第七節 brillante
22.
破損した人形をジョンに直してもらって、その日の内に考えたことだ。かの友人に言われるまでもなく、ずっと考えていたことだった。
これから先をどうするのか。
直視することを避けていたドールの顔を見つめて、過去と現在、未来の是非を問う。
自分がこれまで人形劇を続けてきたのは、何故なのか。一族の厳しい修行に耐え抜いたのは、人形嫌いの人形使いとして今まで活動し続けてきたのは、その原動力は何だったのか。
何もかもを、今の自分は、どう思っているのか。
人形も、仕事も、家族に押しつけられたものだ。
生まれた時からジャックに選択肢は無かった。赤ん坊の時から身近に人形があり、物心付く頃には反抗する間もなく修業を強いられた。
親戚中から勝手に期待されて、両親は一族での立場を守るためにジャックの完成を急かした。美談で飾りたてたまやかしをいつまでも盲信する連中に囲まれていた。全ては曾祖父の遺産をただ再現し、後世に残すためだった。
〝
気が付けば他に能のない木偶になっていた。家を出てから、独りで生きていくためにはこれで稼ぐしかなくなった。少年の自由は、ただの人形風情に奪われた。
そんなものをどうして理解しようと思える?
こんなおぞましい物のどこに価値がある?
なにが一族の宝だ。後世に残すべき芸術だ。負の遺産の間違いだ。
そんなもののために少年の人生は擦り潰された。自分で選んだわけでもない道を強制的に歩かされることすら、それこそが人形使いとしての人生を全うする切実な道だと、苦難を敢えて進んでこそだと、もっともらしい美辞麗句に飾られた。
そんな価値が本当にあるのか?
どいつもこいつも本気で思っているのか?
何が面白いんだ。
これが呪いじゃなかったら何だって言うんだ。
それでも人形劇を続けるしかなかった。皮肉にも、その過程で染み着いた抜群の技巧がジャックの進路を阻害した。天賦の才能というものを身に付けなければ、気休めの解放すらも許されなかった。仕送りなどの支援は一切絶たれ、たった一人で生きていくためには、持ち得る技術で稼ぐしかなかった。
ジャックにとって 《ただ寵愛される舞踏の姫》は、偉大な曾祖父の軌跡を継承するための崇高な芸術活動などではない。生活の余裕が出る見込みのない、好みでもなければ理解すらできない、それでも続けるしかない、単調な地獄の繰り返しでしかなかった。
それが原動力だったとして。
だが、奪われるばかりの人生だというのなら、とうの昔に投げ出していても良かったはずだ。
いくら生活がかかっているとはいえ、ジョンの言うように、選り好みしなければ仕事はいくらでもある。あの荒廃したスチームスポットですら、働き口は少ないまでも皆無ではなかったはずだ。
これまでの自分の考え方が狭苦しいものだったと理解した上で、ジャックは改めて思考する。
自分の選択肢は最初から奪われていた。
だが、これまでの人生で、ジャック自身の意志はまるで反映されていなかったと断言できるだろうか。
23.
その日の人形劇 《ただ寵愛される舞踏の姫》は、いつもと趣向が変えられていた。
観客の大半は気付かないだろう。ジョンも、ラインデルフも、ともすれば一族の人間でさえも。一際うるさかった祖父が観てようやく引っかかる程度だろう。
人形を操る側の気分ひとつ。その程度の違いだ。
この一年で、ジャックの手捌きは更なる磨きを掛けた。損耗を重ねる両腕の限界を少しでも引き延ばすために脱力することを意識しつつ、しかし観客には勘付かれないように、人形劇の本筋を決して外さないように気遣いを尽くした動作は、傍目にはより洗練された操作と評価されるだろう。
しかし最も肝心なのは、今日に限っては演者の心構えが大きく変わっていることだった。
語り部のない物語は、始めは抑えて、進行するにつれ徐々に躍動していく。
その流れに従うこと。
ジャックは己の私情を一切乗せないと決めて、劇に望んでいた。
24.
