第四話『映画館での遭遇』
神無月との誤解を解いたその翌日。今日は待ちに待った休日で、待ちに待った映画の公開日でもあった。だから、比較的早起きをして、映画館まで来ていた。
初日の初回公演。前評判が高かったからか、いつもは寂れているこの穴場の映画館も、待合席が殆ど埋まる程に混み合っていた。
「予約していたとはいえ、早めにこれてよかったな。待合席に座ってゆっくり出来ないところだった」
昨日まで抱えていた神無月とのゴタゴタのせいで疲れは溜まっていたがなんとか起きることが出来た。早速チケットを早々に引き換えて、周りに紛れ込むように時間を潰せるスペースをさがそうと、辺りを見渡し、館内をうろつく。
「葉月……さん?」
どこか聞き覚えのある声に呼ばれた気がしてピタリ、と足が止まる。
おそるおそる振り向くが、立っていたのは見覚えのない女性だった。
肩に掛かるくらいの茶髪で、丸縁眼鏡に薄いベージュのマスク。オーバーサイズのブラウンカラーのニットに、ピッシリとした黒いスカート。地味目な印象を与える服装だが、マスクをしていても分かる整った顔に視線が行く。
こんな奴、俺の知り合いにはいない。
俺がいると言うことに驚いているのか、目を丸くし、固まっている。
その反応に見覚えがあるような……もしかして……。
「神無月、か?」
互いに見つめ合い、神無月の顔に色がつく。
その色は恥じらいの赤、ではなくしまった声をかけてしまったという。
血の気が引いた青。俺も、まったく同じ色に染まっていることだろう。暖房からきたものじゃない汗が、額から流れる。
よりにもよって、行きつけの穴場の映画館で
「関わり合いにならない」
と約束をした相手と翌日に合うなんて、そんなのだれが想像する。
「お祓い、行こうかな?」
「私のことを疫病神とでもお思いで?」
そこまで酷くはないが、分類上同じようなものだよ。とはさすがに言えず、悪癖が出ないよう、意識して口を閉ざす。
「そこは、即座に否定するべきところじゃないかしら?」
ギロリと彼女が俺を睨んでくる。が、よく見てみれば僅かに口角が上がっており、怒りや不満と言うよりも、怒っている演技で俺をからかって遊んでいようである。
「それ、即座に否定したら嘘くさいとか言わないよな?」
「当然、言うわね」
あぁ、多分俺は遊ばれている。
腕を組んで、自信満々に答えており、この後さらに「当然でしょ」なんて言ってきてもおかしくはないそんな雰囲気を出しているその素振りは相変わらずで、完璧にエリザを演じきっている。
「そう、じゃあお詫びとして、私の言うことを一つ聞きなさい」
「ちょっと待て、どうしてそうなる」
エリザの演技を強めて、傲慢に俺へ人差し指を向け彼女は押し通そうとしている。
「あら、女の子を傷つけたのに謝罪ひとつもなく、貴方は離れるのですか?」
前かがみになり、顔を覗き込むようにして冷たく、睨んできた。
その目には圧が載せられている。が、有無を言わせない圧、というよりかは切羽詰まっているから、逃がさないといった意味合いに受け取れる。
エリザが、いや神無月が演じるにしては罰という言葉がどこか不自然で、とっさに誘導したように思える。彼女の意思がどこにあるのか気になり、俺は探るために了承する。
「いい返事をありがとう。それじゃあ、これで『ドストレスウィークエンド』を買ってきなさい」
ピシリと指さし、反対の手にはお札が二枚。
パシリのような注文をするが彼女が自信満々に指をさしているのはフードの売店。けれど彼女が告げた名前は、今から俺が見ようと思っていた映画の名前。
「それ仕様のポップコーンかドリンクでも買ってこいってか?」
「映画のチケットにきまっているじゃない」
一体何を言っているのかしらと、呆れたような視線を向けられたが、その顔を浮かべたいのは俺だと、同じような表情を作り、言い返す。
「フードの売店指さされてチケットなんて思い浮かぶ奴なんて一握りだと思うんだが」
別に彼女の言い分に不快感など感じていないが、何かを隠しているだろう彼女に先程のからかいのお返しにと意地悪をしてやりたくなった。
