第2話 『打ち上げ花火』
「ねぇ。これ、一緒に行かない?」
そう言って手渡されたのは、一枚のチラシだった。
「……え?」
「ねぇ、良いでしょ?」
そう言って彼女は恥ずかしそうに俯く。
「どうしても、一緒に行きたいの」
付き合ってまだ一ヵ月。そんな彼女から言われた、夏の日のデートのお誘い。
「…………迷惑……かなぁ?」
中々返事を返さないことに不安を覚えたのだろう。彼女は寂しそうにこちらを見上げながら小さく呟く。
「いっ、いや! 全然!!」
迷惑だなんてとんでもない! まさかの提案に、嬉しすぎて思考が停止してしまっただけ。そう彼女に伝えてやると、寂しそうだった表情は一変。まるで夏の向日葵のように明るい笑顔を浮かべて喜んだ。
「じゃあ、約束ね!」
一年に一度開かれる夏祭りは、この小さな町では数ある中の大きなイベントの一つだ。子供の頃からそれがいつ行われるのかの告知が出る度、開催までの残りをカウントしてしまう癖が抜けない。今日は何日、今日で何日。後もう少しで開催日。だからあと何日の我慢。そんなことを考えながら、一日一日を過ごしていた。
夏祭りに行く相手は年齢によって少しずつ変化をしていて、幼い頃は両親や祖父母と共に。学年があがると兄弟だけで行くようになり、それもいつしか友人達と楽しむようになった。そして。今は、隣で歩いてくれる大切な彼女と。受け取ったチラシに書かれた日付を眺めながら、その日を楽しみに残りの日数をカウントしている。
彼女はあれこれ話をしてくれる。どうやら母親からもらった浴衣を着るのが楽しみのようで、「当日は楽しみにしていてね」とはにかんでみたりして。それがとても可愛くてつい顔が緩くなってしまう。
買ったばかりのラムネドリンクは二本分。今時珍しい瓶タイプのそれは、栓の代わりに埋め込まれた透明なガラス玉を落とすと、小さな音を立てて落ちカラカラと音色を響かせる。
「はい、コレ」
一本は彼女に。一本は自分で。それぞれ瓶を傾けて中の液体を口に含む。程良く冷やされた小さな刺激は痛みを伴いながら、火照った身体に僅かばかりの涼をもたらしてくれるのが心地良い。
「ありがと」
水色の瓶の表面に付いた水滴が少しずつ大きくなり流れ落ちるのが目に止まる。それはやがて彼女の白い手を伝いスカートの上へと落ちると、あっという間に姿を消してしまった。
「暑っついねぇ」
手で作った小さなうちわを忙しなく動かしながら彼女は空を仰ぐ。
「でも、良い天気」
駄菓子屋の軒先から響く風鈴の音色を楽しみながら、青で塗りつぶされた空の上を漂う白い雲を追うようにして動く綺麗な指先。
「あと数日後には、この空に大きな花火が上がるんだねぇ」
打ち上がる煌めく火花はまだそこに存在しない。それでも、瞼を伏せ視界を閉ざすと見えてくる幻影。
「そうだね」
それは数日後の約束された未来。再び甘い炭酸水を口に含むと彼女を見て笑う。
「楽しみでしかたないね」
その言葉に彼女は大きく頷き「うん」と答えると、同じように笑ってくれた。
カレンダーに増えていくバツ印は、少しずつ二重丸の重なった数字に近付いていく。その頃になれば、町の様子も大分賑やかなものへと変わっていた。
いよいよ今日が本番という状況で、五歳上の兄がからかうような笑みを浮かべながら茶々を入れてきた。
「で? 彼女、迎えに行くのかぁ?」
その言葉は煩わしくて、どこかしらむず痒くて。
「煩いなっ! 兄貴には関係ねぇだろ!!」
顔を真っ赤にしながら逃げるように顔を背ければ、背後で兄の大きな笑い声が響いた。
「まぁ、せいぜい頑張んな!」
去り際に二度、軽く頭を小突かれて消えた後ろ姿。小さな音を立てて時を刻む機械が示す数は、まだ日が暮れるまで余裕がある事を示している。
「…………はぁ」
自分の胸に手を当てると、煩いくらい強く感じる鼓動。今からこんなに緊張してどうするんだと、気合いを入れるために軽く頬を叩き部屋を出る。