己の人生を反芻するにつけ、ずいぶん健気なことだったと、ジャックは今になって思う。
一族の業を恨み、原因である人形を憎んで、それを表現するためにこれまでのジャックは意図的な不自然さを随所に混ぜていた。〝人形らしからぬ〟〝人間らしい〟という主旨に唾を吐くかのごとく、気色の悪い人形の雰囲気の出し方を、ジャックは修行の段階で掴んでいた。
一族の前では咎められるために隠していたが、外に解放されてからは存分にそれを振るった。しかし観客は、それに歓声を挙げ、惜しみない拍手を贈ってきた。
意味が解らなかった。誰にも伝わっていないのだと、そう思った。だからこそ、『気色の悪い挙動』を極めようと研鑽し、すればするほどに、観客は何故か余計に盛り上がっていた。
客観的に自身の舞踏を見返すということができない以上、ジャックはその反応に苦悩した。考え、苛まれ、どういう神経してるんだ連中はと謂われのない新たな恨み言を思いながら、今に至る。
ジャックの意志を汲める者はいなかった。誰にも理解されていないと思った。それが、どういうことなのか。
考えてみれば、単純なことだった。
他人に期待しすぎだ。
前提からして間違えている。
一族の業の原因は、人形ではない。
それを生み出した曾祖父でもない。
いつしかそれに心を呑まれ、後世へ繋ぐことこそを至上命題と勘違いした人々が、これまでのジャックを生み出したのだ。
そもそもこの人形が作り出されたのは、戦後の荒廃した人々を癒やす一端になればいいという純粋な親切心によるものだった。珍しいものを見て、感激し、少しでも明日への活力になればいいと、初代は思っていたはずだ。
それがいつしか、「美しき人形を、より引き立てる演出を以て、記憶に焼き付けさせる」と、目的を履き違えた人間がどこかにいた。或いは誰かに吹き込まれでもしたのだろう。
人形を見た人々を楽しませるにはどうすればいいか、という志向が根本的に抜け落ち、過去の遺物を存続することだけに傾注した。その時点で進化は止まっている。
溜め水がすぐに腐るように、一族はその時点で死んでいた。
結果、歪んだ妄執は子孫にまで及び、当代のジャックは歪に捻くれることになった。
つまり、恨むべきは人形ではなく、まして一族の人間ですらない。
この家訓、習慣、脅迫観念といった、形のない不気味な原動力をこそ、忌むべきなのだ。
見当違いも甚だしい。
一族が半世紀に及んで血道をあげてきた修行も過程も、その全て無駄なことだったのだ。
であれば。
観客は、ジャックの気持ちを乗せた演舞など、端から観てはいない。
彼らの眼に映っているのは、最初から人形だけなのだ。表に出ているのはあくまで人形で、繰り糸を持つジャックの姿は幌に隠されて垣間見ることすらできない。
少年がどれほど鬼気迫る表情で、滝のような汗を掻きながら、筋を痛め引き攣る手を止めていないのか、誰にも解るわけがない。
観客から見えているのは、あくまでも、演者の手腕により舞う人形のみ。
人形劇そのものに感嘆こそすれ、そこから演者の気持ちを汲み取る余地などあるだろうか。
最初から見えていない気概を、見当違いの嫌気を、深い部分まで感じ取ろうとする酔狂な観客など、この星に存在するだろうか。
ある訳が無い。最初から間違えているのだから。
感じ取ってくれる者がどこかにいるはずだ――そんな甘ったるい考え方が、そもそも子供じみていた。
最初から、共感を得られるはずもなかったのだ。表に出ていない声無き思考を感じ取るなど、土台無理な話だと、ジャックはようやく理解した。
何も伝わっていなかったのは、伝わる道理もなかったから。
だから、何も得ることはできなかった。
…………本当にそうだろうか?
思考は失望のままには終わらなかった。
25.
