二十 豹変

「⋯⋯完璧だ。君たちの推理には恐れ入ったよ。⋯⋯でも」

 言うなり、千風は制服の襟もとに手を突っ込んだ。千風が真っ黒い光に包まれていく。それは、新入生合宿の夜に見たあの光だった。

 光が消えた。千風は黒と浅葱あさぎ色の衣に身を包んでいた。

 彩芽と蘭も変化へんげし、祓魔具を構える。

「僕の秘密を知ってしまった君たちには、消えてもらわないとね」

 千風は鉄扇てっせん──祓魔具で口もとを隠し、不敵に笑う。

「さて、と」

 千風はパンと鉄扇を閉じ、間髪をいれず彩芽目がけて突き出してきた。

 次の瞬間、視界が揺らぎ、彩芽は床に倒れ込んだ。みぞおちがひどく痛む。どうやら、鉄扇で思いきり突かれたらしい。

「落とすなら、弱いヤツから。基本中の基本だね」

 床に這いつくばる彩芽を見下ろして、千風は笑う。

「あぁ、そうだ。誰かが助けにきてくれるなんて、無駄なことは考えないほうがいいよ。ここは角部屋だから、音が周りに聞こえにくい。すなわち、孤立無援の閉鎖空間というわけさ」

 千風はとても楽しそうに笑う。その笑みは、無邪気の中に狂気を孕んだものだった。まるで虫を殺して遊ぶ子供のような。

「よくも、彩芽を⋯⋯! あぁぁぁぁぁー!」

 蘭が金切り声をあげて斬りかかる。

「怒りを刃にのせているだけでは、僕に届かないよ」

 千風は失望したような表情で、閉じたままの鉄扇を蘭の首に振り下ろした。

「かは⋯⋯っ!」

 急所をピンポイントで攻撃され、蘭も倒れ込んだ。

「二人とも、弱いね。もう用は済んだだろうから、僕はこれで失礼するよ」

 千風がドアに手をかけたその時だった。彼女の足首に、鈍い痛みが走った。

 見下ろすと、足元に倒れていたはずの彩芽が、祓魔具――二十六年式拳銃を撃っていた。

 思いがけず片足にダメージを負った千風は、その場にくず折れた。

「確かに私は、一人だと弱い。でも、蘭ちゃんと一緒だと⋯⋯ずっと、ずっと、強くなれるんだ!」

 彩芽は叫んだ。

「⋯⋯一つ、君たちに忠告しておこう。濁悪じょくあくは、いつも君たちの近くにいるよ」

 千風は足首をかばいながら、去って行った。


 それは、月曜日の朝のことだった。

 彩芽が学校に行くと、千風の席には誰も座っていなかった。

(あれ? 千風ちゃん、まだ来てないのかな?)

 彩芽は特に気に留めなかった。

 しかし、朝のホームルームが始まる時間になっても、千風の席は空いたままだった。

「皆さん、おはようございます」

 藤宮教諭が教室に入ってくる。その表情は、どこか沈痛に見えた。

「出席を取ります。いずみ寧々ねねさん」

 担任が出席簿を開き、出席を取り始める。しかし、最初に呼ばれたのは出席番号が二番の生徒だった。

「先生、天田さんは休みですか?」

 教室のどこかから、声がした。

「⋯⋯いいえ、欠席ではありません。皆さんに、伝えておかなければならないことがあります」

 その瞬間、教室の空気が張り詰めた。彩芽は、とても嫌な予感がしてならなかった。

「⋯⋯天田さんは、無期限の停学となりました。理由は、一身上の都合です」

 教室がざわめいた。藤宮が制する声も、ざわめきにかき消されてしまっている。

 嫌な予感ほど、よく当たるものである。彩芽は頭が真っ白になり、そのホームルームのことはよく覚えていない。


 放課後になった。彩芽が帰り支度をしていると、藤宮が話しかけてきた。

「九条さん、この後時間はありますか?」

「⋯⋯はい」

「北大路さんと一緒に、職員室に来てください」

「分かりました⋯⋯」

 何を言われるのだろう。彩芽には、見当がつかなかった。

 重い足取りで職員室へ行くと、そこには藤宮と蘭が待っていた。

「入ってください」

 藤宮が扉を開ける。二人を通すと、彼女は先立って歩き始める。向かった先は、藤宮のデスクだった。

「あなたたちを呼んだのは、天田さんの件で伝えておくことがあるからです」

「先生、天田さんのことは朝、伺いましたが⋯⋯」

 蘭は首をかしげている。

「確かにそうですが、あなたたちにだけは伝えておくべきことがあります。今から聞くことは、決して他言しないように」

 二人は唾を飲み込み、うなずいた。

「天田さんが停学になった本当の経緯を、話します」

「で、でも先生。ホームルームでは伏せてたじゃないですか」

 彩芽は我に帰り、口を挟む。

「あなたたちがこの件に関わった以上、結末は知らせておくべきだと判断したため、伝えることにしました」

「⋯⋯はい」

「天田さんが停学になった理由は、一身上の都合ではありません。期末試験での不正が決定打になりました」

「決定打、ということは、他にも何かあるのですね」

 蘭が指摘する。

「そうです。天田さんは今回の期末試験だけでなく、初等科の頃から試験で不正をしていたと分かりました。そのため、悪質と判断して無期限の停学となりました。本来なら退学ですが、校長の温情で無期停学としています。曰く『これは、どんな理由があれ許されることではありません。しかし、生徒を退学させて切り捨てれば解決するとも思えません。大切なのは、その後どうするかではないでしょうか』だそうです。事態は、北大路さんが考えていたとおりでしたよ。あの日、職員総出で学校中のゴミ箱を調べたところ、教室から一番遠いゴミ箱でカンニングペーパーが見つかりました」

 彩芽は、何も言えなかった。

「北大路さんと九条さんがいなければ、不正が発覚しないままでした。あなたたちの勇気は、素晴らしいものです」

 藤宮は不正行為を報告したことを褒めている。しかし、彩芽は全く喜べなかった。

 自分が密告さえしなければ、千風は停学にならずに済んだのだろうか。

 自問自答を繰り返したが、答えは出なかった。

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