神様を捕まえた男

やざき わかば

神様を捕まえた男

俺はプロの格闘家をやっている。元々武術などそういったものが幼いころから好きで、空手、柔道、キックボクシング、躰道、レスリングなどを習い続け、総合格闘技の世界に入った。


しかし、俺の戦績は散々だった。とにかく勝てない。良いところまでは行くものの、負けてしまうのだ。


俺は昔から武術、武道を習っていた驕りと慢心に取り憑かれ、努力することを忘れてしまっているのだろう。それは自覚しているが、正直もうこれは治せない。楽することを覚えてしまったからだ。


そんな時、ある神社に何の気なしにお参りしたのだが、面白いヤツを捕まえた。


タケミカヅチとかいう、見た目は5歳くらいの武神、神様だそうだ。もちろん最初は信じてなかったが、コイツを捕まえてからは、試合でとにかく勝つようになった。


俺は運が良い。お参りした神社でこんな打ち出の小槌みたいな拾い物をするとは。

これからも俺が勝ち続けるために精々協力してもらうとしよう。


楽して勝つ。最高だなこれは。






と、この人間の格闘家とやらは思っているようだが、実はそうではない。


私のような神は、直接人間の能力などには干渉出来ないのだ。当たり前の話なのだが。


では何故この格闘家が勝つようになったかというと、単純に本人の努力によるものである。私が出来ることは「強くなりたい人間の背中を押すこと」だけなのだ。


つまり、本人の中に強くなりたい気持ちと、それに向けて努力できる土台があることが前提となる。この男は、元々日常生活の一環として過酷なトレーニングを積んでいたのだろう。そこに私が取り憑いたことの影響が出たのだ。


要するにこの格闘家とやらは、「私を捕まえたから楽して勝てるようになった」と思いこんでいるだけで、単純にさらに努力するようになっただけだし、ついでに言うと私は捕まったわけではなく、この男に興味を持って取り憑いただけだ。


私がやったことは、取り憑いてこの男の背中をそっと押しただけなのだ。


全く人間というものは面白い。どれだけ建前で強がってはいても、心の底では「本当の自分」とやらを追い求める情熱が燃えている。だが、それを形にする術を知らないのだ。だから我々のような神々が存在するわけだ。


そう、最終的には人間の努力にかかっているわけだ。


案外、「神様」は頼りにならないぞ。神社に来て願い事ばかりを言わずに、たまには決意表明や目標を語ることで自分を鼓舞してみろ。そしたら、俺みたいなもの好きな神様がお前の背中を押すだろうよ。

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神様を捕まえた男 やざき わかば @wakaba_fight

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