第2話

「ただいま……」

 結局、やはり二人では勉強にならず、散々に柚子の話に付き合わされた俺は、家に着いた瞬間に大きく息を吐く。

 片手に持ったコーヒーの氷が完全に無くなっているのが、その長さを物語っていた。

「あれ? 誰も居ないのか?」

 家からは返事は返ってこない。

 薄くなったコーヒーを一気に飲み切る。

 ゴミを捨てようとリビングの扉を開けるが、電気は付いていない。上の部屋からも人の気配は感じない。

「妹も居ないのか」

 母さんもこの時間は恐らくバイトだし、兄妹のいる家庭では数少ない自由を満喫出来そうだ。

 俺は軽い足取りで二階の自室に入る。

「溜まってたドラマ見ないとだな」

 俺の部屋にはテレビなんてないので、いつも俺の見たい番組は録って後から見るしかない。テレビの優先権は父さんがほとんど見ないので家族で一番下、長男の悲しい運命である。

「今からなら二時間くらいは……」

 俺が時計を見ながら着替えようとワイシャツのボタンに手を掛けたところだった。

「おい、乙女のいる部屋で何着替えようとしているんだ」

 確かに声がした。

「は?」

 突然の声に、こちらも変な声が出てしまう。

「ちょっと半裸でこっち見ないでくれたまえ」

 そこに居たのは俺のベッドに座り込む少女だった。

「うおっ!」

 人の気配なんて全くしていなかったはずなのに、確かにそこに少女は座っていた。

「まるでお化けのように扱うとは」

「いやいやいや! 誰だよ」

「誰か……なかなかに面白い質問ではあるが、君では理解出来るか難しい議論になりそうだね」

「は……?」

 見た目通りの子供っぽい服にランドセル、何故か片手には俺の漫画を持っている。

 生意気ではあるが子供ながらに可愛らしい容姿をしている。

だが彼女は独特の雰囲気を身にまとい、見つめられるだけで威圧されてしまうそうになる。とても妹と同い年、それどころか同じ人間なのかすら疑ってしまいそうになった。

目の前の存在を只者ではないと認識し、会話を続ける。

「妹の友達か……?」

「違うな。だがいずれは仲良くなりたい」

「名前は」

 ひとまず聞いた質問だったが、彼女は悩むような表情を見せた。

「名か……誰に呼ばれるわけでもない。お前が好きに決めろ」

 訳の分からないことを……

 とはいえ名前が無いと不便この上ない都合上、とりあえずで命名する。

「じゃあ小学生」

「なんと! 童の代名詞を名付けるか」

「他に情報ないからな」

 普通の名前で呼んだら後で面倒になりそうだし

「全く何と尊敬の念が感じられない呼び方だ。だが私は寛容だからな」

「寛容? 随分と難しい言葉を知ってるね」

「子供扱いするな!」

「子供だろ」

「えぇい! ならこちらも威厳を取り戻さなくてはだな」

 大人っぽくため息を吐いた小学生は、ベッドの上に立ちあがる。

「私は君たちが名を指すところの神だ。もっともそれが言葉として正しいかは判断が難しいところではあるのだが」

「神……?」

 思わず鼻で笑ってしまう。まさに小学生らしい発言とも言える。

 彼女の威圧感にもいい加減に慣れてきて、そういうものだと理解してきた。

 そんな気持ちが態度に現れてしまったのか、彼女は露骨にイライラした様子を見せる。

「先ほどからあまりに失礼な態度。さては信じておらんな」

「全く」

「存在を消してここに居たであろう」

「不法侵入自慢されてもな」

「……やれやれ」

 小学生は一つ息を吐く。

「少し待て」

 彼女は何故か立ったまま目を瞑った。

「探したい物はあるか?」

「いきなりだな」

「早くしろ。何でもいい。手頃で失くした物を言え」

「じゃあ……ゲームのソフト、レースゲームの奴なんだけど」

「衣装棚を開けた右奥」

「え?」

「確認してみろ」

 しかし小学生はそれ以上何も言わない。

 俺は渋々立ち上がり、言われた場所を探してみる。

 埃が溜まっていてためらいそうになったが、小学生が何も言わずにこっちを見つめるものだから、しぶしぶ棚を漁る。

「うわ、本当にあった! これは見つからないな~」

