短編まとめ
ナカ
第1話 『秘密基地』
「なぁ。秘密基地を作ろうぜ!」
突然言われたそんな言葉に、ボクはとても驚いた。
「……え? ボク?」
だからかな? 思わず、そんな言葉を返してしまったのは。
「そうだよ。お前以外、誰が居るって言うんだ?」
そう言って目の前で笑う一人のクラスメイト。
「えっと……どうして、ボクなの?」
ボクには分からなかった。何故、彼が声をかけてくれたのかと言うことが。
「理由なんてないさ! 何となく声を掛けたくなったから」
そう言ってクラスメイトの彼はニカッと笑う。
「どうだよ? やるか? やらないか? どっちだ?」
「……そうだね……」
煩いくらい鳴り響く蝉の声。幾重にも重なる音の波は、耳から感じる蒸し暑さを、寄り一層引き立てて気が滅入る。
頬を伝う汗が服に落ちる度、お気に入りのシャツにじんわりと広がっていく温い染み。吐き出す呼気に湿り気は無く、やたらと渇いた喉が痛みを訴えている。
照りつけるような日差しを放つ太陽が真上にあることから、時刻は大体午前から午後に差し掛かろうとしている頃合いで。遠くに見える空と山の境界を示す稜線に沿って、夏という季節特有の大きな雲が連なるように続いているのが目に入った。
「おーい! こっちだー!」
顔を上げれば少し前で立ち止まる一人の少年の姿。彼は大きく手を振りながら、早く来いよと声を掛けてくる。
「あっ。うん。待って!」
急いで駆け上る石の階段。数段飛ばしで必死に彼に追いつこうと足を動かすのに、慣れない運動に直ぐに身体は悲鳴を上げてしまう。階段の中腹まで辿り着いた頃には、すっかり息が上がってしまっていた。
「何だよ。体力ねぇなぁ」
その言葉に対して力なく笑うことで返事を返す。彼は呆れたように溜息を吐いた後、今度はゆっくりと残りの段を登り始めた。
首からかけた水筒の中で、氷が軽やかな音を響かせる。その音から感じる僅かな涼に、渇いた喉が思わず鳴ってしまうのは仕方のない話だろう。
あと少し…もう少し。
そう思いながら踏み出した足が、最後の一段を捉える。
「……はぁ……はぁ……」
上がってしまった息を整えるため、大きく繰り返す呼吸。新たな汗が皮膚を伝い石段の上に小さな染みを作る。
「着いたーっっ!!」
此処が目的地だと、大きく両手を宙に伸ばして腹の底から声を出せば、肌を撫でる生温い風ですら心地良く感じてしまうから不思議だ。
「早く来いよ!」
それなのに、彼は足を止めることなく歩いて行ってしまう。彼との距離が開いてしまうことに感じたのは焦り。
「待ってよぉ」
だから、僅かな休憩を得る事も出来ずに、再び怠い足を動かすしかなかった。
「こっちだよ、こっち!」
やっとの思いで追いついた彼は、自慢げに前方を指さしながら歯を見せて笑っていた。
「これは?」
「見つけたんだ。凄いだろ?」
彼の指の先を追い視線を動かすと、目の前に現れたのは小さな建物。
「ここをさ、秘密基地にしようぜ!」
もう誰も管理をしていないそれは、以前は倉庫として使われていたものの様で。割れて歪な形に変わってしまった硝子の向こう側に、回収されること無く残された道具達がそのまま放置されているのが見える。
「勝手に入って良いの?」
そう聞いてしまったのは、内側を充たす陰に恐れを感じたからかも知れない。
「大丈夫だって!」
だが、彼は勢いよく胸を叩くと、臆すること無くどんどん建物へと近付いて行ってしまう。
「置いていかないでよぉ」
結局。こちらの意見など受け入れて貰える事も無く、気が付けば薄汚れた硝子がへばりついている扉が鈍い音を立てて開かれてしまっていた。
「うっぷ……」
外に溢れ出すのは閉じ込められていた埃と黴の混ざった匂い。
「中は結構広いんだな」
歩く度に増えていく足跡。どうやらこの場所は随分長い間人が訪れた気配がないらしい。大小様々な機械にはくすんでしまったビニールシートが被せられた状態で、降り積もった埃のせいで真っ白に染まってしまっている。壁に描かれた落書きも随分と古く、足元に散らかった塵に印字された文字は、大分古い数字が記載されていた。