少女が初めて訪れた色街でのシーンではそういった振り付けが指定されている。西欧の踊り子から取り入れた動作だ。直上から糸を垂らすタイプのドールにおいて、〝回転〟というのは糸が絡まるアクシデントを誘発する厄介なものだが、ジャックの技巧を以てすれば難しいことではない。
全ての繰り糸を円錐のように寄り合わせ、交差した手を元の位置に引き戻すことで、人形は逆回転を終えてから毅然とした体勢に立ち戻る。
花開くような
緩急自在に、減り張りをつけて、オルゴールの伴奏に人形の一挙手一投足を嵌め込んでいく。
ただ十数本の繰り糸と、それが繋がる十字型の繰り板を、己の腕前ひとつで走らせていく。
見せ場がひと段落し、ドールを正面に向けさせ、恭しい礼をさせる。律儀に反応してくれる観客の拍手が近い。
背景の絵画がスクロールし、少女の居所は世界の様々な町に移っていく。渡り歩く様を
移りゆく風景に目を奪われながら、その土地に自分がいることを証明するために。
開始から六分が経過した。体力的にはまだ余裕がある。呼吸さえ落ち着ければリズムは狂わない。筋の痛みも、まだ気にならない。
どうも今日は自分で思う以上に調子が良いらしい。ある意味では、恐ろしいほどに。
呼吸は深く、視野は広く、聴覚は鮮やかに音を拾う。
心境ひとつでここまで気楽になれるものなら、今までの自分はひどく損をしていたように思える。そう思えるまでに至ったのも、これまでの経験の何もかもがあってこそだろう。決して幸いではなく、それもまた人生の形のひとつなのだと言い切れるほどではないが、これまでの自分が経てきたことの全てが収斂して今に繋がっている。出来ること、出来なかったこと、それらの区別がはっきりと明確になり、線引きがあるからこそ余裕が生まれている。
そう、自分は今、出来ている。
そんなことを、今更のように再認識している。
出来て当たり前だと思い込まされていたことを、その再認識をどこかむず痒く感じる。
嫌気を込めることばかりに集中し、邪魔されて、修行中にも実感として得ることが無かった感覚だ。
自分は出来るのだと、出来ることはあるのだと、初めて実感している。
伸びやかに、流れるように、麗らかに、人形が舞い踊る。
真上から俯瞰する舞台上の光景は見慣れたものであるはずなのに、広くなった視界には、有り余った空白のスペースが見える。
もっと動かせる。点を重視して窮屈に収まるよりは、もっと広く使える舞台の余地を活用したほうがいい。観客からは死角になる位置もあるだろうが、それぞれの視点からしか見られない特別があっても良い。
世界を巡る少女が己の居場所をどこに置くか悩み始めるシーンで、ジャックは従来の振り付けを少し変えた。
背後の風景画を見回すように一カ所に留まる指定を無視し、迷い倦ねるような仕草を維持しつつ、周囲を右往左往させる。足下で刻むステップは踊り子のそれを忘れず、あたかも〝舞踏は完璧ながらも心ここに在らず〟といった雰囲気を生み出す。
観客側から「おおっ」と感心したような声が挙がった。常連の誰かだろう。いつもと違う変更点を細かく気付くほど見込んでいる人間がいるということに、口元が緩むような高揚を感じる。
出来ている。
内臓が浮き上がるような、指先が痺れるような、一瞬でも呼吸が止まってしまいそうな――その感覚をジャックは知らなかった。何と表せばいいのかを知らなかった。
ただ、達成したという実感だけを伴って、人形劇は進んでいく。
まだ出来る。
もっと出来ることがある。
だが、まだ足りない。
こんなものでは済まされない。
まだ出し切っていない。
目を剥き、腕に縦横にひらめかせ、聴き慣れた演目の流れに身を任せながら、次の手を考え続ける。
どうすれば満足するのか。あくまで演出の一部である自分が、どこまでやれば気が済むのか。
探し、考え、ほとんど即興のアレンジを細やかに編み込んでいく。
ジャックはここに来て初めて、挑戦というものを楽しんでいた。
表現という行為を、面白いと、実感し始めていた。
26.
