九 新入生合宿(一)

 五月某日。今日はついに新入生合宿当日だ。天気は五月晴れで、まさに合宿日和である。

 合宿施設は郊外の山の麓にあり、学校に集合して観光バスで向かうことになっている。しおりによると、近くには森もあり、自然豊かな場所のようだ。

 一年生は既にバスに乗り込んでおり、あとは出発を待つばかり。クラスごとに用意された三台のバスは、あちこちでおしゃべりに花が咲いていた。無論、彩芽と蘭の班もそうだった。

「楽しみだねー」

「うん! あ、お菓子持ってきたから後で食べよう」

「あたし、昨日あんま寝てないから眠い⋯⋯。北大路さんは⋯⋯めっちゃ平気そうだわ」

「ほんとだー。ねぇ、どうしたら眠くならなくて済むの?」

「あっ、それ私も知りたい!」

「そうね⋯⋯規則正しい生活をすること、かしら」

「やっぱそっか⋯⋯それが一番難しいんだよー」

 彩芽は内心、蘭がクラスメイトと自然に会話できていることに安心していた。

 入学したばかりの頃は、蘭に話しかける人も蘭が人に話しかけることも少なかった。しかし最近では、どちらも増えている。そして、彩芽は蘭の人当たりが柔らかくなったようにも感じていた。

「間もなく出発します。実行委員は点呼をお願いします」

 藤宮教諭がマイクで呼びかける。

「私は一班から四班の点呼取るから、蘭ちゃんは五班から八班をお願い」

「分かったわ」

 二人が点呼を取る。結果、どの班もきちんと全員揃っていた。

「先生、全員揃っています」

 蘭が藤宮に報告する。

「北大路さん、ありがとうございます。皆さん、シートベルトは締めましたか」

 全員がシートベルトを確認したが、シートベルトを締める音はどこからも聞こえなかった。

 藤宮はうなずき、運転手に「出発してください」と告げる。

「それでは、出発します」

 それと同時に、バスのエンジンが唸り声を上げ始めた。いよいよ新入生合宿の始まりだ。


 出発から一時間ほどたった頃、バスが停まった。

 彩芽が窓の外を見ると、そこには大きな合宿施設があった。バスは無事目的地に到着したようだ。

 一班から順にバスを降り、藤宮教諭と運転手がトランクから出した荷物を受け取っていく。

 程なくして全員がバスから降り、一年生と引率の教師陣が施設の前にある広場に集った。

 出発前と同様、三クラスの担任教師たちが自らのクラスの実行委員に点呼を取るよう指示した。

 六人の実行委員が立ち上がり、各班の間を縫うようにして人数を確認していく。雪組・月組・花組ともに、欠けている生徒は一人もいなかった。

 六人が各々の担任に全員揃っていることを報告すると、雪組の担任が口を開いた。

「では、全員揃っているようなので中に入ります。この後は入所式を行うので、荷物を持ったまま共用スペースに向かいます。雪組一班からついてきてください。くれぐれも建物に入る時、職員の方々へのご挨拶を忘れないように」

 雪組の一班から列を成して進んでいく。建物に入る時、職員に挨拶をしている生徒は彩芽を含めてもとても多かった。挨拶をしていない生徒が見当たらないほどだ。

 彼女たちの様子から、挨拶をすることは当然の礼儀だと考えていることが見て取れた。教師に言われたがために挨拶していると思しき生徒を、彩芽は見つけられなかった。


 共用スペースは体育館のように広く、クラスごとに後方に荷物を置いてもまだ全員が座る余裕があった。

 「それでは、入所式を始めます。千原ちはらさん、お願いします」

 教師がマイクで告げると、集団の真ん中あたりから一人の生徒が立ち上がる。

 前に出た彼女は教師からマイクを受け取ると、こちらに向き直った。

 その姿に、彩芽はぎょっとした。彼女の長い黒髪が、無造作に伸びていたからだ。後ろ髪だけでなく前髪も長いため、貞子のようになっている。

 少女は黙礼すると、マイクのスイッチを指先でオンにし、話し始めた。

「私たちはこの施設で三日間、学ばせていただきます。今日この日のために、私たちは様々な準備をしました。それは、クラスメイトと親睦を深めるためです。三日間、職員の方々にはお世話になります。ご迷惑をおかけしないようルールを守り、規律正しい行動をいたします。どうぞよろしくお願いいたします。胡蝶館女学校中等科代表、千原紅緒べにお

 再び黙礼し、マイクを教師に返して少女は自分の位置に戻った。


 入所式が終わって部屋に戻る前、彩芽は蘭に尋ねた。

「あのさ、蘭ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「⋯⋯紅緒のことでしょう?」

 蘭はつぶやく。彩芽は、言おうとすることをピタリと言い当てられたことに驚いていた。

「うん、そう⋯⋯蘭ちゃん、あの子知ってるの?」

 驚きつつ、目的の質問をする。

「ええ。あの子はつき組の千原紅緒。幼稚舎の頃からわたくしに付きまとっているのよ」

 その声には、何の感情も籠もっていなかった。

「蘭ちゃ⋯⋯」

 声をかけようとしたその時だった。

「蘭ちゃ〜ん!」

 どこからか甲高い声がした。

 声のする方を見ると、紅緒が駆け寄ってくるところだった。

「探したよ〜、ここにいたの〜? さっきの入所式、私どうだった〜?」

「⋯⋯ええ、きちんとできていたと思うわ」

「やった〜!」

 子供のように喜んでいた紅緒は、彩芽に目を留めて、一瞬怪訝な顔をした。

「ねぇ、蘭ちゃ〜ん。この子、誰〜?」

「この子は九条彩芽。⋯⋯私の、友達よ」

「へぇ〜⋯⋯。ね〜、彩芽ちゃ〜ん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど〜」

 含みのある口調で紅緒は尋ねる。

「な、何? 紅緒ちゃん」

 彩芽は紅緒の豹変ぶりに気圧けおされたようだった。

「蘭ちゃんとは、いつからの付き合いなの〜?」

 間延びした口調だが、そこに優しさは全くない。

 彩芽は、自分が尋問を受けているような気分になった。

「よ、幼稚園に入る前からだよ」

「ふ〜ん⋯⋯。それから今まで会ってないってことだよね〜?」

「う、うん。入学式で会うまで、一回も会ってないよ」

「⋯⋯そっか〜。あ、もう行かないと〜。それじゃあね〜」

 紅緒は一方的に話を終わらせると、客室がある方へ去って行った。

 この時、紅緒による尋問への返答がとんでもない事態を引き起こすということを、彩芽は知るよしもなかった。

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