「……奥に……行くの……?」
目の前を歩く彼の姿を見失わないように必死に追い掛けるが、彼は振り返ることなく先と進んで行ってしまう。建物の奥へ、奥へと進む度、薄汚れた窓から差し込む光は少しずつ弱くなっていく様な気がして気味が悪い。時々聞こえてくる風の音ですら、不安を煽るには十分だ。
「ここで終わりか」
狭い建物の中の探検は、直ぐに終わりが来てしまった。格納されていた機械のせいで複雑に入り組んでいた迷路は、一度経路が分かると呆気なく出口へと辿り着くくらい簡単なもの。目の前には錆で真っ赤にそまった扉が一枚ある。
「これ、開くと思うか?」
珍しく不安げな表情を浮かべた彼がそう尋ねる。
「分かんないよ」
その問いにこう答えるのが精一杯で、それ以上何も言えないまま口を噤み俯く。
「まぁいいか。取りあえず、開けてみようぜ」
彼にとってはこの答えなど特に興味も無いのだろう。考えるよりも行動あるのみと言いいたげに扉に手を掛けると、次の瞬間、力任せにそれを引っ張っていた。
鈍い音を立てて開かれる赤い扉。舞い上がる埃が光の中をゆったりと漂っているのが目に止まる。顔にまとわりつく蜘蛛の巣を払いながら奥に目をやれば、そこには意外にも小綺麗な小さな空間が在ることが分かった。
「へぇ。ここは意外とキレイなんだな」
彼の言葉通り、機械の置かれているこちら側に比べると、その部屋の中は荒らされた形跡がない。床にうっすらと埃が積もっていることは変わらないが、土や枯草などは一切無く、軽く掃除をすればすぐにキレイになると感じる程だ。
「あっ! マンガみーっけ!」
いつの間にか彼は部屋の中に移動し、そこにある物を物色し始めている。
「お前も来いよ!」
部屋の中に足を踏み入れることを一瞬躊躇いはしたものの、ここで何もせずに立っているのもどうだと感じ、意を決して足を踏み入れる。
「この部屋、色々改造出来そうだな」
読んでいた古い雑誌を捲りながら彼は言う。
「どんな風に?」
「どんな風にでも、さ」
その日から、この小さな空間は、二人だけの秘密の場所へと変わっていった。
始めはこの場所に入ることが怖いと感じていた。単純に建物の中が薄暗く、蜘蛛の巣や埃がそこら中にあったからだろう。
だが、この場所を特別なものだと決めた後からは、次第に此処に足を運ぶのが楽しくて仕方無くなった。
石の階段を駆け上ると見えてくる古びた建物。奥にある赤い扉の向こう側が、二人だけの秘密の場所。少しずつ物が増え、そこに居る時間も増えていく。
今日は何を持って行こう。
今日は何をして遊ぼう。
朝起きて、今日という時間をどう使おうかという計画がこんなに楽しいと感じるなんて、想像もしていなかった。
そして今日もまた。いつもと同じように石の階段を駆け上る。今日は一体何をしようかと考えながら。
手に持って居るのは新しく発売されたばかりの漫画雑誌。肩に掛けた水筒の中では、氷がぶつかり軽やかな音を奏でている。相変わらず蝉の鳴き声は煩く、耳から伝わる暑さで体感気温は割増しに。頬を伝う汗を手で拭いながら、降り注ぐ日差しに舌打ちを零し向かった秘密基地。
中途半端に開かれた扉から滑り込むようにして中に入ると、機械で作られた迷路を通り奥の部屋を目指す。通い慣れた通路ではもう迷うことはなく、あっさりと目的地の扉が見えてきたことで揺るんだ表情。あの日解放された錆びた赤い扉は未だ閉じられる気配は無い。
「……あ……れ……?」
いつもなら、一足先に来ているはずの彼。しかし、何故だか今日は自分の方が先に着いてしまったようだ。
「なんだ。来て無いのか」
珍しい事もある物だと、少しだけ頬を膨らませて部屋の中へと入る。広げたレジャーシートの上に置かれているのは、それぞれが持ち寄った玩具や雑誌など。その殆どはガラクタのような物ばかりだったが、それぞれにとって宝物なのだから、それ自体が輝いて見える。
