第三話 『約束とそれから』
「は?」
俺がそんなマヌケな声を漏らしているのは、待ち合わせ場所に来て早々、神無月が札束を差し出しながら土下座をして来たからだ。
こんな理解不能な状況ならだれだてそうなるだろう。
「五〇万あるわ。これで手帳を返して、内容は黙っていなさい」
「ええっと……」
手帳、内容? 畳みかけられた情報に思考の整理ができず、ただ彼女のつむじを眺め、立ち尽くす。
「……たりないとか、いわないわよね」
黙っていたせいか、威圧的な声色が飛んできた。
様子を伺うように、彼女は頭だけを上げ、俺を凝視する。上目気味の目は、睨むように細くすぼんでいるが、奥の瞳は不安の表れか、小刻みに震えていた。
目は口ほどにと言う奴だ。どんなに取り繕っていても、彼女の内面が見え隠れしてしまっている。
「心配しないでも、手帳なんて見てないですし、ましてや拾ってすらいないですから」
「嘘いわないでちょうだい!」
身をおこし、叫び、詰め寄る神無月。気づけば、荒く、乱れた息遣いの熱が伝わる程に、俺と彼女の距離は縮んでいた。
「誤魔化してないで、さっさと手帳を返しなさい!」
彼女の手が、俺の肩を鷲掴む。
荒々しい声が、頬にかかる熱が、手を通して伝わる震えが、服に食い込む爪が、彼女の怒りの度合いを物語っている。
事実を伝えて、まさかこうなるなんて予想外だ。
とにかく、興奮状態の彼女をどうにかして、話しが出来るようにしないダメだ。
「お、落ち着いてくれ!」
「無理よ。引退になるかもしれないの。女優としての人生がかかってるのよ!」
「え? 引退……?」
彼女の口から放たれた言葉は、他全ての思考を消し飛ばす。
想像していたよりも規模の大きい問題に、ただ驚くことしかできない。
「なに初めて知ったような反応をしているのよ」
「初めて、ですよ……」
「ならどうして私がずっとエリザの演技をしてるなんてこと言えたのよ。知っていたからでしょ?」
「それは……演劇の道を目指しているから……人の演技に敏感なだけ、です。神無月さんは人がいるときとそれ以外で、動きも、空気感もなにも……全然違うから」
「そう……なの?」
必死な説明に、完全に納得できてはいないようだが、少なくとも手帳は持っていない事は理解してくれただろう。それを証明するように俺の肩から彼女の手が離れてゆく。
「あ、ちょっと待ちなさい。貴方演技がわかるって、やっぱり気づいてるってことよね?」
ほっと胸をなで下ろしたのも束の間。
一体何を言っているのだろうか。
「気づいてるって何に……あ」
今までの会話、そして俺が悪癖によって零してきた言葉。そこから、理解した彼女の問題。
――人前に出れない……。
「やっぱり、わかってるのね」
ただ、見つめられるだけで、呼吸の仕方を忘れるような眼光。
俺が気づいたことに、その瞳をさらに細めそして、表情をゆがませる。
「そうよ! 人前に出れないのよ、人が、人前が怖いの……自分を偽っていないと、エリザの仮面を被らないと、震えが……止まらないのよ」
手と口元を食いしばり、うつむく彼女。見ていれば、足下にはポタポタと雫が零れ落ちている。彼女に対し、涙を止めようとしたのか無意識に手が向かう。が俺はその手を意識的に下ろし、動かないようにと拳を握る。
「悪役女優のくせに、笑えるでしょ」
未だに、涙をこぼしたままの彼女は、気丈にエリザの仮面を被り直そうとしている。
笑われた事があるのだろうか。笑えることが、あるのだろうか……。
彼女の悲痛な自虐。そんなもの、間違ってでも笑えるか。
「笑いませんよ、絶対」
だから、はっきりと、彼女へ向けて言葉をぶつける。
「俺も、人の目が怖い気持ち、よくわかります」
「貴方になにが分るのよ!」
キリキリと肩に、力が加わる。
痛い。痛いけれど耐えなきゃ。彼女も、同じくらいの痛みに今も耐えているのが分るから。
だから、共感するように俺も口を開く。
「視線を感じるだけで吐き気に襲われる。恐怖で震えが止まらない。心臓が混乱して、痛みを訴えて、まともに呼吸すら出来ない」
震えを抑えるために、必死に握っていた拳をほどき、彼女の目前に震えた手を見せる。
