第14話 栄治、悔い改める天国
俺は霧の中に立っていた。
ああ、死んだのか、と思う。
風はないが霧が少し晴れると、足元には見たこともないパステルカラーの花が一面に咲いていた。
翔子の姿はない。
バカだな。
浴びるほど文句を言ってやりたかった。死んでなきゃいいんだけど。
と、突然足が、体が勝手に動き出した。どうも前方にある、濃い霧のかたまりに向かっているらしい。霧の中まであと数歩という所、突然背後から声をかけられた。
「栄治さん!」
か細い少女のような声。聞いたことはないが、俺には分かった。
振り向くとやはり遺影で、棺で見た香奈がいた。思い入れがあるのか、事故に遭った時着ていたからなのか、うちの制服を着ている。
香奈……。
何故かしゃべれない。伝えたいことが山ほどあるのに、口が動かない。
「栄治さん……。えっと、申し訳ないんですけど、一方的に私の思いを言わせてもらいますね」
香奈は、癖なのかショートヘアをしきりに耳にかけながら言った。
「あの、私……栄治さんのこと……、す、好きです!」
俺はいろんな女の子から何度聞いたことか、それは本当にありきたりなセリフだった。だが、俺に与えた衝撃は比べ物にならない。
「でも、私はもう死にました。やっぱり死ぬと何もできないんですね」
説得力あるな。
「栄治さん、死んでも何もできないんですよ。生きていれば、もしかしたら栄治さんと、お話出来たかもしれない。私が頑張って告白したら、お付き合い出来たかもしれない。……でも死ぬとダメなんです。何も出来ないんです。私……もっと、もっと生きたかった……」
俺は何てバカなんだろう。
人が死ぬ。
それがどういうことか、全く分かっていなかった。死者の為の自殺なんてただのエゴだ。
香奈からのもらい泣きではなく、俺は自分自身への後悔と、香奈の気持ちを感じ泣いていた。
俺は香奈と付き合う資格なんてない。
いや、死んでしまった人間をどうこうしようなんてのが間違っていたのだ。
人が死ねはその人の時間は止まるのだ。まわりがどんなに進もうが変わろうが、それは決して変わらない。死んだ時以上、変化することは無いのだ。それがどんなに残酷で恐ろしいことか。
だから人は死を恐れる。孤独を、一人を恐れる。
何故俺は怖く無かったんだろう。死を軽視していたわけじゃない。勝手に、死ねば香奈に会える、なんて思ってた。
一人じゃない、なんて思ってた。
翔子は? 翔子は怖く無かったんだろうが。
香奈がぼやけて見えない。鼻水が止まらなくて口で呼吸する。泣きじゃっくりが止まらない。
声が出るなら、腹の底から叫びたかった。小さい子供のように、体をめちゃくちゃに動かして暴れたかった。
死にたくない!
俺はこのまま死にたくない。
香奈をどんなに愛していても死ぬことの意味を身をもって理解した今、この場所にいること自体に恐怖を感じる。
「栄治さん。生きたいですか? 死にたいですか?」
香奈に聞かれて、今まで襲っていたからだの震えが止まった。強く瞬きをして、香奈を見る。
生きたいか? 死にたいか?
そんなの決まっている。自殺しておいて何だが、生きたい。
生きたいけど、香奈は……。
と、その時、どこからか翔子の声が聞こえたような気がした。
翔子は……。
俺は……。
俺は香奈に一歩近づく。
視界がぼやけて遠近感が分からないが、左手を香奈の右頬に伸ばす。
香奈の涙を拭いてあげたかった。
俺のせいで……。
眩しい。
指が触れたか、触れないか、目を細めてしまうほどの光を感じたが。俺は瞬きをして涙を落とす。見ると香奈の体の輪郭は眩しいほど輝き、徐々に小さな粒子へと変わっていっている。
まるで天使のようだ。
香奈は笑顔だ。
きっと、もう二度と会うことは無い。香奈は本当に俺のことが好きなんだ。だから……。
「香奈……」
しゃべれた。
「香奈あぁ!」
もう少し、あと少しだけ。
そんな俺の思いは届かず、香奈の体は、粒子からさらに細かくなり、霧の中に溶けるように消えていった。
俺は茫然とその場に立ち尽くす。
伸ばした左手は香奈を触れたのだろうが。
あっ、と気づくと、俺は体の力が何かに吸い取られるように抜けていき、名前の知らない綺麗な花畑の中に倒れた。
目をつぶっていても涙は流れるんだな、なんてことを思いながら意識は消えていった。
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