得るものは、果たして本当に、何一つ無かったのか。
得ることが無かったと失望するならば、その前に、自分は何かを得られると期待していたということになる。
では、ジャックという少年の望みとは何だったのか。今まさに望むことは何なのか。
考えるでもなく、一族の悪習からの解放が第一に考えつく。
しかしその点で言えば、ジャックの独立からこれまで、親戚連中は特に干渉してくることはなかった。スチームスポットに生家があり、町そのものも無辺に広いわけではない。放任主義とでも言うのか、ケチを付けに来るどころか様子見すらも無かった。祖父の訃報でやっと手紙が届くぐらいだ。
それでは何故、こうなってしまったのか。呪縛を自己暗示するほどの強烈な教育には、ドールを後世に永く残す手段以外の意味があったのか。
解放されたいと願う不満が生まれるばかりだった一族の方針は、他にもっと上手いやり方というものがなかったのか。
それは、生まれを呪うほどに、他の道を望んでいたということか?
他の道を望むというのなら、どのような――理想とも言うべきものを思い描いていたのか。一族に、他人に望んでいたのは、何だったのか。
間隔を空けるほどのこともなく自答が導き出される。
誰もが少年を〝良い腕前の人形使い〟を見ているわけではなく、あくまで〝美しい人形を美しく動作させる装置〟として見ていた、という結論に感じた失望。それを逆に考えれば、何も難しいことはない。
ジャックは、自分自身を見てほしかったのだ。
他人からの評価を、人形などではなく、何よりも自分のものとして与えられることを欲していた。
一方で、それは 《ただ寵愛される舞踏の姫》を演じる人形使い『スチームスポットのジャック』として在る以上は、決して得られぬものだということも、同時に理解した。
自分には、人形使い以外の自分が無いのだから。
だからこそ。
ジャックが人形に感じていた嫌悪は、見当違いだったのだ。
――ああ、そうだ。
この人形を妬むほどに、羨ましかった。
他人から施されることを望んでいた。
どこかの誰かに、助けてほしかった。
世間一般と同じように、ただの子供として育ちたかった。
子供は生まれる家を選べない。それでも、他人から施される何かが欲しかった。
自分を取り巻く理不尽を、無条件に排除して、救い上げてくれるような――都合のいい夢を見たかった。
嫌気を表現するという志は、その裏返しかもしれない。自分の思うこと、考えることに共感してくれるのは、それもまた紛れもなく親しみの形の一つだろう。
ジャックと同じように、人形というものに忌避を示す人間がいてくれれば、何かが違ったかもしれない。
自分が何に飢えていたのかが、この時を以てようやく理解できた。
そして、そう思えば、自分は何も得ていないことなど無かったのだと、そう思うことも出来る。
真っ先に浮かぶのはジョンの姿だ。この街の腕っこきの修理屋、人生で初めての友人。世辞であろうとも自分を気にかけてくれる人を、一人は得ることが出来た。未だに本名もはっきりと知らない間柄ではあるが、得難い友であることに違いはない。
それだけでなく、自分をスカウトしてきたラインデルフも、今この場に足を運んできた多くの観客も、果てはかつてのスチームスポットの住人も、人形劇を通してジャックが関わってきた人々だ。特別仲を深めたというわけではないにしろ、商売人としてみれば、獲得したファンは勘定に含めるべきだろう。
何一つ得られなかったというわけではない。不特定多数に対して、これまで人形劇を魅せ、尋常の人生では得難いことを多く経験してきた。
人形使いとして――否、芸術を志し、表現する場を設けて、ひたすらに演じる者として。
得難きを得ることこそが冥利だと言うのなら。
表現者として何よりの報酬だと言うのなら。
そのために一族が『スチームスポットのジャック』に拘泥するというのなら。
そんなものは、まやかしだ。
当たり前に得られるはずだったものを、たかが慣習ごときに潰されていいはずがない。
根底の歪みを正さなければならない。
このまま続けてはならない。未来の誰かに引き継がせてはならない。
純粋な憧憬として誰かが意志を継ぐのではなく、ましてや子孫を芸術の一部として組み込むなど、在ってはならない。
抜け出したいと願うのならば、誰あろう自分自身で、どうにかするしかない。
少年は、結論を出した。
一族における当代の人形使いとして――恐らく人生において、初めての自発的な選択を、決意する。
最後の『ジャック』として、寵愛された人形を、今こそ打ち棄てるのだと。
27.
