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燃えるゴミを出すのは、俺の仕事と決まっている。なぜかと言えば、俺が自分で言い出したからだ。
一人暮らしをしていた頃から、ゴミ出しの曜日や種類を覚えるのが苦手だった。だからゴミ捨てについて美咲と分担を決める際、水曜と土曜という二つの曜日を覚えるだけで済む方を選んだ。美咲の方は燃えないゴミと資源ゴミ、それから二週に一度のペットボトルを担当している。
だから美咲に知られずに「それ」を捨てるのは簡単だった。もともと、黒いビニール袋に入れたものをさらに小さなダンボールに詰め、その上でまた紙袋に入れて隠して、自分の部屋のクローゼットにしまってあった。俺たち夫婦の間には、「互いの部屋には勝手に入らない」というルールが設けられているから、彼女があれを見つける機会はなかったはずだ。あとは燃えるゴミを出しに行く直前に、紙袋ごとそれを入れて、捨ててしまえばいいだけだった。
ちょうど金曜日の夜に、ごめん今日遅くなる、という連絡が美咲から来た。後輩が担当の案件にトラブルがあり、手伝って残業することになったという。帰りは二十三時近くになるとのことだった。俺は大変だねと返事をし、軽い夕飯を用意しておく旨を伝えた。美咲からは、ハートのスタンプが三つ連続で送られてきた。
二十二時少し前に、俺はキッチンのダストボックスのゴミ袋を取り替えて、捨てる方の袋の中に「それ」を入れた。紙袋の口はガムテープで閉じ、中身を覗けないようにした。捨てる前に一度紙袋から出してちらりと覗いたが、黒い髪の毛が見えた瞬間すぐに閉じた。どう考えても間違えようのないものなのに、つい確認してしまうのは、不安だったからだろう。気にしないふりをしていても、本当に気にしないわけにはいかない。特にあんなものが見えていては、嫌でも気になってしまう。
一番上に「それ」が乗った状態で、一度は袋を閉じようとしたが、直前でまた不安に駆られた。ゴミの匂いが漏れないよう、袋の口は軽く結んで閉じておいて、俺は自分の部屋に戻った。捨てられるものが他にもないか探すためだ。急いで自分のクローゼットを漁り、前々から捨てようと思っていたよれたTシャツと肌着を見つける。ベッド近くの床に落ちていた首については、できるだけ見ないようにした。服を持って足早にキッチンに戻る。それらを入れてもう一度口を閉じようと手を動かしたが、直前でまだ足りない気がした。今度は洗面所へ向かい、雑巾用と銘打って掃除用具と一緒にしまってあるタオルを一枚拝借する。他にも何か捨てられるものがないかを確認し、バスルームも隅々までチェックして、美咲と共用で使っているボディーソープに目をつけた。案の定軽くなっていたボトルの中身を詰め替えて、空になったパウチのゴミも入手した。より「家庭ゴミ」っぽいその二つを、さっきのシャツたちの上から乗せて、それでようやく、隠せたような気分になった。
結んだゴミ袋を掴み、ポケットにスマホと鍵を突っ込んで部屋を出る。マンションのゴミ捨て場は、駐車場の隣にある専用のボックスだ。一応いつ出してもいいことにはなっているらしいが、俺と美咲は回収日の前日の夜か当日の朝に出す。
設置されているボックスの大きな蓋を開け、中に袋を放り投げた。隅に首が転がっているのがちらりと見えたが気にしない。どうせ朝にはいなくなるのだ。明日の朝になれば、この袋は他のゴミたちと同様に回収されて、運ばれた先で燃やされる。そして消える。何もかも。
きっと首も消えるだろう。
「淳?」
バタン、と蓋を閉めたのと同時だった。後ろから聞こえた女の声に、俺はびくりと肩を揺らす。
振り返ると、暗がりの中に、仕事帰りの美咲が立っていた。
「ああ……美咲。おかえり」
「うん、ただいま」
美咲のきれいな黒髪は結い上げられ、後ろで一つにまとめられている。いわゆるポニーテールというやつだ。付き合いたての頃、下ろしている方が好きだと伝えたことがあるが、「仕事の時は無理かなあ」とわりとあっさり断られた。けれどそれ以降、一緒にいるときは結ばないでいてくれる。セックスをするときも、自分から髪を下ろして誘ってくれたりするようになった。
「ゴミ出し?」
「うん」
「いつもありがとね」
「なに急に。お互い様だろ」
「まあね」
「まあねって」
はは、と笑うと、美咲も笑った。その隣まで歩いて行き、「お疲れ」とねぎらいの言葉をかける。それから肩に食い込んでいる重そうなバッグを持ってあげようと手を出すと、「いいよ」とすげなく断られた。
「だってゴミ捨てした手でしょ」
「ひでえ」
「私はきれい好きなの!」
「はいはい」
「淳に触られたくないってわけじゃなくてね!?」
「わかってるって。家帰って手え洗ったら触らしてくれるんでしょ」
わざとにやっと笑ってみせると、もう! と照れた声が返ってきた。
その彼女の足元に落ちている首を、俺は見ないふりをして、「あ、そうだ」と声を上げた。
「ボディーソープ詰め替えしといたから」
「え、ありがとう! なんで?」
「なんでって」
「いっつも気づかないじゃん」
「ひでえ」
だって本当じゃん、と拗ねた声を出した美咲に、「今日一緒に風呂入りたいなって思ったから」とふざけた返事をしてみると、彼女はまた「もう!」と言って俺の肩を叩き、俺を置きざりにしてマンションの入り口の方へ早足で向かった。
「あ」
「え?」
ヒールを履いた美咲の足が、足元にあった首を蹴る。首はころりと転がって、顔が見える体勢になった。
見開かれた目が見える。その視線の先に、美咲がいた。
「淳? どうしたの?」
立ち止まった美咲に、いや、と無理やり平静を保ちながら返事をする。動揺を悟られまいと、あえてふざけた調子で「コンドーム」と呟いた。
「はあ?」
「残ってたっけと思ってさ」
「もう! あったよ!」
「覚えてるんだ」
「うるさいな! 帰るよもう!」
「はいはい」
首の両目がぎょろりと動いて、俺と美咲をじっと見つめる。無表情だったその顔に、不気味な笑みが広がっていく。
俺は美咲の肩を抱き寄せて、首の視線から逃れるように、足早にマンションの中へと入る。背中には焼きつくように、首の視線が注がれている。
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