第一幕

「駄馬を捨てに行く」

 男は車に駄馬を乗せて山に向かった。

 その馬は老いぼれているようで、目は濁り、鼻を虚栄心で湿らしていた。後部座席に利口に座る彼は一言も話さなかった。

 一方男は眼鏡と背広の至極普通の青年で、10時10分でハンドルを握っている。彼について少し話すとしよう。

 サラリーマンの父親と看護師の母親の一人っ子として生まれた男は、普通より少し良い環境で、普通より少し良い生活をして、普通より少し良い大学に行って、普通より少し良い仕事に就いた孝行息子なのだが、彼が10歳の時から両親は別居しており多忙の母に育てられた苦労人の一面も持っていた。

 しかし、父親からの毎月の養育費に滞りもなく(本人が、こういう場合たいてい本人は)金で苦労する事は決して無かった。

 

 「次のサービスエリアに寄ってもいいかい?便所に行きたかったのだけど、通り過ぎてしまった」

 馬は聞いているのか分からなかった。

「仕事を休む連絡もしなければ。Yさんは優しいから、僕に何かあったのかと心配をかけてしまうかもしれない。

 看板を見てご覧よ、ここを曲がれば京都、直進すれば奈良、か。 せっかくなら名産品でも食べて行こうか」

「ずいぶん楽天的なものだ、これから俺を捨てに行くのだろう?」

 馬は口を動かさずに言った。

「楽天家、と言われた事は初めてだね。何せその自覚は無かった」

「ああ楽天家だとも、考えることがあっちに行ったりこっちに行ったりだ」

「しかし君、楽天家と言うのは悲しいリアリストだと思わないか?現実を見て、考え込んで、必死に茶化して見せるのは。ひとつ悩むことがあって、もうひとつ出てきたら、悲劇。」

「くだらない」


 車内はラジオが流れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る