「俺も、同じです」
数秒の沈黙の後、細められた目を大きく見開いて、彼女の宝石のように清んだ瞳が俺を捉える。今度こそ、彼女の手から力が抜けてゆく。
「……貴方も」
「そう、同じです。同じだから……」
衝動的に俺は彼女の肩を反対に掴み直し、説得するように彼女の瞳をのぞき返す。
自ら覗きに行ったのに、さっきから肺の奥にくすぶっていた吐き気が、喉にまでせり上がる。辛い。けれど、これだけは伝え無くちゃいけない。
「だから、俺はそんな神無月さんを尊敬します。怖くても人前に出れる貴方をそれでも、舞台に立とうとしている貴方を」
「そう……」
「何も心配しないでください。俺は、そんな尊敬する人の邪魔になるようなことはしませんから」
そう言って足下に落ちた札束を拾い、彼女へと差し出す。
「いえ、なら尚更、受け取って頂戴」
「受け取れませんって。信用出来ないかもしれないですけど、絶対に言いませんから」
「無理ね。信頼や信用なんてのは、同条件同士だからできる事なのよ。貴方は私を殺すための銃をもっているような状態」
そこに存在しているかのように、彼女は見えない銃を構え、銃口を俺へ向ける。
存在しないエアで作られた銃。その筈なのに、息が詰まるような感覚、緊張感が身を襲う。命を狙われているような錯覚が身を強ばらせる。
「銃口を向けている相手の言葉を安心して聞く事が出来るかしら。ご機嫌を取らないと、いたずらに引き金を引かれ、死ぬかもしれない。そう考えないかしら」
「それは……」
何も言えないほどにたった一つの演技で分ってしまった。彼女も生きた心地がしないのか。
「だから、契約という形で私に安心を与えて頂戴。この際お金じゃ無くても何でも良いわ。貴方の望みを叶えるから、その代わり口外しないって言う契約をしてちょうだい」
「何でも……」
彼女の強い覚悟が、胸につたわってくる。
胸の前で握られた彼女の手は、さっきよりも爪が食い込んでおり、何としてでもという意識がつたわってくる。
「どうして私の胸をじっと見つめているの」
「え?」
「あ、貴方ななんでもって言ったけれど、も、もしかして私の身体を……」
身を守るように、自らの肩を抱き、神無月は身を引く。
「違……」
彼女へと手を伸ばし誤解を解こうとしたが、足がもつれて踏もうとした足が地面を空ぶった。そして、そのまま彼女を押し倒した。
彼女のぬくもりと、息づかい。胸の柔らかな感触。緊張か恐怖か、彼女の心臓の鼓動が俺の身を伝って聞こえてきた。
やばい、やばいやばい。
「ご、ごめん。事故なんだ、足がもつれただけだから。そういうこと興味ないから!」
即座に彼女から身を離し、俺は全力で土下座し、弁明する。
「あ、えぇ……いえ。だ大丈夫そ、そうよね。私の身体なんて貧相でなにも面白くないし悪人顔の私なんて……」
「え? 神無月さんの身体が貧相なんて、そんなこと全然。むしろとても魅力的じゃないですか。顔もとても整っていて美人ですし」
「や、やあやあああ、やっぱり貴方私の身体が目当てなのね」
神無月は頬だけでなく、顔全体を赤くし、あわあわと完全に演技を抜いて対応している。失敗した。どうして、すぐ気を抜くと本音を零してしまうのか。自分の悪癖を呪う。
「いゃ、違いますから。俺好きな人がいるので、神無月さんをどうこうしようなんて考えてませんよ」
必死に手を振って否定することしか今は出来なかった。
ここで不用意なことをしてさらに勘違いされたらいろんな意味で終わる。そんな予感がさっきから頭をよぎってしょうがない。
「あ、え……そ、そうなのね。悪かったわ」
気まづい空気が流れる。どうしてこうなったのだろう。
この空気を壊すためではないが先程から気になったことを尋ねてみようと口を開く。
「な、なぁ。契約をする前に一つ聞かせてくれないか? どうしてそこまでして、必死に隠したいんだ?」
「私はいろんな人と約束をしているから私はそれを叶えたいただそれだけよ。そのために私は世間に演技ができないって情報が広げる前に克服しなきゃいけない、助かるために命乞いをするしか無いのよ。お金でもなんでも、私にできることなら、女優としての私が死なないためならなんでもする。なんでも捨てる」
