第37話 悪魔

「レナ、お前は必ず俺の元に戻って来ると言っただろう?」

「メイソン……さま……」


 医務室の入口で嫌な笑みを向けるメイソン様に私は身震いする。


「メイソン様! 離席されてよろしいのですか?」


 ぱっと可愛い笑顔に切り替えた姉はメイソン様に振り向く。


「ああ、カミラ、神殿からの申し出は提出された。王太子殿下と第二王子殿下が抵抗しているが、時間の問題だろう。君は早くエリアス・クレメントを迎えに行ってやるといい」

「はい!」


 姉の髪を梳きながらメイソン様が優しく笑いかける。


 姉はにっこりと返事をすると、いそいそと医務室を出て行った。


「本当にカミラは愚かで可愛いやつだなあ」


 姉が出て行った後を視線で追いながらメイソン様は口元を緩ませた。そして医務室の扉が彼によって閉ざされる。


 私はベッドの上で身構えた。


「レナ、お前は俺の物だ。もう逃さないよ?」


 コツコツとベッドサイドに近寄ってくるメイソン様に私は青ざめながらもキッと睨んだ。


「俺がたっぷり可愛がってやるから、お前も俺のためにせいぜい着飾ってくれ」


 ベッドサイドに辿り着いたメイソン様に顎をグイ、と持ち上げられる。その手を払い、私は睨んだ瞳を彼から逸らさずに言った。


「お姉様のことはもう良いのですか?」

「ああ、カミラにはもちろん大聖女になってもらうよ? 神殿の大事な収入源だ。神殿は今や王族も無視できないほど力を付けている。王太子の金にならない政策を廃止させるためにもカミラの存在は必須だからね」


(なんて奴……)


 メイソン様の屑な発言に怒りを覚える。だが彼は私のそんな想いを更に踏みにじる。


「カミラにはエリアス・クレメントの懐に入ってもらうことにしたよ。大聖女の婚約者として使うより、騎士団に内通してもらった方が使えるからね。それに君を囲った方が俺も遊べるしね?」

「そんなこと、アクセル殿下が許さないわ!」


 ペラペラと話し続けるメイソン様に私はささやかな抵抗をする。


(そうよ、アクセル殿下もエリアス様も、大人しくメイソン様の策にはまる方じゃないもの)


 アクセル殿下ならきっと何とかしてくださるはず。


 たとえ私が罪人になったとしても、エリアス様は、騎士団の皆だけは変わらずにこれからも過ごして行って欲しい。


「レナ、お前も愚かだなあ」


 にやりと口の端を上げるメイソン様は、目の奥は冷ややかで笑っていない。その表情に私はぞくりとした。


「公爵家のいらない・・・・三男が、この国で禁忌の呪いを持ち込んだんだ。しかもそれを秘匿していた。もちろん公爵家はアイツを切るだろう」

「そんな……」


 再び私の顎を持ち上げたメイソン様は顔を歪ませて笑った。


「まさかレナがあの呪いの薬を完成させていたなんて……。王太子のせいで手出し出来なかったが、お前の薬室通いも俺のためになっていたというわけだ」

「私はあなたのためになんて作ってない!」


 私の発した言葉はメイソン様に届くはずもなく。彼は愉悦の表情で私を見た。


「それで? あの副団長とも関係を持ったのか?」

「な?! 私、あなたとも関係を持った覚えはありませんけど!!」


 メイソン様の気持ち悪い、纏わりつくような笑顔に私は必至に抵抗する。


「はは、冗談だよ」


 メイソン様は楽しそうに笑うと、私の顎を掴んだまま顔を近付けた。


「レナ、君の力は素晴らしいよ。まさか聖女にも成せなかった呪いを治せるなんて。魔力を吸い出すやり方は君の命を犠牲にするから一回限りで使えない。でも薬は違う! 君は一生薬を作り続けるんだよ。カミラという大聖女のみが呪いを解く存在であるために」 

「私はそんなことのために薬を作ったんじゃない!」

「そんなこと言って良いのか?」


 メイソン様は私の抵抗する目をじっと見つめて言った。


「クレメント副団長の呪い隠匿の責任は騎士団、はたまた団長のアクセル第二王子殿下にまで及ぶ。殿下とクレメント副団長を解任に追いやっても良いんだが?」

「そんなこと……!」


 出来るはずが無い、と言おうとして口の中で消えた。


(メイソン様は思惑通り、騎士団を掌握出来る所まで来ているのかもしれない)


 神殿をすでに掌握し、議会での発言権も強いメイソン様。


「良い子だ、レナ」


 黙り込んだ私に、メイソン様は顎から手を離し、両手で私の顔を挟み込む。


「お前は嫉妬に狂い、クレメント副団長に呪いをかけた悪女だが、俺がお前を引き取り、監視下に置いてやるから安心しろ。他の女同様、お前も可愛がってやるからな」


 もう抵抗する気力も無くなってきた。メイソン様の言葉が頭を通り過ぎ、ただ涙が出て来る。


「エリアス様……」


 気付けば名前を呼んでいた。


「ははは! 俺を殴ったあの男は、神殿の監視下の元、俺が操るカミラの言いなりになって生きていくんだ! 大聖女で美人なあいつの夫になれるんだ。あの男も幸せだろうよ!」


 高らかに笑うメイソン様の表情は涙で霞んで見えない。


「今頃、議会に承認され、迎えに行ったカミラと婚約式をしている所さ。レナ、お前もあんな男のことなんて忘れるんだな」


(忘れる? エリアス様を? そんなこと――)


 力の入らない私は、挟まれた顔をメイソン様に寄せられる。


「お前は俺のものだ、レナ」


 メイソン様の顔が近付き、彼の唇が迫る。


(エリアス様!!!!)


 瞬間、エリアス様の顔がよぎった。


 『お仕置き』だと壁に縫い留められたあの日、エリアス様の顔が近付いて来た時、私は嫌じゃなかった。


 もしあのままアクセル殿下が来なかったら……って何度も思った。


 でも、今は――――


(嫌だ!! エリアス様!!)


 心の中でそう叫んだ時、医務室の扉が大きく音を立てて開いた。


「レナを離せ!!」


 一番顔を見たかった人。


 一番声が聞きたかった人。


 一番、会って、その大きな手で頭を撫でて欲しかった人。


 私はボロボロと涙を流しながらも、その愛しい人の名前を呼んだ。


「エリアス様……!」

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