか。貴方様は千年前、外界の神々との大戦でこの世界を守護し、死力を尽くされました。結果として、貴方様のご活躍によって世界は救われたのですが……」
ここまでは、ルイも知っている神話『精霊邪神大戦』と流れは一緒だった。雨が降って外に出られない日は、ルイは屋敷の書庫に篭りきりで、よく本を読んでいたからだ。
しかし、とフェルは続ける。
「……ルイカディーア様はその大戦にて、ご自身の寿命と引き換えにして、大召喚を行なっておりました。そして亡くなる間際、ご主人様は私にこう仰ったのです」
『何十年、何百年先になるかは分からない。だが、私は再びこの世界に戻って来よう。その時が訪れたら、私を迎えに来てほしい』
そう言いながら、フェルは眉を八の字にして。けれども口元には柔和な笑みを浮かべ、こう告げた。
「……そうしてご主人様は、新たな命として生まれ変わり、私は貴方様を……ルイ様をお迎えにあがったのです」
「で、でも……精霊邪神大戦があったのって、もう千年も前の出来事で……。それなら今まで、お姉さ……ええと、フェルさんはどうして……」
フェルはどうして、千年も生きる事が出来たのか?
それを言い掛けたところで、フェルはハッとした。
仮に、彼女の話が真実だったとして。
世界に数多の種族はあれど、千年の時を生きる個体など、そう多くはない。
人間ならば、精々七十年。
獣人だとすれば、平均しても五十年程度。
ドワーフであれば、百年と少し。
ならばエルフはというと、五百年以上は生きられるという。
……けれども目の前の黒髪メイドは、千年前の大戦を知っているらしい。それだけの時間を若々しい肉体のまま生き続ける種族といえば、ルイはただ一つしか知らなかった。
「フェルさんは……もしかして……」
魔族、なんですか……?
そう言葉を続けようとしたルイの小さな唇を、フェルの細く長い指先が、そっと封じる。
フェルは、ルイが察した答えを知っているとでも言いたげな表情を見せ、少年の耳元で囁いた。
「当たり……ですよ。ですがフェルは、今も昔も貴方様だけのもの……」
「……っ!?」
相手が魔族だと確信した恐怖よりも、フェルのあまりにも整った美しい顔が近寄ってきた事に驚愕するルイ。
それを知ってか知らずか、フェルはすぐに距離を戻して姿勢を正す。
「どうやら前世の記憶は無いようですが、貴方様から感じる魔力は、間違い無くルイカディーア様のものに違いありません。何せこの私が言うのですから、間違いなどあるはずがないですからね」
そうは言われても、自分の前世が精霊王だったなんて信じられない。
おまけにフェルが魔族ならば、どうしても拭えない疑問があった。
彼女の勘違いを正す為にも、ここはもうなけなしの勇気を振り絞る他はない。ルイは思い切って、フェルにこう尋ねた。
「そ……それなら、証拠を見せて下さい!」
「証拠、ですか?」
「そうです、証拠です。僕が精霊王だった証拠なんて、どこにも無いはずです……! それを証明出来ないなら、僕になんて構わずにお家に帰って下さいっ!」
魔族とは、かの精霊邪神大戦にて、邪神側に味方したとされる悪の存在だ。
そんな女性が、自分のメイドだと騙って近付いてきた。ルイが警戒しないはずがない。
ここでフェルが自分との関連性を提示出来ないのであれば、このまま屋敷まで直行するつもりだ。
父に魔族の侵入を告げ、騎士を向かわせる。それがルイに出来る、貴族の息子としての精一杯の責務であるからだ。
しかし当のフェルはというと、
「証拠であれば、ご主人様の存在こそが証拠というほかございません」
と、平然とした態度で返して来る。
「ご主人様の前世……精霊王ルイカディーア様は、配下である四大精霊を従えておりました。その転生者であるルイ様であれば、精霊達を従える魔法を行使出来るはずです」
「……っ、そ、それは……」
つまりは、召喚魔法。