彼女の、覚悟。人として女優として芝居の道に生きると決めた者の覚悟。俺はその姿に悔しくも二人の人物の姿が重なった。幼くも茨の道へ進もうとした初恋の少女。そして、自分に芝居の道しるべ、それを教えてくれたあの人の……。
「なぁ……
考えるまでも無く俺は彼女へと問いかけた。
「突然なに? 当たり前でしょ? 大御所中の大御所じゃない。何回か共演したこともあるし、とてもお世話になった人だわ」
思い出に浸るように僅かに顔をほころばせる彼女。きっとあのドラマのことを思い出しているのだろう。
「あなたもしかして? 屋久島大樹さんに合わせてほしいってわけ」
「そういうわけじゃなくて、屋久島大樹は俺の父親だ」
「はい? なにを言っているの?……」
当然、そんなことを言って理解されないのはわかっていた。だから、彼女へとスマホの画面を見せつけ、今の言葉が事実なのだと否が応でも理解させる。
「っつ……」
画面に映っているのは俺と屋久島大樹が映った家族写真。
そして俺は、顔が見えるように目元まで伸びたうっとうしい前髪を上げる、
それを見て受け入れるしかないと判断したのか。彼女は目を見開いて固まっていた。
「これ、黙っていてくれよ。バレたら俺は学校でまともに過ごせない。目立てないからな」
「そんなこと……あ。貴方、なんでそんなことを?」
俺が今なぜこんな話をしたのか、彼女側も気づいたのだろう。戸惑いつつも、しっかりと、エリザを憑依させてこちらを睨む。そんな彼女にエアで作った銃を差し出す。
「信頼出来ないなら、条件をそろえる。神無月も俺を撃てる銃をもったなら安心だろ?」
「貴方、バカじゃないの」
「自爆したお前にだけはいわれたくないんだが……」
「何の事かしら?」
誤魔化そうとするも、恥ずかしかったのか僅かに頬が朱に染まっている。
「今、俺が学校に来れてるのが奇跡みたいなもんなんだ。それこそバレたら登校なんてできなくなる。俺の人生に関わる。条件としてはちゃんと対等だろ?」
深い、深いため息を吐きながら彼女は呆れるように首を縦に振った。
「互いに爆弾をかかえてるから、不干渉。互いに関わらない。ここをでたら、俺等はもうクラスメイトとしての必要最低限の関わりだけの赤の他人、それでどうだ?」
「はぁ、受け入れましょう。拒否したら、貴方は自分を犠牲にするような別の方法をとってきそうです」
了承はしてくれたが、若干不服なようだ。まぁ、受け入れてもらえるのならそれでいい。
「それじゃあ、俺たちは他人同士それでいいな?」
「もうそれでいいです」
彼女の了承を聞き届けて、俺は教室から出てゆく。
これで今まで通り、目立たない日々を過ごせるだろう。
〇✾〇
私は自室のベッドの上で、布団を抱きしめ、惚けていた。
「大樹さんの息子……葉月君か」
どんな人だろうとずっと思っていたけど、優しい人だった。バカなくらいに……。
状況、規模の違はあれ、似た境遇の人。私の抱える問題や気持ちを少しでも理解出来る人。そんな人の言葉だったからだろう。頭の中にはいつものトラウマからくる幻聴の罵声、罵倒ではなく、彼の言葉が響いていた。
「笑いませんよ、絶対」
「だから、俺はそんな神無月さんを尊敬します。怖くても人前に出れる貴方をそれでも、舞台に立とうとしている貴方を」
だから「関わらない」そういわれたとき、互いにとって最善なのは間違いないけれど、痛かった。胸の奥が、ざわつくようないたみを発していた。だから、彼が教室を去るときの背中を、名残惜しく見つめてしまっのだろう。
また話したいな、なんて強欲な思考が湧いてでる。
偶然出会えたら、話しかけるくらいは許されるだろうか。
嫌な顔をするだろうか。
それとも、私と同じでこの孤独を埋めようと手を伸ばすだろうか。
なんて考えながら、私は夜をすごし、久々に憂鬱じゃない気分で眠りについた。
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