そんな結論を出したから、というわけでもないが、ジャックは今日の人形劇を区切りとするために、ひとつ自分を試してみようと気紛れに実行した。
嫌気や憎悪を込めず、ただ人形使いとして本来に立ち戻り、『プリ・マ・ドンナ』を魅力的に立ち回らせることのみ重視する。
ジャックが街に越してからの一年――否、これまでの人生で端々に見てきた〝美しいもの〟を必死に思い返しながら、それを反芻する、戯れのようなものだ。
短い間に初めての挑戦を折り込み、その度に自分の出来を実感する。
しかし、出来ていないこともある。
少女が土地を転々とするたびに感じているであろう新鮮味を、引き出すことが出来ていないと思う。
ジャックは外の世界をほとんど知らない。初めて外に出たと実感したのはスクラップフィールドに招致された時ぐらいだ。
初めて乗る馬車の感覚も、車窓から見えた大地の雄大さも、知らない街を歩いた時の手持ち無沙汰も、今でも覚えている。
だが、この少女は比べものにならないほどの旅をしている。
どの土地に着いた時も、きっと同じような高揚感があったのだろう。だが、それを繰り返していけばいずれは慣れてくるかもしれない。彼女自身が田舎町を抜け出したあの頃よりも、感動は薄れているかもしれない。
その〝感じ〟が出せない。
経験不足と、ジャックは思う。こんなことならもっと出歩いてみればよかった。旅をしてみればよかった。そうしていれば、今日のためにもっと出来ることがあったかもしれないのに。
結局のところ、ジャックには美というものが解らない。
採点基準が曖昧であやふやな、明瞭なものではない以上、主観としてジャックが判断するのは、興味が有るか無いか、それのみだ。
固執し、子々孫々にまで受け継がせたいと思う情熱はとうとう理解できずじまいだった。
無二の友人が熱っぽく語ったドールの美しさの何たるかも、解らずじまいだった。
ジャックには熱を傾ける原動力も無く、その熱にしても熾火すら自分の内には存在しない。感情が揺れる経験が、致命的に乏しい。
美を追求する物語と、その登場人物である美しい人形――それらを理解できない人形使いには、この演目はあまりにも不向きだ。独立する以前から解り切っていることだった。
だが、滑稽なことだと心底思うものの――今日限りで廃業を決意した人形使いが、最後の最後で「いままでやったことのない」領域に挑戦した場合、出来上がるものはあるのか。
どうせ最後なのだからと思えば、それを実行することに後ろめたさは生まれなかった。むしろ、やり残したことを全て断ち切るためにも、良い試みだとすら思った。
何を目前にしても目を輝かせることの無かった自分が、自分なりに〝究極の美〟を追求した場合、どうなるか。
初めて訪れた大きな街の空気。
感動に沸く観客達の熱。
色街の中で取り残されたような夜の冷たさ。
折に触れては知らず知らず頼っていた、隣人という存在。
乏しいながらも、感じるところはあった。人間らしく感情が揺れ動いた、その時のむず痒さを、自分の中の〝美しいもの〟とする。
それらを掻き集め、人形の物語において孤高を貫く彼女が拒絶したものがどういうものなのかを意識しながら、繰り糸を走らせる。
そうすることで、今までとは違うものが出来るのではないか。
つくづく、自分によってしか満足できない、共感など望むべくもない、自己完結の極みだと思う。
成功か失敗かは運否天賦、やってみなければ解らない。ただ、いつも通りはいい加減にうんざりだった。今までのアプローチが失敗続きなら、別の方向性に切り替えるしかない。
『スチームスポットのジャック』は終わらせる。
だが、最後の最後で、少年は表現者としての一歩をようやく踏み出す。
その最終公演にまでわざわざ足を運ぶ物好き達に見せつけてやろう。
いつか、珍しいものを見たのだと、記憶の中で美化されるように。
28.