自身と契約を結んだ精霊や使い魔を召喚するその魔法は、世界でも使い手の限られた貴重なもの。
その召喚魔法を、ルイは使う事が出来た。三人の兄達にも、父親ですら扱えない珍しい魔法。
そんなものを使えると家族に知られれば、今以上に目の敵にされると思って、ルイは誰にも打ち明けずにいた秘密の才能だったのだ。
「貴方様であれば、例え千年を越えた今であっても、皆が快く召喚に応じてくれるはず。それを私に披露して下されば、前世の証明が果たされることでございましょう」
さあ、大精霊の召喚を──
フェルにそう促されたルイは、グッと奥歯を噛み締める。
これを成せば、自分と精霊王との関わりを証明出来る。またとないチャンスだった。
緊張にバクバクと高鳴る鼓動を感じながら、ルイはコクリと頷く。
「……分かり、ました。あなたに召喚魔法を見せたら、分かってもらえるんですね?」
「はい。このフェルが、しかと見届けさせて頂きます」
……良し。これで
ルイは覚悟を決めて、意識を集中させて魔力を高めていく。
さらさらとした細い銀髪が、うねる魔力の流れによってフワフワと浮かび上がる。
「……見て、下さい。これが僕の……召喚魔法ですっ!」
期待に目を輝かせるフェルの前に、小さな召喚陣が形成された。
その魔法陣は輝きを増す。
そこからルイの呼び声に応え、姿を現した精霊は──
大精霊と呼ぶには程遠い、たった一羽の貧弱な……青い小鳥であった。
「ルイ、様……これは、何かの間違い……ですよね?」
目を丸くさせたフェルに、ルイは確かな手応えを感じた。
「いいえ。これが僕の、全力の召喚魔法……。僕に
召喚魔法とは、使い手の限られた貴重な魔法。
魔法陣を利用して喚び出せるものは、実は精霊だけに限らない。
ある者は武器を。またある者は建物を。果てには人を。
目的のものを『どこか』から『ここ』へと喚び寄せる、物質転移魔法。それこそが、召喚魔法というものである。
ルイは極めて珍しい召喚魔法使いではあるものの、実力に乏しい……というよりは、その珍しさが故に師匠という存在が居なかった。
家族に隠れてこっそり練習した経験はあれど、成功例はルイの頭上をクルクルと飛び回る、愛らしい青い小鳥のみ。
動物の姿を象った小精霊。それは、精霊の中でも最低ランクの力しか持たない下位精霊だったのだ。
「こ、これで……分かってもらえましたよね? 僕なんかには、大精霊なんて偉大すぎるものを召喚する力なんて……そんなの、絶対にありません」
「ですが、貴方様の魔力は……!」
「無いったら無いんですっ!」
渋るフェルに、ルイは激しく首を左右振りながら叫ぶ。
「僕は兄様達みたいに頭も良くないし、戦う力だって持ってない! 父様みたいに政治の事だって詳しくない! 四男だから家督だって絶対に継げないし、こんな僕なんかじゃ、家の為になる結婚だって出来やしない! 出来損ないの僕なんかの血は、誰にも必要とされてないんだから!」
「ルイ、様……」
凛としたフェルの表情が、同情の色に染まるのを見た。
可哀想な子だと。
誰にも愛されない子なのだと。
いつも皆が自分をそう認識した時と同じ目を向けられたのだと、ルイは確信した。
「だから……だから、こんな僕なんかが、精霊王の生まれ変わりなんてはずが無いんです……。お願いですから、もう僕に関わらないで下さい……!」
ルイは弾丸のように言葉を浴びせて、そのまま路地裏から飛び出していった。
背後から、フェルの制止の声が聞こえた。けれども駆ける脚は止めずに、可能な限り全速力で走り続けていく。
得意なものなんて何も無い自分に、そんな『もしも』の可能性なんてあるはずがないから。
そんな甘い夢物語のような誘惑をしてくる悪魔から、ルイは一目散に逃げ出すのであった。
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