気になるのはこの後待つ楽しみ。自室に籠もりノートを開いても、それに飽きてゲームを起動しても、何一つ頭には入ってこない。兄の言った「頑張れ」という言葉のような展開を望んで居る訳では無いが、少しくらい期待してしまうのも仕方ないだろう。
「早く来ねぇかなぁ……」
手に持った携帯端末の電源ボタンを押して、開いたり閉じたりを繰り返しているのはメールアプリで。メッセージを入れようと指を動かす度、中々言葉が出てこなくて溜息が出てしまった。
空に少しずつ夜の気配が近付けば、町に次々と明かりが灯る。聞こえてくる賑やかな音に誘われるように家を出て向かう待ち合わせ場所。逸る気持ちを抑えながら足を動かしそこに辿り着くと、ガードレールに腰掛けるようにして浴衣を着たの彼女が待っている姿が目に入った。
「遅くなってごめん!」
慌てて駆け寄り謝ると、彼女は一瞬驚いた後で声を上げて笑う。
「大丈夫だよ! 私も、今来たところだもん」
行こうか。そう言って差し出された手を握る。しっとりと吸い付く肌の感触が指に伝わり、思わず喉が鳴ってしまった。
「何? 変なことでも想像した?」
その言葉に勢いよく首を振って否定すると、彼女は少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべてからかってくる。
「君も男の子、だもんね」
こういう時、女子というのはあざといと感じてしまう。でも、そんな彼女の仕草や言葉一つ一つが、どれもこれも可愛らしくて仕方が無い。
「やめろよな……こういうのはホント苦手なんだから」
照れ隠しで鼻の頭を掻いた後、彼女と歩調を合わせて向かう花火大会の会場。少しずつ人が増え会場が賑わい始めると、時間はあっと言う間に過ぎていく。出店から漂ってくるソースの香りが食欲を刺激し、思わず腹が鳴ってしまった。
「あはは! 何か食べよっか!」
店頭に並べられた食べ物を眺めながら、何を買うのかを相談する。二人で決めたのはたこ焼きと焼き鳥で。それぞれ一つずつ買うことを決め、冷えた炭酸飲料のペットボトルを二本追加し代金を渡す。
「ありがとうございましたー!」
忙しそうに手を動かすスタッフに軽く会釈をしてから動かした足。何処で食べようかなんて話ながらこの雰囲気を二人して味わう。
「ねぇ。今日は、ありがと」
腕時計の秒針が小さな音を立てて時を刻む。
「え?」
「花火」
汗をかいたペットボトルの栓を開けながら彼女は笑う。
「一緒に見に来てくれて、ありがとね」
次の瞬間、大きな音を立てて火花が空に散った。
「わぁっ!」
きらきらと。
夜空を染める無数の火の粉。
色とりどりの炎で華を咲かせては散っていく。
その度に、真っ黒に塗りつぶされていた夜が、ぱっと明るくなり人々の顔に綺麗な笑みが浮かぶ。
「キレイだね」
そう言った彼女の横顔はとても輝いていて。
「見れて、良かった」
火の粉が彼女の輪郭の色を変えるから、消えていかないように必死に手を握る。
「来年も、一緒に見に来ようね」
それは、叶うかどうかもわからない小さな願い。
「約束だよ」
でも、彼女がそう言って笑うから、その願いを叶えてあげたいと思い力強く頷いてみせる。
「そうだね。来年も、一緒に見に来よう」
遠ざかる音が消えると夜空に広がる炎の華。
いつまでも、いつまでも。
光が全て消えるまで、彼女と二人。その光景を記憶に刻み込むように楽しんだ。
あれからどれ程の時が経ったのだろう。
目の前には一枚のカレンダー。月はあの時と同じ数字、予定は空っぽの状態だ。それでもカレンダーに描かれる、確かに増えているバツ印。印刷された数字を囲むようにして描かれた二重丸に、本日、漸く到達したことに「ほぅ」と息が零れる。
「今日、だな」
文字盤の上を忙しなく回る秒針。それを追いけるようにゆっくりと動く短針の示す数字を見た後、硝子越しの景色を確かめるべく視線を動かす。