二十八分経過。幕を落とすまで、残り二分。
「――ッ、は」
そこで息が乱れた。
終盤へ近付くにつれて体力が保たなくなってきた。どちらかと言えば、腕の筋にかかる痛みを誤魔化すために、平時以上の呼吸を繰り返すことが原因だ。体力の配分も重要な技術の一つだが、長年の無理が今まさに祟る身体には難しい注文というものだった。
だが、ジャックは敢えてそれを無視する。まだ試したいことは残っている。
広い世界の流浪を終えた少女が最終的に腰を据えた、架空の大都市での乾いた日々。遙かに豪勢な舞台を描いた背景画のスクロールには興奮に狂う観客の影が映り、狂人どもに囲われて尚も少女は気丈に舞い踊る。
否、もはや物語中の少女は観客など見ていない。
あくまで陶酔のため、己をどこまで高められるかということのみに焦点を当てている。誰がどれだけ目立とうと、声を張り上げようと、見向きもしなければ聞こえてもいない。
そんなストーリーを思い起こしながら、ジャックは改めて思う。
『彼女』は、何を求めているのだろう。
美というものの採点基準はあくまで主観のものではあるが、肝心の採点は他人から与えられて初めて点となる。
価値とは、他人が付けるものだ。
それに拠らない〝究極の美〟というものは、詰まるところ、何なのだろうか。
人はどう生きたところで必ず老いる。歳を数えるごとに何かが削がれ、失われ、忘れていく。最後には息をすることすら出来なくなって、土の中へ埋もれてしまう。
だからこそ、寿命の直中で何かを成し、残してから死んでいこうとする。ジョンは子孫繁栄もそこに含まれると言った。広い世界で伴侶を見つけ出し、子を成すということが、そもそも生命としての成すべき使命だ。また、それを選ばずとも、形有るものを作り上げる芸術家が、そこに身命を賭すことを至上とすることもまた生き方の一つである、と。
であれば、この少女は、伴侶を求めることもなく、形有るものを残すわけでもなく、――一体、何のために生き抜いていくのだろう。
誰でもない自分のためであるというのは解る。だが、自分のために、何を得れば満足なのだろう。
何のために舞い踊るのだろう。
語り部のない物語にはこうもある。
〝何かが足りない。自分を高みに追い上げる最後の何かが足りない。それが何なのかが、解らない。〟
憂いの瞼に秘された玉石の瞳は、強烈な飢餓と焦燥によって炯々と光り続ける。だが、追い立てるものが何であるかも判然としない。たった一つ、何かが手には入らない。それさえあれば間違いなく満たされると、そこまでは解っているのに。
ジャックにしてみればまるで他人事だ。勝手にやっていればいいとすら思っていた。ただ、いつまでも巡り巡って、どこにも辿り着けないという点では、妙な共通点があるような気がしてきた。
何を求めているのか。何が欲しいのか。何があれば充分なのか。
思いつつも人形の操作を止めないジャックは、その振り付けの最中に何かを見つける。
演目の前半はとにかく縦横無尽に元気よく舞い踊る様が指定される振りだが、終盤近くになると、人形の手指を悠然と伸ばすシーンが多くなる。慌ただしい拍数が一旦落ち着き、ゆっくりとした動作のテンポを丁寧に押さえていかなければならない。元よりオルゴールの音に填めるような動作ではないため、繰り手の体内感覚をとことん問い詰めるような構成だ。
四方八方に手を伸ばし、追い縋るような動作が目に付くようになる。これは確かに、何かを強烈に求める仕草だ。
まるで、現れては消えていく夢幻をひたすら追いかけては、何も掴めはしない、虚しさの繰り返し。
