十六 勉強会
初めて見た北大路家は、だだっ広い土地に建てられた平屋だった。平屋の中でも、桁違いに広い。彩芽は、平屋といえばサザエさんの磯野家しか知らなかった。ここと比べると、磯野家など月とすっぽんである。
「どうぞ、お入りください」
霧島が門扉を開け、三人を招き入れる。
彩芽は、門から玄関だけで三分は歩いたように感じた。彩芽の家など、門から玄関まで一分もかからない。それを当たり前として育ってきたため、北大路家は門から玄関まで果てしない隔たりがあるように感じた。
玄関の戸も、霧島が開けた。いよいよ、家の中に入る時だ。
玄関に足を踏み入れた彩芽は圧倒された。北大路家は、玄関だけで彩芽の家のリビングほどあるようだった。ただ広いだけでなく、高級旅館のような佇まいだった。彩芽は子供ながらに、こういった空間を「洗練されている」というのだろう、と理解した。
「こちらが、わたくしの部屋よ」
蘭が二人を案内する。
部屋はとても広い和室で、調度品が並べられている他は綺麗に片付いていた。
蘭は、部屋の真ん中にある大きな座卓へと二人を促した。座卓は三人が勉強道具を広げてもまだ余裕があった。
「じゃあ、やろっか」
彩芽の一言で、三人は教科書や問題集と向き合った。
三人とも、押し黙って勉強を続けている。三十分ほどたった頃、紅緒が「あぁ〜、もう飽きた〜!」と、子供のように駄々をこね始めた。
「飽きるのはまだ早いわよ、紅緒」
蘭はプリントに書き込む手を止めずに、たしなめる。
「だって〜、勉強つまんな〜い!」
「⋯⋯あなたがそう言う時は、分からない問題がある時よ。見てあげるわ」
半ば呆れたように、蘭が言う。
「えっ、ほんと〜? じゃあ、これ! お願〜い」
紅緒は英語の問題集を差し出す。
「⋯⋯⋯⋯えっ?」
問題集を見た蘭が、絶句している。
「全然埋まっていないじゃない⋯⋯」
先ほどとは違い、完全に呆れていた。
「えへへぇ」
紅緒が笑うと、「笑い事ではないのよ?」蘭が凄んだ。
これにはさすがの紅緒も小さくなり、「⋯⋯ごめ〜ん」と謝った。
「だいたいここ、一般動詞を答える問題なのになぜbe動詞が出てくるの」
蘭が問題集の一問を指す。
「使い方、よく分かんなくて〜」
「⋯⋯まさかこの前の中間テスト、追試になったのではないでしょうね?」
「せいか〜い、よく分かったね〜。いい子いい子してあげるね〜」
紅緒が蘭の頭をなでようとしたが、その手はあえなく振り払われた。
「いいこと、紅緒? よく聞きなさい。be動詞は、主語とその直後にある単語が同じものを指している場合でないと使えないのよ」
「どーいうことぉ?」
紅緒が首を傾げると、蘭はノートを取り出し、空いているページに「I am Ran.」と書いた。
「この文はどういう意味かしら?」
「これは分かるよぉ。『私は蘭です』だよねぇ」
「そう。この場合、『私』と『蘭』は同じ人物。だから動詞は、be動詞になるのよ」
「そうなんだぁ。じゃぁ、一般動詞はどうなるのぉ?」
蘭は下に「You study English.」と書いた。
「この文の意味は?」
「えっと〜⋯⋯『あなたは英語を勉強します』?」
「正解。一般動詞は、主語と動詞の直後の単語が同じものを指さないの。『あなた』と、英語を『勉強する』ことそのものは、同じではないでしょう?」
「あ〜! そういうことだったんだ〜! ありがと〜!」
スイッチが入ったのか、紅緒は一心不乱に問題を解き始めた。
「彩芽は、どう?」
紅緒が彩芽の方をのぞき込む。
「問題なさそうね」
「うん、英語は結構得意なんだ」
彩芽は、手元に視線を感じた。下を見ると、紅緒が彩芽の問題集をのぞいていた。
「すごぉい、めっちゃ進んでるぅ! どうやったら、そんなにできるようになるのぉ?」
「うーん⋯⋯やっぱり、楽しむことじゃないかな? ほら、楽しいこととか興味があることって、すぐ覚えられるでしょ?」
「そうなんだぁ〜。興味持つのが一番早いのか〜⋯⋯」
その時、ふすまの向こうから霧島が声をかけた。
「入ってちょうだい」
蘭が言うと、霧島がふすまを開けて入ってくる。
「皆さま、おやつとお飲み物をお持ちいたしました。よろしければ、お召し上がりください」
甘い和菓子や洋菓子が、皿の上に所狭しと並んでいた。飲み物は、どのお菓子にもよく合う紅茶だった。
三人は勉強を中断し、しばしのお茶会を楽しんだ。おやつも紅茶もありふれたものだったが、普段食べているものとは全く違った。彩芽が、自分がいつも口にしているものは何だったのか、と思ったほどだ。
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