「あと、もう少しだ」
世界を包むのは、黒のインクを垂らしたように広がる闇。
今日はそこに色とりどりの華が咲くのだろう。
それを心待ちにしているのは自分自身で。
盛大なショウが始まるのを、いまか、いまかと、待ちわびている。
チクタクチクタク、時計は刻む。流れる時という曖昧なものを、確かに、分かりやすい形として。
導火線に点火された火が夜空に上がるまでのカウントダウンが始まるまであと少し。
いよいよその時が来れば、心の中でそっと数を唱えてみた。
さん、に、いち……。一つずつ減る数が零になったと同時に、小さな音を立てて夜空に吸い込まれる音が、とても大きな一輪の華を咲かせた。
一つ目に続くようにして次々と、色とりどりの別の形が黒く塗りつぶされたキャンバスへと描き出されていく。
「うん……」
現れては消える、儚い炎。様々な光を伴い闇に吸い込まれるようにして消えていく。
その一瞬がとても刹那的で、胸を締め付けられる痛みで息が詰まった。
『キレイだね』
あの時に見た彼女の輪郭が見えた気がして無意識に伸ばした手の向こう。
『見れて、良かった』
だがその輪郭は、ぼんやりとした幻想でしかない。
『来年も、一緒に見に来ようね』
叶わなかったのはたった一つの小さな約束。
『約束だよ』
あの時に向けられた笑顔を、未だに忘れることは出来ないまま。未だにその画に囚われ続け重なっていく後悔。
『本当に……キレイ……』
何度も、何度も。同じ言葉がリフレインする。
『ねぇ。君も、そう思うでしょ?』
一際大きな花火が夜空を明るく染め上げた。
「ああ。そうだね」
向こう側が透けて見える幻影は、とても柔らかい笑顔で答えを待っている。
「……この花火は、本当に……」
だからこそ、今、確かに感じた素直な言葉を伝えたいと願う。
「本当に……キレイだよ」
溢れる涙で滲む視界。少しずつ混ざり合って境界が消えていく。
光が消え、音が無くなれば、この場所から見えるものは闇に包まれてしまうだろう。
あの頃とは異なる場所でこうやって、青い星を見下ろしながら、幻の華を眺めながら必死に作る笑い顔。
「本当に、キレイ、だったよ」
最後の花火が上がる。それは、硝子越しに見える闇に咲くものでは無く、映し出されたモニターで再生される過去の記録。
時間をかけて、ゆっくりと。音が空に、吸い込まれるようにして。
昇る、昇る、期待を乗せて。
そして音が空に溶けたら、次に大きな火の華が最後の闇を飾るのだ。
「…………っっ」
これで、お終い。これで最後。今年のショウは今という時を以て終わりを告げる。
今は一人。この広く寂しい空間に在るたった一つの自分という存在。
もう、彼女の姿は完全に消えてしまっていた。
「……………………」
ノイズに切り替わった映像を止めると、電源の切れたモニターは黒に塗りつぶされる。硝子越しに広がる色と同じで、全てを呑み込む寂しい色だ。
今日の予定は何も無い。カレンダーに記された数字の意味も、来年の物に変わるまで空っぽのまま。
「……お休み」
それだけ言って明かりを消すと、そのまま意識を落とすべくベッドに潜り込む。
後どれくらい時を数えれば、彼女の待つ場所に帰れるのかを考えながら。
……………………全テノ行動ノ記録ヲ確認シマス。
活動の停止ヲ確認中…………活動ノ停止ヲ確認。
固体廃棄ノ手続キヲ開始シマス。
尚、コノプログラムハ本日ヲ以テ終了トナリマス。
固体ノ廃棄完了後、当施設ハ閉鎖トナリマスノデ、スタッフハ速ヤカニ帰還手続キヘト移行シテクダサイ。
…………当施設デノ生命反応ハ一ツデス。
スタッフノ撤退ヲ確認。施設ノシステムヲ停止シマス。
…………お疲れさまでした。良い、夢を…………。
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