「悪りぃ! 遅くなった!」
遅れてやってきた彼は「スマン、スマン」と謝りながら扉を潜る。
「ボクも今来たところだよ」
そう言って始めた相談は、今日の遊びの計画だった。
基本的に、この秘密基地を中心に行動範囲は決まる。ふらりと遠出をしてみたり、偶には真面目に宿題を片付けたり。お菓子を食べながらのんびり時間を潰したり。さて、今日は何をしようか。
「今日はちょっと疲れてるんだ。だから、ここでのんびり漫画でも読まないか?」
そう彼が言った言葉に、反論することなく素直に頷く。こうやって、今日の予定はあっさりと決まった。
もくもくと本を読み続ける。意外にも、持ち込んだ雑誌は冊数があり、気が付けば随分部屋の中は薄暗くなってしまっていた。
「……………?」
少し覚えた肌寒さに顔を上げると、ゆっくりと部屋の中を見回す。
「あれ?」
夕焼けが窓から差し込む室内はほんのりと朱く染まり、暫くすれば夜が訪れる事を告げていた。
「……どこに……行ったの?」
感じた違和感に寄せた眉間の皺。始めはそれが何か気付かなかったが、次の瞬間、それに気が付き慌てて立ち上がる。
「ねぇ! どこに行ったの!?」
つい数時間前までは確かにあった気配。それがいつの間にか消えてしまっている。
「ねぇ!!」
急に怖くなり慌てて部屋を飛び出すと、機械の迷路を抜け、逃げるように建物から出る。真っ赤に染まる空からは、鴉の寂しい泣き声が響き、あれだけ煩く主張していた蝉の声は、面白いくらいぴたりと止んでしまっていた。
「置いて……行かれた?」
その言葉を呟いた瞬間、早く家に帰りたくなり、無意識に走り出していた。黄昏が夕闇へと変化する前に帰宅したいと心が急かす。空っぽになった水筒の中からは、もう、軽やかな音は響かない。追ってくる闇が世界を塗り替える前に明かりの灯った我が家に駆け込みたい。引き攣る喉に血の味を覚えながら、ただひたすらに帰路を急ぐ。
空に小さく星が煌めきかける直前で家に辿り着いたときは、全身が汗でぐっしょりと濡れていた。
「だ……大丈夫?」
目の前で驚いた表情を浮かべる母親が、心配そうに声を掛ける。
「だ、大丈夫だよ」
無理に作った笑顔でそう答えると、持って居た水筒を手渡し、真っ直ぐに風呂場へと向かった。
「……何で、急に居なくなっちゃったんだろう」
汗で濡れた衣服を脱ぎながらふと呟く。
「帰るなら帰るって、声を掛けてくれればいいのに」
姿の消えてしまった友人に対して悪態を吐きながら、湧いたばかりの風呂に浸かるため桶を浸す。
「……そんなに、マンガを読むのに集中していたのかなぁ? ボク」
熱めの湯を頭から数回。勢いよく被り吐いた溜息。
「ひどいや」
手の平に溜めたシャンプー液で髪に付いた汚れを落とし、ボディタオルにたっぷり付いた泡で身体の汚れを落としていく。キレイになったところで湯気を立てるお湯に身体を浸せば、ほぅっと小さな声が出て自然と緊張が解れた。
「いーち、にーい、さーん、しーい……」
いつものように湯船に浸かる時間をカウントしながら考えるのは友人の事。
「……あれ? でも……」
数字がそろそろ百に到達するというところで、ふとあることが気になってしまった。
「そもそも……そんな奴、居たっけ?」
何が何だか分からない。そう思った瞬間、背筋に一気に寒気が走る。
「いや。そんなことは……」
湧いた疑問を否定するかのように大きく首を振ると、慌てて風呂場から飛び出し母親の居るキッチンへ。
その疑問は食事の時も、寝床に着いたときもずっと消えないまま。睡魔に囚われるまでずっと付きまとい続けた。
そうだ。明日、ちゃんと確認しに行こう。
彼が、本当に居るんだって事を確かめるために。
そう決めてそっと瞼を閉じる。
どうか、彼はちゃんとあの場所に、居ますように。
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