十 新入生合宿(二)
新入生合宿二日目。初日は何事もなく終わった。
今日の予定は、朝食を取ったら施設の近くにある山に登る。昼食は頂上で班ごとにカレーライスを作って食べるというものだ。
施設の食堂には一年生と教師陣が集まり、朝食を取っていた。
メニューはきのこや山菜など山の幸が豊富に使われた和食で、生徒たちには食べ慣れない食材が多いにもかかわらず、多くの生徒がおかわりをしていた。
食堂には壁一面が窓になっているスペースがあり、そこから初夏の爽やかな日差しが射していた。今日も空は晴れ渡っており、絶好の登山日和である。
皆がおしゃべりと食事を楽しむ中、彩芽は気がかりが一つあった。紅緒のことである。
なぜ、あれほど蘭に執着するのか。そして、なぜ彩芽に敵意を向けるのか。
敵意を向けているというのは考えすぎかもしれない。しかし、紅緒が自らに向ける感情はプラスのものでないということは確実だった。
「彩芽ー? どうしたー?」
「あ、ごめん! 何?」
班員の一人の言葉に彩芽は我に返った。
「お箸持ったまま、ボーッとしてるよ。それに、さっきから食べるペース落ちてるし。大丈夫?」
彼女は彩芽の具合が悪いのではないかと心配しているらしい。
「うん、大丈夫! 昨日ちょっと眠りが浅かったのかも」
彩芽は笑顔で答えた。
紅緒は敵意を向けていないのかもしれない。彩芽を知らないから、ああなっただけだ。口調がきつく感じるのも、知らない子と話す緊張のせいだろう。
彩芽はそう結論づけ、残りの朝食を急いで食べた。
かなり後ろの方から、蘭の息切れが聞こえる。
「北大路さーん、大丈夫ー?」
班員の一人が後ろを振り返り、蘭に呼びかけた。
「な、なんとか⋯⋯」
「大丈夫じゃないじゃーん! ちょっと行ってくるわ」
別の班員が班から外れ、蘭に駆け寄る。
「あたしの手、握って」
差し伸べられた手を蘭がつかみ、二人は彩芽たちのもとに戻ってきた。
「じゃあ、行こっか」
再び歩き始めてすぐに、紅緒の班が彩芽たちを追い抜いていった。
他クラスの班に追い抜かれながら、ようやく頂上にたどり着いた頃には、学年の半分ほどの班が既に到着していた。
登山といっても、彩芽たちが登っている山はそれほど標高の高い山ではない。ハイキング用の山のようで、コースもきちんと整備されていた。ルート自体もクタクタに疲れるようなものではなく、心地よい疲労感と達成感を味わえるようなものだった。
彩芽たちが座って一息つくと、紅緒がやってきた。
「蘭ちゃ〜ん! 大丈夫? 疲れてない〜?」
「平気よ。疲れもどうってことないわ」
心配そうな紅緒をよそに、蘭は平然と答える。少し休んで、呼吸が整ってきたらしい。
「そう〜? 疲れたら、いつでも言ってね〜?」
「ありがとう。でも、自分で何とかできるわ」
蘭は水筒を開けるため、下を向いた。
その時、彩芽は紅緒が怒りに顔を歪めるところを見てしまった。しかし、他の班員たちは気づいていない。彩芽だけが気づいてしまったのだ。
蘭が蓋を開けて水筒に口をつける頃には、紅緒は元の表情に戻っていた。
彩芽の背筋に冷たいものが走った。
その時、少し遠くで月組の担任が号令をかけた。紅緒は無言で自らのクラスへと戻っていった。
彩芽はカレーライスの具材を切りながら、先ほどの紅緒の表情について考えていた。
紅緒の表情には怒りが満ちており、さながら般若のようだった。
しかし、今回彩芽は紅緒に関わっていない。つまり、敵意を向けられるようなことをしていない。ならば、紅緒は何に怒っていたのか? 答えは出なかった。
「危ないっ!」
どこかから聞こえた叫び声で、彩芽は我に返った。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ! 彩芽、もうちょっとで指切るとこだったんだよ!?」
班員がまくし立てる。
ふと手元に視線を落とすと、右手の包丁が左手の人差し指スレスレにあった。それに気づいた途端、冷や汗が流れ出した。声をかけられなければ、そのまま指先を派手に切っていたかもしれない。
「あ、ありがとう」
「彩芽、朝から変だよ。危ないからあたしが切っとく。だから担当代わって」
「⋯⋯分かった」
役割を交代し、彩芽は米を炊く担当となった。
何とかカレーライスが完成し、全員昼食抜きという最悪の事態は避けられた。
カレーライスが班員全員に行き渡ったところで、一斉に口をつける。
「美味しい⋯⋯!」
蘭は声を上げた。
「ねー! 普通のカレーなのに、なんか美味しく感じる!」
アクシデントはあったが、何とか成功した。
「外で食べてるからじゃない?」
「うーん⋯⋯やっぱり、友達と作って食べてるからじゃないかな?」
彩芽は率直に意見を述べる。
「お、彩芽の名言出ました」
班員が茶化す。
「やめてよー! そんなんじゃないって!」
彩芽が笑った。
つかの間の休息だった。
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