第31話 若松童子

 必殺の一撃は放たれた。

 彼を飲み込んでいた超常の柩にひびが入り、儚い破砕音とともに塵と化す。


「ぐあっ、馬鹿な! 消える、オレの力が、消え失せる……!」


 怪幻との同化、その代償は、深刻だ。

 叔父の体が風化していく。

 生命エネルギーを吸い取られるように肉がしぼみ、ミイラのように精魂が枯れていく。


 達成感というものは、存外なかった。

 ただ張り合いの無い有象無象を叩き潰した。

 例えるなら、耳障りな羽音を立てる蚊を仕留めた程度の高揚感。

 それが、俺の手にした報酬だった。


 本当に、呪術師ってのは、割に合わない。


「……ん?」


 妙だ、呪力が収まらない。


「惣司!」


 爺さんが何かを叫んでいる。

 剥影はくえいの拘束術式は解除されたようだ。


「呪力を鎮めろッ! 取り返しがつかんことになるぞ!」


 取り返しのつかないって言われても……っ!?


「え」


 頬に鋭い熱が走った。

 ゆっくりと手を当てれば、そこに真っ赤な血がべっとりとついている。


(攻撃を受けた?)


 何も見えなかった。

 だが、誰の攻撃かは、すぐにわかった。


(なんだ、このプレッシャー)


 すぐそばで、言葉にできない重圧感が膨れ上がる。

 全身に鉛がまとわりついたように体が重い。


「……そうか、お前が」


 いったいいつから俺は勘違いしていた。

 あの桜守家の落ちこぼれの叔父が、禁術を完全に再現できただろうか。

 否、断じて否だ。


 さきほどまでの同化は、不完全な呪術。

 怪幻との同化は完全には成立しておらず、それゆえに祓い切ることもできなかった。


「『若松わかまつ童子』の全霊か」


 見上げるほどの巨躯。

 引き締まっているのに大木のように太い四肢。

 二足歩行という点で人のような構造にもかかわらず、明らかに異形と判断できる理由は、やつの頭部に生えた捻じれた二本角だ。


 そこに怪物がいた。


  ◇  ◇  ◇


 怪幻が領域を作る理由は、幼虫が成虫へと変態する過程でサナギになるのと同じだと考えられている。

 領域の内側に広げられるのは怪幻が得意とするフィールド。

 自身に有利な環境を構築し、怪幻として成長するまでの過渡期を領域内部で過ごす。


 そして、成虫が幼虫やサナギが持たない翅を持つように、領域で成長した怪幻には特異器官を持つ。


 領域の内外の、反転を可能にする器官だ。


「冷気……?」


 息が白む。

 裂けるような痛みが皮膚に走る。


 庭の芝に霜が降り、枝葉が樹氷に包まれた。

 風の音色が寒々しい。

 しんしんと、季節外れの雪が舞い始めた。


 やつの領域が、現実世界を侵食していく。


「ギュラリュルゥゥゥゥウウアアアッ‼」


 異形の怪幻が産声を上げた。

 その周囲を舞っていた雪が、時間を失ったようにぴたりとその場に制止する。


 やつの怒声は俺のもとまで響き――そして「護狗まもりく」によって防がれた。

 声が通り抜けた後には氷像と化した式神が立ちはだかっている。


「……厄介だな」


 「護狗まもりく」によって威力は大幅に減衰したが、声――より正確に言えば波には回析の性質がある。

 身代わりの外側から回り込んだ奴の息吹が俺の手足を凍らせた。

 指先の感覚が遠のいていく。

 耳が熱くて、ほんの少しの刺激で千切れてしまいそうだ。


 これが、『若松わかまつ童子』。


「惣司!」

「則宗さん、これもあんたの計算通りですか?」

「想定外だ。本来、怪幻と同化した術者が滅びれば怪幻も同時に祓われる。やつが使った術式は呪術師の強化ではなく、怪幻の弱体化に使われていたものだ」


 道理で、最悪の怪幻という割に張り合いが無いと感じたわけだ。


「だが」


 怪幻の周囲に冷気が集う。

 野球ボールより大きいひょうが、雷神の連鼓のように弧を描いて展開される。


 そしてそれらが、次から次へと打ち出された。

 まるでガトリングガンだ。


 蜂の巣にならないよう、則宗さんと二手に分かれ、回避に専念する。


「不完全だったんだ、あいつの術式が。だから完全に同化できていなかった」


 そのうえ俺との戦闘で肉体が損傷し、精神が摩耗した。だから怪幻に術式の制御を奪われたのか?


「よっぽど厄介だぞ、あの落ちこぼれ呪術師より」


  ◇  ◇  ◇


 同時刻、伊勢市。

 一人の少女がスマホを眺めながら、うんうんと唸っていた。


「うーん、桜守くん最近あちこち飛び回ってるし、そろそろ伊勢で一息つく頃かと思ったんだけど、当てが外れたかなぁ」


 少女の名前は卯月アリス。

 チャンネル登録者300万人を誇る大人気配信者だ。


 その彼女のサブチャンネル『呪術配信』のパートナーと、数日顔を合わせられていない。

 併設した『呪術配信お悩み解決プラットフォーム』に寄せられた怪奇現象一覧がいくつか解決済みになっているので活動はしているみたいだが、表立って配信をしなければコンテンツは衰退していく。


 そろそろ次の配信の打ち合わせをしたいと思って伊勢まで足を運んだのだが、彼には会えていない。


「うー、なんだか今日は寒いなぁ」


 諦めて家に帰ろうか。

 そう、考え始めた時だ。


「何? いまの音」


 伊勢神宮の方から、爆薬がさく裂したような破砕音が轟いた。

 テロでも起きたのだろうか。

 いや、違う。


「もしかして、桜守くん!」


 彼はいま、怪幻と戦っている。


 根拠は無いけれど確信し、アリスは走り出した。


「はぁ、はぁ、邪魔」


 アリスは比較的アウトドア派だが、走るのは苦手だ。

 少しでも身軽になるために、配信機材を足元に置いていく。


「待っててね、桜守くん!」

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