 そこにあったのは確かに小学生の頃に流行った携帯ゲームのソフト、久しぶりにやろうとして見つからなかったので落ち込んでいたが、こんな場所にあったとは

「凄いな。見つけてくれてありがとう」

「見つけた? 違うな。視たんだ」

 ここぞとばかりに鼻を鳴らす。

「神の力で?」

「うむ」

 パッとしねー……

 そんな俺の表情に、小学生の顔はすぐにしかめっ面に戻ってしまう。

「まだ信じていないのか」

「それも透視?」

「顔見れば分かるわい!」

 ちょっとからかい過ぎた。

 だが今度は小学生も少し悩んでいる。ゲームソフトで威厳を見せようとする辺りが案外、神様も親近感がある。

「なんかもっとこう……億万長者とか特殊能力とか、ゲームみたいな感じは出来ないのか?」

 よっぽど俺のイメージが幼稚だったか彼女は俺の頭上にチョップを食らわせる。

「いいか。神の力とは人智を越えた力、つまりは常識の範囲外なのだ。むやみに見せて、この世界に影響を与えることはあまりにも危険なことを理解しろ」

「確かに」

 小学生の言うことを一理あるが、ある意味では言い訳にしか聞こえない。

「では手短に」

「な、何しようとするんだよ」

 彼女は座っていた俺の目に手を置こうとする。

 とっさに振り払おうとするが後ろから頭を抑えられる。

「黙っておれ」

 またも説明不足のまま俺の視界は彼女の手のひらに覆われる。

「あぁ、一言」

「え?」

「持っていかれるなよ」

 その瞬間だった。視界が覆われた黒から完全な黒に切り替わる。

 真っ黒な視界がふわりと崩れる。視力が無くなったような感覚に気持ち悪くなる。

「目を開けても良いぞ」

 再び視界がもとに戻った時、そこには手のひらはなくなっていた。

 そしてそれが自分の視界ではないことに気付いたのはその直後だった。

「浮いてる……!?」

 周りを見れば住宅街、そして下を見れば身体は浮き上がっていた。

「正確には違う。意識だけ移しただけだ。誰からも見えておらん」

 ふと前の家に人が居るのに気づく。

 柚子が部屋の中で退屈そうにスマホを弄っているのだ。

「ここ柚子の家なのか」

 ボーっとそんなことを思っていると、柚子はおもむろに服を脱ぎだす。

「何何何!?」

 柚子はこちらに気付くことなく、ご機嫌に着替えを続けている。

「家だから着替えておるだけでろう。お前だって着替えていただろう」

「そういうことじゃないだろ!」

 女友達の着替えを覗くのに抵抗がないわけがない。

 必死に足をばたつかせようとするが身体が動くことはない。

「そろそろ信じてくれたか?」

「信じた! 信じたから元戻せ!」

 指が鳴り、ようやく視界が自分のものに戻る。倦怠感でその場に座り込んだ。

「どうだった」

「変な気分だよ。未だに酔ってるみたい」

 クラクラして目が開けられない。

「だがこれで私が神だということは理解しただろう」

「そうみたいだな」

 あんなもの見せられれば納得するしかなくなる。

「だったらもっとそれっぽい格好すればいいのに」

「趣味だ」

 あんな力を見せられた後でも親しみやすい神様には変わりなさそうだ。

「それでそんな神様が俺に何の用なんですか?」

「話が早くて助かる。本題だが、お前には頼みたいことがある」

 ごくごく普通に生きてて神様に頼られることがあるとは思わなかった。

「神に出来なくて俺に出来ることなんてないと思うんだけど」

「一つだけあるぞ。人を口説き落とすことだ」

「はいはい、くど……え?」

 あまりに俗世的な発言に聞き返してしまった。

「お前には一人の女を恋に落としてもらう」

 彼女はランドセルから写真を一枚取り出した。なんてところに入れてるんだ。

「宮下雪緒。知っているな」

 顔よりも先に名前で俺はピンとくる。

「宮下雪緒……頭のいい奴か」

 特段関わりもないのでそれくらいの感想しか出てこない。

「まさか宮下と付き合えと?」

「俗っぽく言うなら青春しろ」

「意味分かんねぇ……」

「顔だけなら美人だろう。他に好きな奴でも居るのか?」

「居ないよ。でもいきなりクラスメイトと付き合えって……」

