第22話 誰の物でもない
「へえ、見違えたな」
「メイソン……さま……」
やっとの思いで吐き出した言葉はすぐに消え入るようにしぼんでいく。
ここ数日の幸せな気持ちが一気に暗い物へと引きずられていく。
「お前、騎士団でコソコソと何してるわけ?」
メイソン様はドスン、と私の隣に腰かけ、私の後ろの背もたれに腕を回す。
答えられず俯いていると、顎をぐいっと引き寄せられる。
「レナ、俺から逃げられると思うなよ?」
「メイソン様、あなたはお姉様の婚約者です。もう私を解放してください」
至近距離で詰め寄るメイソン様に私は懇願した。
「何の冗談だ? お前は一生、俺のために生きていくんだ。可哀想に、カミラは今、お前の嫌がらせと暴力により病んで、神殿通いを休んでいる」
メイソン様が
騎士団にはそんな噂は入って来なかった。アクセル殿下やエリアス様が止めてくださっていたのだろう。
改めて幸せな時間を過ごさせてもらっていたことに胸が熱くなる。
「私はあなたの、あなたたちの所へは戻りません!」
私はキッとメイソン様を睨んで言った。
「お飾りの愛人が嫌なら、本当の愛人として愛してやってもいいぞ?」
「なっ?!」
私の言葉に斜め上な返答をするメイソン様。
「お前がそんなに綺麗に化けるなんてな。着飾ればいける」
顎を寄せたまま、気持ち悪い笑みで私の顔に近付くメイソン様。
(嫌だ――)
「何をしている!!」
ぎゅっと見を固くした瞬間、エリアス様がメイソン様の身体を私から引き剥がしてくれた。
「エリアス様……」
じわりと涙ぐめば、エリアス様は怖い顔でメイソン様の襟元を掴む。
「お前、レナに何をしようとした!」
「これはこれはクレメント公爵家のご子息様。何をしようとも、彼女は私の愛人ですよ? 貴方様には関係のないこと」
「レナは愛人なんかではない! 彼女を貶めるのは許さない!!」
メイソン様の言葉にエリアス様は怒ってくれたかと思うと、そのままメイソン様を殴りつけた。
ガッッと音がして、メイソン様が待合室の床に倒れた。
「エリアス様!!」
私は慌ててエリアス様に後ろから抱きつく形で止めた。
「ふ、はは、公爵家のご子息ともあろう方が他人の女に懸想すると?」
上半身を起こしながらメイソン様が頬を押さえながら笑う。
「レナはお前の愛人なんかじゃない! 何度も言わせるな!」
「愛人ですよ? 俺に媚びて、身体の関係を迫るような、ね?」
(やめて! そんな嘘、エリアス様に聞かせないで!!)
叫びたいけど声にならない。メイソン様に好き勝手言われて悔しい。
「目撃者もいるから噂になるんですよ?」
ニヤリと笑うメイソン様に、私は拳を震わせながら、エリアス様からそっと離れた。
「俺はレナの言葉しか信じない」
離れた私の腕を引き寄せ、エリアス様は私の肩を抱いてメイソン様に宣言した。
その言葉が嬉しくて、私はまた涙をこぼす。
「行こう、レナ」
私はエリアス様に肩を抱き寄せられたまま、ブティックを後にした。
「レナ! お前は必ず俺の元に戻って来る! その時は可愛がってやるからな!!」
私たちの後ろでそう叫ぶメイソン様の言葉が恐ろしくて、私は身震いをした。
「レナ、大丈夫か?」
「はい……エリアス様、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
私の肩を抱いたままブティックを出、エリアス様が優しく語りかけてくれる。
私はきっとこのままでは済まないんじゃないかという恐ろしさに身体の震えが止まらない。あの狡猾なメイソン様からは逃れられない気がした。
(あんなに覚悟していたのに、私ってばいつの間にか贅沢になっちゃってたんだな……)
アクセル殿下は二度とあの家に戻らなくて済むようにしてくださると約束してくれた。エリアス様も優しくて、騎士団内は穏やかで。
私は二度とあの二人の元には戻りたくない。
そんな強い願いを持つようになってしまった。それだけじゃない。出来るなら、エリアス様の専属メイドとして彼の側にずっといたい。そんなだいそれたことさえ思うようになっていたのだ。
「レナ?」
心配そうに覗き込むエリアス様にハッとする。
「あ、ドレス、着たまま出ちゃいましたね」
慌ててエリアス様にそう言えば、彼は優しく微笑んだ。
「いや、出来れば今日はそのままでいて欲しい。レナ、せっかくだから食事でもしていこう」
「へっ?!」
私はエリアス様に再び手を取られ、街中を歩き出した。
日が沈み始めた城下町は建物がオレンジ色に染められ、美しい。
前を歩くエリアス様の黒い髪も優しく照らされている。
(あなたは暗闇の中の光……)
ぽつりとそんなことを思った。
さっき引きずり込まれそうになった黒い気持ちは、エリアス様の輝く黒にすっかり塗り替えられ、初恋だった宝物のような想い出が増々輝きを増して大切な物になっていく。
「エリアス様、ありがとうございます……」
「どうした、レナ?」
ぽつりと呟いた私の言葉に、柔らかな表情で振り返るエリアス様。
私は何も言わず、笑顔で返した。
夕日に照らされたエリアス様の表情が、増々眩しく感じた。
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