第8話
十二月、もうすぐクリスマスというある日、
夕暮れの公園。滑り台の階段を菫は登っていた。勢いよく滑り降り、また階段を上る。そうしていれば、またアカさんが呼びかけてくれるのではないか。そんな気がした。
インスタグラムにメッセージを送ったのは誰なのだろう。菫はSNSには、あまり強くない。以前のアカウントのものは時々見ていたが、メッセージまで見ることはなかったため、菫は全く知らなかった。アカさんを追い詰めた犯人を見付けたい、そう思ってはみても、そこから辿ることは出来なかった。
メッセージの内容が薬の事なのであれば、アカさんが瓶をポケットに入れたのを知っていることになる。あの時もう一人誰かがいたのだろうか。いや、近くに居たのは菫だけだ。では、いったい誰が。思考は堂々巡りを繰り返した。
アカさん、どこにいるの。早く迎えに来て。会いたい。会いたいよ。
願いは
あの時……。幾度となく繰り返した疑問が再び思考を支配する。ふと菫は顔を上げ、滑り台から立ち上がった。
『アカさん、どこですか』
そんな声が
再び滑り台の端に座り込んで、菫はポケットのファスナーを開けた。アカさんから取り上げた黒い瓶は、呪いのアイテムのように思えた。ゲームのようにリセットしてしまえたらいいのに。ふと、そんな風に思った。すべてを消し去ってしまいたい。もしそれが叶うなら。もう一度やり直せるなら。そしたら……。
三月も終わりに近づいたある日の夜、菫は薬局の入口に立っていた。
扉の暗証番号は知っていた。薬の音読みのヤク―89―に、西暦の下二文字と月の二文字。毎月変わるけれど、憶えてしまえば簡単だ。菫はそっと扉をくぐり、薬局の中に入った。部屋の電気は消えており、人の気配はなかった。
調剤室の扉の手前を右に入ると薬品庫がある。
「何をしている」
棚の前のカウンターに瓶を置こうとした時、後ろから鋭い声が飛んだ。数回の明滅の後、部屋の灯りが点く。
腕を
「桐谷くん」
掴まれた手から落ちた黒い瓶を空中で受け止め、薬局長は痛ましげに菫の顔を見た。
「ごめんなさい。私が盗みました」
手首を掴む指に力が入った。
「嘘をつくな!」
怒鳴りつける声は、とても苦し気に聞こえた。
薬局長は手を離し、黒い瓶をカウンターに置いた。
「桐谷くん、すまなかった。もういい。もう、いいんだ」
菫は黙って首を振った。聞きたくない、何も聞きたくない。瞼をきつく閉じ、両手で耳をふさいだ。音と光が無くなった世界で、突然魂が抜けるような感覚が襲った。急いで目を開けた途端、世界が回る。暗くなっていく視界に被さるように、忘れ去っていた光景がよみがえった。
「桐谷くん、どうした。しっかりしろ」
抱き起こそうとする薬局長を突き飛ばし、菫は薬局を飛び出した。もう何も聞こえなかった。夜道を全速力で駆けながら、菫はすべてを終わらせようと思った。
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