第7話 嵐は過ぎ去るまで待て
「あんの、男、何様よ!!」
家に帰るなり、姉は荒れていた。そっと自室に戻ろうとしたが、見事に失敗して、リビングの入口で立たされている。
「私の美貌に目がくらまないなんて、おかしいんじゃないの?! ねえ!」
「はい。おかしいと思います」
私は姉に同意する。
(エリアス様、ごめんなさい!!)
心の中ではエリアス様に謝りつつ、私は姉の感情を逆撫でしないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「ふん! 冷徹無慈悲と噂されるだけあって、何て思いやりのない人なの?! 普通、私を可哀想がるでしょう?!」
「はい」
「この私が嫁いであげても良いと思ってたけど、あんなやつ、こっちから願い下げだわ!!」
(エリアス様もお姉様を別に望んでないと思うけど……)
心の中で突っ込みつつ、私は姉にウンウン頷く。
(それにしても、エリアス様、素敵な方だったなあ)
昔見た、黒い髪と金色の瞳はそのまま、更に逞しくなった体躯はすぐ側で見て分かった。
(昔、あの身体に抱き上げられて……)
思い返すと、恥ずかしくなる。
私は、噂を鵜呑しないエリアスの姿を思い返し、心の中でほう、と溜息を吐く。
初恋の想い出のまま、エリアス様は優しくて芯が通っていて、変わらず素敵な方だった。奥にしまった気持ちが出てきそうになって困る。
「そう、レナがあの方を誑かしたのね?!」
嵐が過ぎ去るのを待つ私は、すっかりエリアス様のことで頭がいっぱいだった。
(しまった……!)
そう思った瞬間、姉の平手が飛んでくる。
バシッと叩かれ、耳がキーンとする。耳の近くにあたったらしい。
嵐をやり過ごそうとして、姉の矛先が私に向かっているのに気付かなかった。こうなったら、姉の気が済むまで長い。
「あんたが! お金持ちにすり寄るなんて、百年早いのよ! 汚らわしい!」
姉は叫びながら、私の頬を何度も叩く。ここまできたら、もう殴られているに近い。
一度避けたことがあるが、逆上して倍になって返ってきたので、ここは受けるしかない。
(ああ……こんな日常が一生続くのかしら)
疲弊した気持ちが心を蝕んでゆく。
「お嬢様」
数少ない使用人の中の一人、執事が声をかけた。
「……なあに?」
殴るのをやめた姉はニコリと執事を振り返った。
「メイソン様がいらっしゃってます」
「まあ、大変! お迎えしなくては。客間にいらっしゃるの?」
「はい」
(助かった……)
メイソン様は姉の素顔を知らない。従順で可愛い淑女だと思っている。また、姉もメイソン様の
とにかく、人の前では良い姉に戻るので、メイソン様が来てくれて助かった。長時間コースは避けられたのだ。
この家の使用人たちも姉の私に対する虐待に気付いてはいるが、見ないフリをしている。
「レナ、あんたも挨拶するのよ? いざという時は、あんたには本当に愛人になってもらうんだから」
姉は鏡を見ながら、身なりを整えている。
姉は、メイソン様よりも良い条件の結婚相手が見つかったら、私という愛人を理由に、婚約破棄するつもりでいる。もちろん、メイソン様は知らない。
姉に何度もぶたれた頬がヒリヒリと痛い。一度自室に戻り、私は打ち身用の薬を頬に塗った。
机の上の小さな鏡で赤くなった頬を見る。
(エリアス様の魔法、気持ち良かったな……)
私は神殿で再会したエリアス様の魔法を反芻する。
「あれ?」
赤く腫れ上がる自分の頬を鏡越しに見て、違和感を感じる。
「んん……?」
私は目を凝らして、魔力の流れを視る。
微かに残る魔力の残り香。私の頬にうっすらと黒い靄が見えたかと思うと、消えた。
今のって……
「呪い……」
私は呟いてみて、首をブンブンと振る。
(まさか……。だって、エリアス様はお元気そうだった)
優しく微笑むエリアス様の顔が浮かぶ。
母も、時折来る痛みと戦いながら、最後まで笑顔を絶やさず、生きた。
もし、エリアス様が呪いを受けているのだとしたら――
(助けたい! あの時の恩返しをしたい!)
私は心から湧き上がる思いを抑えきれない。
私の杞憂であって欲しい、という思いはありつつも、私は
幼い頃から、魔力の流れを見てきたのだ。そして、憎き母を死にやった呪い。見間違えるはずがない。
(でも、どうしたら……)
私ではエリアス様にお会いすることが叶わない。
ううーん、と頭を悩ませていると、部屋の扉がノックされる。
扉を開けると、執事が立っていた。
「その、カミラ様が支度はまだかと……」
執事は心配そうに言葉を紡いだ。
後からまた癇癪を起こして、それを受けるのはお前だぞ、と言わんばかりに。見て見ぬふりをしてはいるが、心配もしてくれているらしい。
(ていうか、忘れてた)
執事にお礼を告げると、私は慌てて客間に向かった。
客間に入ると、応接セットのソファに姉とメイソン様が仲良く並んで座って、楽しそうに身体を寄せ合っていた。
(この二人も大概よね)
「あら、レナ、遅かったわね? メイソン様がいらっしゃって張り切っちゃったのかしら?」
「遅れて申し訳ございません……」
「やあ、レナ。まあ、座りなよ」
メイソン様に身を寄せながら、ニコリと微笑む姉と、自分の隣に来いとソファーを手で示すメイソン様。
(向かいのソファーが空いているのに、何でわざわざ……)
メイソン様の思惑をわかりつつも、心の中では悪態をついてみる。
仕方無くメイソン様の隣に腰掛けると、彼から肩をグイ、と引き寄せられてしまう。正に両手に花状態だ。
姉が悲しげな表情を作ってみせると、メイソン様は嬉しそうに姉の髪をすくい取り、キスをする。
「すまない、カミラ。レナが私の愛人だと対外的にも見せつける必要がある。本当に愛しているのは君だけだからね?」
「わかっております、メイソン様。全ては私のためにしてくださっていること……。でも妹が勘違いしてしまうのではと心配で……」
「大丈夫。私の心はカミラ、君にしかない」
「メイソン様……」
(ええと、何を見せつけられているのかしら……)
二人の素顔を知る私にとって、これは茶番でしかない。でも、この茶番のせいで私はこの二人から逃れられないのだ。
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