「フードの売店なんて分るわけ無いじゃ無い……」
その意地悪が上手く働いたのか、彼女はささやくような声でそんなことを呟いていた。
もしかして彼女はじめてこの映画館に来たのだろうか、なんだか見た目とは違って抜けたようすの彼女についつい笑みがこぼれてしまう。
「そ、それじゃあチケットの販売窓口を教えなさい」
やっぱり、分かってなかったのか……。すこし狼狽したようすの彼女を眺めながら後ろを指さす。
「あっちから購入できるけど?」
「え? あれ、ネット予約とか専用では……」
指さしたのは、チケットの券売機。この映画館は人経費削減のため、早々に券売機に切り替わり、人の窓口は無くなっている。というかこの辺の映画館は大体、無人だ。
神無月は不思議そうに券売機を見つめている。
「あの、窓口は無いのですか?」
「無いけど、どうして?」
「それを言う必要がありますか?」
純粋な問いかけだったが、強く拒絶されてしまった。怒っているというよりかはそこに、聞かれたくない何かがあるようで、どこか戸惑っている。
昨日、一昨日と見ていて思うのだが、都合が悪い時のごまかしが、威圧する一辺倒な気がしてきた。俺もそうだが、意外と嘘がつけないのかもしれない。
「触った事が無い機械が苦手なんてどう説明すればいいのよ……」
蚊が鳴く程の小さな呟き。俺に聞かせるつもりは全くなかっただろうが、聞こえてしまった。
「機械音痴……」
あまりにも予想外で、さっきまで失言しまいと引き締めていた決意が、波にさらわれる砂の城の如く、一瞬で崩れ去ってしまった。
「機械音痴ですがなにか、悪いのですか?」
「え、あ……わるい。じゃなくてすまん……」
訴えるような瞳に、つい目を反らすが、居心地の悪さは変わらない。というか、寧ろ居心地のわるさが増している。彼女から強い視線が見ていなくても伝わってくるからだ。
「な、なら買い方を今すぐ教えなさい」
恥ずかしさか、戸惑いか、叫ぶようなやっつけの演技で、言い放つ。
当然、何があったのかと、周囲の人達は叫ぶ彼女の方を向くわけで……。
「うっ……」
周囲の視線を体が感じ取り、心臓が拒絶反応を起こして騒ぎ出す。急に血が体に巡ったせいで、同時に吐き気にも襲われる。
「葉月さん⁉ 大丈夫ですか?」
さすがの彼女も、こんな事態まで仮面を被り続けることは出来ず、慌てながら、周りから俺を隠すように人気のない方へ誘導する。
避難した先で暫く息を整えてから彼女に感謝をする。
「助かったよ……はぁ……」
「悪かったわ……私のせいで」
しょぼんと、怒られた子犬を連想させ、さらにたれた耳と尻尾を幻視させるほどに彼女は落ち込んでいる。
「まぁ、映画館ではロビーでも騒いじゃいけないってことだな。ちょうど、券売機側にきたし、買っちゃおうぜ」
「そうね、そうさせてもらうわ」
まだ、若干しょんぼりとしたまま、彼女は言われるがままに足を運び、俺の説明を受けてチケットを購入する。
液晶をタッチする彼女の指は震えており、結構な機械音痴ぶりを伺わせた。でも、全くもって難しい操作ではないので、チケットはすんなりと買え、彼女の手元にはEの十三番のチケットが握られていた。
「助かったわ、それとさっきは悪かったわね」
そこまで気にされるとは……。
彼女の表情の暗さ、陰りが相まって、俺まで申し訳なさがこみ上げてくる。
「貴方の言ったとおり、私達は関わり合いにならないほうが、良さそうね……」
そう言って、彼女はおれから離れていった。別れ際、彼女の目はさみしげな目をしているような気がした。彼女の表情に胸の奥で引っかかりを覚えながら、時間までなにをするわけでもなく、時間を潰す。
いつもは、映画のない要素を想像しウキウキしながらこの時間を過ごすのだが、先程の彼女の表情が頭を掠めその事ばかりを考えてしまう。が、入場案内のアナウンスが聞こえたところで頭を切り替える。
考えても仕方ないかと、真っ黒になった劇場を進み席番号が書かれた蓄光プレートと、チケットを見比べながら進む。
「Eの十二番……十二番? あれ……」
確か、さっき買った神無月のチケット番号、Eの十三番じゃなかったっけ?