賑やかな背景画も次第にコントラストを抑えていき、最終的には何も残っていない、ただスポットライトだけが差し込む暗闇へ移り変わっていく。
そんな中でも、少女は舞踏することを止めない。足を止めればとうとう自分が何者かも解らずじまいになりそうだからだ。それはある種の恐怖で、そこから掬い上げてくれる何かをひたすらに求めているようにも見える。
解らない。解らない。どれだけ苦しんでも、どこまで行っても、それに出会えない。
ああ、もう、限界が来てしまう。
脚がガラスのように砕け、意志のみが藻掻き、餓えて、這いずり、のたうち、
すぐ近くにあるはずなのに、どうして――――…………
…………そうか。
「おまえも、欲しかったんだな。なのに、自分から遠ざけて、見えていなかったんだ」
滑稽なことだ。
ここに至って、ようやく自分と少女が同類だと気付くとは。
「きっと、どこかに誰かがいたかもしれないのに」
末期の瞬間、ひざまずいた人形の頭が、不意に上を向いた。それはジャックが意図して操作したものではなかった。
聘睨し憐憫する表情として固定されたその顔が、真っ直ぐにジャックを見上げ、どこか寂しそうに笑んでいるように見えた。
29.
オルゴールが勿体ぶるような一音を響かせ、三十分に及ぶ《ただ寵愛される舞踏の姫》は終了した。
いつもと違って幕は下りず、いつもと違った姿勢で人形は固まっていた。手を組み、床上にしなだれ落ちて、窓の外を虚ろに見上げる少女がそこにいた。
自動的に幕が下り、人形と舞台が完全に隠されたところで、ジャックの仕事は終わった。いつも以上に荒れた息と、まるで収まらない鼓動を成すがままに、幌のおかげで観客からは見えないのを良いことに、ジャックは天板に凭れるように手をついた。
限界だった。蝋で固めたかのように、両手が繰板を離せない。生温い滴が指先に伝う。もう駄目だと、痛みの中で他人事のように思う。
短い沈黙が帳を落とし、晴天の劇場前広場が静寂に包まれ――その均衡を破ったのは、荷車に最も近い場所に座っていた子供達の、不揃いな拍手だった。
目を覚ましたかのように、次第に拍手の数が多くなっていく。ジャックはそこに、いつもと違う何かを感じた。幌を払い、一歩外に出る。そこには開演前に見た位置どりの観客達が居た。だが、そこに見える表情は、この一年間で飽きるほど眺めてきたそれとは明らかに異なっていた。
歓声が挙がらず、下品な口笛も聞こえてこない、ただ必死で熱烈な喝采が豪雨のように降り懸かる。子供達は満面に湛える笑顔で、大人達は何かを噛み絞めているようだった。
その表情の意味は解らない。
ただ、見渡した広場の中――その隅に、覚えのある姿があった。
いくらか歳老いた父と母が、いつの間にか、そこにいた。
まっすぐにこちらを見つめ、懸命に手を打ち鳴らす二人がいた。
湧き出し、溢れ、抑えが効かず、叫び出したくなる衝動を、今こそ少年は理解した。
――これっきり、もう二度と、この感覚を味わえはしないのだろう。
それも含めて、少年は生まれて初めて、そういう涙を流した。
舞姫の脚は、最期になって砕け散ってしまった。
膝を折り崩れた姿勢の人形は、例え身体(パーツ)が五体満足であろうと、もう二度と立ち上がることは無い。
彼女を最大限に使いこなす人間は、天賦の両腕は、もう使い物にならない。
人形使い『スチームスポットのジャック』は、ここでとうとう死に潰える。
家宝の人形も、与えられた物語も、永遠に葬られる。
それが、少年が決めた結末だった。
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