第二話『友人からのため息』
心臓の痛みを抑えながら、俺は必死に逃げ、気がつけば校舎を一周。体育館裏へと戻っていた。先程までの騒ぎが嘘のように周囲は閑散としており、ポツンと俺が手放したゴミ袋が残っているだけ。本来なら五分とかからないゴミ捨ての仕事だが、気がつけば日が傾いていた。
「ゴミ捨てすらまともに出来ないとはな……」
自分に意味の無い愚痴をこぼしながら、手放した袋をゴミ置き場へ捨てにゆく。
いつもなら今頃、自宅近所の丘の上というか展望台へ寄り道をして、演技の練習をしているのだが、走ってヘトヘトになった体では行く気力も無い。帰るかと鞄を取りに教室へ歩む。
神無月に「人前にでれない」なんて呟かなければこうはならなかった。そう考えてしまえば思ったこと、考えたことをつい言ってしまう癖、悪癖が心底嫌になる。
「そういえば反応したってことは、図星だったってことか?」
まさかな、彼女は女優だ。人に自分の演技を見せることが仕事。悪役女優なんて別称を付けられているが、同年代では並ぶ者がいない程の役者だ。その彼女が人前に出れないなんてこと、あり得ないだろう。
教室へ戻りながら、そんなことを考えていたが、入り口の前に来て足が止まる。
「あれ……やっぱりどこにもないよ……もうどこいっちゃったのよぉ……」
聞き間違いでなければ、今聞こえてきたのは神無月の声だ。
口調や声色が知っている彼女と全く違うけれど、絶対に彼女だ。
探偵ドラマの張り込みのように、ドアの影から頭だけを出し、教室内をのぞき込む。
窓際の一番後ろの席に、彼女がいた。やはり勘違いや妄想、幻聴ではなかった。彼女は自分の鞄をガサゴソと、必死に漁っており。集中している様子だ。
今なら気づかれずに荷物を取って帰れるのではと、忍び足で教室へ入り、自分の席へと近づく。
「あー、もう本当にない……」
突然、顔を上げた彼女に驚き、地面を踏むはずだった足が空振って、気づけば地面が眼前に迫っていた。最悪だ。タイミングをもっと考えてほしい。顔を上げるのも、転けるのも今じゃなくていいだろう。
「貴方……」
顔を上げれば、がっつり彼女と目が合ってしまっていた。
やばい……。こうなったら強引に逃げるしかないと、急いで体を起こし、ひったくるようにカバンを掴んで出口へと行こうとして、諦めた。
既に俺の進行方向へと回り込んで「にがさない」と言いたげ目で俺を睨み付け、通せんぼしていたからだ。
「
神無月の言ってた言葉は、すぐには頭に入ってこなかった。
代わりに、何故か彼女の動きの癖が目に入ってしょうがない。
どうしてこんな時に……あれ? さっきも感じた違和感。神無月にずっと感じていた変な既視感。そうか、でもどうして……。
「ずっとエリザの演技何てしてるんだ?」
言い終えてから、今し方彼女が俺へ問いかけていた言葉が頭に入ってきた。
最悪だった。自分が馬鹿すぎる。何てことを言ったんだこの愚か者は……。
芝居の事になると、我を忘れて考え始めてしまう自分を笑うしかない。般若のような顔を浮かべている彼女の目の前で笑う事ができるかは別問題だが。
「貴方手帳みたの?」
「え? て……」
何のことなのか確認しようとした直後。
「もー忘れ物なんてしっかりしてよね」
「しょうがないじゃーん」
廊下側から響く、誰かの会話。近づいているせいか声量が大きくなっている。
まずい。この状況を誰かに見られるのは、なにを思われるかわかったものじゃない。
どうしよう、彼女の方もなんか聞き終えないと離れてくれないだろうし……。
「今日の所はこれで帰るわ」
最悪の事態が頭をよぎったが、意外にあっさりと彼女は俺を解放した。
その後の彼女の動きは俊敏で、会話をしている生徒が教室に入ってくる前に自分の鞄を持って出て行ってしまった。
「なんだったんだいったい」
彼女の動きはまるで、自分と同じ、目立ちたく無い人がするような、そんな動きに見える。あれ、ちょっとまてよ。
「まずい」
廊下へ飛び出し、神無月を追いかける。
階段を駆け下り、校門まで走っても彼女の姿はどこにも無い。
彼女は〝今日の所は〟と言っていた。つまりそれは、そこにいるだけで目立つ彼女に、明日以降また話しかけられると言うことだ。
死刑を宣告されたような気分だ。翌日以降を想像するだけで気分が悪い。
喉の奥からピリピリと焼かれるような痛みが押し寄せてくる。
下校しながら、どうするべきかを考える。
〇〇
一晩考え、思い浮かんだ案が一つ。とにかく、目立たないようにしてほしいという懇願と、話を聞く意思を込めた手紙を早朝学校に行って、彼女の机の中に入れる。
早朝なら教室に誰もいないだろうし、神無月に人としての情というか、情けがあるなら人に言いふらすようなこともなく、助かるだろう。
大事なミッションだと、教室へ向かう。眠りたいと、瞳を覆おうする瞼を必死に押し上げてドアを開けた。
「またか……」
こんな時間なら誰もいない。そんな風に過信した自分を呪った。
教室の奥で、頬杖をついて外を眺める生徒が一人。神無月だ。もしかして、彼女も目立ちたく無い用だったし、俺の登校と共に昨日の件を話すつもりだったのだろうか。だとしたら助かったが。
ゴクリと唾を飲み込み、彼女の方へと近づく。
「神無月さん……」
反応が無い。俺だと分れば彼女の方から話しかけてくるかと思ったが、自意識過剰だったのだろうか。