チケットと同じ座席の列を確認すると、エリザの演技のまま僅かに眼をキラキラとさせた神無月が座っていた。
「まじか……」
映画が被るだけじゃなくてまさか席まで隣だなんて……。
ま、まぁ映画を見るだけだし関係ないか……。
集中してしまえば、隣が誰であろうと関係ない。
「え……葉月さん……。私もお祓い行ってくるべきでしょうか……」
「同じ時間に映画館で会ったんだ、こういうこともあるさ……多分」
適当に誤魔化しながら苦笑いを零す。本当に行くべきかもしれないな。
「そうですね、お互い気にせずに映画に集中しましょうか」
これ以上喋っても意味は無いと、うなずいて彼女の隣に腰掛ける。
映画が始まれば気にならなくなるだろうと、スクリーンに意識を向けると、すぐに予告のCMが終わり、制作会社のロゴマークが表示された。
いよいよ始まる。と、肘おきの先をつかみながら、前屈みでスクリーンへ注視する。
海外のファンタジー小説を原作としたもので、家の裏手にある祠が異なる空間世界である〔ゴドズ・レア〕に繋がっており、少年少女が現実とゴドズ・レアを行き来するという話だ。序盤は洋画らしい軽いノリで進行している。
それにしても、役者は名の知れたベテランばかりで、制作費をかけているのだと分る物になっているせいか、演技が物凄くとても見やすい。
『なぁ、ジェーンちょっとおかしくないか?』
明るい雰囲気が突然にくらくホラーチックに変化する。
『ちょっと、あっちのようすを見てくる』
『待って、ねぇ待ってよ……ひぃぃぃぃ』
「ひぃぃぃぃ」
怪物を目撃し、ヒロインのジェーンが悲鳴を上げた。そして、それと同時に俺の隣からも連動するように小さな悲鳴が上がっていた。こういう系あんまり得意じゃ無いのかもな、ちらりと横目で見た彼女は身を縮め、椅子の上で体育座りをしていた。
まぁでも。思ったよりホラー的というか、サスペンス敵なシーンが怖いからその気持ちは分らなくもない。
『そっちに行くな、ジェーン!』
主人公が叫び、目の前でヒロインが巨大な影に飲み込まれ次の瞬間。彼女に迫っていたのとは別の怪物が画面にぶつかってきた。
『ぎゃぁぁ……』
「きゃぁぁ」
映像で主人公の叫びと共に隣の席からも悲鳴が上がる。
俺も今のは驚いた。劇場内も彼女だけでは無く、何人かが悲鳴を上げている。
『やめろぉぉくるな!』
そして、再びパニックシーンとなる。また隣からは悲鳴が聞こえそして、何かが肩にぶつかったような衝撃。そして、熱。そちらへと視線を動かせば、神無月が俺へしがみついていた。何で、なんで、ナンデ?
彼女から伝わる暖かさと、強めにしがみついているはずなのに、肩や腕を通して感じる柔らかさに別の緊張が体を襲う。
「お、おい神無月はな、離れてくれ……」
彼女の耳元に口を近づけ、周囲に聞こえぬよう、説得する。
「あ……へ……あ……ご、ごめんなさい」
神無月はガバリと顔を上げた。その顔は涙で濡れて降り、唇も恐怖から震えている。
薄暗い映画館の中でも、彼女のその泣き顔は鮮明にそしてとても魅力的に映った。
そんなものを見てしまったからか、ドキンと、心臓が跳ねるような音がした。それは映画の衝撃音なのか、彼女の表情を見た自分の心臓から出た音なのかは分らない。いや、分ってはいけない。
腕から、ぬくもりが離れ、冷房によって寧ろ以前よりも熱を奪われた気さえする。残っているのは、彼女の幻想的な柔らかい間食の残滓。
無くなるのならこれも持って行ってほしかった。集中しようとする俺の思考を遮って、その残滓が先程の出来事を思い出させてくる。
あぁ、全く映画に集中出来ない。
どのシーンも感情移入出できないし、真剣に見たら面白いんだろうな。なんて、どこか他人事のようにしかこの作品を見れなくなっていた。
恨めしげに彼女の方へと視線を送れば、彼女もどこか映画に集中出来ていないのか、俺を掴んでいた腕を、見たり、さすったりしていた。
あぁこれはダメだ。
「……これ後でもう一回見よ……」
とりあえず、俺はこのシアターで映画を楽しむことを諦めた。
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