 いきなり口説けなんて言われて、はいやります!で生きてたら童貞してない。

「なんで宮下と付き合わなきゃなんだ? 理由は?」

「自ら申しただろう。成績が良い奴と」

「成績が良いのが問題なのか? でも学年一位でもないし、何か特別な、ってことも聞いたことないけど」

 単に彼女について何も知らないと言うのもあるが

 世界を滅ぼす……なんて聞いてピンと来るような人間には到底思えなかった。

「だが将来、奴は天才物理学者になる。世界的どころの話ではなくな」

「物理学者……」

「あぁ、まぁ物理学者と言っても見聞は広く、ジャンルを問わなかったとは聞いた。科学者の方が呼び名としては正しいかもしれん」

 そこから小学生が話し出したのは、今までよりもよっぽど突拍子のない話だった。

「彼女は大学在学中には大抵の物事の法則を理解し、新たな法則をいくつか発見する。卒業後には海外に渡航、そこで物理学以外にも手を出す。そこで満足すればただの天才だったんだ。だが奴は見聞を広げ過ぎた結果、私たちの存在を知った」

 小学生は忌々しく呟く。

「私たちってつまり神?」

「あぁ、私たちもそれだけは見逃せなかった。ありとあらゆる手を使って彼女の知った城尾法を抹消及び彼女の抹殺を計画した」

「ま、抹殺って……」

「知能の持つ者にはそれだけ大きすぎる物なんだ。だが結果として彼女を通じて神の存在を知った人間たちは様々な人の理の外に手を出し、世界を三日にして終わらせた」

「三日……?」

「一日で一般人は死滅し、二日目で惑星が壊れ、三日目には太陽系どころか何もかも無くなった」

 小学生の覇気の籠った語り口に、思わず生唾を飲み込む。

「だから私がこうして過去に来たんだ。未来を変えるためにな」

「……つまり宮下さんを物理学者にしなければいいってこと?」

「飲み込みがいいな」

 彼女の人生を変えて、物理学者にならないようにすれば世界が滅びることはなくなる。つまりはそのために俺が介入すればいいということらしい。

 だが話だけ聞いていると、ちょっと酷い話にも聞こえた。

「でも他人の人生変えるとか、あんまりいい気分しないな」

 言い方は違うが、要するに彼女の未来を奪えと言われているようなものだ。

 しかも人間からすれば大きな進歩となる人間なのだ。方向性を変えるとか……

「他人の人生を捻じ曲げる。その考え方もある。だがそれは違うな」

 そんな考えを、小学生は即刻否定する。

「見たところ、彼女に友人は居ない。人生なんて友人一人違うだけで180度変わる。そもそもだな……」

 今度は子供らしく笑う。

「私は人間の未来に期待しているんだ。彼女の別の未来を見たいと思うのは私のエゴだろうか」

 確かに未来を変えるだけなら宮下さんを消せばいいだけだ。

 それをせず、他の人間を使ってだが人生単位で彼女を救おうとしてくれているのだ。

「春斗、期待しておるぞ」

「……やれるだけやってみます」

「うむ!」

 満足そうに小学生は頷く。

 未来の世界を救う救世主、その響きが心の中で反復される。

 嫌でも胸が高鳴ってくる。

「ところでなんで俺?」

 だがそれと同時に大役であることを理解するほど、なんで俺なのか分からなくなってくる。

「小さい男だな」

「世界救うのに小さいはないだろ」

 やたらと面倒臭そうに彼女は眉をひそめる。

「一つは同じクラスだから、もう一つは都合がいいから」

「都合?」

「言わない方がいいと思うが」

「神様は知らないと思うけど、人間そう言われる気になるものなんだよ。それとも未来に関係するから言えないのか?」

 もしかして宮下が将来の奥さんとか、俺も著名な学者になってたり……

「色々想像しているだろうが、どれも当てはまらんと思うぞ。別に言えないことでもない」

「だったら」

 俺の頼みにようやく折れてくれたのか、彼女はため息を吐く。

「では申すが……」

 やたら気まずそうに彼女は口を開く。

「お前近いうちに死ぬぞ」

「え?」

「死ぬ」

「え……えぇぇぇぇぇ!?!?」

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