二 どこかで見たあの子

 短い春休みはあっという間に終わり、いよいよ入学式の日が来た。

 今日も卒業式の日同様、空は雲一つない快晴だった。三月と違って、もう肌寒さは感じられない。暑すぎず寒すぎない、新生活のスタートを切るのにこれ以上ない気候だった。

 学校の最寄り駅に着いたが、彩芽は自分が私立に行くことをまだ信じられないままでいた。

 元凶である両親はといえば、いかにも我が子の入学式に来た親という顔で彩芽の前を歩いて行く。

 駅から学校近くまでの道は桜並木が広がっており、花びらがヒラヒラと舞っていた。舞い落ちた花びらが道に広がり、まるでピンク色の絨毯のようだった。

 桜並木を抜けると、道路脇には異様な光景が広がっていた。子供の彩芽でも分かるほどの高級車が何台も横付けされているのだ。停まっている車を見ると、国内外を問わず様々なメーカーのものが入り乱れている。

「すごいな⋯⋯あんな高い車、乗ったことないよ」

 父はあんぐりと口を開けている。無理もない。道路脇に停めてある車が全て高級車ということなどそうそうないのだから。

 高級車の行列を横目に、学校に入ろうとしたその時だった。

 正門の一番近くに停まっている車から、少女が降りてきたのだ。ウェーブのかかったロングヘアの房を二本取って、ツインテールにしている。同じ制服を着ているので、同じく入学式に出席するのだろう。

 運転手らしき初老の男性がドアを開けており、男性は少女が降りると、静かにドアを閉めた。

 学校に入ろうとして、彩芽は異変に気がついた。両親が、凍りついたように動かないのだ。

「ねぇ――」

 声をかけようとしたその時、両親が同時に頭を下げた。彼らの身体は、少女に向けられている。

 自分と同い年くらいの少女に大の大人が揃って頭を下げているのが信じられず、彩芽は首をかしげた。

「え? 待って、何?」

 彩芽は戸惑いながらも、何とか口を開く。

 すると上から頭を押さえられ、無理やり頭を下げさせられた。

 少女はこちらに微笑みかけると、学校へと消えていった。

 彩芽はといえば、その少女をどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。


 彩芽の新しいクラスは、一年ゆき組だった。

 珍しいことに、胡蝶館女学校は「雪」「つき」「はな」がクラス名になっているらしい。クラス分けといえば一組、二組といった数字や、A組、B組といったアルファベットしか知らなかった彩芽には、新鮮に映った。

 教室に向かおうとしたその時、後ろで精一杯背伸びをしている少女がいた。どうやら人波に阻まれて、クラス発表の掲示が見えないらしい。

 よく見ると、それは先ほど両親が頭を下げていた少女だった。

 彩芽は、少女に話しかけた。

「ねぇ、さっきの子だよね? クラス、見てこようか?」

 最大限にこやかに話しかけた。

 しかし、少女は先ほどの微笑みなど嘘だったかのような冷たい目で「結構よ」と吐き捨てた。

 正門で見た彼女とはあまりにも違っていたため、彩芽は驚いて何も言えなかった。

 ふと見ると、いつの間にか掲示板の前の人波がはけて、モーゼの十戒のように道が開けていた。何やらヒソヒソ話をしている生徒もいる。よく分からないが、何かまずいことをしてしまったのだろうか。

 たいていの場合、こういう時は、よくないことを話している。本人の前でヒソヒソ話をされる程なのだから、初日から嫌われてしまったのだろう。

 彩芽は、自分の中学校生活が暗黒に染まったような気がして、呆然とその場に立ちすくんでいた。

 しかし少女は、何事もなかったかのように悠々と掲示板の前へ歩いていった。


 教室に入り、自分の席に腰かける。

 壁の時計を見ると、まだ式が始まるまでには時間があった。

 ふぅと息をつき、彩芽は机に突っ伏す。そして、前の席に向かって伸びをした。

 しばらくそのままでいると、「その腕を、どけてくれないかしら?」うっとうしそうな声がした。

 机から起き上がると、そこには先ほどの少女がいた。

「あっ、ごめんね」

 彩芽は慌てて腕を机に置く。

 少女はそれを見届けると、彩芽の目の前の席についた。

 ピンと背筋を伸ばして座っているのが印象的だった。恐らく普段からそうしていて、身体に染みついたスタイルなのだろう。

 辺りを見回してみると、空席が少なくなってきていた。緊張した面持ちの生徒が多いが、中には早くも近くの席の生徒と話している者もいる。

 一人で座っている生徒はといえば、大半がこちらをチラチラと見ている。まるで、天敵の出方をうかがっている小動物のようだった。

 彩芽は自分が何かしてしまったのかと思ったが、全く心当たりがない。今日学校でしたことといえば、先ほど前の席の彼女に声をかけたくらいだ。

 しばし考えて、また周囲を見渡す。すると、視線は彩芽ではなく、目の前の少女に向けられていると気がついた。

 向けられる視線が自分へのものではないと分かった彩芽は、安堵した。とりあえず、自分の平穏な学校生活は守られたのだろう。

 それはそうと、先ほどの少女はやはりどこかで見たことがある気がする。もう、すぐそこまで出かかっている気がするのに、出てこないのだ。

 しばらく思考を巡らせたが、答えは見つけられなかった。

 そうこうしているうちに、入学式の会場である講堂へ移動する時間になってしまった。

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