「お、おーい神無月さーん」
何度か名前を呼ぶが、やはり反応は無い。無視されているのかと一瞬考えたが、俺の声が聞こえている感じがしない。どうしたものかと、彼女に近づくと
「んんっ……すー」
といった気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきた。
眠ってしまっているのなら。これ以上声をかけるのはやめよう。
無理に起こし、機嫌をそこねられても良くない。と、俺は彼女から離れ、自席へ戻ろうとして冷や汗が零れた。机の上に置かれた見覚えの無い茶封筒が目に入ったからだ。昨日、下校した時点ではそんなものは見ていない。
おそるおそる手にとると、表には『葉月楓様』と自分宛。この状況下から考えて差出人は神無月だろう。
猛烈に襲われる嫌な予感。恐怖から手からも汗が滲み、封筒に黒い染みが出来る。
『昨日の事で話があるから。今日の昼休み、音楽室の上にある空き教室で待ってるわ』
思い切って中を明けると、そんなことが書かれていた。
彼女も早朝に登校していること、封筒に書かれた誰も来ないような場所から推測して、やはり、何故だかは分らないが、内密に話がしたいようだ。
助かった気持ちはあれど、そんな彼女に何を話されるのか気になってついつい神無月を見てしまう。何度視線を向けても彼女は寝たまま、今聞いても意味など無いのだろう。
「あれ楓じゃないか。早いな」
「わぅあ! え⁉」
突然かかった声に、間抜けな声が漏れる。
「愁か、驚かせるなよな」
振り返れば、見慣れた優男がジト目を浮かべて立っていた。
「はぁ、まったく、何言ってんだよ。お前が勝手に驚いただけだろ」
勝手に驚いたって、いや……まあ確かにそうか。
呆れ、じっとりとした視線を愁に向けられてしまった。納得してしまったせいで、返す言葉がなく、愁を睨むしかできない。が、俺の視線を受けても愁はどこ吹く風、気にしたようすはなく、俺の手に持った封筒に目を向けている。
「それで、こんな早くに来てどうしたんだ?」
「気分だよ。早く起きちゃったとかそういう日あるだろ?」
誤魔化してみるが、愁はニヤニヤとイラッとする笑みを浮かべ俺、と言うよりかはその後ろ。神無月の方へ視線を向けている。
「そうだなー。理由、当ててやろうか?」
愁の行動から神無月が原因だと理解しているのだろう。当ててやろうか何て、白々しい奴だ。日頃の行いからして、俺が神無月に失言をしてしまったのだと分っているはずなのに。こういうときに揶揄うのはこいつの悪いところだ。
「神無月に惚れてラブレターでも出すってところか?」
彼の笑みがいやらしいものに変化する。これは本心から言っているわけじゃ無い。あーあ、本当に悪質な嫌がらせだ。俺は彼の頭を軽く小突いて、反論する。
「茶封筒でラブレター出すってセンス無さすぎだろ。だいたい、お前は知ってるだろ。俺は好きな人がいるって」
頭に浮かぶ一人の少女。幼少の頃、数回だけ遊び、友達になった子。
顔はおぼろげで、金髪で笑顔が可愛かったこと、演技がすごいことしか覚えていない。
けれど、確かに俺の胸にはその子がずっと刻まれている。
「冗談だよ。お前のこじらせ具合はよく知ってるからな」
「何言ってんだか。お前俺よりこじらせてるくせによく言えるな……とっとと美甘との関係、けりつけろよな」
「わかってるよ。でもそれが出来たら苦労しないってわかってるだろお前も」
「はは、流石にな」
何て乾いた笑いが零れ出る。そんなことを話しているときだった。
「あれ、二人とも珍しく早いけどどうしたの?」
耳に突き刺さるような、通りの良い明るい声。こいつは幼馴染みの
振り返れば予想通り、橙に近いくらい明るくなった茶髪を短く二つに結んだ、派手な印象の女子。そして、愁の思い人。あと数秒話しかけるのが早かったら、愁の気持ちが本人にばれていたかも知れない。良かったなと言う気持ちを込めて、俺は愁へ必要以上に口角を上げた笑みを見せる。
「楓がまたやらかしたんだよ」
早々に、嫌がらせに対する反撃を受けた。この状況は全くもってその通りなのだが、言わなくても良いだろう。
「なにまた……相変わらずね、いったい何をしたのよ」
短くため息を零して、愁と美甘へ昨日何があったのかを簡潔に語る。一応愁にはばれているが、説明は念のため、神無月の名前を伏せておこなった。
「なんだかまた面倒なことになってるな」
「楓、抱えすぎないようにしなさいよ」
手間のかかる子を見る親のような表情で、二人は俺をみつめていた。
「抱えすぎるなって、なにをだよ」
「はぁ……今のお前を俺は正しく認識してほしいんだがな……」
「本当にそうね……」
僅かばかりに、二人へ反抗してみるが、やれやれと二人して首を振られるだけだった。
こいつら……。
「まあそういうことで、昼は呼び出しがあるからとりあえず、昼食は二人で取ってくれ」
これ以上話しても一方的におもちゃにされるだけな気がしたので、バッサリと会話を切り捨て、机に突っ伏する。慣れた二人は、俺のようすを見て察したのか、それから何も言わず、互いに自席へ向かっていった。
俺は突っ伏したまま、昼休みのことに頭を悩ませながら時を待った。
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