第6話 ヒーロー

「おい! 大丈夫か?!」


 その場に現れたエリアス様は、倒れていた私を抱き起こしてくれた。


「動けないのか……。くそ、他の者たちは逃げたのか」


 広場の方を見、エリアス様は私を抱き上げる。


「あの……」


 意識が朦朧とする中、私がエリアス様を見つめると、彼は優しく笑って頭を撫でてくれた。


「俺たち騎士団のために力を注いでくれてありがとう。よく頑張ったな」


 その言葉に、私の目からは涙が溢れる。


 「頑張った」なんて、母しか言ってくれなかった。


「うう〜」


 堰を切るように泣き出した私を抱えて、エリアス様は馬のある所まで走り、私を前に乗せて馬に乗り込む。


「しっかり捕まってろよ!」


 すぐ後ろにはグリフォンが迫っていたが、エリアス様が率いる隊が足止めをしていた。



 エリアス様の温かな体温を感じながら、風景が流れていくのがわかる。


 エリアス様を乗せた馬は、あっという間に王都に逃げ帰る馬車に追いついた。


 馬車を停めさせ、エリアス様は私を馬車に乗り込ませてくれた。


「気を付けて帰れよ」


 別れ際、馬車に乗り込む時に貸してくれた手の温かさと、優しい言葉が胸の中に染みていくのがわかった。


「ありがとうございました!」


 私がそう言うと、エリアス様は振り返らずに、片手だけ上げて返事をし、グリフォンの方へと戻って行った。


 私を助けてくれた人が、エリアス・クレメント様だと名前を教えてくれたのは、馬車に乗り合わせた聖女の子だった。


 英雄、アシル様の弟子で、鬼神のような強さ。いずれアクセル殿下が団長になるときには副団長になる人物だろうと噂される方で、名前だけは知っていた。


 すっかり雲の上の人だと知った私は、淡い初恋を胸の奥に閉まった。


 エリアス様、前線に戻ったアシル様は騎士団と一丸になって見事グリフォンを打ち倒した。


 この大掛かりな討伐遠征を最後にアシル様は引退され、アクセル殿下が団長に、エリアス様が副団長に就任されたと聞いた。


 そして、英雄アシル様を救った聖女として、姉のカミラ・・・・・が聖女の地位を確立した。一気に次期大聖女として注目を浴びた。


 私が寝込んでいる間に、メイソン様と姉が嘘で周りを固めた。そして、私が復帰する頃には、メイソン様に言い寄る妹としての悪評が広まっていた。


 メイソン様は用意周到で、哀れに思ったメイソン様が私を愛人として仕方無く慰めているのだと、自身の立場を傷付けないように、噂を流していた。


 貴族に愛人自体は珍しくない。


 そうして私は、メイソン様の愛人として、縁談の話が来るわけも無く、かと言って家から出ることも叶わず、姉とメイソン様から逃れられなくなってしまった。


 そして討伐に参加するのを拒めるようになった姉。私も騎士団との接点が無くなり、エリアス様を遠目で拝見することはあっても、お会いすることなんて無くなった。



「何か、面白いことになってるねえ?」


 聖堂に入って来たアクセル殿下に皆、頭を下げる。


「エリアス、どうしたんだい? 珍しい」


 殿下はふふ、と笑いながら、私の腕を掴むエリアス様の手を指差す。


 エリアス様は表情を変えずに答えた。


「いや、こいつの頬が腫れていて」


 エリアス様は神官長をじろりと睨んだけど、そっちじゃない。


「まあ! またやったの?! レナ!」


 すぐに口を挟んだ姉に、私は、はあ?となる。


(またやった、とは?)


 私が首を傾げていると、姉は瞳を潤ませて、エリアス様ににじり寄る。


「妹は、人の気を引くため、いつもこういうことをするんです!」

「なっ……」


 姉の言葉に私は絶句した。


「またですか! レナ・チェルニー! カミラ様に心労を与えるならここも出禁にしますよ!」


 神官長からも険しい表情で言葉が飛んでくる。


また・・?)


 疑問に思った所で、ああ、と思った。


 姉はいつも『私を苦しめる妹』を涙ながらにふれ回っているのだ。


 皆、姉に同情し、それでも妹の勉強のために神殿に連れてくる姉を称賛する。


 姉はその心地よさから、どんどん嘘を重ねていく。自分の暴力を、自分の気持ちいい状況に変えていくのだ。


「レナ、副団長様に謝るのよ!」


 姉の仮面を被ったこの悪魔は、私にエリアス様への謝罪を求めた。


(何で私が……)


 ぎりり、と拳を握りつつも、私は姉に頷いた。ここで言うことを聞かないと、後でもっと酷い目にあうからだ。


「副団長様……、申し訳ございません……でした」


 私はエリアス様に向かって頭を下げた。


 私の大事な大事な想い出の人。一生会えることなんて無いと思ってた。


(あーあ、せめてエリアス様には悪い印象でいたくなかったなあ)


 これから一生会えないとしても、私はエリアス様には悪く思われたくなかった。エリアス様の優しさを胸に、私は生きていけると思っていた。


(お姉様はそれすら許してくれないんだなあ)


 じわじわと悲しみと諦めが胸を広がる。


「本当に?」

「え?」


 エリアス様から意外な言葉が出てきて、私は思わず顔を上げる。


「お前がわざと? そんなふうには見えない」


 そっと腫れていた部分の頬を触れるエリアス様。


「副団長、様?」


 ほんの数秒、視線が交わる。それを姉は許さなかった。


「副団長様は、妹の噂をご存知ないからですわ!」

「噂?」


 姉の言葉にエリアス様が怪訝な顔をする。


「このレナ・チェルニーは、カミラ様を困らせるばかりか、姉の婚約者にも手を出す悪女ですぞ!」


 正義を振りかざすかのように、神官長が姉の代わりに答えた。


(あ〜あ、私の悪評がエリアス様の耳に入っちゃった……)


 ちらりとエリアス様が私を見る。私は思わず目を伏せた。


(私を罵り、姉を可哀想に思い、姉に目を奪われる、いつものお約束かしら)


 すっかりやさぐれモードの私は初恋のエリアス様にさえそんなことを思ってしまった。でも、エリアス様は――


「俺は見たものしか信じない」


 そう、きっぱりとその場で告げた。


 アクセル殿下はなぜかお腹を抱えて笑っている。


「お前も聖女なら、嘆いてないで、妹くらい悪評から守ってやれ」


 そしてエリアス様は、姉に向かってそう言い放った。

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